都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2022年1月 記事一覧

2022-01-31 | 記事一覧 

01/01 謹賀新年 2022
01/06 原美術館(原邸)
01/09 第一昭和荘
01/12 K邸
01/15 東京回教徒学校(トルコ共和国大使館文化部)
01/18 ジュネス順心
01/21 旧千葉商店
01/24 庄司歯科医院
01/27 神田藪蕎麦
01/30 旧 沢書店

タグ一覧   Tokyo Lost Architecture

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旧 沢書店

2022-01-30 | 千代田区 
旧 沢書店
所在地:千代田区 神田神保町2-5
構造・階数:木・3
建設年:1928(昭和3)
解体年:2015〜16(平成27〜28)
Photo 2005.3.25

 靖国通り、現在の古書街の中心からはやや西にはずれた場所にあった看板建築。恐らくギャンブレル屋根の屋根裏3階で、ファサードは銅板張りだったようだが、撮影時、壁面はクリーム色に塗装されていた。

 住宅地図や下記サイトの写真などによると、沢書店は1973〜1980年代初めまでに無くなり、建物は文泉堂書店に引き継がれた。1982年の住宅地図には文泉堂本店として記載されている。
 また「ぼくの近代建築コレクション」の写真(1986年撮影)では、「第2神保町ブックセンター/文泉堂書店支店」となっている。文泉堂書店支店は2000年代前半までこの建物で営業していたようだ。
 2005年には、文泉堂書店が関わっていた古美術・古民芸店「ぎゃらりぃ檜(かい)」となっていた。


 Photo 2014.4.7

 2011年時点では「Asian Gallary 季節風」、写真の2014年時点では「india」(民芸店?)、2015年4月には「DEPAK」(民芸店?)となっていた。このように2000年代以降、1階の店舗は移り変わったが、2、3階の壁面の様子は80年代からはほぼ変わっていなかった。

 2013年7月のGoogleストリートビューには、西隣の2軒続きの店舗、敬喜金物と前田金物店が写っているが、翌2014年4月の写真では取り壊されていた。旧 沢書店の建物も2015年4月〜2016年3月の間に取り壊され、3軒のお店の跡地は2017年にはSAKUREN HOTEL神保町となった。更に2021年12月にはBOOK HOTEL神保町となっている。

日清堂、文泉堂支店/神田神保町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #商業系  #看板建築  #銅板張り看板建築  
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神田藪蕎麦

2022-01-27 | 千代田区 
神田藪蕎麦
所在地:千代田区 神田淡路町2-10
構造・階数:木・1
建設年:1923(大正12)
解体年:2013(平成25)
備考 :2013年2月19日に一部が焼失したため建て替え
Photo 2011.10.9

 神田藪蕎麦として著名なそば屋。界隈は第二次大戦時の空襲では被災しなかったため、関東震災後から戦前の木造建物が多く残る地区で、藪蕎麦の数寄屋造りの店舗も関東大震災直後のものだったそうだ。

 淡路町界隈は次第に中高層のオフィスビルやマンションが増えているが、この一角だけは低層の木造建物が多く残っている。藪蕎麦も昔風の店構えを残す。


 Photo 2005.3.25

 土間の椅子席と畳の座敷席がある店内。この写真には写っていないが、奥の調理場の手前に帳場があり、そこに座る店員が独特の呼び声で注文を読み上げるのが印象的。

 関東大震災後に建てられたこの店舗建物は東京都選定歴史的建造物となっていたが、2013年2月に焼失してしまった。以下は再建後の外観。往時のイメージに近い平屋だが、同じデザインではない。


 再建後の様子 Photo 2021.11.14

 門の場所にあった行燈と看板は焼失しなかった。門の位置は右手に変えられたが、行燈は以前と同じ場所に掲げられている。


 Photo 2021.11.14

 新築の店舗は鉄骨造平屋(一部2階)。焼失を免れた「藪蕎麦」の看板は新しい入口わきに掲げられている。

かんだやぶそば - Wikipedia

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #商業系  タグ一覧
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庄司歯科医院

