都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

今川小路

2024-01-06 | 千代田区 
今川小路
所在地:千代田区 鍛冶町1-1・中央区 日本橋本石町4-2
構造・階数:木・2
建設年:1951(昭和26)頃
解体年:2017〜18(平成29〜30)
Photo 2017.10.2

 今川小路はJR神田駅の少し南にあったガード下の飲み屋街で、ここは昔、竜閑川という川がガードをくぐって流れていた場所。竜閑川は江戸時代に造られた堀割のひとつだが、第二次大戦後に瓦礫処理のために埋め立てられたという。そしてその跡地に1951年頃から近辺の居酒屋などが集まってガード下飲み屋街ができたのだそうだ。

 竜閑川は日本橋から北上する中央通りと直交していたが、それらがなしている碁盤目状の街区をJRが斜めに横切っているため、神田駅近辺のガードはほぼ全てがJRを斜めにくぐっている。今川小路もJRを斜めにくぐるガードに造られた飲み屋街だった。またこのあたりでは竜閑川が区界になっており、小路の北側が千代田区、南側は中央区である。

 70年近くに渡って営業を続けてきたが、JRが高架の耐震補強工事を行うことになったため、2017年9月末で閉鎖され、その後、解体された。

 私が訪れたのは10月になってからで、既に営業している店はなく解体を待つばかりだったが、写真を撮っているとぽつりぽつりと訪れる人があり、私同様写真を撮っていた。

今川小路 - Wikipedia
今川小路 - 千代田遺産
昭和の風景残す東京・神田ガード下「今川小路」 再開発の影で消えゆく戦後横丁(1/3ページ) - 産経ニュース
【現存せず】東京駅至近のド都心にある奇跡の光景!激渋昭和ガード下バラック飲食街「今川小路」 - 東京DEEP案内

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #失われた建物 中央区 
#鉄道  #路地  #アーケード   ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呉服町通りの街並み3

2023-11-14 | 静岡県  

 呉服町2-5  Photo 1995.4.15

 静岡市の中心部、呉服町商店街は1990年頃にアーケードが改修され、華やかで明るいものになった。府中の歴史を示す街路灯が置かれ、街路樹も植えられ、電線の地中化もされて賑やか。パーキングチケットによる駐車が認められ便利ではあるが、いつもやや混雑している。


 呉服町2-6、2-7  Photo 1995.4.15

 大半の人はバスで訪れたり、周辺の駐車場に停めてここを訪れる。お金を払っても十分に魅力的なコンテンツ(ここでは品揃えとか食べ物の良さとか)が存在するためにここはあまり衰退せずに済んでいる。ある意味、ブランドストリート化もしており、静岡ではここでしか買えないものも多く、それがまた固定客を生んでいる。そんな呉服町だが最近は県外資本が増加して元気がないという。

 写真中、銀座ワシントンは既にない。イケダヤは伊勢丹そばの札の辻クロスに移転。呉服町の様子も次第に変わっているようだ。


 西武百貨店静岡店など 紺屋町6  Photo 1992.11.21

 駅に近い部分には地下街がある。1980年のガス爆発後に地下街は改修がされた。地上出口を余裕を持って確保するために車道は蛇行することになり、結果的に地上部はコミュニティ道路的な形態になっている。駅の近くには金融系の店舗やオフィスが多い。

 写真奥には長崎屋がわずかに見えているが、その一角は再開発されて葵タワーが完成している。この葵タワーには戸田書店が大型店を開設していたが、2020年に撤退。写真右には西武静岡店が写っているがこれも2006年に閉店。現在は静岡パルコになっている。


 札の辻交差点 呉服町2-1  Photo 2000.11.1

 札の辻交差点は東南方向から来た東海道が、駿府城の大手門前にあたる南西側で90度向きを変えて南西へ向かう場所。昔は御触書などの高札が掲げられた場所だったといわれ、そこから札の辻と呼ばれている。現在は呉服町通りと七間町通りが交差する場所で、戦後しばらくの間は市内で最も賑やかな場所だったようだ。JRの駅からは離れているため、一時は人通りが減ってしまっていたが、七間町の街並みがきれいになり、服飾系の店舗が増加した。90年代には一角にあった建物が建て替えられ、コンビニなどになっている。

