都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

もういちど赤の広場

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 14:00 午後の観光のため、またホテルを出発。最初に15世紀の寺院に寄る。

 小さい建物だが古い寺院だと聞いて、期待してバスを降りて中に入ってみると、内部が全部土産物屋になっていた。

 どうやらここはバスの運転手がつるんでいるところらしく、勝手に連れてこられてしまったということに気づく。露店で見たペンやマトリョーシカが大量に並べられていたが、露店では20円程度だったボールペンが1ドル(約120円)程度で売られているので、ばかばかしくなってすぐに建物を出てしまう。しかし寺院がこのように転用され、内部の壁も真っ白に塗られ、小綺麗になっているのは不思議な感じだ。

Big Stone Bridge(Большой Каменный Мост)から
クレムリンとモスクワ川。遠方はロシアホテル   Google Map

 バスでモスクワ川を渡って赤の広場へ向かう。橋の上では、車内からクレムリンの全貌を見ることができた。道路の渋滞に乗じて車内からパノラマを撮影する。

ロシアホテル前の広場から、トロリーバスと
コテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート   Google Map

 14:40 赤の広場に到着。昨日とは違って今日は天気も良く、午後はそれほどは寒くない。ロシアホテル前の広場からははっきりと遠くの景色が見えていた。

赤の広場   Google Map
左 クレムリン  中央 歴史博物館  右 グム百貨店

 広場のパノラマを撮影する。日本にはこのような広場は無い。真ん中に立ってみると、やはり広場というのは周囲に建つ建物によって活かされている物だと改めて感じるのだった。

聖ワシリー大聖堂   Google Map

 15:00になった時、広場にいた観光客が一斉にレーニン廟へ向かって走り始めたので、なんだか分からないまま、僕らも一緒になって走る。途中で日本のおばちゃん達に「あんた達どこから来たの?」と声を掛けられる。「東京の大学生です。」と答えると「あら、あたし達は名古屋から来たのよ、こんなところで一緒に走るなんておかしいわねえ。」などと、ケタケタと笑いながら走っていくのだった。

衛兵の行進。後方はレーニン廟   Google Map

 レーニン廟では衛兵の交代式を行っていた。観光客にしてみれば、この手の儀式はやはり見逃すわけにいかないものだ。銃を携えた衛兵が3人、独特の歩き方で歩いていく。レーニン廟の衛兵は、ソビエト時代に革命の英雄の遺体を安置した墓所を警備するために設けられたが、レーニン他の位置づけも変わり、観光客向けのショーのような側面もあるようだった。また後年、この衛兵は廃止されたとも聞く。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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コムソモーリスカヤ駅からアルバート通りへ

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 環状線コムソモーリスカヤ駅で地下鉄を下車し、地上に出る。列柱の並ぶ出口から外に出ると、なんだか劇場か美術館から外に出たような晴れやかな気分になる。駅は同じ名の広場に面している。

コムソモーリスカヤ広場   Google Map
左 カザンスキー駅、左奥 コテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート、右 レニングラードホテル

 市内北東部にあるこの広場の周りには地方都市への長距離列車のターミナルが集中しており、カザンスキー駅、レニングラーツキー駅、ヤロスラフスキー駅などがそれぞれに様式を競って建ち並んでいる。レニングラーツキー、ヤロスラフスキーなど異なる名の駅が一ヶ所に集まっているのは変な感じだが、実はこれらの駅名はその路線の終着地の名をとっている。レニングラーツキー駅から出る路線の終着駅はレニングラード、ヤロスラフスキー駅の場合はヤロスラブリなのだ。従ってモスクワの街の周囲には地方都市の名の付く駅がいくつもある。行き先と駅名が一致するのは、考えてみれば面白い発想だ。青森行きの列車が出発する上野駅が青森駅と呼ばれるようなものである。

ヤロスラフスキー駅(左端はコムソモーリスカヤ駅)   Google Map
開業年:1862年(コムソモーリスカヤ駅は1952年)
Wikipedia > ヤロスラフスキー駅コムソモーリスカヤ駅 (環状線)
カザンスキー駅   Google Map
開業年:1864年

