都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ノボデヴィチ修道院

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 昨日は内部を見学することができなかったノボデヴィチ修道院へ向かう。ガイドの人が是非見ておくのが良いと薦めるので、改めて訪問することになったのだった。

 16:20 修道院に到着。また夕方になってしまったが、今日は中に入ることができた。ソヴィエト時代の1922年に閉鎖され博物館などに転用されたそうだが、その後、神学学校が開かれ、大聖堂も返還された。ロシア建国後は礼拝に訪れる人も増え活動も活発化しているという。私たちの訪問時には修道女が住んではいなかったらしいが、この後1994年には、修道女が生活する往時のスタイルが復活したのだという。

ノボデヴィチ修道院   Google Map
Wikipedia > ノヴォデヴィチ女子修道院

 入口には十字架と金色タマネギを沢山載せた紅白の塔がある。多くの建物は1680年代に建てられたそうだ。

 壁には矢狭間(銃眼)が作られ、敷地の角などの要所には見張り櫓がそびえており、まるで城郭のようだ。そしてクレムリンと同じように鐘塔や寺院が垣間見えている。

 門も城門のように堅固で壁は高い。1524年に創建されたこの修道院は、ロシア・ポーランド戦争(1605~1618)の際に、一時ポーランド軍に占領されたことがあるそうで、その後、このように防護を固めたらしい。

スモレンスクの生神女大聖堂
建設年:1524~1525

 堅牢な壁に閉ざされてはいるが、内部は意外に穏やかな雰囲気で、緑の多い中庭にいくつかの寺院や礼拝堂が建っている。

 青空の中にひときわ高く赤煉瓦と白い石で造られた鐘楼がそびえる。夕暮れの中庭はひっそりとして静かだった。

 庭の端には古くなって修復中である建物があった。天井を張った上に簡単なトラスを載せてそこに屋根板を張るという至極簡便な修復である。断熱材もあまりないような感じで、一般の建物はこんなものなのかと驚かされてしまう。

 また、ある建物の壁面には日時計が描かれていた。後年ヨーロッパ各地の建物を見た時、時計が効果的に用いられているのが印象的だったが、壁面に日時計を付ける発想は日本ではあまり見かけないので面白かった。この修道院の日時計は壁面に針金を取り付け、ペンキで文字盤を描いただけの素朴なものだったが、その簡素な表情がまたどこか心を和ませるものがあった。残念ながらこの時は日が陰っており、日時計には時刻は映っていなかった。寒い国で、日の光を待望する人々の気持ちが現れているような気もするものだった。

 17時前から礼拝が始まる。人々の後ろからそっと礼拝を見学させて貰う。ウラジオの時も感じたが、敬虔なお祈りにはやはり厳粛な雰囲気が伴うものだ。そこらへんどうも日本の寺社の参拝はお気楽な感じであるような気がする。それが仏教的、東洋的な明るさといえばそうかもしれないが、後々韓国を訪れたときに、同じ仏教でもずっと真面目だったのに驚かされたことを考えると、やはり日本人はもう少しは信仰心を持たないと堕落してしまうのではないかと考えさせられてしまうのだった。

 夕暮れが近づいてきて急速にまた寒くなってくる。バスに乗り込みホテルへ向かう。

 バスに乗っている内に日が落ちて、空が茜色になる。夕焼けをバックに、モスクワ大学の塔とスキーのジャンプ台がシルエットになる。印象的な夕暮れを見ながら、市街を通り過ぎる。

 17:30にホテルに帰着して夕食。ロシアの夕食は割に軽いのですぐに終わってしまう。

 EVホールにはジェジュールナヤと呼ばれるフロアーサービス係が24時間体制で待機している。このおばさんはフロアーへやってくる人のチェックもしているので、このようなホテルは安全面でもひとまず安心できる良いホテルということになる。この方式は後年、中国や韓国でも出会ったもので、ちゃんとした大規模ホテルにはあるサービスのようだ。もしかすると僕が知らないだけで、日本でも良いホテルはそうかもしれないが。

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