Rewritten in 2022.3
静岡呉服町名店街web HOME  呉服町の歴史

静岡の建築  静岡の街並み
#街並み 静岡県  #商業系  #旧東海道 
#アーケード  #デパート・百貨店  #共同建物 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュビロード

2023-11-12 | 静岡県  
ジュビロード商店街の共同建物
所在地:磐田市中泉375・381
構造・階数:RC・3F
備考 :再開発により2005〜06に解体
Photo 2000.1.1

 磐田市内、JR磐田駅の北側には、かつては断続的に水色のアーケードが道の両側に設置されていた。地元のJリーグチーム、ジュビロ磐田にちなんだジュビロードという商店街。安直な名のようだが、一度聞いたら忘れない呼び名だから案外良いのかもしれない。
 このときはアーケードの天井から、ユニホームを模した水色のお店の看板が沢山ぶら下がっていた。でもなんだかアーケードに水色のTシャツを干しているみたいで、またアーケードの老朽化とも相俟って今ひとつ冴えない感じだった。他の地方都市の商店街同様に衰退してしまった印象を受けてしまう。

 写真の建物は商店街の中でも駅寄りにあったもので、3階建ての共同建物。戦後の昭和30年代頃に防火建築帯として建てられたものだったのかもしれない。通り沿いに壁面が続くようすじたいはモダンで悪くなかったので、アーケード庇を造り替えるか撤去して、電柱・電線も地中化すればきれいな感じになるのにと思うのだった。

 その後、この一角は「磐田駅前地区第一種市街地再開発事業」によって再開発され、16階建ての住宅棟(ブライトタウン磐田駅前)と4階建ての駐車場棟が2007年に完成した(リベーラ磐田)。1階道路沿いは店舗。再開発に際してジュビロードの通りは拡幅されたようで歩道も広くなっている。
 また、道の反対側(東側)でも市街地再開発が行われ、14階建ての住宅棟と公共施設などが入居する4階建てのビルが2003年に完成している。更に、その後方の広い範囲では土地区画整理も行われており、駅周辺のようすは20年ほど前とは様変わりしているようだ。

 Googleストリートビューで現在の同所を見ると、車道も歩道も広々していてそこに背の高いマンションがいくつか建っている状況。個人的にはこのスケール感のエリアは駅前のあたりだけで十分。そこから少し離れると、建物も小規模になるし、歩く人も少なくなるので、道幅がオーバーサイズになってしまいスカスカな印象になってしまう。駅周辺でも自動車の交通量はさほどないので、道幅、車線数はあまり要らない。むしろ歩道を少し拡げる方が良い感じになるのではないかと思う。

磐田駅前地区第一種市街地再開発事業【リベーラ磐田】|一般財団法人民間都市開発推進機構
-にぎわいのある街へ- 磐田駅前地区市街地再開発 - わが街ウオッチング けんせつ静岡 No.223

#失われた建物 静岡県  #街並み 静岡県  #商業系  #アーケード 
静岡の街並み  ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるまちモール

2021-06-05 | 新潟県  
ふるまちモール7
所在地:新潟市中央区古町通7番町
Photo 1992.8.29

 古町通の5番町から7番町に掛けてはアーケード街になっていて、それぞれ、ふるまちモール5、6、7となっている。
 建設年はちょっと分からなかったが、それぞれ開閉式になっているようだ。ふるまちモール7は中央部が山型になったアーケード。自動車の通行が終日禁止されているようで、道路中央にパラソルや机、イスが置かれている。


 ふるまちモール7

 この時は野菜の路上販売も行われていた。


ふるまちモール6
所在地:新潟市中央区古町通6番町
Photo 1992.8.29

 ふるまちモール6は腰折れ型のアーケード。訪問時は屋根が開けられて日光が差し込んでいた。どうやら上部のレールに沿って腰折れのガラス屋根が両側から動いて開閉するようだ。