 広場はこれらの駅に来る人々のためのバスターミナル及び駐車場になっている。日本の駅前広場のように、ラインや植栽で仕切られているわけではなく、舗装されただけのだだっ広い場所になっていて、横断歩道さえよく分からない。

レニングラーツキー駅   Google Map
完成年:1851年
Wikipedia > レニングラーツキー駅

 しかし周囲の建物が立派だと、これはこれで良いような気がしてくる。後にロンドンやパリの駅も見たが、そちらでも必ずしも緑地やモータープールは設けられていない。駅前広場の使い方はおよその仕分けがあるだけで、その他は暗黙の了解でフレキシブルに使われているようだった。よく考えてみると、実はその方が合理的な使い方であるような気もしてくる。ただそれはやはり、広場と周囲の建物の関係の中で出来上がることであり、絵になる建物あってこそのものなのかもしれない。

レニングラードホテル   Google Map
建設年:1953年
階数 :17F
高さ :136m
部屋数:329室
Wikipedia > ホテル・レニングラード

 広場の端には、モスクワ7大塔状高層建築の一つであるレニングラードホテルがそびえている。ホテルの質は知らないが、目立つし気になるスターリン・ゴシック様式の超高層建物だ。136mという高さは7つの中では一番低いというが、やはりランドマークであることにはかわりがない。またそんな高い建物であるにも関わらず17階しかないのも、シンボル性を重視した建物ならではだ。

ノーヴィ・アルバート通り(新アルバート通り・旧カリーニン大通り)の高層アパート   Google Map

 コムソモーリスカヤ広場から再びバスに乗って、アルバート通りへ向かう。

ロシア連邦政府庁舎   Google Map
(ベールイ・ドーム、旧ロシア最高会議ビル)
建設年:1981年完成(1965年着工)
Wikipedia > ベールイ・ドーム

 モスクワ川沿いを走っているときにロシア最高会議ビル(当時)(別名:ホワイトハウス)のそばを通る。このビルは、翌年、クーデターが起こったとき、反乱軍が立てこもったため戦車砲撃されて焼けてしまった。正面から見ると巨大でシンメトリーな建物からは独特な威圧感が感じられる。
 コメコンビルのそばも通ったが、こちらは写真に収めることができなかった。コメコンという機関はその後、事実上解体してしまったので、写真を撮りそびれたのはちょっと残念だった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#広場  #鉄道  #塔  #高層ビル  #官公庁  #オフィス 
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モスクワ地下鉄巡り

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 09:00 市内の地下鉄2号線チアトラリナヤ駅付近でバスを降り、ここから地下鉄に乗る。(以下、途中の乗換駅等の詳細ははっきりしない。写真がどの駅のものなのかも一部分からないが、帰国後、資料やWEBで調べて判明した事をもとに記載する。)

 モスクワの地下鉄は駅が壮麗なことで有名だという。ターニャさんの案内で地下鉄巡りをすることになる。駅入口は天井が高いホールになっていて、日本の地下鉄のような、地下に入っていく狭苦しさがない。

地下鉄2号線チアトラリナヤ駅(Teatralnaya)   Google Map
1938年開設(手前の建物)。駅名は周辺に劇場が多いことから。
Wikipedia > Teatralnaya (Moscow Metro)(英語版)

 切符売り場に自動販売機はない。窓口でおばさんから1RBでトークンと呼ばれるコイン状のものを買う。私達に体験してもらうために、何と言ってトークンを買うか、ターニャさんが教えてくれる。
 ソビエト崩壊後、物価は急上昇しているが、地下鉄は国営であるためか未だに1RBのままだ。日本円に換算すると0.4円で、モスクワ地下鉄の全路線・全区間に乗れてしまうそうだ。これだからこの国の金銭価値感覚は理解できない。トークンを入れて改札を通る。ただ同然のものなので、トークンを2枚買い、1枚は記念に持ち帰ることにする。

 そういえば公衆電話も受話器を上げるとそのままつながってしまうらしい。物価事情にあわせて通話料金を取ろうとすると、紙幣でないとダメだからだという。日本のように電話機をプリペイドカード化する資金はないらしい。だからといって無料になってしまうあたりがすごい。

