都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)

2021-02-17 | 中央区  
銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)
所在地:中央区 銀座5-2
構造・階数:SRC/8+B1+塔屋(当初)
設計者:佐藤功一、構造設計:内藤多仲
増改築設計:清水建設(内藤多仲指導)
施工 :清水組(増改築は清水建設)
建設年:1934(昭和9)
解体年:2012(平成24)
備考 :1966(昭和41)に増築。8+B4+塔屋となった。
Photo 2011.12.26

 建築当初はマツダビルディングという名だった建物。1階にはマツダランプのショールームがあり、また8階には横浜のホテルニューグランドが出店したレストランがあったという。そして2〜7階はオフィスだったそうだ。また当初は外堀通りと晴海通りのコーナー部に塔屋があった。

 以下のリンク先に竣工当時・戦前期の様子が掲載されている。当初はアールデコで垂直線を強調し、8階がセットバックした建物だった。

東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃

 1956年に数寄屋橋阪急が開店。そして1966(昭和41)年に大幅に増築・改装され、外観は全く異なるものになった。上写真の外堀通り沿いの壁面位置が途中から異なるが、この手前側が戦前期の部分で、後方が増築部分。コーナー部にあった塔屋も増築の際に撤去され、別位置の塔屋となったようだ。


 晴海通り、有楽町側から  Photo 2011.9.7

 私が知っているのはこの数寄屋橋阪急以降。様式建築的な装飾がないモダンな建物だったので、まさか古い建物を増改築して使っているとは思わず、写真も撮らずにいた。

 2004年にモザイク銀座阪急へ衣替え。その頃になってから、晴海通り側部分の躯体は建築当初のものも使っている建物だと知ったが、外観が新しい感じのデザインだったこともあり、にわかには信じられなかったものだ。


 Photo 2009.6.2

 2012年にモザイク銀座阪急が閉店し、その後、解体。跡地には東急プラザ銀座(11F+B5F)が2016年に開業している。

銀座TSビル - Wikipedia
第9回BCS賞受賞作品
銀座エリア・昭和なショッピングセンターめぐり(3)銀座TSビル・モザイク銀座阪急(旧数寄屋橋阪急、銀座東芝ビル)
東芝、銀座東芝ビルの売却発表 : 月刊旧建築
東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃|東宝映画「社長外遊記」|東京「あの場所は?」秘宝館

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス  
#デパート・百貨店  #佐藤功一  #内藤多仲  タグ一覧
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大隈講堂

2014-12-23 | 新宿区  
早稲田大学大隈講堂
所在地:新宿区戸塚町1丁目
建設年:1927(昭和2)
設計 :佐藤功一・佐藤武夫
構造設計:内藤多仲
備考 :重要文化財
Photo 2014.11.13

 キャンパス内の建物の窓ガラスの反射のため、この時は壁面の一部が帯状に極端に明るくなっていた。

玄関の照明  Photo 2014.11.15
玄関上部のテラコッタ装飾  Photo 2014.11.15
間接光が漏れる玄関部分  Photo 2014.11.15
Photo 2014.11.15
Wikipedia > 大隈講堂
#古い建物 新宿区  #夕景・夜景  #早稲田大学 
#近代建築  #大学  #花・紅葉  #映画館・ホール 
#佐藤功一  #佐藤武夫  #内藤多仲  #重要文化財 
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東京タワーから 1991/2009

2010-01-30 | 港区   
東京タワー・日本電波塔
所在地:港区芝公園4丁目
建設年:1958(昭和33)
設計 :内藤多仲・日建設計
高さ :333m
Photo 2009.4.12

 一年ほど前のことになるが、18年ぶりに東京タワーに上った。しばしば言われるように、東京に住んでいるとついつい東京タワーには行かない。そのうち行けばいいやとか思っている。で、気が付けば20年近く上っていなかった。でも、小さい頃から数えると何度かは上っているわけで、相変わらず典型的なお上りさんなのかも。

 大展望台の高さは150m。最近では都内のあちこちのビルより低い。下手するとマンションよりも低いわけで、そんな高さからの景色は、毎日見てますという人もいるかも。それなのに、820円。高いなぁ。都庁なんてタダだぞ。特別展望台(250m)はまた別料金なので行かず。同じ建物が別角度から見えてるだけだと思ってしまう。

