都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

スペイン広場・スペイン階段

1993-03-15 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.15 Mon Roma

08:30 起床。K氏はまだ寝ている。睡眠不足で私も少しつらい。昨日の残りのクッキーとパンを食べる。

09:30 出発。今日はのんびり行こうということに。

ホテルの階段室。明るくなかったので手ブレ。

 吹き抜け部分に後から設置したと思われるEVがあったが、どこかの階で扉がきちんと閉められておらず、呼んでも来ないので歩いて下りる。

10:00 朝食のないホテルなので、外食。久々にマックで朝食にしようと、共和国広場のMcDonald'sに行ってみたが、まだ開店していなかった。
 周辺にファストフードが見当たらないので、朝食は後回しにして、JALのカウンターに出向いて、リコンファームを行う。オフィスのおばちゃんの日本語が上手で、スムーズに作業が済んだためホッとする。スペイン階段まで歩き、そちらの方で朝食をとることにする。

スペイン広場 (ローマ) - Wikipedia

10:10 スペイン階段の階段上に到着。
 着いてみると、ああこんなものかい・・・、という感じ。でも午前中から人が多い。とにかく階段にみんな座っている。
 ファストフード店などを探すが、なかったので、そのままSpagna駅からMetroでバチカン市国方面へ向かう。

10:30 Metroを下りてバチカン市国そばのBarでサンドイッチとエスプレッソを飲む。エスプレッソが少ないと、K氏は不機嫌だったが、エスプレッソって少ないものなんじゃなかったっけ?(当時はまだ日本にはスタバなどもなく、エスプレッソは一般的ではなかった。)

 ここでの軽い朝食の後、今日は別行動ということになる。

#街並み 海外  #階段・坂 海外  #教会  #モニュメント  #広場  #バロック 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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Assisi 1

1993-03-14 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.14 Sun Assisi

06:55 起床。眠い。口内が相変わらず苦く不調。
07:10 出発。

07:20 走って駅に到着。Ancona行きの列車に間に合う。車内でうとうとしながら行く。K氏はしっかり睡眠。

09:16 Foligno着。乗り換えの間にパンとチョコレートを買う。

09:35 Peruga行き発車。K氏はトイレに行った時にパンツを破ってしまったと告白。それもあって列車に乗り遅れそうになる。

09:51 Assisi着。駅で帰りのInter Cityの列車を予約しようとするが、切符売り場が開いておらず購入できず。仕方なく普通列車で適当に帰ることにする。

10:12 バスで丘の上の町へ。チケットは1,000Lireだったが、違う方面のものを買ってしまった。しかしそれでもOKで載せて貰えた。そのあたりを許容してくれるのは助かる。

10:20 町を取り囲む城壁のすぐ外側の広場に到着。いくつかある城門の内の一つから町の中に入る。

 ここもかなり観光地化してはいる。山上の道は狭く車が通れない道も多いため、街の中心部は歩行者中心の雑踏が広がっている。雑踏と言っても渋谷や新宿の駅前のような混雑ぶりではないので、どちらかというとのんびりした感じ。

 白っぽい煉瓦や石で造られた町。細い道が迷路のようだ。

 Assisiには犬や猫も多くいたが、Veneziaの猫のようには人に慣れていなかった。春になって、犬も猫も鳥も、活発に活動するようになり、鳴いたりじゃれあったりしていた。

 階段、窓から下がる植木鉢、ヨーロッパの街並みとしてなんとなく想像し、見聞きしていた景色である。

#街並み 海外  #路地  #階段・坂 海外 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Roma 5 カンピドリオ広場

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 フォロロマーノを見ながら、階段を上がっていったら広場に出た。建物に囲まれた噴水のある広場だったが、よく分からず、しばらく地図とにらめっこをしたら、そこがカンピドリオ広場であることが分かりビックリする。

カンピドリオ - Wikipedia

 ありゃ、こんなに何の変哲もない広場なのか。ミケランジェロが設計し、遠近感を巧みに利用したルネッサンス期からバロック期に至る名広場と言われるが、初心者にはなぜこれがそんなに重要かつ有名なのか、すぐには了解できないのだった。