チアトラリナヤ駅構内の通路

 エスカレーターで地中深く降りて行く。モスクワの地下には、地下鉄路線から派生して、巨大な地下都市とも呼べる施設があることが、後日新聞に載っていた。地下鉄の深さは地下30mほどだそうで、そのようなものがいかにもありそうだ。

 通路はヴォールト状になっているが、やはり閉塞感が感じられる。だが、安くて便利な公共交通機関であるため多くの市民が利用しており、通路はかなり混雑している。天井からの明かりが白熱灯である場所も多く、暖かい雰囲気なのが魅力的だ。自慢の地下鉄だけあって電球が切れていたりしないのも嬉しい。日本の地下鉄のようにあちこちに広告が貼ってあるなどということはなく、ひたすら建築空間としての駅を見ることができる。
 ホームには大理石の列柱が並び、通路の壁は一面にモザイクタイルが貼ってある。またヴォールト天井にも様々な彫刻が施されている。

 ホームの端のトンネル入口上部に減算式のデジタル時計が付いている。あと何分何秒で電車が来るということを表示しているようだ。しかしあちこちで待たされることの多いロシアで、地下鉄だけにそのようなものが必要かどうかははなはだ疑問だし、第一それほど正確に地下鉄が運行されているのかも定かではない。

 ほどなく列車がやってくる。給電方式は第三軌条によるものだ。車輌も昔の銀座線や丸の内線のようなものだ。車内は相当混雑していて、この時は200%近い混雑率だった。

 2号線マヤコフスカヤ駅で一時下車して、駅構内を見学。この駅はアールデコ調の装飾で飾られている。

マヤコフスカヤ駅(Mayakovskaya・1938年開設)   Google Map
Wikipedia > Mayakovskaya(Moscow Metro)(英語版)

 マヤコフスカヤ駅の名は、ロシア・ソ連の詩人、ウラジミール・マヤコフスキー(1893~1930)にちなむ。

ホーム天井のモザイク画

 ヴォールト天井にはいくつもの楕円形のスペースがあり、その一つ一つに、ソビエト建国にまつわる出来事に関するモザイク画が描かれている。ここまで見てくると、これが観光に値するだけの立派な施設で、モスクワっ子自慢の場所であることがはっきり判ってくる。

 ベラルースカヤ駅で環状線に乗り換える。モスクワの地下鉄路線のうちの一つは、東京の山手線のように旧市街地周辺を環状に走っている。そしてこの環状線上のいくつかの駅は、地方都市への長距離列車ターミナル駅にも接続している。ベラルースカヤ駅の名はベラルーシ共和国へ向かう駅の近くにあることから。

ベラルースカヤ駅(Belorusskaya・1952年開設)   Google Map
Wikipedia > ベラルースカヤ駅環状線(モスクワ地下鉄)

 乗り換え通路は不思議なほど狭く、天井が低い。車輌の上をかすめるように、ヴォールト上部の空間を通路が交差している。面白い景色だが、これは狙って作ったのだろうかと不思議になってしまう。

 駅ごとにデザインが異なり、ここはまた別のデザインで構内が飾られている。ただ、駅によっては照明が薄暗く、歩いている人の表情が分からないほどだったりすることもある。

 環状線ノヴォスロボーツカヤ駅でまたまた一時下車して、駅構内を見学。

ノヴォスロボーツカヤ駅(Novoslobodskaya・1952年開設)
   Google Map
Wikipedia > ノヴォスロボーツカヤ駅

 こちらの駅では壁面の美しいステンドグラスを見ることができた。

 環状線コムソモーリスカヤ駅で下車。

コムソモーリスカヤ駅(Komsomolskaya・1935年開設)   Google Map

 ツルツルに磨かれた大理石の壁に明かりが反射している。

コムソモーリスカヤ駅・ホーム
Wikipedia > コムソモーリスカヤ駅(ソコーリニチェスカヤ線)
      コムソモーリスカヤ駅(環状線)

 ここの駅のホームは広く、軌道、ホーム、軌道と、3連のヴォールトになっている。真ん中の大きなヴォールト天井からは、立派なシャンデリアが吊り下げられている。地下宮殿とまで言われるだけのことはある。途中の通路にもステンドグラスがあり華やかだ。

