以前の赤城神社 拝殿
所在地:新宿区赤城元町1-10
建設年:1959(昭和34)
構造・階数:RC・1F
備考 :2008年解体
Photo 2008.3.15
赤城神社は鎌倉時代創建の古い歴史を持つ神社。江戸時代末期に壮麗な社殿が造られたそうだが、戦災で焼失してしまい、戦後の1951(昭和26)に本殿を再建し、更に1959(昭和34)に写真の拝殿などを再建したという。
境内で幼稚園経営をしていたが、拝殿その他の建物の老朽化と収入確保のため、新しい社殿の建設と、RC造の共同住宅(6F・B1F)の建設が行われた。
現在の赤城神社 拝殿
所在地:新宿区赤城元町1-10
建設年:2010(平成22)
デザイン監修:隈研吾
構造・階数:S・1F
Web Site:赤城神社 Web Site、Wikipedia
Photo 2011.6.30
新しい拝殿は素木の開放的な造り。屋根は瓦ではなく、金属板で葺いてある。
神社本庁の監督下にある神社は、拝殿や本殿の建物をビルディング的な四角い箱状のものや、突飛な形にしないようにお達しが出ているという話を聞いたことがある。RCや鉄骨などの素材を使っても良いが、イメージとしては昔からある寺社建築調にしましょうということらしい。仏教寺院の方は、ビル型あり、インド寺院風ありで、なんでもアリになっている。だが、神社の方は、ビルの上に載ったり、ピロティに鎮座したりということはあるが、神社とは思えないような大胆な形の社殿を見た記憶は確かにない。
さて、赤城神社の新社殿。一目見て現代建築的だが、全体の形などは昔からある神社建築に似ている。いわゆる神社建築コードがあるのなら、その範囲内でできるだけ現代的にして、かつ神社建築の趣旨も押さえて、ということなのかなと思う。
Photo 2011.6.30
木造調だが、構造は鉄骨造で、鉄骨柱を木板で囲っている。防火地区だったりすると、耐火仕様にしなければならないし、強度や費用を考えると妥当なのかもしれない。重々しさは無いが、モダンで明るいガラス張りの神社建物も考え方としてはありかもしれない。以前の社殿も木造風に見せかけたRC造だったわけなので、そのあたりでどちらが優れているという判断はできない。当初はこのモダンさに違和感を感じたのだが、新築後に何度か訪れている内に次第に慣れてきた。
それでもモダン過ぎるような気はやはりする。新しい建築に挑戦するのは大切なのだが、薄く軽くなりすぎていて、いじわるな言い方をするなら模型材料のバルサで造ったみたいな感じでもあり、この軽い感じ、悪く言えばプレハブ感はどうなのかなぁと思う。だがRC造よりは自然な気もして、なんとも言えない。
Photo 2011.6.30
さて、以前は神楽坂本通りから来ると、参道はほぼ平らだったが、新しくできた社殿に至る参道は階段になっている。拝殿や本殿を高く上げることで、参拝時に神聖な空間へ近づいていく気分を演出すると同時に、その地下に駐車スペースなどの空間を確保しているようだ。
都市部にある神社としての役割や位置づけ、機能を考えると、敷地・建物の複合的な利用は神社を維持していく上での一つの方向性で、最近ではよくある話だ。だが、「地形の維持や原地形の表現」という観点からすると、ちょっと気になることもある。もともとの地形は神楽坂本通りから入って社殿まではほぼ平らで、その裏手は神田川沿いの低地へ至る急な崖になっていて、下ることはあっても上りには決してなっていなかったのだが、新社殿では人工的に上りにしている。石垣を築いたりして社殿を高く掲げているケースは昔からあるので、神聖性の演出としての人工的架構はもちろんあり得る。だが、新しい社殿の参道は、人工地盤が大規模で一体的に上手く造られすぎているので、まるで自然の地形的な高みに上っているように感じられてしまい、経緯を知らないと、もともとそういう地形だったのだと錯覚しそうだ。
Tokyo Lost Architecture
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