都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東飯能駅

2023-06-24 | 埼玉県  
東飯能駅
所在地:飯能市 東町1
構造・階数:木・1
建設年:1931(昭和6)?
解体年:1997〜98(平成9〜10)
Photo 1992.10.31

 木造平屋、切妻瓦葺き屋根の小さな駅舎。
 東飯能駅は1931(昭和6)年に武蔵野鉄道(現 西武池袋線)の駅として開業したという。駅舎の建設年は分からないが、この外観からするともしかすると開業当初のものがそのまま使われていたのかもしれない。

 2015年頃、某大学の授業で駅前広場や駅舎の話をしたときにこの写真を見せたら、東飯能駅を利用している学生から「今はこんな小さな駅ではなくて、大きな駅ビルが建っています。」と指摘されてしまった。「小さい頃から住んでいますが、この駅舎は初めて見てびっくりしました。」とも言っていた。

 その後、調べたところ、この写真の数年後に東飯能駅は橋上化され、駅ビルが完成していたことも分かった。
 1990年代末に生まれた学生がこの建物を見たことがないというのはもっともなことだった。

東飯能駅 - Wikipedia
Station Gallery東飯能駅

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東京堂

2023-05-30 | 埼玉県  
東京堂
所在地:川越市 仲町1
構造・階数:木・2
建設年代:昭和30年代以前?
解体年 :2009〜11(平成21〜23)
Photo 2009.7.19

 蔵造りの町並みで有名な川越。東京堂がある大正浪漫夢通りは、重要伝統的建造物群保存地区になっているそのエリアよりも川越駅に近い場所にある。昭和30年代から平成の初期はアーケード商店街だったが、1995年にアーケードを撤去し、沿道建物の街並みを活かした商店街づくりが行われている。

 東京堂はこの通りの北端近くにあった洋風看板建築の紳士呉服店。シャッターには既製紳士服とあるが、軒にはTAILORとも書かれており仕立てもしていたようだ。1階はシャッターになっていて普通の店だったが、2階の壁がアールヌーヴォー風にデザインされていて目立つ建物だった。

 この建物についてはネット上にも情報がほとんどなく、建設年代は分からない。『日本近代建築総覧』にも記載されていない。
 下記の「大正浪漫夢通り」公式ページに掲載されている昭和30年代の写真に「東京堂」の袖看板が写り込んでいるので、東京堂じたいは少なくともその頃から存在していたようだ。ただ建物本体は写っていないので同じファサードデザインだったかどうかは不明。


 Photo 2006.11.3

 アーチ型の窓があったり窓枠が木製だったりするので、新しく作られたファサードではないようだ。やはりそれなりに古い建物だったのではないだろうか。『日本近代建築総覧』に記載がないのは調査時にアーケードがあって分からなかったからかもしれない。
 アーケードがあった時代は通りから見えなくなってしまっていたが、アーケードを撤去した際に化粧直しをしたのかもしれない。妙にきれいなファサードだったのであまり古く見えず、古く見えるように新しく作られたもののように見えてしまう建物だった。

 Google ストリートビューで確認したところでは2011年には既に更地になっている。このため川越の建築を紹介する最近の書籍にも紹介されていない。

川越大正浪漫夢通り公式ホームページ
産業遺産・近代建築川越市の近代建築

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旧鶴川座

2023-05-27 | 埼玉県  
旧鶴川座
所在地:川越市 連雀町8
構造 :木
建設年:1898(明治31)
解体年:2019(令和元)
Photo 2006.11.3

 明治時代後期に芝居小屋として建てられた建物。大正時代には洋風に改装して活動写真の上映もしたりする劇場となり、戦後は映画館になっていたという。その後は書画店やライブハウスなどになった。老朽化もあって閉鎖され、その後、復原や再生利活用が模索されたが、最終的に復原等に掛かる財政的な問題などから再生は断念され、解体されたという。

 建物の経過については下記「鶴川座の歴史」に年表が示されているので、ここでは以下に少し端折って記す。またこのサイトにはかつての建物の復原図なども掲載されている。

 1894(明治27)
 1898(明治31)
 1922(大正11)
  戦後〜1998(平成10)
 1998〜2003(平成10〜15)
 2005〜06(平成17〜18)
 2007(平成19)〜
 2019(令和元)7月
 2020(令和2)7月
 
