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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

谷中2丁目の家

2025-03-27 | 台東区  
鈴木・石黒邸/スズヨシ
所在地:台東区 谷中2-3-7
構造・階数:木・2
建設年代:1933(昭和8)?
解体年代:2009(平成21)
Photo 1995.5.14

 赤字坂下、台東区の文京区の区界の道に面してあったやや大型の住宅。染物丁字屋の向かい側。

 1Fは洋風のデザインで玄関わきには格子の付いた丸窓があり、その上の庇は煉瓦色の丸瓦で葺かれていた。一方、2Fは大きな座敷か広間だったようで、ガラス窓が連続し、内にはカーテンが掛かっていた。2Fの屋根は茶系の日本瓦で全体に和洋折衷的な感じ。

 料亭や御座敷だったわけではないが、妙に開放的な2Fが記憶に残る建物だった。古い建物だったが、所有者・居住者、用途は替わっていたらしく、ずっと同じだったわけではなかったようだ。写真の頃には会社などではなく住居だった模様

丁子屋向かいの民家/谷中2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
【×】谷中二丁目(1) - ずぼら堂懐古録

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #和風住宅  #和洋折衷住宅 
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台東区立下谷小学校(旧東京市下谷尋常小学校)

2025-03-24 | 台東区  
台東区立下谷小学校(旧東京市下谷尋常小学校)
所在地:台東区 東上野4-7
構造・階数:RC・3
建設年:1928(昭和3)
解体年:2023(令和5)
設計 :東京市
備考 :1875(明治8)創立、1990(平成2)閉校
Photo 2018.11.20

 台東区役所の北側にあった小学校。関東大震災後に復興小学校として建てられた校舎。復興小学校は耐火建築として鉄筋コンクリートで造られ、復興小公園と一体的に作ることで、避難所、防災拠点となることが考慮されていた。

 校舎はL字型で東側に講堂(体育館)がつき全体では南側に開いたコの字型をしていた。


 南側から  Photo 2018.11.20

 平成2年4月に下谷小学校と清島小学校が統合されて上野小学校となり、清島小学校の場所がその校地となったため、その後は30年以上にわたってさまざまな用途で暫定利用されていたという。校庭も臨時の駐車スペースや災害時の避難場所となっていた。


 北西側から  Photo 2015.09.23

 街区北側は学校ではなく、モルタル看板建築などが建ち並ぶ道になっていた。


 西側の校舎入口  Photo 2018.11.20

 昭和初期にはアールデコ、表現主義などモダニズムに至る過渡期の様式の建物が多く建てられていて、またモダニズムデザインの建物も現れていた。復興小学校では装飾はあまりないが、玄関部分などには建物を特徴付けるようなデザインも施されていた。

関東大震災100年 東京・上野「復興小学校」が地域に残したもの | NHK
下谷小学校/東上野4丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都台東区立旧下谷小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて

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#失われた建物 台東区  #学校  #震災復興  ブログ内タグ一覧
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川野商店、古山邸

2025-03-21 | 台東区  
川野商店(左)、古山邸(右)
所在地:台東区 根岸5-24-9
構造・階数:木・2
解体年代:川野商店 1997〜2000(平成9〜12)
     古山邸 2003〜05(平成15〜17)
Photo 1995.4.30

 国道4号線(奥州街道)、常磐線ガードの南側の道路西側にあった店と家。

 川野商店は1F前面が増築されていたが、ベースは出桁造りだったようだ。何を扱う店だったのかは知らず。右の古山邸は南京下見板張り寄棟屋根の住宅。お医者さんかなにかのようにも見えるが、1960年代の住宅地図を見ても個人宅だったこと以上のことは判らなかった。

 20年ほど前に解体され、二軒を合わせた跡地は15階建てのマンション(2007年竣工)になっている。

栄泉湯、理容キヨノ/根岸5丁目 - ぼくの近代建築コレクション
 ↑「洋風の民家」として古山邸が写っている。

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#失われた建物 台東区  #洋館・洋風住宅  #木造店舗 
#出桁造り  #旧街道   ブログ内タグ一覧
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旧藤城メッキ工場

2025-03-18 | 台東区  
旧藤城メッキ工場
所在地:台東区 根岸5-21-4
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前
解体年代:1997〜2000(平成9〜12)
Photo 1995.4.30

 根岸5丁目、大関横丁交差点の少し西で明治通りから南に入った場所にあった銅板張り看板建築。

 写真の時には既に仕舞屋になっていたが、昔の住宅地図(『東京都全住宅案内図帳』1963年)では「メッキ工場」となっていた。現在は北隣の建物と共に建て替えられ、奥の方が駐車場になっている。昔は奥が工場だったのかもしれない。