 このコムソモーリスカヤ駅で地上に出て、今回のモスクワ地下鉄巡りは終了。いくつかの駅を見て回ったが、いろいろなデザインがあって興味深かった。地下鉄巡りなんて変な観光だなと最初はちょっと思ったが、それがモスクワ名物であることもよく分かった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#鉄道  #地下  #スターリン様式 
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レーニン丘

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 再びバスに乗って今度はレーニン丘へ向かう。

ドルジバ多目的アリーナ   Google Map
Wikipedia - Druzhba Multipurpose Arena
Wikipedia - ロシア科学アカデミー

 丘を上る坂の途中で、車窓にドルジバ多目的アリーナとロシア科学アカデミーの建物が見えた。アリーナはギヤを伏せたようなコンクリートのごついドームで、奇妙な形でやや格好良くない。一方、ロシア科学アカデミーは20F程度の高層建物で、頂部に金色の鳥かご状のもの(アンテナ?)が付いている不思議な建物。でも両方とも、一度見ると忘れないようなインパクトがある。

 あとあとネットで調べたところでは、ドルジバ多目的アリーナは、1980年のモスクワオリンピックでのバレーボール会場として建設されたものだそうだ。また、施設の名称は、英語ではDruzhba Multipurpose Arena、ロシア語では、Универсальный спортивный зал "Дружба"で、Дружба(ドルジバ)は「友情」の意味だという。

 レーニン丘の展望台でバスを降りる。

 高台は風もあってやはり寒いが、モスクワ市街を一望できてこれは素晴らしい。早速パノラマ写真を撮る。

レーニンスタジアム   Google Map
Wikipedia - ルジニキ・スタジアム

 眼前に見えるレーニンスタジアムは、西側がボイコットしたことでも記憶される、モスクワオリンピックのメイン会場である。広大な公園にいくつかの施設が点在しているのが見える。なお、レーニンスタジアムはソビエト連邦の崩壊後、ルジニキ・スタジアムという名称に変更されている。

 モスクワに7つあるという尖塔状の超高層建物もいくつか見える。慣れればそれらの位置で方角や現在位置が判るのだろう。周囲に塔を建てたのは街の守りという感じで、結界を作るような感覚で、角櫓を建てるのにも似ている。スターリンのような独裁だからできたことかもしれないが、やや呪術的性格も持っており、且つランドマーク的発想でもあり興味深い。

モスクワ大学   Google Map
Wikipedia - モスクワ大学

 街を見下ろす私達の背後には、広場の向こう側にモスクワ大学の塔がそびえている。かずある尖塔の中でも、この塔は左右に小塔を従えた堂々とした造りで目を引く。頂部にひときわ高く赤い星を戴くその姿は美しく立派で、ロシアの最高学府としての威厳を持つ建物だ。できれば建物の足下まで行って、下から見上げてみたいところだったが、時間が無くてそれはできなかった。今考えてみるととても惜しい。

 夕暮れが近づいてくる。本日はここまで、ということで、ホテルに戻ることにする。

ベルナツキー通りの高層ビル   Google Map

 バスに乗って幹線を走っていると、20F建て程度の超高層オフィスが、3棟、点々と並んでいるのが目に付く。近代的だがどこかモニュメンタルな雰囲気が漂う姿だ。

 18:00 ホテルに帰着。ホテルの客室は8F4号(0804)だった。TVも冷蔵庫もしっかり使えて、CNNなども見られる。ツインに私一人になってしまったので、ちょっと退屈な気もしたが、とりあえず広々として気持ちよい。

 19:30 夕食。時差ぼけで眠い。食事をとるので余計に眠くなる。I氏は一言、眠いと言って、食事もそこそこに部屋に戻ってしまった。ロシアの夕食は軽いので、僕はとりあえず食事だけはしておいた。食後、明日の計画をたてようとしたのだがやはり非常に眠くて、21:00には早くも就寝してしまったのだった。

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赤の広場

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 赤の広場の入口でバスを降りる。モスクワ川とこれに架かるウスチンスキー橋、そしてモスクワに建つ7つの超高層ビルの一つであるコテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート(Google Map)が、どんよりした空の中にぼんやり見えている。

スパスカヤ塔とクレムリン外壁

 午前中はいきなりクレムリンの中に入ってしまったが、今度は赤の広場側から壁越しにクレムリンを望むことになる。広場の周囲にはレーニン廟、クレムリン、聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー大寺院)、グム百貨店、歴史博物館などの壮麗な建物群が立ち並ぶ。