川越座として開場
新築。鶴川座に改称
外観を洋風に改装
映画館
中国製書画店
ライブハウス
建物調査、再生・利活用調査
「鶴川座」解体
立門前第一ビル完成。ゲストハウス「旅籠小江戸や」と飲食横丁になる。

 年表からすると、1枚目の写真はライブハウス時代のもの。
 また、写真は撮っていないが中国製書画店だった時代にちょっと中を覗いたこともある。たまたま通り掛かっただけで、当時は建物の来歴などを全く知らず、店内の床が奥に向かって下がっていて奇妙に感じた記憶がある。それでお店の人に映画館だったことを教えて貰い納得したのだった。

 以下は全て閉鎖後の写真。かなり改装されていたので見た目がいまひとつだったのが残念。閉鎖されてから時間が経って廃墟のようにもなっていた。ただ、構造体や一部の舞台機構などは昔のものが残っていたそうで、明治期の劇場遺構としては貴重なものだったはず。明治、大正、昭和と何度も改装されたようだが、どこかの段階の様子に復原できればひとつの名所になっただろうにと思う。


 閉鎖後の状況  Photo 2017.6.16


 Photo 2019.6.21

 解体が決まった頃に訪れたところ、地元の学生が解体のお知らせ看板を眺めていた。彼らと直接話した訳ではないが、様子を見るに、解体後に新しい建物が建てられることに期待しているというよりは、120年の歴史のある建物が解体されることを惜しんでいるようだった。


 解体直前の状況  Photo 2019.6.21

 右側の小窓は映画館時代の発券窓口。玄関はアルミサッシのガラス扉になっていたし、窓口周りはタイル張り。前面部分は比較的新しい時代のもののようだった。

 下記「全国町並み保存連盟」の記事には、結局のところ、残して利活用したいという気持ちがあまりないから、解体・建て替えという安易な選択をするのだ、というような手厳しい指摘がされている。
 川越の場合、旧川越織物市場などはいちど全てを解体して復原に取り組んでいるし、旧鏡山酒造の蔵などは小江戸蔵里として活用されていて、古いものを残して活用することには比較的前向きな感じではある。ただ民間の建物全てを対象にして、自治体が保全や復原を行うのには限界があるのかもしれない。となると民間の側がもっと保存や復原に意欲的にならねばならないということ。最近では保全することで価値が向上することも多いので、それに投資する人や組織がもっと増えることが期待される。そしてまた、国や自治体が補助などでそれをサポートする仕組みを更に整備することが必要なのかもしれない。

 現地には既に新しい建物ができている。宿泊、飲食施設としては利益が出ているのだろうが、観光地としての集客力は鶴川座を復原する方が遙かにあったのではないかと思われる。建築系の立場から見ると、現在の建物には残念ながら全く訪問意欲が湧かない。銀行や投資家は、新築物件から資金を回収することだけを考えず、復原再生されたものに投資をする枠組みの可能性を前向きに検討すべきなのではないだろうか。

鶴川座の歴史 - kawagoetatumonzen ページ!
埼玉)サヨナラ 川越の「旧鶴川座」:朝日新聞デジタル
川越旧鶴川座の経過 - 全国町並み保存連盟

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天山旅館

2023-05-24 | 埼玉県  
天山旅館
所在地:川越市 西小仙波町1-12
構造・階数:木・2
解体年:2011〜15(平成23〜27)
Photo 2004.12.3

 川越名所の喜多院の西側には、かつて遊廓があった。現在は旅館や料亭が数軒ある静かな場所になっている。

 埼玉県では1928(昭和3)年に公娼廃止決議案が可決され、1930(昭和5)年には遊廓に自発的な廃業を求めたそうだ。以後それらは「乙種料理店(達磨屋)」というものになったが、その実態はあまり変わらなかったそうで、戦後の売春防止法施行まで営業が続いたという。
 その後それらの建物は、改修・転用して旅館や料亭となったり、普通の住宅やアパートになったようだ。現在では建て替えも進み、かつての面影はわずかでしかない。