 1F中央奥に引き戸の入口があるが、右手前も入口のようになっている。工場と事務所、もしくは工場と住宅、それぞれ別の入口になっていたのかもしれない。また、2Fは銅板張りだが、1Fはそうではなかった。

 三ノ輪駅西側のこの一角も第二次大戦の空襲では焼失を免れた一角だったようで、戦前の看板建築がいくつか残っていたが、それらも次第に減少している。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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料亭すぎ田

2025-03-15 | 台東区  
料亭すぎ田
所在地:台東区 根岸4-4-6
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2013(平成25)
Photo 2010.12.4

 根岸4丁目、金杉通りと根岸柳通りの北側の根岸三業地にあった料亭。

 写真の頃までは料亭として営業していたらしく看板も掲げられていたが、2013年に解体されて住宅になった。


 Photo 2010.12.4

 周辺は戦災で焼失した地域のようなので、建物は戦後のもの。1952年発行の火保図では「料亭」、1963年発行の「東京都全住宅案内図帳」では「杉田」(料亭かどうかは記載ナシ)、70年代後半以降の住宅地図は「料亭すぎ田」として掲載されている。なお、下記の『東京 花街・粋な街』では、昭和27、28年頃の料亭の名が列挙されているが、この中には杉田の名はない。従って、戦後のどこかの段階で、屋号が替わったか新しくできた店だったのかもしれない。


 Photo 2012.12.18

 根岸には2000年頃までは旧料亭と思しき建物がいくつか残っていて、営業している御座敷も若干あった。2008年頃時点で営業を続けている料亭は「杉田」「福井」「増田」の3軒と下記書籍にも記されている。その後15年以上が経ち、現在は割烹料理店などがいくつかある状況で、いわゆる料亭はなく、往時の建物もほぼないようだ。

参考『東京 花街・粋な街』上村敏彦、街と暮らし社、2008

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旧旅館 根岸館

2025-03-12 | 台東区  
旧旅館 根岸館
所在地:台東区 根岸3-13-24
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2018〜19(平成30〜令和元)
Photo 2010.12.4

 根岸3丁目、手児奈せんべいのある交差点から、やや狭い道の方へ入った先で路地へ曲がった奥にあった旅館。

 建物は寄棟屋根の2階建てで瓦葺き、軒先はトタン葺き。根岸館の周辺は戦災では焼失しなかった地域なので、この建物ももしかすると戦前の建物だったのかもしれない。


 Photo 2012.12.18

 1990年代までの住宅地図には旅館として記されているが、写真の頃には既に営業をやめていたのではないかと思われる。それでも2010年代前半までは人の出入りがあったようだ。ただ2010年代後半にはほぼ廃墟状態だったようだ。


 Photo 2010.12.4

 路地の入口には屋号を記したネオンサインが掲げられていたが、ネオン管部分はほぼ崩れていた。

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吉田ろうそく店、和泉屋蒲鉾店、五十嵐提灯、文芸社印刷所 他

2025-03-09 | 台東区  


 左から、吉田ろうそく店、柳沢邸、和泉屋蒲鉾店、H邸(3F)、五十嵐提灯
 Photo 1995.6.17

所在地:台東区 根岸3-1-16、3-2-14
構造・階数:木・2
建設年代:吉田ろうそく店は明治末〜戦前
解体年代:吉田ろうそく店と柳沢邸は、2005〜08(平成17〜20)
備考  :跡地にはマンション・レガーレが2009(平成21)に完成

 金杉通り沿いの町屋の街並み。左端の吉田ろうそく店は一部銅板張りの出桁造りで、もしかすると震災後〜昭和戦前期のもの。戦後、1952年の火保図では吉田線香店。
 その右、改築・改修されていた柳沢邸は、かつては柳澤製袋所(紙袋や封筒を製作)でモルタル看板建築だったもの。


 左端から、吉田商店、柳沢邸、和泉屋、H邸(3F)、五十嵐提灯、文芸社印刷所
 Photo 2004.12.25


 左から、和泉屋、H邸(3F)、五十嵐提灯、文芸社印刷所
 Photo 2014.11.11

建設年:和泉屋蒲鉾店は明治末〜戦前、五十嵐提灯は1929(昭和4)、文芸社印刷所は1894(明治27)
解体年:和泉屋蒲鉾店〜文芸社印刷所は、2014(平成26).11
備考 :跡地にはルフォン根岸三丁目(RC・15F)が2016(平成28)に完成

 左端の和泉屋蒲鉾店は塗屋造りという東京では希少になった様式の町屋だった。1952年の火保図では「泉屋佃煮店」、1963年の「東京都全住宅案内図帳」では「和泉ヤ揚物」。
 中央右の五十嵐提灯は1876(明治9)創業。
 右端、文芸社印刷所の建物は1952年の火保図では「池田豆腐店」、1963年の「東京都全住宅案内図帳」では「文芸社印刷」、1999年の住宅地図ではT邸。屋根が3段重ねになっているやや珍しい建物。手前側か後方に増築したのだろうか。