2022-01-24 | 杉並区  
庄司歯科医院
所在地:杉並区 西荻北3-19-10
構造・階数:木・1
建設年:1925(大正14)
解体年:2012(平成24)閉院、2013年前半までに解体
Photo 2010.12.13

 西荻窪の北口界隈はあまり行っていなかったので、この建物もこの時まで知らなかった。夜に通り掛かってとりあえず一枚撮り、また機会があったら昼間に撮ろうなどと考えていたが、結局撮らないうちになくなってしまったのだった。なので、デザインの詳細などは知らず。

 大正〜昭和初期に見られる洋風の医院建築。玄関は引き戸、木製窓枠の窓には凹凸のあるガラスが嵌っていた。塀と門があるのも昔ながらの町医者(歯科だけど)の雰囲気

 日中の写真は以下のサイト「東京ノスタルジア」で見ることができる。屋根がトタン葺きだったようなのはちょっと意外。

庄司歯科医院 杉並区西荻北 - 東京ノスタルジア

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#失われた建物 杉並区  #近代建築  #医院  タグ一覧
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千葉商店

2022-01-21 | 中野区  
乾物屋・千葉商店
所在地:中野区 新井1-36
構造・階数:木・2
建設年:1937(昭和12)
解体年:2016(平成28)
Photo 2005.11.3

 薬師銀座・薬師あいロード商店街にあった乾物屋。モルタル塗りのベランダのある平入りの2階建て商店。


 Photo 1993.11.7

 90年代、店先の右側にはたばこ販売のコーナーがあった(既に使われていなかったが)。また店内右側もたばこコーナーだった。店先にはしばしば海苔やお茶の段ボールや木箱が置かれていた。


 Photo 2013.8.26

 2010年代、店頭左側のたばこの自販機はまだあったが、店頭右側や店内のたばこコーナーは無くなり、乾物中心のお店になっていた。

 下記「東京ノスタルジア」には2016年1月の写真があるが、この少し後に解体されたという。薬師銀座商店街でも古い建物はかなり少なくなっている。

旧千葉商店 中野区新井 - 東京ノスタルジア

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#失われた建物 中野区  #商業系  タグ一覧
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ジュネス順心

2022-01-18 | 渋谷区  
ジュネス順心
所在地:渋谷区 桜丘町8-4
構造・階数:木・3
建設年:1938(昭和13)
解体年:2019(平成31)
備考 :渋谷駅桜丘口地区市街地再開発に伴い解体
Photo 2017.12.27

 下記リンク先の記事などによると、もともと東南アジアからの留学生のための学生寮として建てられたもので、イタリア人が設計したという。1962(昭和37)にここを購入したオーナーが、1階を自宅として、2・3階を単身者向けの賃貸アパート(14戸)とし、このオーナーが最後まで建物を所有していたという。

 建築当初は中央の玄関が前に張り出した姿で、その両側から階段で上がれるようになっていたのではないかと思われる。北側(写真奥)の丸窓のある部分は、改築によるもののようだが、ここも一部は当初からなにかがあったようだ。

 この丸窓の部分は階段室だったのだろうか。最下部の扉は勝手口だったのかもしれないが、見学させて貰ったりはしていないので詳細は不明。

 10段ほどのアプローチ階段を上ると玄関。アーチ型の張り出しがちょっとお洒落。奥の方は影になって見えづらいが木製扉があったようだ。また入口わきにはステンドグラスが嵌った丸窓があったようだ。せっかくだからもう少し入口まで行って見ておけば良かった。


 南側から

 軒庇は銅板張り? コーナー部は赤いトタン?が張ってありアクセントになっていた。


 北側から

 隣地も擁壁が道路沿いまで来ていてその上も斜面になっており、傾斜地に建てられたことが分かる。

 この界隈一帯では、現在、渋谷駅桜丘口地区市街地再開発が行われており、周辺の建物は皆取り壊された。ジュネス順心も、2018年10月で借家契約が終了し借家人が退去。2019年1月には周辺を含めて立入ができなくなり、周辺の他の建物と共に解体された。渋谷界隈では珍しい古いアパートだったこともあり、ネット上では多くの人が解体を惜しんでいる。

