都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

平屋の洋風事務所・旧大東商事KK

2022-12-27 | 江東区  
平屋の洋風事務所・旧大東商事KK
所在地:江東区 佐賀1−15
構造・階数:木造・1F
解体年:2009(平成21)頃
Photo 2002.11.6

 これも「ぼくの近代建築コレクション」で、平屋の事務所として紹介されている建物。2007年の下記記事中では、現在も残っていると記されているが、2010年のGoogle S.V.では既に駐車場になっている。

平屋の事務所、他/佐賀1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

 平屋なのにコンクリートのビルのような様式建築的な外観をしていたのが印象的だった。

 なお、壁面に若干青味が掛かっているのは写真の色温度の加減のためで、実際は普通のグレーだった。

 戦前の1936年版の火災保険特殊地図では「伊藤商店」、戦後の1952年版の同地図では「大東商事KK」と記されている。佐賀町一帯は第二次大戦時の空襲ではあまり被災しなかったようなので、もしかすると戦前に伊藤商店として建てられたものだったのかもしれない。住宅地図等では、1960年代は通信機関連の会社、1970年代以降は田中商店と記されており、建物は会社の事務所として変遷していたようだ。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区  #看板建築 
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旧石田商店

2022-12-24 | 江東区  
旧石田商店/浜岡邸
所在地:江東区 佐賀1−11
構造・階数:木造・2F
備考 :1997〜99(平成9〜11)解体
Photo 1995.11.18

 「ぼくの近代建築コレクション」で、洋風ファサードの家として紹介されているモルタル看板建築。Google S.V.で確認したところ、2013年時点で既に存在していなかった。

讃岐食品、他/佐賀1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

 小規模な建物だが、頂部に半円型の窪みを付けたり、柱型を出したりして、意外に存在感のある姿をしていた。上部の菱形マークの中には「K.H」と書かれていたが、これが何を意味していたのかは分からず。1990年代末に3階建ての家屋に建て替えられている。

 戦前版の火災保険特殊地図(1936(昭和11)年)では建物が既にあるようにも見えるが、名前などが書かれておらず既に建てられていたかどうかは不明。1952(昭和27)年版の火災保険特殊地図でも建物が描かれているが、当該部は空白。
 東京都全住宅案内図帳 江東区(1962(昭和37)?)では石田商店、1973年版の住宅地図でも(株)石田仲介店と記されている。やはりかつてはなんらかの店舗として利用されていたもののようだ。

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旧カフェー「松竹」

2022-09-27 | 江東区  
茂木アパート
旧カフェー「松竹」/茂木アパート
所在地:江東区 東陽1-37-6
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1995.7.15

 この建物もかつてはカフェー(特殊喫茶店)だったもの。1953年発行の火災保険特殊地図では「松竹」という屋号が記されている。

茂木アパート
 Photo 2002.11.6

 かつては通り側に入口が3ヶ所あったようで、洋瓦の載った庇と、豆タイルが張られた円柱のある出口跡が残る。

茂木アパート
 Photo 2002.11.6

 売春防止法の施行の後はアパートになり、入口は中央の1ヶ所になっていた。この建物もアパートとして2000年代まで存続していたが、2003〜05年頃に解体され、跡地はマンションになっている。

茂木アパート/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 江東区  #遊興施設  #集合住宅 
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旧カフェー「サンエス(SSS)」

2022-09-24 | 江東区  
サンエス
旧サンエス(SSS)
所在地:江東区 東陽1-28
構造・階数:木・2
建設年:昭和20年代
解体年:2012(平成24)
Photo 1995.7.15

 東陽町はかつては洲崎弁天町という埋立地で、1888(明治21)年に根津から移転して来た遊廓があった場所。そして戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線街になっていた。この建物は「サンエス」というカフェー建築で、東陽1丁目の中心を南北に通る大通りに面して建っていたもの。サンエスは「SSS」のことらしいが、その意味は知らない。

 戦前は橋本楼という遊廓だったと書かれたりもしているが、一帯は東京大空襲でほぼ全て被災しているので、この建物じたいが橋本楼だったわけではなさそうだ。被災前にこの場所にあったのが橋本楼で、同じ業者が運営していたのかもしれない。

 赤線の廃止後は数軒の店が入居していた。90年代の住宅地図には角から八百周、花秀園、信濃屋支店、山口精肉店の名が記されており、八百屋、鮮魚店、精肉店などがあるマーケットのようなものだった。
 カフェー建築としては間口が大きな建物のように思うが、交差点の反対側、離れたところから見ると屋根が3つあるので、実際は3棟が連続した建物だったようだ。

サンエス
 Photo 1995.7.15

 角を曲がった東側部分には柱が青く塗られたベランダがあり、アーチ型の壁が付いているのが目立っていた。日射しを遮るためのシートが下まで掛けられていたので中の様子はあまり見えなかったが、普通のお店屋さんになっていたので、1階はかなり改変されていたはず。