 写真3枚目の和泉屋〜文芸社印刷の4棟は2014年11月から一括して解体され、その後マンションとなった。

参考『東京の町を読む』陣内秀信・板倉文雄 他、相模選書、1981
  『下町残照』村岡秀夫、朝日新聞社、1988

吉田ろうそく店、柳澤製袋所/根岸3丁目
和泉屋蒲鉾店/根岸3丁目
五十嵐提灯店、他/根岸3丁目
  - ぼくの近代建築コレクション

【×】ギャルリー根岸  【×】五十嵐提灯店
  - ずぼら堂懐古録

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松本屋

2025-03-06 | 台東区  
松本屋
所在地:台東区 根岸3-1-19
構造・階数:木・2
建設年:蔵は明治20年頃もしくは明治元年
    蔵以外の店舗は金杉通りの拡幅以後に完成
解体年:2000〜03(平成12〜15)
Photo 1995.6.17

 松本屋は金杉通り沿いにあった化粧品店(兼雑貨店)。下記『ぼくの近代建築コレクション』の記事中の写真には、資生堂とアルビオンの袖看板が写っている。ただ、同記事2枚目の店頭の写真には化粧品以外の雑多なものが写っており、雑貨店のようだったらしいことも判る。実際、戦後まもなくの1952年版の火保図では雑貨店、1963年発行の『東京都全住宅案内図帳』では化粧品店と記されており、古くから雑貨も扱う化粧品店だったらしい。

 右側の蔵は明治初期か中期のものだったそうだが、通り沿いの店は金杉通りの拡幅(明治40年頃)の後に建てられたものだった模様。金杉通りのこのあたりは関東大震災でも第二次大戦でも被災しなかったそうで、かつては土蔵造りや出桁造りの店舗が建ち並んでいた。しかし2000年頃以降はそれらも次第にマンションなどに建て替えられており、中高層マンションの間に古い建物が点在する状態になってきている。

 『ぼくの近代建築コレクション』の1989年撮影の写真では土蔵の前部分の屋根も瓦葺きだが、1995年撮影の上写真では老朽化したからかトタン葺きに替えられている。また、2000年の住宅地図には記載されているが、その後解体されたようで、跡地には2003年9月に松本屋レジデンスが完成している。

参考『東京の町を読む』陣内秀信・板倉文雄 他、相模選書、1981
  『下町残照』村岡秀夫、朝日新聞社、1988
松本屋/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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神田パイプ店

2025-03-03 | 台東区  
神田パイプ店
所在地:台東区 台東3-28-7
構造・階数:木・2
建設年:1936(昭和11)
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2012.4.4

 佐竹商店街の東側、清洲橋通り沿いに建っていたモルタル看板建築。

 モルタル看板建築はファサードがシンメトリーなデザインであることが多いが、この建物では非対称(アシンメトリー)な形になっていた。下記サイトの記述などによると、パイプの加工などを手掛けていたとのことなので、建物の配管をイメージしたデザインだったのかもしれない。独特なファサードが印象的な建物だった。

佐竹商店街と周辺/台東3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
taito of tokyo23archive(東京23区の近代建築)
アクトデザイン凛太郎のブログ 新御徒町駅近辺 台東3丁目佐竹商店街近辺散策

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台東区立坂本小学校

2025-02-27 | 台東区  
台東区立坂本小学校(旧入谷尋常小学校)
所在地:台東区 下谷1-12-8
構造・階数:RC・3
建設年:1926(大正15)
解体年:2022(令和4)
備考 :1996(平成8)に小学校は閉校
Photo 2012.12.18

 入谷駅近くの言問通り、入谷の鬼子母神の西隣にあった震災復興小学校。玄関まわりや階段室の頂部に放物線が用いられていて、当時、出始めていた表現派風のデザインが見られるとされる。

 玄関アーチが放物線になっているだけでなく、柱から庇へ至る部分も曲面でつながっている。

 校舎は南側に開いたコの字型。左端は講堂(体育館)。
 柱は丸柱が壁面に付く形で、壁面上部に桁がまわされている。

 東側から。東北角だけは面が取られていた。手前は真源寺(入谷鬼子母神)

 統合されて坂本小学校は閉校になり、その後、区の施設として20年以上利用されてきたが、2022年に校舎も解体。跡地は現在、暫定広場となっている。

東京都台東区立旧坂本小学校(大正モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
台東区立坂本小学校/下谷1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
【台東区の旧坂本小】26、27日に「棟下式」開催/96年の歴史に労い | 建設通信新聞Digital

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