 この他、ふるまちモール5は半円型のアーチ型アーケードになっていて、アーケード屋根の形でモール5か6か7かが分かるようになっている。

Site Y.M. 建築・都市徘徊日本国内の建物や街並み 
#街並み 新潟県  #アーケード  #商業系 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一の湯商店街のアーケード

2020-11-01 | 中野区  
一の湯商店街 西側入口付近から東方向
所在地:中野区沼袋1-36、37
解体年:2000〜07(平成12〜19)の間
Photo 2000.4.19

 西武新宿線沼袋駅北口にある銭湯前のアーケード商店街。北口の商店街の通りから、一の湯という銭湯へ向かって東へ入る小路と銭湯前の小路にT字形にアーケードが架かり、商店が並んでいた。

 小路の北側の一角がマンションに建て替えられた(ダイナシティ中野沼袋、2008.3竣工)際に、アーケードは撤去されたようだ。南側の建物も一部は建て替わったり業態が替わっている。ただ、右側、幟のある店舗、茶の丸美屋と、奥の右角の鮮魚店魚光は現在も存続している。

 アーケード中ほどから西側入口方向。右側はマンションになり、左側は店舗の業態が替わった。

 一の湯の前から西方向。左端の鮮魚店と、少し奥の茶の丸美屋は現存。右側はマンションになり全てなくなっている。

 T字形のアーケードの東南端から。右側の銭湯、一の湯は現在も営業していて、その前の部分だけはアーケードが残存している。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区  #街並み 中野区  #商業系  #アーケード 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三信ビル その3

2019-12-12 | 千代田区 


 Photo 2003.12.29
 2Fヴォールト天井を支えるアーチ部分の装飾と照明。アーチ部分にも八角形のテラコッタが埋め込まれている。

三信ビル
所在地:千代田区有楽町1-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・8F+B1F
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
解体年:2007(平成19)


 Photo 2002.12.07
 アーケード上部に置かれた彫刻類も面白い。2階アーケード脇の装飾。右端が間接照明のボックス。そのすぐ脇に、鳥の彫像。アーチ部分にはテラコッタの六角模様が付いている。塗装・補修されていて綺麗。このテラコッタと鳥の彫像は解体時に保存され、新築の東京ミッドタウン日比谷内のアーケード空間に再利用されている。


 Photo 2002.12.07
 1階洗面台。トイレの近くの壁面に何気なく造られている。この頃は使われておらず蛇口もなかった。壁面のモザイクタイルが可愛らしい。


 Photo 2003.12.29 1F側面の出入口
 真鍮の取っ手と欄間の色ガラスがクラシックでよい。


 Photo 2003.12.29 1F端部の階段室脇のオフィス。
 夕暮れ時に訪れると、様々な照明が建物内部を彩り美しい。


 Photo 2003.12.29
 B1F階段室の手摺回りのデザイン。大理石の礎台の上にカットグラスの飾りが付いている。もしかするとこの上に、更に照明か何かが付いていたのかもしれないが、その辺は不明。


 Photo 2003.12.29
 B1Fと1Fの中間の踊り場の手摺。単純に斜めにつながず、カーブと水平を組み合わせた個性的な造形になっている。

Wikipedia > 三信ビルディング

三信ビル/有楽町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #近代建築  #アーケード 
#屋内階段  #松井貴太郎(横河工務所) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三信ビル その2

2019-12-10 | 千代田区 


 Photo 2000.12.25 1階アーケード

三信ビル
所在地:千代田区有楽町1-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・8F+B1F
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
解体年:2007(平成19)

 2層吹き抜けのアーケード商店街が非常に美しかった。半円形にEVが並ぶエレベーターホールも優美。地下商店街をも持つ当時としては先進的なビルだった。


 Photo 2000.12.25
 ヴォールト天井が教会のようでもある。天井に間接照明があたり、クラシックで上品な印象。


 Photo 1988.12.20 2階通路から
 アーケード2階には吹き抜けを取り囲む通路があり、1階部分を見下ろすことができる。行き交う人々をぼんやり眺めるのも楽しい。