サンエス
 Photo 2009.8.1

 コーナー部の2階には壁面に半球状の灯りが付けられていた。昔の遊興系建物は軒先に灯りを並べて吊ったりしていることが多いが、ここでも壁面に灯りを並べて、通り掛かる客を呼び込んでいたのだろう。

 洲崎パラダイスについて記された本などでしばしば掲載された建物だったが、10年ほど前に解体され、現在は9階建ての共同住宅になっている。

参考文献:
『赤線跡を歩く』木村聡、自由国民社、1998
『花街・色街・艶な街 − 色街編』上村敏彦、街と暮らし社、2008

弁天マーケット/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
今も残る赤線時代の建物「洲崎パラダイス」 : ~東京レトロ散歩~

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旧カフェー「太陽」

2022-09-21 | 江東区  
旧カフェー「太陽」/スナックらん、かにや
所在地:江東区 東陽1-26-7・8
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2005〜06(平成17〜18)
Photo 1995.7.15

 洲崎橋南交差点から東へ入った先の南側にあった建物。かつてはいわゆるカフェーだったものらしい。1953年発行の火災保険特殊地図では◎にキと記されている「特殊喫茶店(カフェー)」となっており、屋号は「太陽」だった。両サイドの店舗の他に中央にも入口があり、入口が計3ヶ所だったことや、2階の窓が小さくまた上部にメダイヨン的な装飾が付いていたあたりに、カフェー建築の名残を見て取ることができる。

 撮影時はちょっと装飾的な木造モルタルの洋風看板建築といった感じで、左側(東側)が「スナックらん」、右側(西側)は「かにや(小料理屋?)」だった。この後、建物と店は2000年代まで存続していたが、現在はマンションになっている。

雲形装飾のある家、スナックらん/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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村林ビル(旧村林商店)

2021-12-24 | 江東区  
村林ビル(旧村林商店)
所在地:江東区 佐賀1-8
構造・階数:RC・3
設計 :関根要太郎
建設年:1928〜29(昭和3〜4)
解体年:2017(平成29).12
Photo 2017.11.23

 佐賀町のとある交差点に建っていたビル。コーナー部に入口があり、テラコッタの大きな装飾が印象的なピルだった。

 縦長の上げ下げ窓で、3Fはアーチ型。2Fと3Fの境には、テラコッタタイルで帯を入れ、最上階との境を見せるなど、小さいながらも様式的なデザインを意識させるものだった。


 西側から Photo 2017.11.23

 西端部にも別の入口があり、階段室があったようだ。2、3Fと屋上はこちらから上がる仕組みだったのかもしれない。


 コーナー部の玄関 Photo 2017.11.23

 玄関扉は木製の立派なもの。扉前のステップの一段目は角地の壁面に合わせてカーブしている。また、扉わきの壁面に赤っぽいタイルで縦に帯が作られているのもワンポイントになっていた。


 玄関上部のテラコッタ Photo 2017.11.23

 全体は凸型、中央部に六芒星のマークがあるのも印象的、建物全体に比してこの部分がかなり大きく、やけに主張しているようで面白い。


 Photo 2002.11.6

 外壁のタイルは細かな凹凸があるもの。補修の際には、同様のものがなかったのかやや異なるものが張られていた。

関根要太郎研究室@はこだて村林ビル(関根要太郎設計作品)その1その2その3その4
村林ビル/佐賀1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
村林ビル環境デザインマニアック・Environmental Design Maniac

Tokyo Lost Architecture  
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同潤会清砂通アパートメント 15・16号館

2019-03-28 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 15・16号館
左のクリーム色が15号館、右のピンク色が16号館
所在地:江東区白河4-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 15号館と16号館は、元加賀小学校を挟んだ更に東側にあった。15号館は南北方向に長く、16号館は東西に長い形だったが、向きが違うだけで平面型は同じだったそうだ。

 他の住棟群とはやや離れた場所に2棟だけあり、清洲橋通りにも面していないため、同じ同潤会清砂通アパートメントなのだが、やや印象が薄い。特徴のある塔屋などが付けられているわけでもなく、デザインは他の多くの同潤会アパートと同様で「普通」だった。

 このため写真は1枚しか撮らなかった。同潤会清砂通アパートメントを採り上げている他のサイトでも、15・16号館の写真はあまりなく、下記「ぼくの近代建築コレクション」が最も写真が多いサイトではないかと思う。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント15・16号館/白川4丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館
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同潤会清砂通アパートメント 11・12・14号館

2019-03-26 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 11号館・東南側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 11〜14号館は小路を挟んで、西側に11、12号館、東側に13、14号館が建っていた。13号館はやや規模が小さかったためか、撮り忘れてしまった。

 11号館はこの4棟の中では最大で、東側に開いたCの字型の平面をしていた。写っている範囲では増築はさほどされていないようだ。またこの建物も白く塗装されていた。


 

同潤会清砂通アパートメント 12号館・北東側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 12号館は東西方向に長い平面型だったようだ。1階部分は大幅に増築されており、また2、3階の壁面は部分的な補修のみが行われていた。


