早稲田大学33号館・第一研究棟(奥の高層部)
所在地:新宿区戸山1-24(早稲田大学戸山キャンパス内)
設計 :村野藤吾/村野・森建築事務所
建設年:1962(S37)
構造 :SRC+RC
階数 :12F?・塔屋2F・B1F
備考 :手前の低層棟は31号館(教室棟)
33号館の高層部は2011年3月に解体。
Photo 1987.7.16
解体直前の頃にも写真を撮ったのだが、手前の樹木がかなり大きくなって校舎群全体が見えなくなっていたため、全景は敢えて四半世紀前の写真で。
私などにとっては早稲田の文学部といえばこの建物の景色だった。キャンパスの入口から見ると、水平に伸びる低層棟(31号館)と、シンボリックに聳える高層棟が絶妙なバランスで組み合わさっていた。33号館の高層棟は、薄い板状のプロポーションから学内では国連ビルとも呼ばれていたという。
早稲田大学33号館(左:低層部、右:高層部)
Photo 2007.9.19 (Huginで2枚の画像を合成)
正門からプロムナードの坂を上り、ピロティによってゲート状になった31号館をくぐると、校舎群で囲まれた四角い中庭に出る。右は12階建て?の研究棟、正面は7階建ての教室棟で、この二つがT字型につながって33号館となっている。左側(写真の外)には低層の32号館があり、それらで囲まれた中庭を学生が往き来する。モダニズムの校舎ではあるが、中庭を持つ欧米の古いカレッジのような一体感のある雰囲気が創られている。
ところで、資料では11階建て(塔屋2階、地下1階)とあるのだが、外観写真で数えると12階分窓がある。本当は何階建てだったのだろう? 平らな場所に建っているので、入口が地階ということは無いはずだが・・・。資料があると思っていたのでつい確認しそびれてしまった。御存知の方は御一報を。
高層棟西側 Photo 2007.9.19
装飾がほとんどないいわゆるモダニズム建築。写真では暗くてよく分からないが、高層棟の1階部分は大半がピロティで、学生が自由に往き来することができるようになっていた。中庭を閉鎖的な空間にせず、人が入りやすくしておき、一方で視覚的には閉じて一体感を創っていたのが魅力的だった。
西側壁面の窓は1スパンおきで、東側に比べて開口部の大きさも小さい。屋上にはフレームが造られ、塔屋を隠し、全体を直方体のフォルムにしている。
穴八幡宮境内から Photo 2009.5.10
北側の離れた場所から見ると、かなりスリムな建物だったことがわかる。建て替えの直接の理由は耐震強度の不足なのだそうだが、研究室が手狭になっていたこともあるのかもしれない。でもプロポーションは確かに美しく魅力的だ。
東側壁面 Photo 2007.9.20
柱梁は打ち放しコンクリート。柱梁でつくられたグリッドの間の壁には煉瓦が張られている。ちなみに煉瓦の長手と小口を交互に並べたフランドル積み。
柱をよく見ると、上層階ほどわずかに細くしているようで、継ぎ目の所(写真右下)に段がついている。
各階にはそれより上の階の重さが掛かるが、上層階になればなるほど負担する荷重は減るので、柱を細くすることができる。昔の石造の教会の控え壁なども似たようなことになっている。ただ最近の鉄骨造建物では、鉄骨本体は細くなっているのだろうが、外観にまでそれが現れることは少ないようだ。柱を微妙に細くするのは、遠近感の強調にもなる。余談だが、大隈講堂の時計塔も上部がややすぼまっており、実際よりも高く感じられるようになっている。
33号館は高層部が2011年3月に解体完了した。同年4月に新しい高層棟の起工式が行われ、2013年2月には新高層棟が完成するという。その後、こんどは低層棟の改築解体が行われ、2014年8月に新低層棟を完成させる予定だそうだ。新棟の詳細なデザインは知らないが、中庭の一体感やスケール感は継承して欲しいところだ。
ディテールなどについてはまたこんど。
早稲田大学 文学学術院 > 33号館建替工事について > 新33号館イメージ
早稲田大学戸山キャンパスフラッシュ > 33号館工事の進捗
春秋堂日録 > 早稲田大学33号館
やっぱりモダニズムが好き! > 早大文学部校舎のディテール
aoilab 明治大学 建築史・建築論研究室(青井研究室)blog
> 取り壊し直前の早稲田大学(村野藤吾設計校舎)に行ってきました。
Tokyo Lost Architecture
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