 円形ではなく楕円形に模様が付けられた広場。つい円形だと錯覚してしまう心理を利用していると言われているが、写真に撮ってみるとそれほど円形には見えなくてやはり楕円形ベース。でも遠近感とか楕円形、歪んだ形を多用して視覚的に魅力的な姿を作ることに腐心したのが、ルネッサンスからバロック期の西洋建築のありようなのだそうで、その代表的なものとしての重要性がやはりあるのだろう。

 その後、真実の口へ向かう。こっちの方が「ローマの休日」で有名な庶民的な名所だ。ちょっとお上りさんチックで恥ずかしい気もしたが、お約束のように口に手を入れてしまう。

#街並み 海外  #階段・坂 海外  #広場  #教会  #塔 
#ミケランジェロ  #ルネッサンス  #バロック   タグ一覧

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Venezia着

1993-03-11 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.11 Thu Venezia

06:40 車掌に「次はVeneziaだよ」と起こされる。パスポートなどを返して貰う。

07:03 少し遅れて到着。朝のVeneziaは濃霧だった。ほんの少し先も見えない状態。やはり朝は寒い。

07:20 駅の両替所に行ってみたが、始まっていなかった。現地通貨リラが無いので、何もできない。両替所は8時からだというので、その間に今夜の宿を探しつつ、駅周辺で待つことにする。Youth Hostelに泊まるという女性達に出会う。

08:30 両替所で5万円を両替。100リラ≒11〜12円。
 ガイドブックで選んだホテルをK氏と交代で探す。2軒目のホテルは案外簡単に見つかる。その帰りに駅前の三つ星ホテルの前で、大学の同期でI研究室に所属していたSさんを偶然見掛ける。ただSさんはお母様とそのいいホテルに入っていった。トホホ。

09:00 Hotel Hesperiaというホテルにチェックインする。おやじさんは愛想が良く、気持ちよく泊まれそうだ。3Fの206号室に案内して貰う。ツイン、シーズンオフ料金で70,000Lira。一人約3,500円弱と安いが、感じのいい部屋。Tel付き、洗面付き。シャワー、トイレは共同だが、こちらもとてもきれいだし良い。

 10:00まで休んでから、荷物を置いて出掛ける。朝食を食べていなかったので、駅前のパン屋で野菜サンドとアップルデニッシュを買って、運河沿いの教会の前の階段で食べる。とてもおいしい。

 ベネチアの道は細く、迷路のように繋がっている。ホテルで簡単な地図を貰ったが、異常なほどややこしい小路網に参る。建物の壁に付けられたサインを頼りに裏道をめちゃくちゃに廻り、リアルト橋にたどりつく。

リアルト橋付近

 リアルト橋(Ponte di Rialto)は、橋上の両側に店舗が並ぶ石造アーチ橋で、ベネチアの名所。日本ではほとんど見当たらないタイプの橋だ。長さ48m、幅22m、水面からの高さ7.5mで、1591年に完成したという。

リアルト橋 - Wikipedia

 周辺は土産物屋で埋め尽くされていて、昔の仮面舞踏会にちなんだお面の細工なども売られている。この他には、ベネチアングラスのお店や、革細工の店が多い。革製の眼鏡ケースを買う。15,000L(約1,400円)。

リアルト橋の階段

 橋の中央の通路部分の幅は7〜8m程度だろうか。アーチ橋なので、通路は太鼓橋状に階段になっている。ベネチアは水辺の街なので、歩き回っても丘や高台からの眺望はないが、橋の上からはときどき見通しが効いて、ちょっと先を見下ろすことができるのが楽しい。橋上の両側に土産物屋などがずらっと軒を並べているため、橋の中央を通っていると通りの延長のようでもある。

#街並み 海外  #海・川・池  #橋  #階段・坂 海外 
#世界遺産 
ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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モンマルトルの丘、サクレ・クール寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 10:50 K氏とバスでモンマルトル(Montmartre)へ行く。

モンマルトル - Wikipedia
サクレ・クール寺院 - Wikipedia

 11:20 モンマルトルの丘を登る。一説には7つの丘があると言われるパリだが、モンマルトルの丘はパリ市内では一番高いらしい。丘の下の方にはキャバレー「ムーラン・ルージュ」などがあり、丘の上にはサクレ・クール寺院のドームがそびえる。

 寺院建物の下まで階段を上って振り返るとパリ市内を一望することができる。その後、サクレ・クール寺院(La Basilique du Sacre-Coeur de Montmartre)を見学。ドーム(Dome)にも上る。ドームは上写真の大ドーム下部の円環の部分まで上ることができ、ここからもパリ市内がよく見える。