 旅館の看板を掲げていたこの建物が、その乙種料理店(達磨屋)だったかどうかは確証がない。ただ板塀や門柱、玄関の唐破風の庇などにはそれらしい雰囲気が残されていた。外壁がモルタル塗りなのは戦後のどこかの時点で改修されたためではないだろうか。
 撮影時はまだ旅館として営業していたようだったが、いつのまにかなくなっていた。建物の消失と共に街の記憶も次第に薄れていく。

川越市西小仙波町・喜多院裏の遊郭跡 - 東京DEEP案内

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吉原マシン工業/旧東武タクシー

2023-05-21 | 埼玉県  
吉原マシン工業/旧東武タクシー
所在地:川越市 久保町12
構造・階数:木・2
建設年代:大正末〜昭和初期
解体年 :2015〜17(平成27〜29)
Photo 2004.12.3

 かつて東武タクシーの事務所だったらしいモルタル看板建築。社名が2階上部に右から画かれている。下記、『川越の建物 近代建築編』によれば、昭和初期頃までタクシー会社として使用された後、吉原マシン工業となったという。建設年代が大正末〜昭和初期だそうなので、東武タクシーだったのはわずかな期間だったようだ。

 人造石洗い出し仕上げで、ざらざらした壁面に「東武タクシー」の文字や半円が連なる模様がわずかに立体的に画かれていた。窓が凸型だったのも特徴的。

 現在、東武タクシー(株)は東京都墨田区の向島にあり、川越市内には支所などもないようだ。かつて川越にあった写真の東武タクシーと、現在の東武タクシー(株)が同じ会社なのかも不明。

 Google ストリートビューでは、2015年5月時点では存在していたが、2017年3月時点では既に更地になっている。

参考『川越の建物 近代建築編』『川越の建物』編集委員会 編、仙波書房、2021

吉原マシン工業/川越市久保町 - ぼくの近代建築コレクション

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木崎商店

2023-05-18 | 埼玉県  
木崎商店
所在地:川越市 久保町5
構造・階数:木・3
建設年:1921(大正10)
解体年:2021〜22(令和3〜4)
Photo 2004.12.3

 成田山川越別院の北側の道沿いに建っていた店舗。看板には「御料理、仕出し、鮮魚、乾物」とあり、仕出し料理屋、鮮魚乾物卸をしていた店だったようだ。

 手前側、道路沿いは平入りの在来建築の商店だったが、急傾斜屋根を持つ屋根裏3階建てが後方に建っており、それがあまり見たことがない形だったので印象に残るものだった。


 Photo 2006.11.3

 下記『小江戸ものがたり−第四号 川越の洋風建築特集』によれば、先々代が鮭の仕入れで樺太へ行き、現地の建物にあこがれて造ったという。独特な形になっていたのはロシア系?の建物を真似たためだったというのが面白い。
 また入口部分は明治の大火の際の廃材を利用したものだったという。川越に残る古い建物の中で、立派ではないけれど記憶に残るものの一つだった。

 営業時間の関係か、午後に通り掛かっても開いていることはなかったが、2017年までは看板が掲げられていた。Google ストリートビューで見ると、2018年9月の画像では看板がなくなっており、どうやらその頃に仕舞屋になったらしい。その後、2021年秋まではストリートビューで建物を確認できたが、昨年秋に訪ねたところ、既に解体され更地になっていた。

 老朽化や世代交代、その他さまざまな理由で解体せざるを得なくなるのは承知している。ただ、川越には蔵造りの商家だけではなく、こういうちょっと変わった店舗建築もあっただけに、そういうものがなくなるのはやはり惜しい。

参考資料『小江戸ものがたり−第四号 川越の洋風建築特集』編集・発行 川越むかし工房、2003.4

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水村家住宅

2023-05-15 | 埼玉県  
水村家住宅
所在地:川越市 喜多町1
構造・階数:木・2
建設年:江戸時代中期
解体年:2020(令和2)
Photo 2017.6.16