桜丘町の築80年・レトロモダンな木造アパート、解体迫る 地区再開発に向け - シブヤ経済新聞
Twitter > 最後の住人

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#失われた建物 渋谷区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅 
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東京回教徒学校(トルコ共和国大使館文化部)

2022-01-15 | 渋谷区  
東京回教徒学校(トルコ共和国大使館文化部)
所在地:渋谷区 大山町1-19
構造・階数:木・2
建設年:1938(昭和13)
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2013.10.28

 東京ジャーミィのすぐ隣にあった木造の洋風建物。
 『日本近代建築総覧』では、「東京回教徒学校」という建物がこの場所にあることになっていたが、2000年代の住宅地図では「トルコ共和国大使館文化部」となっていて、2つが同一の建物だったのかどうか確証はない。ただ現地で該当しそうな建物はこれだけだった。

 木造2階、瓦屋根で、1階は洋風の下見板張り。2階は白く塗られていた。
 洋風の持ち送りで支えられた庇も付いていたが、大きな窓が並ぶ姿は木造校舎のようで、大使館の文化部というよりやはり回教徒学校だったのだろうなと思わせる建物だった。

 妻側2階の窓の上にはアーチが描かれていて、洋風のイメージを創っていた。

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K邸

2022-01-12 | 渋谷区  
K邸
所在地:渋谷区 神宮前6-33
構造・階数:木・3
建設年:1925(大正14)
解体年:1996(平成8)
Photo 1995.2.1

 25年ほど前に神宮前界隈を歩いていてなにげなく撮った洋館。『日本近代建築総覧』にも掲載されている建物らしかったのだが、撮影時に場所をしっかり記録しなかったため、この建物が同書のリストに載ったものだったのかどうか実は確証がない。ただ、Googleストリートビューで確認したところ、周辺の建物との兼ね合いでこの住所の写真ではないかと考えている。『日本近代建築総覧』には氏名も記されているが、一応K邸としておく。

 車のそばの屋根は門だったのだろうか? 屋根が主屋と繋がっているように見える。或いは主屋の玄関庇の下に潜り込んだ、車寄せもしくは車寄せを兼ねた門だったのかもしれない。そう考えるとなんだかおもしろいつくりだ。

 主屋の方は大きな切妻屋根が架かった屋根裏3階。間口は大きいわけではないが高さのある住宅だった。

 写真の壁は1枚目の付近で撮ったものだが、撮影時の記憶が曖昧でK邸のものだったかどうかは不明。漆喰もしくはモルタルで青海波のような模様を付けている。

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#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅 
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第一昭和荘

2022-01-09 | 大田区  
第一昭和荘
所在地:大田区 大森北4-13
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期
解体年:2021(令和3)
備考 :元司法書士事務所
Photo 2021.9.3

 SNSで10月に解体されることを知って行ってみた。といっても以前から見ていたわけではなく、訪れたのは初めて。
 コーナー部に出入口がある洋風2階建てで屋根はトタン葺き。縦長窓で道路側の壁面の大部分はスクラッチタイル張り。

 もともとは司法書士事務所だった建物だそうで、2021年9月末までは1Fが店舗として利用されていた。最近は手打蕎麦しのはら、最後は期間限定で海苔茶漬け専門店「青」だった。店内は解体時まで事務所だった時の様子を残していたようだ。内部の様子は下記サイトで見ることができる。一方、訪問時、2階は既に使われていないようだった。

 東側の端はモルタル塗りのアパート状で、こちら側の入口に「第一昭和荘」のプレートが掲げられていた。オフィス状のコーナー部と、アパート的な東端部がくっついた外観がなんとも不思議。屋根も壁面も一体化しているのだが、増築か改築がされていたのだろうか? 最初からこういう建物だったとしたらなかなか興味深い仕様だ。第一昭和荘というアパートとしての間取りと事務所部分がどのように繋がっていたのか、ちょっと気になる。

 西側から。案外人通りのある交差点に面している。小規模な建物だが、コーナー部の入口まわりは堂々とした構え。店舗とするために壁で扉まわりを埋めてしまっていたが、もとはどのような姿だったのだろうか。