 丘の上のDomeからの眺望は素晴らしかった。写真右端がエッフェル塔。中央のビルは建設後に景観的に失敗だったと言われたモンパルナスタワー。
 パリ市ではモンマルトルの丘など、高台に定められた眺望点からパノラマ景が見えるように、市街地の建物の高さが規制されている。モンマルトルの丘だけでなく、凱旋門の屋上などからも遠くが見えるようにされているため、市内の大半の場所では、建物の高さが約35m以下に規制される結果になっているという。

サクレ・クール寺院 Domeから

 日本でも最近は京都などで、周囲の山並みが見えるようにと、建物の高さや広告物の景観が規制されるようになっているようだが、パリの取り組みは40年ほど前から始まっていて、その規制によって写真のような広いパノラマ景が維持されている。

 実は1993年の訪問時には、そのような規制ががっちり行われていることを私はまだ知らなかった。ただ、モンマルトルの丘からは遠くがよく見えて、眺望がとても良いのだなと印象深く感じたのだった。

サクレ・クール寺院 Domeから

 12:00を迎え、鐘が市内各所で鳴る。

 12:30 丘の前でサンドイッチを買って食べる。フランスはやはりパンが美味しい。240円くらいで、ハム・野菜・フランスパンのサンドイッチが食べられる。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#古い建物 海外  #パノラマ  #眺望  #教会  #階段・坂 海外 
#街並み 海外  #ロマネスク  #新古典主義 
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文化と憩いの公園の階段

1992-10-16 | ロシア  

 アムール川へ向かって、文化と憩いの公園の中の長い階段を下りて行く。木立の中のコンクリートの段々が晩秋の日差しを反射して美しい。

 アムール川の河畔を散歩した後、街へ向かってまた階段を上る。この階段は手摺が立派だった。老人のためなのか、途中の踊り場には手摺に沿ってベンチがしつらえてあった。その場では珍妙に思えたが、後から考えると日本にもこういう階段がもっとあってもいいのにと思う。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#公園  #階段・坂 海外
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日本車

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

 ウラジオで街を歩いていて痛感するのは、ハバロフスクに比べてとにかく車が多いことだ。中でも日本の中古車が多い。セダンなどの乗用車の7割ぐらいは日本車だ。在来のロシア製自動車もまだ多いが、港町のせいかハバロフスクよりも外国車が一気に増えているようだ。ロシアは右側走行なので基本的に左ハンドルだが、ウラジオでは右ハンドルの日本車がたくさん走っている。そういえば通訳をしてくれているイーゴリさんも、貯金して Civicを買いたいと言っていた。ソビエト崩壊、資本主義化はこのような形で欲望を生み出し始めているとも言えよう。

Mazda ファミリア(赤)、Honda インテグラ(銀色)
Moskvich 2125(水色・1973~97まで製造されていたという)
オケアンスキー通りにて  Photo 1992.10.6

 この中古車、ほとんどは日本の東北または北海道から、寒冷地仕様のものが船で運ばれているらしい(92年当時)。日本国内で廃車になったものを3~5万程度で船員が買い、甲板からはみ出すように車を載せて、手回り荷物として持ち込むのだそうだ。今日、歩いていた道の途中の広場には中古車市場があり、沢山の人々が交渉をしていた。

 おもしろいのは、日本で商業用に使われていたバン・ワンボックスカー・トラックなどが、車体に当時の店の名などを付けたまま自家用で走り回っている点だ。彼らは日本語の広告の意味などまるで気にしてないか、判ってないかのようだ。だから○○花店とか、○○クリーニングなんていう車を彼らは使っている。お金のせいかどうかは知らないが、塗装をしなおしたりしていない。ガラスが割れたまま走っている車もときどき見かける。窓枠にビニールシートをガムテープで貼り、その一部に穴を開けて外を見ていたりするのだ。一応ロシアは先進国のはずだが、そのへんは発展途上国並みの光景だ。