 お天気の日曜の午後、東京タワーは大混雑。チケット売り場には60~70人が並んでいて、チケット買ってからエレベーターに乗るまで更に10分。満員のエレベーターは家族連れかカップル、そして外国人旅行者がほとんど。はとバスなどの観光バスも何台も来ていた。私のように一人で来てるやつなんて全然いない。観光地ってのはそんなものなんだけど。

 なぜわざわざ一人で東京タワーに上ったかといえば、18年前と比較して東京の街並みがどうなったのかが気になったから。手もとに1991年の大展望台からの写真がある。この時も別料金を払いたくなくて大展望台止まりだったが、それはともかく、さて東京タワーからの街並みはどうなったんだろうか。

うわっ!!!  凄すぎ・・・。

 手もとの写真をぼんやり見ているときには、あまり気が付いていなかったのだが、都心にはこの20年ほどの間に超高層ビルが100以上増えていたのだった。地上にいると、それらの建物の近くに行かなければ、変化に気づくことがないのだが、高いところに上ると、それらの全てが見えてしまう。また、文京区役所や新宿の東京都庁と違って、東京タワーは港区にあり、都心の開発の現場のすぐ近くにある。猛烈なスピードで超高層ビル開発が行われたことがはっきりと分かり、衝撃を受けてしまった。

 大半の観光客は、東京タワーは初めてだろう。二度目、三度目の人も、以前の景色と明瞭に比較する資料を持参していたりはしない。そのような中、私一人は、以前の写真と眼前の現在の景色を交互に見比べて、びっくらこいていた。なんなんだ、これは。

 1991年に上る少し前に、三田のNECや、虎の門のJT森ビルなどが建ち、東京タワーの周辺にも超高層ビルが増えてきたなぁとは思ったのだが、この16年間の変化はそんな程度ではないことは、今後の記事を見ていただければ分かると思う。

 比較写真を撮るのにも意外に苦労した。タワーから撮っているのだから大して位置どりには苦労するまいと思っていたのだが、対象となる建物がなくなっていたり、見えなくなってしまっているケースが非常に多く、一枚あたり何分もかかってしまった。写真と景色を何度も見比べて「なくなってる・・・。」とか「見えない・・・。」とブツブツ言ってるかなり変な人になってしまった。

 この項、つづく。

Cityscape of Tokyo   #塔  #東京タワー  #内藤多仲 
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谷津山の鉄塔

2007-03-26 | 静岡県  

 静岡の街なかには谷津山という小さな山があり、その頂上近くに二つの鉄塔が建っている。

谷津山の鉄塔 旧NHK静岡(JOPK)ラジオ送信塔
設計 :1930(昭和5) 内藤多仲
完成 :1931(昭和6)
Photo 2007.3.19(新幹線の車窓から撮影)

 新幹線で東京から静岡に到着する直前、右側に見える山が谷津山。二つの鉄塔も車窓からちゃんと見える。私にとっては、まもなく静岡駅到着だなという目印になっている風景でもある。
 谷津山は標高約100m。小さな子供でも簡単に上れる山というか丘で、私自身、小さい頃から何度も登ったことがある。街なかにあるので静岡市民にとって馴染み深い山で、頂上近くにある鉄塔も、皆が知っている。

谷津山頂上東側から Photo 1989.8.21

 現在は東海大学という文字が取り付けられている鉄塔だが、静岡生まれのお年寄りの多くは、これがもともとは、NHK静岡放送局によって設置された、ラジオ送信用アンテナであったことを知っている。コールサインはJOPK。静岡で初めてのラジオ放送が行われた歴史的施設なのだ。谷津山西側の清水山の麓には、清水公園という小さな公園があり、そこにはJOPKの放送記念碑(ラジオ塔)がある。音羽町だったか柚木あたりだったかは忘れたが、山の麓に最初の局舎が置かれたのだそうだ。

