都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

馬場先濠と丸の内

2019-12-22 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2019) No.072 馬場先濠と丸の内

Photo 1988.2.28(ノーマル時)、 Photo 2019.12.3(マウスオン

 皇居外苑馬場先濠、丸の内2丁目〜有楽町方面。31年ぶりに同じ場所から撮ってみた。

 とある講義でかつての建物高さ規制(百尺、戦後は31m)について話していて、丸の内界隈の街並み写真(1枚目)をお見せして、昔はこのあたりで揃っていたけれど、諸々の事情で容積率制に変わって、高さ面での統一感は失われている的な話をしたりしているのだが、ふと、これ1988年の写真じゃないか、現在の様子も出さなくちゃと気づき(気付くのが遅すぎるけど。。)、先日、大嘗宮の一般参観のついでに同じ場所から撮ってみた次第。

 予想はしてたけど、やはり予想以上でした。画角内の空の面積が3割程度減った感じ。

 1988年の時点では第一生命館も明治生命館も高層化はされていなかった。奥の方に三信ビルや日比谷三井ビルも見えている。赤白の塔は東京電力の通信塔。奥の方の超高層は左が帝国ホテル新館、右が第一勧業銀行(現みずほ銀行)。 百尺規制がなくなって約四半世紀が経った時点の写真だが、まだ丸の内三井ビル〜第一生命館あたりまでは当時の痕跡を残していた。三信ビル〜日生ビルも当時の名残。

 2019年の写真に写っている高層ビルは、手前から丸の内My Plaza(明治生命館)、丸の内二重橋ビル、DNタワー21、ザ・ペニンシュラ東京、そして最近、東京ミッドタウン日比谷が奥の方にドンと建った。
 帝国ホテルの新館や東電の通信塔が隠れてしまうとは思ってもみなかった。日比谷シャンテなんてほとんど見えない。

 今回の撮影、建物の重なり具合を同定できる場所があまりなく、第一生命館と日比谷シャンテと帝国ホテル新館の重なり具合から撮影位置を判定したのだが、3つのビルが遠くにあったため、現場でも視認しづらく、誤差がやや出てしまった。あと1mほど左で撮ればよかったのかもしれない。

都市徘徊blog東京商工会議所ビル  東京會舘  第一生命館
   三信ビル その1その2その3日比谷三井ビル

Tokyo Lost Architecture  
#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #海・川・池 
#オフィス  #高層ビル 

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霞が関ビルから 新宿方面

2018-09-13 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2015) No.061 霞が関ビルから赤坂見附・新宿方面

 四半世紀のうちにビルがかなり増えて、新宿の超高層ビル街は特別なものではなくなっていた。

霞が関ビルから 赤坂見附・新宿方面
所在地:千代田区霞が関3-2
Photo 1988.5.3(マウスオフ)36Fの展望室から
Photo 2015.12.7(マウスオン)35Fの東海大学校友会館から
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 最上階の展望室がなくなってしまったので、全く同じ場所からは撮影できない。1フロア下から撮って画角などを後で調整したが、建物相互の位置関係は若干ずれている。

 1988年の写真は夜景なので細かい部分は判然としないが、右手の高層ビルはニューオータニ新館と赤坂プリンスホテル新館。また、一番右の空中の赤色灯は平河町にあったNHKの鉄塔のもの(たぶん)。

 画面中央が赤坂見附交差点で、鹿島建設のツインビルが明るく照らされている。左後方の暗い場所は、赤坂御用地・東宮御所や新宿御苑。左奥に新宿の繁華街や超高層ビル群が見えている。新宿界隈は当時からかなり明るかったようだ。それと超高層ビルが群になって林立しているのはこの頃は新宿ぐらいしかなかった。

 2015年の写真では、手前に大型のビルが増えたことが印象的だ。

 左手前の首相官邸や、右手前の議員会館は建て替えられて大きく変化している。左端には山王パークタワー、その右側はザ・キャピトルホテル東急、中央はプルデンシャルタワーで、その左陰にはAKASAKA K-TOWERが見えている。

 赤坂プリンスホテル新館は無くなり、東京ガーデンテラス紀尾井町の大きなビルができた(2015年時点では建設中)。右端には防衛省の通信塔も見えている。

 新宿の超高層ビルにも都庁などが加わり、以前よりも更に山のように見えている。

Site Y.M. 建築・都市徘徊Cityscape of Tokyo

#東京新旧写真比較  #東京新旧写真比較 千代田区
#眺望  #塔  #高層ビル  #夕景・夜景 
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霞が関ビルから