 

同潤会清砂通アパートメント 14号館・西北側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 14号館は西向きに開いたコの字型。通りに近い部分などは部分的に増築されていたようだ。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント11・14号館/三好4丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館
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同潤会清砂通アパートメント 7〜10号館

2019-03-24 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 7号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・4F(一部3F)
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 7号館は5号館の一つ東側の街区にあり、やはり清洲橋通りに面して建っていた。清洲橋通り沿いの部分は直線的な4階建てで、その後方(南側)に3階建てが3ヶ所張り出しており、当時の住宅地図で見ると全体ではEの字型をしていたようだ。


 北東側から、奥は5号館 Photo 1996.5.12


 7号館後方の3階建て部分。右端は8号館 Photo 2002.11.6

 後方部分は増改築されていたようで、ベランダがあり足下までの大きな窓になっていて、往時の同潤会アパートメントのデザインとは異なるものになっていて、撮るのを迷う状況になっていた。


 Photo 1996.5.12

 清洲橋通り沿いの4階建て部分と、その南側に取り付く3つの3階建て部分は渡り廊下で繋がれており、1階を東西に通り抜けることができるようになっていた。訪問時には確認し損ねてしまったが、少なくとも後方の3階建て部分は、このトンネル状の部分から建物内に入る構造になっていたのではないかと思う。

 山型の通り抜け通路が奥の方に連なる様子が印象的だった。


 Photo 2002.11.6

 7号館、4階建て部分の背面(南面)。清洲橋通りに面した北側面が整ったファサードになっているのに対して、敷地内側の南面は居室壁面が出入りして、更に3つの3階建てが接続していたりするため、ややごちゃごちゃした壁面になっていた。3号館などと同様に、南向きの日当たりが意外に重要視されていない感じのレイアウト、デザインだったと、今になって思う。



同潤会清砂通アパートメント 8号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 8〜10号館は5号館と7号館の間の南北の道沿いに、7号館の南側に8、9、10号館と順に並んでいた。

 8号館は私が訪れた頃は外壁が白っぽく塗られており、他の同潤会アパートのように茶色っぽくはなかった。色だけだと同潤会アパートには見えなかったが、窓まわりの造られ方などはやはり他と同様。右奥の道路ぎわは1、2階が一間増築されている。



同潤会清砂通アパートメント 9号館(右は10号館)
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1996.5.12

 8号館と9号館は当初は同じ形だったそうだが、後年それぞれに増改築を行ったため、外観の様子は異なっていた。同潤会らしくない外観に既になっていたため、写真はこの1枚しか撮っていない。



同潤会清砂通アパートメント 10号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 住宅地図で見ると、10号館は8、9号館より少し規模が大きかったようだ。西側に開いたコの字型をしており、角部分と中央から建物内に入る構造。道路に面した3階の一部にベランダが設けられており、開口部にカーブを描いた壁面があるのが特徴的だった。


 10号館 Photo 1996.5.12

 清砂通アパートでは前庭や中庭に樹木はあまりなかった気がするが、ここにはやや大きめな樹木があった。


 10号館角部屋の増築の様子 Photo 1996.5.12

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント7号館/白河4丁目
  同潤会清砂通りアパートメント10号館/白川4丁目
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同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館

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同潤会清砂通アパートメント 6号館

2019-03-22 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 6号館(奥は5号館)
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1996.5.12

 6号館は、清砂通アパートメントの一連の建物の中で、平面型が最も大きかった。清洲橋通り沿いの5号館の南側にあり、南北の通りに面した東側に開いたコの字型をしていた。通り沿いにも部屋があったので、コの字というより角張ったCの字型といってもよいのかもしれない。上の写真は北側の翼部、Cの字の書き始め部分で、写真左端を左へ行くと下写真の前庭に至る。


 中庭的な駐車スペースを囲んで建つ住棟 Photo 1996.5.12

 建物内には入っていないので内部のレイアウトは知らないが、あちこちに階段室があるので、大半の住戸は階段室から左右に入る形式だったのではないかと思う。少し張り出した窓に柵が付いた形がオリジナルの窓の形のようだが、各戸で増改築が行われており、出窓を大規模化したり、壁全体を外側に出っ張らせたりして内部を拡げたりしていたようだ。


 Photo 1996.5.12

 上写真の右半分などは、1階から3階まで全て手前側に張り出す形の改築が行われたのではないかと思う。窓が足下から天井近くまでの高さになり、外に出られるベランダが造られていた。


 Photo 2002.11.6

 東側の道路沿いなどはかなり大掛かりに増改築が行われていて、いわゆる同潤会アパート的な外観ではなくなっていた。


 東北側の住棟入口・階段室 Photo 1996.5.12

 


 東南側の住棟入口・階段室 Photo 2002.11.6

 東南側の道路沿い部分などは階段室を挟み込む形で道路沿いまで増築が行われていて、当初のデザインは失われていた。

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 11、12、14号館  16号館

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