TOYOTA タウンエース カタカナのロゴが見える。
オケアンスキー通りにて  Photo 1992.10.6

 日本で廃車といえば使い物にならない車だが、こちらでこれら「廃車」の評判はすこぶる良い。エンストしたりバッテリーが上がったり故障したりがほとんどなく、メンテナンスフリーに近く壊れないとかで、かなり好評なのだという。ロシアのガソリンは質が良くないので日本並みというわけにはいかないが、それなりに燃費も良い。それから馬力がある。ウラジオみたいに坂が多い街ではこれは助かる。エアコンその他の設備が良い。私たちも何度かセダンに乗る機会があったが、確かに古くても日本車の方が良い。走行性能が良いので安心して乗れる。日本ではあまり考えられないことだが、メーター(速度計)が全く動かないなんて事はこちらではざらなのだ。ただ先程のような持ち込み方が主なので、トラックやバスなどの大型車は相変わらず国産だ。こちらは黒い煙をもうもうと吐いて頑張っているが、いかんせん性能が悪く遅く、街中での渋滞と大気汚染の元凶となっている。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#階段・坂 海外  #自動車
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Field 調査 アレウツスカヤ通り4

1992-10-07 | ロシア  

1992.10.7(Wed) Vladivostok

 セメノフスカヤ通りとの交差点に出る。ここで交差点のパノラマを撮影する。

セメノフスカヤ通り交差点のパノラマ1(東から南方向)  Google Map
左手の交差点角地はコルホーズ広場。写真右手の道を進むと駅。

 写真を撮っているとおばさんが近づいてきて、大きな声で何事かを私に問いかける。しかし当然私はその意味を理解できない。先日のカードを見せると更にいろいろ大声でまくし立てる。多少耳が遠いらしいので大声なのは仕方ないが、私が言葉が判らず、英語でわかんないよと言ってもなおも続けて話すのには閉口する。別のおばさんが通りかかり、こちらもロシア語で取りなしてくれるが、それもほとんど判らない。言葉ができないとやはりエラク不自由だ。言葉が通じないのが判ったら、諦めればよいのになぜかその後も長いこといろいろまくしたてていた。埒があかない。

 また連続写真を撮ろうとカメラを横にスライドさせて撮っていたら、これと丁度同じように画面を横切るおばさんがいて、後で写真が出来上がってみると、全ての写真におばさんが写り込んでいたので笑ってしまった。

セメノフスカヤ通り交差点のパノラマ2(西から北、東方向)
写真中央、交差点の直下を鉄道(シベリア鉄道)がくぐっている。

 ウラジオの公園・広場の多くはヨーロッパのそれとは違って、交差点に面した角地を広場や公園にするものなので、どうも収まりが悪い。近道をするために公園内を通り抜ける人は結構いるが、休息の場所にはあまりならないようだ。ソビエト時代に、従前の建物を取り壊して作られたものらしいが、どうも不思議な状態になっている。

 交差点付近の道路上空にはワイヤーが張ってあり、そこに星形の飾りつけがされている。電飾ではないかと思って、後で添乗員のS氏に尋ねてみると、年に数回の記念日にのみ点灯する物らしい。折角つけているのに何だかもったいないことのように思う。それならイベントの直前に設置すればいいじゃないかとも思うがそうではないらしい。また年中点けてればいいのにとも思うが、それもだめらしい。だいたい電気が不足気味で、そういう景気の良いことはあまりできないのかもしれない。ハレとケがはっきりしていること自体は良いことなのだが・・・。

建物壁面に固定された信号

 ウラジオでは今まで自動車が少なかったせいか、信号機は主要な交差点にしかない。日本のものとは違って、歩道上の人の背丈ほどの低い位置に設置されている物が多く、建築物の壁からアームを出して支持していることも多い。ぼんやり歩いていると背の高い人ならぶつかってしまいそうなものが壁から張り出している。また歩行者用信号などに並んで立てられていることもある。一方、市電やトロリーバスの架線は壁と壁を結ぶワイヤーによって中空に張られている。一部では街灯もワイヤーで吊されている。

旧日本軍の建物  Google Map

 その後、頑張ってアレウツスカヤ通りを更に2本上の道まで行ってみた。フォンタンナヤ通りとの交差点付近には、昔、日本軍司令部が置かれていた建物があった。ソビエト時代に大増築されたそうで、私たちの訪問時は警察関連の施設だったという、なかなか立派で大規模な建物である。(2011年時点では沿海地域総務事務所(Panoramio掲載の写真タイトルからの直訳))