 静岡市の中心部にほど近い場所で、存在感を持ってたたずむ二つの鉄塔。だが、ネットで検索すると、意外なほど記載数が少なく、細かいことは分からなかった。ただ、「http://blog.livedoor.jp/helicamera/archives/50448993.html」には、現地視察の記録が載っていて、鉄塔・アンテナとしての機能や現状はなんとなく分かる。
 それによると「鉄塔の基部には「昭和6年製造」の銘板がある」という。また「左右の鉄塔の間にアンテナ線を渡し、丁度その中間から下に給電線を下ろす仕組みの旧式の中波ラジオアンテナで、その形からT型アンテナと言われることもある。」のだそうだ。現在は「給電ケーブルが切れていて」送信はされていないらしい。

 ただ、写真ではよく分からないが、今も二つの鉄塔の間には何らかの空中線があり、その途中から縦の線も下がっている。東海大学は、NHKが駅南の方にラジオ送信塔を建てた後に、この鉄塔を所有することになったという。そしてその後は、送信用ではなく受信用にこれを使っているという話も聞いたことがある。 私が小学生の頃は鉄塔本体に触ることもできたが、大人になってから訪ねてみたら、周囲が囲われていて近づけなくなっていた。詳細は不明だが、やはり何らかの方法で今でも使われているらしい。

 昭和の初期にラジオの送信塔として建設された鉄塔であることは昔から知っていたので、このへんまでは、ある程度、想定の範囲内。でも、これを設計したのが誰かなんてことは、静岡生まれの私でも今まで全く知らなかった。鉄塔だから、どこかの技術者が設計したのだろう程度にしか考えていなかった。

 ところが先日、本屋さんでINAX出版の本を立ち読みしていたら、思いもよらぬ記述を発見。塔博士、内藤多仲について書かれた「タワー・内藤多仲と三塔物語」という本なのだが、それに、静岡のラジオ送信塔も昭和初期に内藤博士が設計したものだと書かれていた。おおーっ!、内藤先生だったのかー!

 内藤多仲博士(1886~1970)は、耐震壁など耐震構造を研究した構造設計の大家だが、名古屋や札幌のテレビ塔、大阪の通天閣、そしてなんと言っても東京タワーを設計した、塔博士として知られる。全国で200以上の鉄塔の設計をしたとも言われ、ある意味、日本の近代の塔のイメージを創ってしまった人なのではないかと思う。子供が描く塔の形ってみんな、東京タワーみたいな形してたもんな。

 静岡のNHK鉄塔は、戦前のもので、ラジオ草創期の送信塔であり、内藤多仲設計の塔の中でも古い部類に属する。なんと言っても築76年。名古屋のテレビ塔(1954)は近代化遺産に指定されたようだが、それよりも更に20年以上古い。でも静岡市民は、内藤多仲博士の設計だなんてことは、ほとんど知らない。またこれが全国的に見て、ラジオ送信塔として古い方の部類のものだということもあまり知られていない。
 二本の鉄塔の間に空中線を張って、それを使って送信するというスタイルも古く、歴史的技術史的に価値があるものなのではないだろうか。1925(大正14)に東京の愛宕山で始められたラジオ放送の際の鉄塔も同じタイプ。東京の方は早々に無くなってしまったが、静岡にはまだ鉄塔が残っている。
 だが、現在、この鉄塔は文化財指定等は全くされていないようだ。静岡の人々は、第二次世界大戦の空襲をくぐり抜けて建ち続けているこの鉄塔の、近代化遺産としての重要性にもっと注目すべきなのではないかと思う。
 

 さて、話はかわるが、小学生の頃、学校で谷津山に関する唄を習ったことがある。
 今回、鉄塔の話を書いていて思い出したので、ネットで調べてみたのだが、詳細は全然分からなかった。メロディーは意外にハッキリ覚えているのだが、歌詞はあやふや。

 「あおい谷津山、お茶の山、みかんもぽつぽつ見えてます。峰はたかだか、陽はうらら。上ろよ上ろ、じゃんけんぽんよ、峰はたかだかお茶の山。」
 とかいう歌詞だった記憶がある。1番と2番がごっちゃになってるのかもしれないが・・・。
 曲名は「お茶の山」か「谷津山」だった気がする。
 でもあの歌は、もしかして私の通っていた学校だけで歌われていた曲だったのかしら??

