都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

駿河銀行袋井支店(旧袋井運送会社)

2023-10-27 | 静岡県  
駿河銀行袋井支店(旧袋井運送会社)
所在地  :袋井市高尾
建設年  :1918(大正7)
構造・階数:オリジナルは竹筋で補強した煉瓦造・2F
備考   :現在の建物(上写真)は外観復元されたレプリカ
Photo 1999.1.7

 もともと運送会社の建物として建てられた建物で、1951(昭和26)年に駿河銀行の支店となったが、その建物は1988(昭和63)年頃に解体された。上写真の建物は元の場所から少し離れたところに外観復元されたもの。

 この建物を最初に記事化した際は、このレプリカ建物を昔のものとして記載していたが、地元の方から、オリジナルの古い建物は解体されて現存しない旨の指摘を頂き、当時の新聞記事と貴重な写真データをお送り頂いた。


 O氏提供の写真(1988年頃)

 写真左側がオリジナルの旧袋井運送会社の建物。そして写真右端に小さく見えているのがレプリカ建物。左側の解体された元の建物には台形の屋根がついていたが、レプリカ建物にはついていない。またこの写真でも明らかなように、元の建物の解体前に、レプリカ建物が新築されており、外観復元に際してはオリジナル建物の石材や煉瓦は用いていない。

静岡の建築・土木構築物 
#失われた建物 静岡県  #新しい建物 静岡県  #銀行・保険 
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トップセンタービル(旧メディアシティ静岡)

2021-08-28 | 静岡県  
メディアシティ静岡 吹き抜け
メディアシティ静岡 吹き抜け
所在地:静岡市葵区 伝馬町8
建設年:1994(平成6)
構造 :SRC
階数 :14F・B2F・RF
高さ :78.6m
備考 :現在の名称はトップセンタービル
Photo 1995.1.3

 現在はメガネトップの本社で同社所有だが、完成当初はテレビ静岡の所有でメディアシティ静岡という名だった。
 バブル期に計画された建物でもあり、下層階には吹き抜けがあった。物珍しさもあったので竣工後に訪れてみたら、この時は自動車の展示が行われていた。ただ、申し訳ないが最初からあまり賑わっている雰囲気ではなかったことが記憶に残っている。

 メガネトップの所有になってからは建物内に入ったことがないので、現在も吹き抜けがあるかどうかは知らず。

トップセンタービル
 トップセンタービル、新静岡センターバスターミナルから
 Photo 2009.2.8

 市内の高層ビルとしては初期のものだが、敷地がさほど広くないので、かなり細くロケット型の建物になっている。

トップセンタービル
 トップセンタービル、伝馬町通りから
 Photo 2009.2.8

トップセンタービル - Wikipedia

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #商業系  #オフィス 
#高層ビル  #吹き抜け・アトリウム 
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駿府城 巽櫓

2021-08-25 | 静岡県  
建設中の駿府城巽櫓
駿府城 巽櫓
所在地:静岡市葵区 駿府城公園
建設年:1989(平成元)
構造・階数:木造・二重三階
Photo 1988.3.1

 市政100周年を記念して1989年に復元された櫓。写真は建設のために外側に足場を組んだ頃の様子。

 駿府城は徳川家康が大御所として晩年を過ごした城だが、明治以降、歩兵連隊が置かれたりしたため、江戸期の城の建物は全て除却されてしまい、内堀も全て埋められてしまった。戦後は駿府公園(現在は駿府城公園)として市民に親しまれているが、徳川家康が住んでいたのに城の建物が一つもないのはさびしい状態だった。


 Photo 1989.3.28

 巽櫓は1638(寛永15)年に再建されたものが長く存在していたが、幕末近くの安政地震によって全壊したと考えられているという。復元にあたっては、往時の指図などをもとに出来るだけ正確な形での再建を行なったそうだ。静岡で生まれ育った者としては、その建設は気になることで、隅櫓が一つできただけでも、見栄えのする城の建物がようやくできたと嬉しかったものだった。


 Photo 1989.3.28

 駿府城公園のWebsiteによれば、L字型の平面の櫓は全国の城でも例の少ないものだそうで、駿府城の櫓の中でも防御機能に優れた櫓だったという。

 この後、1996年に東御門が写真左側に復元され、巽櫓と一体的な姿を見せることになったため、巽櫓が単独で建っていたのは数年間。なので巽櫓単独の写真は手元にはこの2枚しかない。夕方で逆光だったから撮らなかったのかもしれないが、L字形の建物の角の外側から撮らなかったのが悔やまれる。