ボロゴイ通り交差点付近から山手方向  Google Map
正面奥は極東総合大学(現在は極東連邦大学らしい)

 坂を上った最後のところは時間切れになったのと、地図が大幅に違っていたという事情で調査しきれなかった。仕方なしに中央広場に戻る。

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#階段・坂 海外  #古い建物 海外  #街並み 海外  #道  #パノラマ 
#大学  #オフィス 
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Field 調査 オケアンスキー大通り5

1992-10-06 | ロシア  

1992.10.6(Tue) Vladivostok

坂道になったオケアンスキー通り

 坂道をロシア製のトラックがすさまじい黒煙を吹き上げながら上って行く。概してパワー不足でのろい。ロシア製の乗用車のヴォルガやラダ、モスコビッチがガタガタ音を立てながらブワァーッと上って行く。車の通ったあとに排ガスの臭いが撒き散らされる。ロシアの車のエンジンが悪くて不完全燃焼しているのか、フィルターが無いのか、ガソリンの質が悪いのかわからないがとにかく臭い。

坂道を上るヴォルガ

 オケアンスキー通りは街路樹があり、そこそこ道幅のある道だったのでまだ良かったのだが、後日、別の上り坂を調査したら、排ガスを大量に吸い込んでしまい、O氏ともども喉を痛めてしまった。ロシアの街を歩くにはマスクが必要かもしれない。坂のある街ではなおのことだ。しかし僕はオールドスタイルのロシア製セダン(特にヴォルガ)がデザイン面では結構気に入っていた。

旧バイカル旅館・シベリア旅館  Google Map
建築年:1896~1898年

 上の方に行くとれんが造りのかなり古い3階建ての2棟の建物があった。1900年代の初期に建てられたという表示があり、かなり由緒や価値がありそうな建物だ。帰国後、資料からこれはバイカル旅館とシベリア旅館であるということが判った。

コマロワ通り(Комарова)

 夕暮れが足早に近づいてきたので、手早く写真を撮って坂をまた下って行くことにする。ふと、横のコマロワ通りを見ると高圧線の鉄塔が建っていた。送電線の鉄塔が歩道上にあるのは、日本人にとってはやや違和感のある風景だ。

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#階段・坂 海外  #古い建物 海外  #街並み 海外  #道  #自動車
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Field 調査 オケアンスキー大通り3

1992-10-06 | ロシア  

1992.10.6(Tue) Vladivostok

セメノフスカヤ通り(Семёновская)交差点
ジープが急な坂道を横切る。
右方の低層部が貴金属店

 貴金属店に入ってみる。やはりめぼしいものはなく、品薄で今一つの状況だった。金メッキのさじが170~200RB(約70~80円)、ダイヤの指輪が74,000RB(30,000円弱)、カード状のデジタル時計が743RB(約300円)、アナログ時計340RB(約140円)、指輪17,000~20,000RB(6,800~8,000円)等だった。F氏によると、ギターは500RB(200円)位で、品物が到着する端から売れて行ってしまうようだったとのことだった。

 本屋さんには相変わらずめぼしいものがない。また、買われると補充の在庫がなさそうだ。それから、どこの本屋もそうなのだが、本を買ってお釣りがカペイカのレベルになったりすると、お釣りが無いという理由で、バースデーカードなどを勝手に追加されて、RBに切り上げられてしまう。

 一方、バス、トロリーバスなどの公共交通は1RB。公衆電話も1RBだが、硬貨を受け入れる部分が壊れてたりして、そのまま掛かったりしてしまうことも。少額貨幣の価値がめちゃくちゃだ。

 しっかりした建物の中の店舗にはあまり品物がなく、客も少ないのだが、路上には小屋状の仮設売店-キオスクが沢山ある。特にTAXI、BUS乗場等の付近には非常に多く、そこにはやたらに人だかりができている。キオスクの方にはなかなか品物があるのでちょっと驚く。多くはジュースや菓子、たばこ、酒、雑貨の類、衣料品などであるが、時々ラジカセなんぞを売っていたりして、これにもまた驚いてしまう。

 路上でピロシキを売っていたが、ここでも10人以上が並んでいた。売り切れてしまえば即閉店。ゲリラ的に出店されるので、見つけ次第買わないとずっとありつけない。なんなんだろ?