 上げ下げ窓の窓枠や窓ガラスは昔のままのようだった。

 下部は石張り(モルタル塗り?)。木造だったようだが、この部分だけを見るとコンクリート造のようにも見える。

昭和初期の建物を改修した海苔茶漬け専門店を見学!取壊し間際の名建築をレポート【東京大森】 | トーキョー建築トリップ

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#失われた建物 大田区 #近代建築 #住宅系 #集合住宅 #商業系 
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原美術館(原邸)

2022-01-06 | 品川区  
原美術館(原邸)
所在地:品川区 北品川4-7-25
構造・階数:RC・3
設計 :渡辺仁
建設年:1938(昭和13)
解体年:2021(令和3)
備考 :美術館は1979(昭和54)開館
Photo 2017.2.16

 原美術館一帯は明治・大正期の実業家の原六郎が購入した土地。その一角に養子の原邦造が1938(昭和13)に自邸として建設したのが、後に原美術館となった建物。設計の渡辺仁(1887〜1973)は、銀座の和光、有楽町の第一生命館、横浜のホテルニューグランドなどの設計でも知られる建築家。
 戦後の一時期はGHQに接収され米軍将校の宿舎となった。接収解除後は外務省公館、フィリピン大使館、セイロン(現 スリランカ)大使館になったが、その後は10年以上使われなかったという。
 そして原邦造の孫である原俊夫が、1979年にこの私邸を現代美術専門の原美術館とした。

 L字型平面の建物は、最初からそうするつもりだったのではないかと思うぐらい美術館に合ったデザインだったように思う。門を入ってアプローチの道を行くと車寄せ。水平なスラブが突き出しているだけの比較的シンプルな姿がモダン。先端側の支柱は板状で縞々の石材?の模様がきれい。

 西側は平屋、弧を描いた南側は2階建てで、部分的に3階建てになっている。屋上の一部にはコンクリート製のフレームもあり、玄関付近から見るとそれらが立体的に重なり、さまざまな様相を見せている。


 Photo 2013.9.29

 玄関南側の壁面には細めの柵が付いた小窓が田の字型に並ぶ。


 弧を描いた南側壁面 Photo 1989.4.7

 やや大きな四角い窓が並ぶ姿もモダン。奥の方で張り出しているのはサンルームとかだったのだろうか。


 中庭側の様子  Photo 1989.4.7

 当初はカフェテラスも小さく、写真右手の壁面には撤去された部分の痕跡も見えていたりした。その後、カフェテラスは増築され右手の壁面もきれいにされた。閉館直前の頃の様子は下記リンク先の記事で見ることができる。


 屋上から Photo 1989.4.7

 2階の屋上に出られるのも魅力的だった。なにかができるわけではない。現代美術の作品がなにげなく展示されているだけだったが、普通とは異なる視点から建物や庭を眺められ、開放感を味わえるのはシンプルに楽しかった。


 玄関 Photo 2013.9.29

 玄関扉は鉄製。立派な建物だったが過剰な装飾はなくモダンそのもの。


 階段室 Photo 1989.4.7

 滑らかな曲面の白壁に黒い石材の側壁がコントラストを成しており、緩やかな曲線を描いて上に伸びる手摺や間接照明が美しい。


 敷地入口の門 Photo 2017.2.16

 門も比較的簡素な造り。塀は日本瓦が載った白壁で、ここは和風の雰囲気だった。


 敷地外周の塀 Photo 2013.9.29

 原六郎邸は戦後は分割されて縮小したようだが、原美術館の敷地はそれでもかなり広く、西側の道には塀が長く連なっていた。

 約40年間現代美術の拠点となっていた原美術館だったが、建物の老朽化とバリアフリーへの対応が困難だったため、2021年1月に閉館。その後、残念ながら解体された。

惜しまれつつ閉館した原美術館 その知られざる歴史とこれから - TOKION
原美術館 - Wikipedia原六郎 - Wikipedia原俊夫 - Wikipedia
渡辺仁 - Wikipedia

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 品川区  #モダニズム  #近代建築  #住宅系  #戸建て住宅 
#屋内階段  #ミュージアム  #渡辺仁   タグ一覧
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