東御門・巽櫓 - 【公式】駿府城公園

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #公園  #城・宮殿 
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日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #眺望  #山  #塔  #橋  #現代建築 
#屋内階段  #隈研吾 
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スーパーコンコルド

2021-07-20 | 静岡県  
スーパーコンコルド静岡曲金店
所在地:静岡市駿河区曲金7-8
建設年:2014(平成26)
Photo 2015.3.30

 奇妙なCMで静岡県民にはお馴染みのコンコルド。東京23区内ではこういう郊外型のパチンコ屋はあまり見掛けない。巨大な屋外駐車場と自走式の屋上駐車場を併設して、大きな電飾看板を道路ぎわに出して、建物自体も派手な外観にしている。


 夜景  Photo 2016.2.14

 JR東静岡駅近くの店舗は外観もかなり個性的。夜になると外壁のLED照明がさまざまな色に発光し、ちょっと宇宙船っぽいようすになる。

 東京だと歩いて来る人がほとんどだが、郊外型では自動車で来る人がほとんど。見ていると次々に乗用車が駐車場に入っていく。郊外都市のライフスタイルと、高密度市街地のそれはかなり異なっている。。

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #商業系  #遊興施設  #夕景・夜景 
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静岡県庁別館 21F 展望室から2

2021-07-08 | 静岡県  

 静岡県庁の展望室から。つづき。気になる施設など。

静岡県庁別館展望室から 駿府城公園、巽櫓と東御門
所在地:静岡市葵区追手町9-6
Photo 2016.8.18

 私が静岡に住んでいた頃にはまだ無かった建物。巽櫓は1989年に、東御門は1996年に復元された。天守閣は江戸時代中期には既に無く、図面も無いので、もし再建するとしたら推定するしかないらしい。
 巽櫓や東御門、坤櫓(2014年復元)は幕末まではあったのかな? 指図などが残っていたのか、時間は掛かったが比較的すんなり復元された。駿府城は大御所として家康が住んだ城で、外堀の大半と中堀が現存しているが、昔は建物が全然無く、やはりちょっと物足りない状態だった。江戸時代に既に無かった天守閣をむりやり造るのには賛成しかねるが、資料がある建物を少しずつ復元、整備していくのは良い。20年前までは無かったこの建物も、いつのまにか市のシンボルのようになっている。


 静岡県庁本館

 左の方の赤瓦の部分が正面中央の塔屋。正面から見るといわゆる帝冠式で立派だけれど、上から見るとやや殺風景。環境に配慮して芝生緑化したり、太陽電池パネル並べたりしてるが、屋上というものは雑然としていることがやはり多い。


 静岡大成中学・高校 2004年竣工 設計 長谷川逸子

 昔は精華高校という女子校だった。学校法人名は今も静岡精華学園だが、中学・高校の名前は男女共学化と校舎新築に際して静岡大成に改称されている。幹線道路には面していない建物だが、高いところから眺めると奇妙な外観が目をひく。

 谷津山(右)と愛宕山(左端)の間の鞍部には、草薙、清水方面のビルが見えている。左は静岡銀行の本部ビル。右と奥のマンションはどこのものかよくわからない。奥に白く微かに見えるクレーンは清水港のガントリークレーン。県庁からでも清水港の港湾施設が見えるのにはちょっと驚いた。

 谷津山(標高100m)の頂上の2つの鉄塔は、NHK静岡(JOPK)の旧ラジオ送信塔。1931(昭和6)完成で、設計は塔博士、内藤多仲。
 東京の愛宕山の頂上でラジオ放送が開始された時の塔と似たタイプの送信塔で、二本の鉄塔の間に丁字型にケーブルを張っている。初期のラジオ送信塔の遺構としてかなり貴重なものだが、文化財指定などはされていない。現在は東海大学が所有管理している模様。
 その右側の塔は、東静岡のJR操車場跡地に造られたNTT DOCOMOの塔。18階建てのビル(高さ82.7m)の上に塔が建っており、総高約160m。ビルは谷津山の向こう側の低地に建っているが、手前の谷津山の標高が低いので、山の向こう側に見えてしまっている。

静岡の街並み
#眺望  #古い建物 静岡県  #新しい建物 静岡県 
#山  #塔  #官公庁  #学校  #城・宮殿 
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東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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丸ノ内ビルヂング(丸ビル) その1

2019-11-12 | 千代田区 

 正面(東側)の堂々とした外観  Photo 1997.3.27
丸ビル(丸ノ内ビルヂング)
所在地:千代田区丸の内 2-4
建設年:1926(大正15)
構造・階数:SRC・8F
備考 :1997(平成9)閉館
解体年:1999(平成11)

 東京駅前に建っていた日本初のアメリカ式の大型オフィスビル。昔は「丸ビル何杯分」と数えられた象徴的な建築物で、詩や歌にも詠まれた。何杯分の基準はその後、霞ヶ関ビル、東京ドームと移り変わっていった。

 建設当時はいわゆる絶対高さ規制だったため、軒高は百尺(約30.3m)になっていた。戦後はメートル法になり軒高は最高31mになったが、昭和30年代まで高さ規制があったため、丸の内界隈の建物は皆、軒高がおよそ揃った状態になっていた。


 中央が丸ビル、手前右は新丸ビル、奥は八重洲ビル  Photo 1993.11.21

 明治〜大正期には煉瓦造のオフィスビル群が並び、一丁ロンドンと呼ばれていた丸の内界隈は、関東大震災後には丸ビルその他が立ち並び、一丁ニューヨークと称されたという。


 中央左 JPタワー、右 丸ビル、右端 新丸ビル  Photo 2018.8.6

丸の内ビルディング
所在地:千代田区丸の内 2-4
竣工年:2002(平成14)
構造 :S・一部SRC
階数 :37F・B4F
高さ :約180m

 新しい丸の内ビルディングは2002(平成14)年9月に完成。建て替えにあたって名前は「丸ノ内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変更された。

 またこの丸ビルの建て替えをきっかけとして、その後、界隈では多くの建て替えが行われ、丸の内は高層ビルが林立する街並みに変貌した。

丸ノ内ビルヂング その2

Wikipedia > 丸ノ内ビルヂング新丸ノ内ビルヂング
      丸の内ビルディング新丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション丸ビル

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JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)

2019-11-10 | 千代田区 


 Photo 1994.1.23

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)
所在地:千代田区丸の内 1-6
建設年:1938(昭和13)
構造・階数:SRC・8F
解体年:1998(平成10)

 鉄道省、国鉄、JRと移り変わった建物。装飾も少なくやや地味なデザインだったこともあって、遠くから撮っただけで終わってしまった。1・2Fは重厚な石張り、7Fと8Fの間に一つ軒庇をまわして、基部、本体、頂部の三層構成の外観としていた。


 Photo 1997.3.27

 築60年で解体され、隣接地のビルを含む一街区全体が丸の内オアゾとして再開発された。丸の内近辺は8〜9階建て、軒高100尺(30.3m、戦後は31m)のビルが建ち並ぶ街並みだったが、丸ビルをはじめとして次々と建て替えが進み、100〜200mの超高層ビルが建ち並ぶ街に変貌している。

廃景録国鉄本社 その1
ぼくの近代建築コレクション国鉄本社

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新丸ノ内ビルヂング

2019-11-08 | 千代田区 
新丸ノ内ビルヂング
所在地:千代田区丸の内 1-5
建設年:1952(昭和27)
構造・階数:SRC・8F
解体年:2005(平成17)
Photo 1993.11.21

 丸ビルに続いて新丸ビルも建て替えられた。丸の内界隈は、いつのまにか200m近いビルが林立する地区になった。20年ほど前、まるで墓石が並ぶような「丸の内マンハッタン計画」なるものの計画図を見て、げっ、と思っていたが、まさか数年でそれが眼前に現れるとは当時は全く予想できなかった。いま思えば、地主も少なく、借り手も協力的なグループ企業中心。建て替えが他の所より早く進んでもおかしくないのだった。


 Photo 2000.2.11

 跡地には、新丸の内ビルディングが2007.4.27にオープンした。丸ビルよりも大きな容積率を獲得したとかで、それもあってか、建物の形状が異なることになっている。完成前は同じ形で双子にしたらよいのにと思っていたが、出来上がってみると、違う形になったのもまあ良いかなと思うようになった。丸ビルと新丸ビルはただでさえ間違えやすいので、デザインぐらいは多少違っている方が良いのかもしれない。

 取り壊された二つの建物は、丸ノ内ビルヂングと新丸ノ内ビルヂング。
 新しくできた二つの建物は、丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング。
 丸ノ内→丸の内、ビルヂング→ビルディング、と名称が微妙に変化している。

Wikipedia > 新丸ノ内ビルヂング新丸の内ビルディング
      丸ノ内ビルヂング丸の内ビルディング

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