 Photo 2002.12.07
 2階へ上る階段から1階エレベーターホール。エレベーターの扉が半円形に並んだ美しいホール空間。


 Photo 2000.12.25
 昔はエレベーター扉の上部に針式の階数表示板があったらしい。また、エレベーターの脇には郵便用のダクトもある。気送管ではなく、ダストシュートのように手紙を下の方の階に落とす仕組み。


 Photo 2000.12.25
 1Fエレベーターの反対側の階段。二手に分かれるなかなか立派なもの。


 Photo 2003.12.29 
 2F中央の階段。2Fから上はオフィスなので人通りは多くなく静か。


 Photo 2003.12.29
 1Fと2Fの間の踊り場から1FのEVホール。左右対称のこの景色もちょっと贅沢な空間体験だった。


 Photo 2003.12.29 1F端部の階段室
 端部の階段室も、中央が小さな吹き抜け状になっており、比較的ゆったりしている。昔のオフィスビルはこういうスペースも贅沢だ。


 Photo 2003.12.29 地下1Fの商店街
 オフィスビル内に作られた商店街空間としては初期のものだったが、現在同様、地下鉄にも接続していた。

Wikipedia > 三信ビルディング

三信ビル/有楽町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #オフィス  #近代建築  #アーケード 
#屋内階段  #松井貴太郎(横河工務所) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩の街のアーケード街

2014-12-06 | 墨田区  
所在地:墨田区向島5-49
備考 :1998〜2000頃の間に消失
Photo 1995.6.11

 墨田区の鳩の街商店街のはずれにあった、小さな飲み屋街のアーケード。

 日本のアーケード商店街は、建築基準法上の制約のため、基本的に両脇の建物の構造体とは別になっている。(近年の大型再開発などで見られるアトリウムの場合は、建物本体とも接続されている。)しかしここのアーケードには、見たところアーケード独自の柱がなく、両側の建物に載っているようだった。基準法以前のものなのか、法律など関係なしに勝手に屋根を掛けちまったのかは不明だが、この歩行者のみのスケール感はなんともよい。

Photo 1995.11.12

 半透明の塩ビ波板で屋根が掛けられていたが、ところどころ穴が空いていて、補修されたりされてなかったり。かなりぼろい感じだったが、当時はまだ手前の「プローン」というバーは営業していたようだ。しばらくぶりに訪ねてみたらこの路地自体が消滅していて、どこにあったのかサッパリ判らなくなってしまっていた。

2009.1.12記

 この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、写真は別のものに差し替えました。

#失われた建物 墨田区  #商業系 
#夕景・夜景  #アーケード  #路地 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤羽1丁目 一番街シルクロード

2013-07-31 | 北区   
赤羽1丁目 一番街シルクロード
所在地:北区赤羽1-22   Google Map
Photo 2013.7.3

 平日の昼下がりからおでんを食す人あり。
 暑いから逆におでんなのかな。

#古い建物 北区  #街並み 北区  #商業系  #路地  #アーケード 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草 2

2012-10-28 | 台東区  
浅草寺 雷門から仲見世
所在地:台東区浅草1-3   Google Map
Photo 2012.9.5

 9月2日は下見で、9月5日に学生を引率。9時から東京の都市構造とそこで育まれた文化について、ほんの1時間だけお話をして、ばたばたと根津へ移動。
 谷中・上野を巡り、上野鈴本で落語を聞く。午前中の疲れと昼食の影響で、せっかくの落語でも眠りに落ちている学生もちらほら。
 その後、浅草寺に行ったら夕方でやはり本堂はもう閉まっていた。

浅草文化観光センター8Fの展望テラスから
所在地:台東区雷門2-18   Google Map
Photo 2012.9.5

 関西大学と早稲田大学の連携講座というものだったので、関西の学生などは、浅草文化観光センターからスカイツリーを見たら、一日の疲れなど忘れてテンションがやたらに上がっていた。若いなぁ。で、この後、吾妻橋を渡ってスカイツリーまで歩き、解散。後半は完全にお上りさんコースなのでした。

浅草文化観光センター
#新しい建物 墨田区  #街並み 台東区  #アーケード 
#眺望  #寺院  #塔 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする