都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

銀座松坂屋

2022-03-15 | 中央区  
松坂屋銀座店
所在地:中央区 銀座6-10
構造/階数:RC/7+R1+B1F
建設年:1924(大正13)
解体年:2013(平成25)
備考 :2013.6.30 閉店
Photo 1992.3.8

 関東大震災後の1924(大正13)年に建てられたのは、北側の約3分の1の部分だったようだ。「松坂屋銀座店の歴史」を見ると、当初はクラシックなビルでコーナー部に塔屋があったことが分かる。また、解説文には、黒光生命保険(現 第一生命)からのビル賃貸申し入れを機に出店を具体化させ、建設工事を進めたとある。当初は黒光ビルという名だったという話もあるが、この説明からすると、最初から百貨店として賃貸する予定でビルを建てたようだ。

 戦災で大半が焼失したが、戦後の1952(昭和27)年に全館が完成。更に1964(昭和39)年にA.レーモンドの設計で、旧館部分を建て替えるなどの増改築を行ったという。また、1996(平成8)年にも外装を改修している。

 上写真は1996年の外装改修以前のもの。この頃までは、屋上に同社のマークを戴くシンボルタワーがあった。


 1963(昭和38)年の銀座通り

 2枚目写真は知人から頂戴した写真で、銀座通りを走るバス車内から撮影したもの。左側が松坂屋、右側には小松ストアーやヨシノヤ靴店の看板も見える。上にも記したように、この頃、松坂屋は増改築を行っていて足場や工事囲いで囲まれていた。


 Photo 1993.11.21

 北側コーナー分の3階から上と袖看板は、1996年の改装でも変わらなかったようで、最後の頃の様子とあまり違わない。階段室の灯りは白熱灯だったようで、ネガフィルムの色温度特性の関係もあり、オレンジ色に写っている。


 Photo 2005.6.12

 1996年までは網が掛かったような外観で、ややもっさりした印象だったが、改装でコントラストがはっきりしたグリッド模様になり、少し新しめのモダンな雰囲気になった。またこの時期以降、北側コーナー部分がGUCCIやFOREVER 21など人気ブランドの路面店になった。このため全体の統一感はやや失われることになった。


 Photo 2013.7.2

 松坂屋閉店直後の頃の全景。GINZA SIXは中央通り東側の2ブロックを使って建てられたので、写真手前の2棟も解体された。


 北側階段室 Photo 2009.1.18

 2000年代に照明が電球型蛍光灯に変えられたようで、階段室はクールな印象になった。冬場などはやや冷たい感じで、これが良かったのかどうかはわからない。


 Photo 2009.1.18

 上から見ると窓越しに銀座の街を歩く人や車が見えるのがよかった。


 店舗裏(東側)の通り Photo 2013.7.2

 こちらは搬入口などになっており、やや雑然とした様子。GINZA SIXを造る際、この区道は廃道にされ、同所には車輌用通路がビルを貫通する形で造られた。


 Photo 2013.7.2

 別館とのあいだには渡り廊下があった。


 Photo 2013.7.2

 こちらは従業員用の入口だったのだろうか。

松坂屋銀座店 - Wikipedia
松坂屋銀座店の歴史
銀座松坂屋/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
銀座松坂屋:都市徘徊blog - 2019.7.30
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正金アパート その2

2022-03-12 | 中央区  
正金アパート
所在地:中央区 新富1-17
構造・階数:RC・5+R1
建設年:1931(昭和6)
解体年:2015(平成27).4
Photo 2006.1.28

 内部に入ったのはいちどだけ。この頃はまだ居住者も多かったようで、昼間でも人の気配がかなりあり、むやみに歩きまわるのがためらわれたので、2階にしか行かなかった。他の方の記事では屋上階に洗濯場などがあったようだが、それは見ずじまいだった。上写真は2階の手前から。


 2階

 中廊下型で中庭側にも数軒があったようだ。ピンクの公衆電話やお知らせ用の黒板もあった。火災報知器、消火器、非常口のサインなど、防災関連は比較的しっかり対応していたようだ。


 2階から3階への階段

 階段を意識した窓割になっていないので、窓が足元と頭上にある状態になっている。


 玄関内側

 古い建物なので内部はやや薄暗く、ヤニで茶色になっていたが使えなくはない状態。ただ、銀座の近くにこの状態のアパートメントがあるのは意外な感じ。


 階段の手すり

 上側と下側が別々ではなくクロスしているのと、折り返し部分の支柱が天井にまで達しているのはやや珍しい。


 玄関脇の郵便受け

 昔のものなので、A4サイズなど大型の封筒には対応していなかったようだ。


『オカシミと寝落ち』(かつて入居していた方の再訪記)
  > さようなら。お化けアパート。【正金アパート】
  > さようなら。正金アパート。その2【今までで最長かも】
収蔵庫・壱號館正金アパート
アクトデザイン凛太郎のブログ新富町散策 Ⅰ 正金アパート
正金アパート/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
環境デザインマニアック2013〜2020 消えゆく東京正金アパート
正金アパート - 東京ノスタルジア

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文化学院

2022-02-24 | 千代田区 
文化学院
所在地:千代田区 神田駿河台2-5
構造・階数:RC・4
建設年:1937(昭和12)
解体年:2006(平成18)
Photo 1988.11.1

 御茶の水近辺を知る人の多くが記憶している建物。文化学院といえば、やはりこの玄関アーチがシンボルだった。

 文化学院については、解体中の2006年8月11日にも採り上げているので、その際の文を再編、加筆して以下に掲載する。

 表現派的な玄関アーチはデザイン上の大きな特色だが、実はその他には装飾的なものはあまりない。表通り側では3階にバルコニーがあるのがちょっと目立つ程度で、これとて夏場になれば街路樹の緑に隠れて気づく人も少ない。確かにクラシックなカレッジの雰囲気を持つ建物なのだが、建築デザインとしては、一部に放物線も使ったアーチ玄関が目立つこと以外にはさしたる特徴が無いように見える。


 Photo 1988.11.1

 壁面には一面に蔦が絡まっている。この年期の入り具合が存在感に繋がっていた。


 Photo 2005.3.25

 薄暗いアーチの途中に建物(学校の事務所など)への入口があるのも印象的。


 Photo 2002.2.24

 アーチを抜けていくと、右側にも上階への階段がある。そして奥には中庭が見えている。


 Photo 1995.7.22

 通り沿いの校舎の下を潜り抜けると四角い中庭に出る。周囲の校舎から声をかければ話ができるぐらいの手頃なサイズの中庭は、学生の溜まり場であり、小さいながらもキャンパスというものを感じさせる重要な空間だったに違いない。周辺の建物が次第に大きくなっていく中で、ボリュームとしては埋もれがちだったが、それにも関わらず一定の存在感を保ち続けてきた。個性的な卒業生を多く輩出したという伝統から来る存在感も勿論あるのだが、そういう個性を育んだ建物、空間だったのだろう。

 通り沿いの校舎は、北側には大きなガラス窓のある開口部が設けられていた。ここはデッサン室とかだったのだろうか。クラシックな印象のある建物だったが、このあたりは近代的でモダンなデザインだった。

文化学院 - Wikipedia
美術と文芸の専門学校|文化学院(2018年閉校)
与謝野晶子が教えた文化学院が閉校 有島武郎らも教壇に:朝日新聞デジタル

文化学院/神田駿河台2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
文化学院 取り壊し決定 - Anthology -記憶の記録-
続続・文化学院の由緒ある建物が消えてしまう : 本の人生 本との人生 末端古本屋雑記帳

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九段下ビル(旧今川小路共同建築) その2

2022-02-21 | 千代田区 
九段下ビル(旧今川小路共同建築)
所在地:千代田区 神田神保町3-4
構造・階数:RC・3
建設年:1927(昭和2)
解体年:2012(平成24)
Photo 2006.1.27(記事中記載のないものは全て同日)

 内部にも入ったことがあるのでそれらの写真も記録として(居室には入っていない)。上写真は入口から2階への階段。

 記事中の写真が建物内のどの部分のものだったかは、昔のことでもあり記憶が定かでない。ただ、前の記事でも記したが、1階が店舗で2階は店主の部屋、3階は一般の賃貸住宅だったという。また下記、土木学会の資料内にある平面図から考えると、東西に貫通した廊下は3階だけだったようだ。従って、廊下の写真は3階だったのだろう。


 3階の廊下

 1階の店舗は最期の頃まで営業していたので、そちらは外観も店内もきれいにされていた。また使われていた部屋の中は改装されたりして、掃除もされてそれなりにきれいだったのかもしれないが、階段や廊下、屋上といった共用スペースはあまりメンテナンスされておらず、2000年代に訪れた頃にはかなり傷んだ状態で、まるで廃墟のようだった。

 廊下の天井は、モルタルが一部剥落して天井裏が見えていた。

 共用トイレの扉が開きっぱなしで、階段室からトイレが見えている。壁の塗装は剥げ、鉄製手摺は錆びていた。

 一部の階段は荷物かゴミで埋まり、屋上へ上れない状態。

 この階段室には洗面があった。

 老朽化してくすんではいたが、この洗面は多少利用されていたらしく比較的きれいだった。

 一方、トイレはかなりマズイ状態。このような建物で働いたり住むのはやはりためらわれてしまう。

 屋上はいろいろなものが溜まって散乱した状況。

 屋上への出入口だったのか、屋上の倉庫だったのかも分からない状態。

 東日本大震災の後、耐震性が保証できないとして解体が決まり、九段下ビルは2012年に解体された。その後、しばらくは駐車場になった後、ここには専修大学の新校舎が2020年に竣工している。


 跡地に完成した専修大学神田キャンパス新校舎(10号館)
 Photo 2020.6.23


 九段下ビルは震災復興建築としての歴史的価値はあったが、定期的な手入れがされていなかったらしく、かなり傷んでいた。鉄筋がむき出しになって錆びるところまでにはなっていなかったようだが、あちこちの天井や壁が剥がれ、トイレや洗面も傷んでいる状況ではかなり修繕をしない限り再生は難しい。電気関係も貧弱だろうし上下水道の管などもボロボロだっただろう。それら全てを取り換えて耐震補強もするとなると、建て替えとあまり変わらない費用が掛かってしまうかもしれない。かなりの補助をしない限り、所有者だけで改修するのは無理なように感じられた。

 自治体が買い取ったり、所有者が寄贈すれば存続もできたかもしれないが、装飾がきれいな洋館とかではないどちらかというと地味な居住兼用店舗+オフィスで、結構傷んでいる状況では、やはりなかなか残せないのかもしれない。

 ところで、個人的には古い建物は好きだが廃墟はさほど好きではない。外観だけで十分。本当は廃墟などではなく手入れして使われている方がいい。以前の記事の原美術館や旧相互無尽会社本社などは内外が共にきれいだっただけに惜しかった。その意味で九段下ビルは微妙な建物だった気がする。

九段下ビル - Wikipedia
土木学会図書館|土木建築工事画報|第4巻11号 - 04-11-0923.pdf
九段下ビル - 廃墟系
九段下ビル取り壊しへ〜ビルの内外 - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's
九段下ビル内部潜入〜神田神保町 | 東京街歩き〜旅と車窓と徘徊の日々
東京の古いビル 九段下ビル - 御光堂世界~Pulinの日記 九段下ビル/神保町3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
九段下ビル(旧 今川小路共同建築)
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #オフィス  #商業系 
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原美術館(原邸)

2022-01-06 | 品川区  
原美術館(原邸)
所在地:品川区 北品川4-7-25
構造・階数:RC・3
設計 :渡辺仁
建設年:1938(昭和13)
解体年:2021(令和3)
備考 :美術館は1979(昭和54)開館
Photo 2017.2.16

 原美術館一帯は明治・大正期の実業家の原六郎が購入した土地。その一角に養子の原邦造が1938(昭和13)に自邸として建設したのが、後に原美術館となった建物。設計の渡辺仁(1887〜1973)は、銀座の和光、有楽町の第一生命館、横浜のホテルニューグランドなどの設計でも知られる建築家。
 戦後の一時期はGHQに接収され米軍将校の宿舎となった。接収解除後は外務省公館、フィリピン大使館、セイロン(現 スリランカ)大使館になったが、その後は10年以上使われなかったという。
 そして原邦造の孫である原俊夫が、1979年にこの私邸を現代美術専門の原美術館とした。

 L字型平面の建物は、最初からそうするつもりだったのではないかと思うぐらい美術館に合ったデザインだったように思う。門を入ってアプローチの道を行くと車寄せ。水平なスラブが突き出しているだけの比較的シンプルな姿がモダン。先端側の支柱は板状で縞々の石材?の模様がきれい。

 西側は平屋、弧を描いた南側は2階建てで、部分的に3階建てになっている。屋上の一部にはコンクリート製のフレームもあり、玄関付近から見るとそれらが立体的に重なり、さまざまな様相を見せている。


 Photo 2013.9.29

 玄関南側の壁面には細めの柵が付いた小窓が田の字型に並ぶ。


 弧を描いた南側壁面 Photo 1989.4.7

 やや大きな四角い窓が並ぶ姿もモダン。奥の方で張り出しているのはサンルームとかだったのだろうか。


 中庭側の様子  Photo 1989.4.7

 当初はカフェテラスも小さく、写真右手の壁面には撤去された部分の痕跡も見えていたりした。その後、カフェテラスは増築され右手の壁面もきれいにされた。閉館直前の頃の様子は下記リンク先の記事で見ることができる。


 屋上から Photo 1989.4.7

 2階の屋上に出られるのも魅力的だった。なにかができるわけではない。現代美術の作品がなにげなく展示されているだけだったが、普通とは異なる視点から建物や庭を眺められ、開放感を味わえるのはシンプルに楽しかった。


 玄関 Photo 2013.9.29

 玄関扉は鉄製。立派な建物だったが過剰な装飾はなくモダンそのもの。


 階段室 Photo 1989.4.7

 滑らかな曲面の白壁に黒い石材の側壁がコントラストを成しており、緩やかな曲線を描いて上に伸びる手摺や間接照明が美しい。


 敷地入口の門 Photo 2017.2.16

 門も比較的簡素な造り。塀は日本瓦が載った白壁で、ここは和風の雰囲気だった。


 敷地外周の塀 Photo 2013.9.29

 原六郎邸は戦後は分割されて縮小したようだが、原美術館の敷地はそれでもかなり広く、西側の道には塀が長く連なっていた。

 約40年間現代美術の拠点となっていた原美術館だったが、建物の老朽化とバリアフリーへの対応が困難だったため、2021年1月に閉館。その後、残念ながら解体された。

惜しまれつつ閉館した原美術館 その知られざる歴史とこれから - TOKION
原美術館 - Wikipedia原六郎 - Wikipedia原俊夫 - Wikipedia
渡辺仁 - Wikipedia

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#失われた建物 品川区  #モダニズム  #近代建築  #住宅系  #戸建て住宅 
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日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #眺望  #山  #塔  #橋  #現代建築 
#屋内階段  #隈研吾 
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早稲田大学 旧3号館 その2

2020-01-20 | 新宿区  


 正面玄関扉と玄関内の小窓

早稲田大学旧3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC造・4F
設計 :桐山均一(早稲田大学営繕課)
解体年:2011(平成23)
備考 :2014(平成26)に新3号館が完成
Photo 2007.9.20(以下すべて同じ)

 学校建築なので壮麗な装飾が内部にあるわけではないが、クラシックな建物らしいデザインが各所に見られる建物だった。記憶が曖昧だが、以下3枚は2階の廊下の様子。南側と北側で建設年が少し異なり、両者を結ぶ部分もあるため、廊下のデザインも場所によって異なっていたようだ。

 幅木の部分は大きめのタイル。床も石のように見えるが左官仕上げかと思われる。

 別の場所では1.2mほどの高さまで木製の板が腰壁として張られている。手前には丸柱が廊下に張り出している。ここの床はリノタイルだろうか。

 さらに別の場所は、ほとんど装飾がなくちょっと素っ気ない感じ。左側は給湯コーナーのようだが、後から廊下の途中に造ったのだろうか。衝立で区切った奇妙なものになっている。


 階段室

 この階段は高い位置までタイル張りの腰壁が立ち上がっており、床もタイル張り。階段わきにはトイレがあった。


 4階から階段室

 なじみのない建物だったので、この階段室がどこにあったのか、中庭側と外側どちらの側だったのか覚えていない。踊り場の角はカーブを描いていて、最上階では天井から灯りが吊されていた。


 階段室見下ろし

 このようなタイル張りの階段は、建物内では最近はあまり見掛けない。


 階段手摺

 上3枚の階段とは別の位置にあった階段。こちらは3枚の板を重ねたような手摺。この手摺のデザインは現在の建物でも再現されている。


 消火栓と火災報知器

 電気系は建設当初はあまりなかったので、壁にはたくさんの配線パイプなどが張られていた。スプリンクラーなどではなく、壁面にホースを収納した消火栓。これも古い建物ではときどき見られるもの。

都市徘徊blog > 早稲田大学3号館つづき

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#桐山均一  #近代建築  #屋内階段 
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三信ビル その3

2019-12-12 | 千代田区 


 Photo 2003.12.29
 2Fヴォールト天井を支えるアーチ部分の装飾と照明。アーチ部分にも八角形のテラコッタが埋め込まれている。

三信ビル
所在地:千代田区有楽町1-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・8F+B1F
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
解体年:2007(平成19)