2015-12-26 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2015) No.057 霞が関ビルから

 四半世紀のうちにビルがかなり増えて、東京タワーもビル街の中の塔になってしまった。

霞が関ビルから 芝公園・東京タワー方面
所在地:千代田区霞が関3-2
Photo 1988.12.19(マウスオフ)36Fの展望室から
Photo 2015.12.7(マウスオン)35Fの東海大学校友会館から
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 最上階の展望室がなくなってしまったので、全く同じ場所からは撮影できない。1フロア下の少し東側から撮って画角などを後で調整したが、どうしても建物相互の位置関係はずれてしまった。

 1988年の写真は夕暮れなのでぼんやりしている。

 中央の建設中のビルはNEC本社。その手前の緑は芝公園と芝ゴルフ場。手前左が愛宕山で、山頂にNHKの放送博物館が見えている。

 新旧の写真を見比べると、手前に愛宕グリーンヒルズができたのと、周辺に超高層ビルがかなり増えたので印象がかなり変わっている。

 NECの本社ビルも東京タワーもビル群の間に埋もれ、芝ゴルフ場はなくなり、芝公園もあまりよく見えなくなった。ただ愛宕山やNHK放送博物館は近くにあることもあってまだ見えている。また左端には東京港の水面が幸運にもまだわずかに見えている。

 また、東京タワーは塗り分けのパターンが変更された。1988年当時、大展望台は赤だったが、現在は白。そして特別展望台上部にデジタル系の送信アンテナを設置したため、現在は上の方が太くなっている。見比べてみると、昔の方が尖っていたかんじ。

 そして実はこの写真の画角左外には虎ノ門ヒルズが画面上端を突き抜けて聳えている。

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富士見の木造家屋群

2013-05-18 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1994/2012) No.048 千代田区富士見の木造家屋群

木造家屋群
所在地:千代田区富士見2-1
構造・階数:木2
備考 :2008年に再開発により解体
Photo 1994.7.16(ノーマル)、 Photo 2012.12.8(マウスオン)

 東京大神宮のそばに、木造2階建て家屋ばかりが数棟建つ一角が数年前まであった。2007年にはまだ全ての建物が残っていたが、2008年4月頃から順次解体されて、2009年にはそれらの跡地に一棟の9階建ての共同住宅が造られた。

 その後、一連の工事が終わったので、以前と同じ所からの撮影を試みた。画面内に残る建物がほとんど無いので位置取りが難航したが、だいたいこのような感じではないかと思う。

大木がある木造家屋
Photo 2006.5.14(ノーマル)、 Photo 2009.11.28(マウスオン)

 黒い板塀に囲まれた住宅には大木があり、家屋がその陰にひっそりと建っていたのが印象的だった。家の解体時には枝が全て落とされて幹だけになったが、伐採はされず一本だけ残された。木造住居の街並みが完全に消えたのは残念だったが、樹木が残されたのは、この大木が保存樹などになっていて、自治体が保存を要請したり指導したのかもしれない。もしくは、開発者が環境や歴史について少し考えたのか、その緑がウリになると考えたからか・・・。

Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #街並み 千代田区  #和風住宅 
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皇居東御苑から

2012-12-30 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1992/2012) No.047 皇居東御苑白鳥濠展望台から


皇居東御苑白鳥濠展望台から大手町・丸の内
所在地:千代田区千代田1-3
Photo 1992.3.8(上)、Photo 2012.12.8(下)

  皇居東御苑、本丸跡・白鳥濠西側の展望台から大手町・丸の内方面。

 20年前の写真と見比べてみたら、超高層ビルが倍増していて驚いた。昔の丸の内ではまだ東京海上が一番高く目立っているが、現在は全然目立たなくなっている。

 中央やや左の、りそなマルハビルと三菱東京UFJ銀行大手町ビルは解体が始まっている。りそなマルハビルってこんなに低かったっけ?と思って、昔の写真と見比べてみたら、高さが低くなっている!ことが判明。ダルマ落とし式に下から解体が行われているのだそうだ。もう半年もすれば、二の丸の木々に隠れて見えなくなってしまうだろう。

#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区 
#新しい建物 千代田区  #街並み 千代田区  #パノラマ 
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東京駅八重洲口

2012-07-10 | 千代田区 

 東京新旧写真比較(2002/2009) No.046

 今頃になって解体途中の写真を出すのはどうかとも思ったが、とりあえず。

東京駅八重洲口・鉄道会館・大丸
所在地:千代田区丸の内1-9(丸の内側駅舎と番地は同じ)
建設年:1954(昭和29)・1968(昭和43)に増築
構造 :SRC?
階数 :1954年当初は6F、1968年に12F建てに増築
備考 :2009(平成21)解体
Photo 2002.07.27(マウスオフ)
Photo 2009.01.18(マウスオン)
写真にマウスをあてがうと、2009年の写真が表示されます。