聖ワシリー大聖堂   Google Map
Wikipedia - 聖ワシリー大聖堂

 聖ワシリー大聖堂は、モスクワの映像で必ずといってよいほど現れる、カラフルなネギ坊主が沢山付いたあの寺院だ。

 時間とかの都合で、中には入れなかったが、あやしのその巨大な姿を見ることが出来て感動したのだった。

グム百貨店   Google Map
Wikipedia - グム百貨店
グム百貨店東南側の建物

  赤の広場   Google Map
  クレムリン(左)、レーニン廟(中央)と、ニコリスカヤ塔、国立歴史博物館(右)
  Wikipedia - 赤の広場

 赤の広場は想像以上に広い。幅もかなりあるが、なにしろ長い。ここで革命記念日に戦車やミサイルを伴って軍隊が行進し、赤一色になるのは確かに強烈な光景なのだろうなと思う。そしてそれはTV中継されてこれまで世界の人々に脅威を与えてきたのだ。

 しかし普通の日の赤の広場は人影もさほど多くなく、観光者ばかりだ。その雰囲気は日本の皇居前広場と似ていなくもない。後年、中国の天安門前広場にも行ったが、首都の中心部には何らかの形でこのような場所があるものなのだなと感じる。

 広場からはクレムリンの城壁越しにロシア連邦大統領府が見える。ドーム状の屋根の頂部には白青赤の三色旗が翻っている。広場にて記念写真を撮る。我々日本人はまさかこんなに寒いとは思ってもいなかったので、一様に寒そうにしていたが、地元のターニャさんは慣れているのとちゃんと準備しているので何ともないようだった。

赤の広場から、クレムリンのスパスカヤ塔
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Field調査 新旧比較写真6

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

スターリン様式の建物  Google Map

 スヴェトランスカヤ通りを東の方まで行くと、いわゆるスターリン様式の行政関係の建物(KGB沿海州オフィス?)や、柱頭に朝日や船の飾りのある建物を見つける。しかしこれらの詳細は判らないままだった。

柱頭に朝日や船の飾りのある建物  Google Map
朝日や船の飾りがある柱頭部分

 古写真に教会が写っていたので、教会を探すが似たようなデザインのものが見つからない。最初の頃にもいちど行った軍事博物館(旧ドイツ教会・ルーテル教会)へ再度行ってみたが、残念ながら異なるようだった。

軍事歴史博物館  Google Map
建設年:1909年
旧ドイツ教会、現在(2013年)はセントポールルーテル教会

 2013年になってGoogle Map上でPanoramioの写真などを検索したら、この建物に関してもロシア語の情報を得ることができた。ロシア語はさっぱり分からないので、Google Translateで翻訳。機械翻訳の妙な日本語を読み解いておよそ以下のことが判明。20年前に不明だったことが今頃になってようやくおよそ分かったのだった。

 しかし、教会を軍事博物館にしていたというのは、なかなかスゴイ。日本でお寺がそんなことになってる話は聞いたことがない。無宗教の共産主義ならではの話なのかも。


 セントポールルーテル教会は、ドイツ人信者らの資金により地元の起業家によって建設され、1909年に完成。ウラジオストクに現存する最古の教会建築で、ロシア極東では珍しい後期ゴシック様式で建てられている。

 教会は1934年まで活動していたが、1935年に建物が海軍に移管され、軍のクラブ建築となり、1951年からは約半世紀にわたりソビエト太平洋艦隊の軍事歴史博物館となっていた。

 ソビエト崩壊後の1997年に、建物はロシア太平洋艦隊司令部からルーテル教会の人々に引き渡された。博物館は新しい場所に移動し、教会の庭にあった大砲などは取り除かれ、建物は修復作業が行われた。さらにその後、ドイツで造られた鐘が取り付けられた。

TVIL(ウラジオの宿泊予約サイト) > ウラジオの観光スポット
  > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語)
Otzovik(ロシアの口コミサイト)レビュー > 旅行・観光 > ホテルやツアー > ロシア > ウラジオストク
  > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語)
1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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1992-01-10 | 記事一覧 
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Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
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