薬局

 この日の調査地域にはあまり店がなかった。ウ~ム、これはちょっと残念。広場のそばの地下道には数軒の店が出ている。また個人の間のやり取りも多く見られる。非合法なんだかどうだか良くわからんが、宝くじのようなものもやっている。しかし売り場が少ない、またはないので、何屋だか良くわからない。まぁたとえ看板が出ていても僕らには読めないからワカンナイんだけど。それでも商店の看板には文字に並んで記号というかマークがついているので、多少は業種がわかる時がある。例えばАПТЕКАという看板の脇には蛇と天秤のマークがついていて、およそ薬局だということがわかる。でもこのように推測、理解できるものはやっぱり少ない。

 道行く人々の服装は割合キレイだ。これはちょっと不思議だった。革ジャンやジーンズが少し多いかなとも思う。ジャージを着ている連中は危ないといわれていたが、何となくそれはわかった。一度だけ、ジャンパーの間からピストルの銀色の銃身を見せながら歩く輩を見かけ、これには少々焦った。

 ごみは少ない。というより大量に出せるほどモノがないのかもしれない。また、あちこちの建物の入口に花の形をしたようなごみ箱?が置かれていて、皆が適当にごみをそこに捨てているので、路上にごみ屑が散らかっていることは少ないようだった。

商店(職種不明) スプレーのペイントがかなり雑。

 旧市街の建物はほとんどがレンガ造モルタル仕上げまたは石造のようで、RCは少ないようだ。もしかするとコンクリートブロック造かも知れないのだが、表面をペイントして適当に石造っぽく仕上げているので、一瞥しただけではよくわからなくなっている。一方、中心部から少し離れた所の中高層アパートメントはほとんどがRC のようだ。

 道路は舗装をしなおしても、皆がその上を平気ですぐ歩いてしまい、車も走り回ってしまうため、またガタガタになってしまう。まったくよくわからんことが多い町というか国だ。

 オケアンスキー通りは中央広場からどんどん丘の上に向って上って行く道だ。傾斜がかなりきついので、坂に沿った建物は上の方では5階建てが4階建てになってしまう。坂を上って振り返ると、中央広場にある高い台座の上に立つ銅像が港の方に見えて、なかなか晴れやかな気分になれる良い眺めである。

 高緯度の国の夕方は陽が早くから傾き、長い影ができて、10月だというのに東京の冬至の頃のような感じになる。空が真っ青に晴れてコントラストが高い景色は透き通ったような感じだが、実際は排気ガスや砂ぼこりで埃っぽい。

 ウラジオにはトロリーバスと路面電車が走っている。そこで市内の主な通りにはこのような公共交通機関のための架線が縦横に張られている。私個人はこのような景色に実は僕はあまりお目にかかっていなかったのでとても興味深かった。乗り物のある風景は良い、そして乗り物のある町は良いと、単純に童心に帰って楽しくなってしまう。

 ウラジオの場合、町中では石造の恒久的な建物が、道路に接して連続して建っているので、架線を吊るワイヤーは基本的に建物から張られている。日本だったら管轄とかの関係で、わざわざ道路脇に柱を立てて架線を張らねばならないところだが、そんな必要はなく、いきなり壁面からフックを使ってワイヤーが張られているのが興味深い(あとあと、ヨーロッパに行って、向こうでは割とこれが当たり前だと知るのだが・・・。)。

街区内部の建物

 私たちはフィールド調査の際に、S氏から青焼きの地図を持たされていたが、これには、見て写真を撮って来るべきポイントが記されていた。その一つに日本人が住んでいた頃にあった日本人学校の建物があった。その写真を撮るために街区内部に入ることにする。

 街区の内部はやはりプライベート性の高い空間なので、入るのには多少、勇気を必要とする。アーチ型になったゲートを通って恐る恐る進むと、三角形の中庭があり、レンガ造の2階建て建物があった。街区の外側とは異なる小振りな建物で、やはり古いように思われたので、これが目指す建物だろうと考え、写真をスバヤク撮る。中庭部分にはあまり人影はない。人が来ておまえら何者だとか言われても、何を言ってるかわからないし、説明のしようもないので、このような場所では地元の人には会いたくないであるな、などと考えながらスタスタと出てきてしまう。しかし後年、これは日本人学校ではなかったことが判明した。これまた残念。

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#階段・坂 海外  #道  #モニュメント  #商業系  #街並み 海外
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