 2002年に撮ったとき、カメラの調子が悪くて左側がピンぼけになってしまったので、そのうちに撮り直そうと思っていたのだが、呑気に構えていたらあっという間に解体が進んでしまった。そんなわけで写真は全体に足場が組まれてからのものだが、この新しい方の写真を撮ったのももう3年前のこと。

 南北に細長く、壁のようになる典型的駅ビル。外観はモダンだったが、商業施設というよりはオフィスのように見えるビルだった。八重洲側の壁面は全面が均一なサッシで覆われ、1F部分だけがピロティ状になっており、旧東京都庁とも若干似た、モダニズムオフィスのような姿。縦長のサッシが反復して壁面を細かく分節するが、全体としては窓が帯のように連なる。改めてよく見ると、プロポーションも割と良く、きれいだ。八重洲側の正面から見ると、道路の正面を塞ぐような姿であまり良い感じがしないが、斜め方向から遠近がかかった状態で眺めると結構格好良い。

 2009年の写真で、後方に隣接する超高層はグラントウキョウノースタワー、右端の街灯に重なっているのは日本橋三井タワー、画面左端のビル群は丸の内OAZO。

 10年前の写真で見ると、広い空間の中にほぼ単独で建っており存在感があるのだが、その後、南北に超高層ビルが建ったため、ビルの谷間で窮屈そうな状態になるという状況になってしまっていた。しかしその状態もわずかの間だけで、1、2年後には低層の駅舎が完成するという。

 新駅舎を低層の建物とすることで、丸の内側、八重洲側から空隙が帯のようにつながり、視線が抜けるようになる。また海側からの風の通り道にもなるということだ。駅が低層になるのは現代では珍しいことなので、面白い取り組みだとは思う。だが新駅舎のデザインは交通結節点としての機能が優先で、丸の内駅舎のような存在感は持たないような気がして、ちょっと残念だ。だからといって巨大な駅ビルが良いわけではなく、やはりまずは新駅舎に期待することになる。

 丸の内側の駅舎が完成に近づき、八重洲側も大屋根の建設が始まった。東北縦貫線がまだ建設中だが、長いあいだ工事が続いていた東京駅はもう少しで完成、ということになるのだろうか。1、2年後、八重洲側の駅舎も完成したら改めてここからの様子を撮ってみたい。

再開発で変わる東京風景
   > 八重洲から丸の内が見えるよ。(東京駅・鉄道会館ビル解体)
再開発で変わる東京風景 Ameba版
Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #高層ビル  #鉄道  #モダニズム 
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有楽町駅前

2010-06-09 | 千代田区 

東京新旧写真比較(2001/2009) No.43、No.44 千代田区有楽町

東京交通会館2Fデッキから JR有楽町駅 東口駅前
Photo 2001.9.16(マウスオフ)
Photo 2009.1.18(マウスオン)

 有楽町駅前の風景は、有楽町イトシアができて大きく変化した。

 有楽町駅前には闇市の名残とおぼしき一角がずっと残っていた。2〜3F建て程度の小規模な建物が建ち並び、食堂や喫茶店などが軒を連ねており、庶民的な駅前飲食街となっていた。JR有楽町駅は駅ビルや駅前広場がなく、いつも雑然としていたが、有楽町イトシアの建設に伴い駅前空間は一変した。

 駅の南側でガードをくぐっていた道が廃止され、駅東南側に大きな広場が現れ、地下の入口も一新された。自由に歩ける歩行者空間が駅前にできたため、雑然とした少し薄暗い印象が消え、賑わいはあるがきれいで穏やかな空間になった。有楽町駅はだいぶん前から車で来るような場所ではなくなっていたので、駅前から車を上手く排除したのは非常に良かったと思う。

 その一方で、駅前のごちゃごちゃした雰囲気も捨てがたい魅力があり、そこがピカピカの空間になってしまったのは少々残念ではある。だが、マリオンもイトシアも、銀座方面へのルートを残し、建物の間を通り抜ける空間を造ったりしており、結果的に、賑わいを残しつつ、人の流れを取り込んだ空間を作ることができているようで、これはこれで良かったのでないだろうか。

 さて、東口の駅前は様子がかなり変わったが、その他はというと、この画角では有楽町電気ビルヂングの後方にペニンシュラホテルができたこと程度。あと、駅前の建物がなくなったので、日比谷・内幸町方面が少しよく見えるようになって、新幹線の姿も少しだけ遠くから見えるようになったようだ。