 Photo 2002.12.07
 アーケード上部に置かれた彫刻類も面白い。2階アーケード脇の装飾。右端が間接照明のボックス。そのすぐ脇に、鳥の彫像。アーチ部分にはテラコッタの六角模様が付いている。塗装・補修されていて綺麗。このテラコッタと鳥の彫像は解体時に保存され、新築の東京ミッドタウン日比谷内のアーケード空間に再利用されている。


 Photo 2002.12.07
 1階洗面台。トイレの近くの壁面に何気なく造られている。この頃は使われておらず蛇口もなかった。壁面のモザイクタイルが可愛らしい。


 Photo 2003.12.29 1F側面の出入口
 真鍮の取っ手と欄間の色ガラスがクラシックでよい。


 Photo 2003.12.29 1F端部の階段室脇のオフィス。
 夕暮れ時に訪れると、様々な照明が建物内部を彩り美しい。


 Photo 2003.12.29
 B1F階段室の手摺回りのデザイン。大理石の礎台の上にカットグラスの飾りが付いている。もしかするとこの上に、更に照明か何かが付いていたのかもしれないが、その辺は不明。


 Photo 2003.12.29
 B1Fと1Fの中間の踊り場の手摺。単純に斜めにつながず、カーブと水平を組み合わせた個性的な造形になっている。

Wikipedia > 三信ビルディング

三信ビル/有楽町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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三信ビル その2

2019-12-10 | 千代田区 


 Photo 2000.12.25 1階アーケード

三信ビル
所在地:千代田区有楽町1-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・8F+B1F
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
解体年:2007(平成19)

 2層吹き抜けのアーケード商店街が非常に美しかった。半円形にEVが並ぶエレベーターホールも優美。地下商店街をも持つ当時としては先進的なビルだった。


 Photo 2000.12.25
 ヴォールト天井が教会のようでもある。天井に間接照明があたり、クラシックで上品な印象。


 Photo 1988.12.20 2階通路から
 アーケード2階には吹き抜けを取り囲む通路があり、1階部分を見下ろすことができる。行き交う人々をぼんやり眺めるのも楽しい。


 Photo 2002.12.07
 2階へ上る階段から1階エレベーターホール。エレベーターの扉が半円形に並んだ美しいホール空間。


 Photo 2000.12.25
 昔はエレベーター扉の上部に針式の階数表示板があったらしい。また、エレベーターの脇には郵便用のダクトもある。気送管ではなく、ダストシュートのように手紙を下の方の階に落とす仕組み。


 Photo 2000.12.25
 1Fエレベーターの反対側の階段。二手に分かれるなかなか立派なもの。


 Photo 2003.12.29 
 2F中央の階段。2Fから上はオフィスなので人通りは多くなく静か。


 Photo 2003.12.29
 1Fと2Fの間の踊り場から1FのEVホール。左右対称のこの景色もちょっと贅沢な空間体験だった。


 Photo 2003.12.29 1F端部の階段室
 端部の階段室も、中央が小さな吹き抜け状になっており、比較的ゆったりしている。昔のオフィスビルはこういうスペースも贅沢だ。


 Photo 2003.12.29 地下1Fの商店街
 オフィスビル内に作られた商店街空間としては初期のものだったが、現在同様、地下鉄にも接続していた。

Wikipedia > 三信ビルディング

三信ビル/有楽町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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上野松竹デパート・上野セントラル

2019-04-08 | 台東区  
上野松竹デパート・上野セントラル
所在地:台東区上野公園1
構造・階数:RC・3+B
建設年:1953(昭和28)?
解体年:2012(平成24)
Photo 2008.6.1

 上野松竹デパートは上野百貨店(西郷会館)と並んで、上野公園東側にあった建物。1階が店舗、2階と地階に4つの映画館(上野セントラル1〜4)があり、3階は囲碁センターだった。

 2006年5月に上野セントラルは閉館し、撮影時点では、1階と3階だけに灯りが点っていた。


 Photo 2012.9.2

 その後も店舗等の営業は続いていたが、2012年8月末で上野松竹デパートが閉店。


 Photo 2012.9.2

 2012年9月はじめに訪れたら、まだ古本屋さんは営業していた。ただこれらの店や囲碁センターもこの直後に閉店したらしい。


 Photo 2012.9.2

 建物は2012年中に解体され、跡地には2014年に「上野の森さくらテラス」という飲食店ビルができている。

上野松竹デパート/上野公園 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 台東区  #映画館・ホール  #デパート・百貨店 
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