 蔵造りの町並みで知られる川越。蔵造りの建物群は重要伝統的建造物群保存地区に選定されて保護され、近年は多くの観光客が訪れている。

 水村家住宅は、その重伝建地区の北端の札の辻交差点から、更に200mほど北へ行った場所にあった江戸時代中期の商家の建物。水村家は江戸時代には味噌・麹問屋で、幕末には川越総名主も務めた家で、また明治以降は米穀問屋だったという。
 建物は1726(享保11)年にあった大火の後に建てられたと考えられており、また1893(明治26)年の大火で被災しなかった。このため川越の古い時代の建築様式を残す貴重な建物で、建築史の専門家からは、保存されれば重要文化財にも指定される可能性があるものだと評価されていたという。

 解体予定であることが明らかになってからは署名活動など保存への働きかけもされていた。しかし残念ながら3年前に解体された。関係者でも地元民でもないし建築史の専門家でもないので、なぜ解体に至ったのか詳細は知らない。ネットで検索したあたりでは、保存や文化財指定について所有者の同意が得られなかったということらしい。解体直前は子孫が所有して居住していたわけでもないようで、かつてこの家に住んでいた子孫も残したかったができなかったという。

 解体直前には見学会も行われた(私は参加できなかったが)。最後の頃はトタン葺きだったがもとは杉皮葺き。江戸期の建物なので棟の高さが低く、中2階(厨子二階)は舟底天井と呼ばれるアーチ型の天井になっていた(下記リンク先記事などを参照)。蔵造りの立派な建物群とは異なり、高さも低くトタン葺きなので一見すると粗末な長屋のように見えてしまうが、それは江戸時代の建物だったから。大半が明治以降の建物である蔵造りの町屋とは造りがやはり異なる。

 西日本には古い建物がたくさんあるが、関東地方は災害や都市開発などで古い建物は少ない。立派には見えなくても、江戸時代の様子を残していたという点でこの建物は貴重な存在だったわけで、残せなかったのはやはり残念だ。

 その後、この場所は駐車場になっている。現在の様子を見ると、3年前に壊す必要があったのだろうか、もう少し猶予はなかったのだろうかと思ってしまう。

「水村家住宅」解体始まる 江戸中期の川越の町屋建築、保存ならず:東京新聞 TOKYO Web
関東最古クラスの町家・川越の「水村家住宅」が取り壊しの危機に 署名運動も - 川越経済新聞
川越style「水村家住宅」江戸時代中期に建てられた県内最古の商家 川越市喜多町 | 「小江戸川越STYLE」

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みこもり煎餅

2022-03-24 | 埼玉県  
みこもり煎餅
所在地:川越市 連雀町15
構造・階数:木・2
建設年:1920(大正9)
解体年:2018(平成30)
備考 :2008(平成20)閉店
Photo 2009.7.19

 川越市内、大正浪漫夢通りの角にあった店舗。壁面は石積みを模したトタン張りで、窓は縦長の押し開き観音扉の洋風建築だった。ただ、洋風建物にしては深めの軒庇が巡らされており、また上方には和風の瓦屋根が見えていて、若干、和洋が混在した雰囲気だった。

 その後期においては全体が赤色にペイントされて、妙な感じになっていたが、この写真より前の時期は、確かトタンが錆びついて壁面全体が黒っぽかったように思う。下記「ぼくの近代建築コレクション」には1989(平成元)年の写真があり、黒っぽい壁面を確認できる。またこの頃は軒裏にも斜めに板が張られていたようだが、私が撮った頃にはそれもない。

 塗り直したのでまだ存続させていくのかと思っていたが、煎餅屋さんは2008年に閉店。その後、2018年に右隣の建物「菓子の高松屋」と共に解体され、2021年時点ではコインパーキングになっている。下記サイトの記事では、管理がされず崩れそうになったため市が強制的に解体したと記されている。


2023.5.12 追記
 下記『小江戸ものがたり』には「大黒屋という餅菓子屋が飲食店として建てた建物。二階のフォトスタジオはビリヤードやダンスホールだったこともある。」と記されている。

『小江戸ものがたり−第四号 川越の洋風建築特集』川越むかし工房 編集・発行、2003.4

みこもり煎餅/川越市連雀町 - ぼくの近代建築コレクション
川越名物「発狂くん」(埼玉県川越市 ご当地グルメ?): 日本隅々の旅 全国観光名所巡り&グルメ日記

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1992-01-10 | 記事一覧 
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Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
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