#東京新旧写真比較 千代田区  #鉄道  #広場  #夕景・夜景 
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神田淡路町2丁目

2010-01-27 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.40 千代田区神田淡路町2丁目

Photo 1981
Photo 2008.12.21

 比較的大きな通りでの写真が多い1981年の撮影者が、なぜいきなりこの路地を撮ったのかはナゾ。

 最初に写真を見た時はこれがどこだかさっぱり分からなかった。画面左側に魚金という魚屋があるが、現在は神田・御茶の水界隈にこのような名の魚屋はない。拡大しても住居表示板が全く写っておらず、ほとんどお手上げ状態だった。だが、一連のスライドのマウントを外して、撮影の順序を調べてみたところ、撮影者がどの順序で街を巡り写真を撮ったのかが分かり、そこからどの道で撮ったのかを明らかにすることができたのだった。

No.13No.14No.15No.16

 というわけで、今回のコマはどうやら淡路町交差点、淡路町2丁目交差点付近の路地で撮られたことが分かった。

 写真中央を車が左から横切っている。交通標識からして、交差するこの通りは一方通行。また、奥の方の建物がややそびえ立つ壁のように見えていることから、なんとなく下町側から高台側を見たのではないかと見当を付ける。付近にこれらの条件を満たす道は一つしかなかった。というわけで12月になって現場を訪問。

 行ってみると、確かに道の様子は似ていた。この道なのだろうとは思った。しかし建物がほとんど建て替えられてしまっていて、どのあたりから撮ったのかがさっぱり分からない。

 しばらく行ったり来たりする内に、左側に昔の看板建築的な建物が残っており、更にその奥に斜線制限で上の方の階が斜めになっているビルがあり、それらが今も見えていることを発見。更に、交差点角の建物も色は塗り替えられているが健在であることも分かった。そこでこれらを手掛かりにして写真を撮る。結果的にL字型側溝の雨水枡の位置がややずれて写っているので、もう少し後方で撮ったのかもしれないがほぼ同じ構図で撮影することができた。

 近景があまりに異なるので、俄には全く信じられないが、上の2枚の写真はほぼ同じ場所から撮ったものである。

Cityscape of Tokyo   #東京新旧写真比較 千代田区
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淡路町交差点

2010-01-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.39 千代田区神田淡路町1丁目

Photo 1981
Photo 2008.12.21

 淡路町2丁目交差点の方から、大手町方向(南向き)。

 左端は神田志乃多寿司のビルで、袖看板が一部見えている。袖看板は現在は取り払われているが、ビルそのものは現存しており、設置金具が残っている。その右側、街路樹に半分隠れているのはアベアドレス。以前、場所探しに苦労した建物だが、これが判ったおかげで、この場所も判明した。その向こう、桜井商事株式会社は移転などをしたのか、白看板になっていた。

 遠方には大手町のKDDIビルのアンテナが霞んで見えている。

 一方、通りの右側は、81年当時には空き地があったらしく、建物の北側壁面の様子がよく見えている。現在は道路に面した部分しか見ることができない。

 手前で向かってくる車は3代目カローラ。ドアミラーの解禁は1983年からだそうで、この頃の日本車はまだフェンダーミラー(ボンネット前方に付くミラー)であり、ドアミラーは輸入外国車だけだった。

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神田淡路町2丁目交差点から

2010-01-21 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.38 千代田区神田淡路町2丁目

Photo 1981
Photo 2008.12.20

 1981年の撮影者は、撮影のタイミングにあまり頓着がない。その2

 酒屋のトラックが左折しようとしているところでパチリ。画面内にダットサンのピックアップトラックが大きく写されてしまっている。もう少し待ってからシャッターを切れば良かったのにと、私などは思ってしまう。逆にいえば、得難いタイミングをモノにしたと言えるのかもしれないが、やはり街並み資料的にはあまりよろしくない写真だ。

 それはさておき、右端のビルと左端の建物は健在。また、雪印の牛乳販売店は文字が無くなっているが建物は残っている。中央線の高架は今でももちろんよく見えている。

 1981年の写真をよく見ると、右側の奥に木造3階建て町屋とおぼしき出桁造り屋根が見えている。このような建物は都心にはもうほとんどないが、27年前にはまだわずかに残っていたようだ。

 奥の黒っぽい建物は神田郵便局で、これは建て替えられたようだ。また一番奥には秋葉原の高層ビルが見えるようになった。

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