 唄にもなった谷津山。山だけでなく、鉄塔も静岡市民にとって馴染み深い風景だ。静岡の誰もが知っている風景を成す、谷津山と鉄塔の風景を、これからも是非残して欲しいものだ。

静岡の建築静岡の街並み
#古い建物 静岡県  #街並み 静岡県  #眺望  #山  #塔  #内藤多仲 
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東京タワーが見える

2006-03-26 | 港区   

 JR田町駅から慶応大学へ向かって歩き、桜田通りの交差点に出る。

桜田通りと東京タワー  Photo 2006.3.5

 桜田通りは東京タワーの方に向かって延びる道なので、東京タワーが比較的よく見える。ただ、東京タワーには、エッフェル塔のような分かり易い撮影ポイントは、あまりないようだ。

エッフェル塔  Photo 1999.6.19

 東京タワーとエッフェル塔はフォルムが似ていて、高さも同じようなものなのでしばしば比較される。東京タワーの方がちょっと高いので日本の方がエライみたいな、どうでもよいような比較もされるが、絵はがき的な景観の美しさとか、バロック的な分かり易い都市景観という意味では、エッフェル塔の方に圧倒的に軍配が上がるだろう。

 エッフェル塔は、周辺がシンメトリーな公園になっていて、適当な距離をおいて塔の足下から頂部までを全て見渡すことができる場所が存在する。このポイントから見ると、塔の前後左右には大きな建物は全く見えず、まことに絵はがき的でシンメトリーな景色を拝むことができる。絶好の撮影ポイントであり、分かり易く古典的で美しい景色である。

 パリ市内には眺望景観を守るための規制が掛かっている。エッフェル塔のような記念的建物を望むための場所というものが決められていて、そこからの絵はがき的な景色を守るため、景色を乱すような建物の建設は厳格に規制されているのだ。上記の写真は、まさにそのエッフェル塔を見るための場所からのもので、規制されているが故に、景色を乱す建物が全く見えず、絵はがき的な写真が労せずとも撮れるのである。

 さて、東京タワーとエッフェル塔、改めて二枚の写真を交互に何度も見てみる。たしかにエッフェル塔とそれを囲む景色は美しい。均整が取れていて、シンメトリーで、古典的な美しさに満ちている。しかし・・・。何度も見ていると、意外に単純でつまらない見え方なんじゃないかという疑念が起こってくる。

 東京タワーはシンメトリーに見えるポジションは確保しにくい。絵はがきや様々な写真を見ても、シンメトリーな写真はほとんどない。大多数の写真で東京タワーは上記の写真のように斜め方向から撮られている。しかしそれ故、東京タワーは立体的にダイナミックに見えているとも言える。乱雑に並ぶ周辺の建物の間から、足下が半分隠れながら巨大な姿が見えている。建物が沢山建ち並んでいるところに、それらを跨ぐような感じでドーンと巨大な塔が建っている様子は、それはそれで驚異的な景色のような気がしてくる。林立するビルに挟まれながらも高さを誇るタワーの景観には、成長を続ける日本・東京のエネルギーが投影されているようでもある。

 この二枚の写真だけを比較すると、エッフェル塔の景色は絵葉書的、絵画的で、どちらかというと静的でおとなしい。それに対して東京タワーの景色はかなり複雑でダイナミック・動的である。計画的で統御された景観と、非計画的で様々な思惑の下で自然に生成した景観、意外に奥深いのは東京タワーの景観かもしれない。

 槇文彦氏の著書に「見え隠れする風景」というのがあったが、東京タワーも江戸・東京の都市形成の文脈の中で、見え隠れする風景化することが余儀なくされている。見え隠れする風景は、シークエンス景が持つ面白さを孕んでいて、先の方へ行けば全景が見えるかもしれないとか、近づいていくと見え方がどう変わるんだろう? という期待感を持たせる。エッフェル塔の景観では、真っ直ぐに塔に近づいて行っても、塔がそびえたって大きく見えるようになるだけで、大した変化は期待できないし、その変化はおよそ見当が付く。ところが、東京タワーの方はどのような景色が現れてくるか予測できないところがある。東京の景観は意外性やギャップが一つの魅力なのかもしれない。

 日本人はヨーロッパなどに行くと、秩序だって整った街並みに感心し、帰国すると日本の乱雑さにガッカリするといわれる。ところが、ヨーロッパの人は日本に来ると、アジアンな雑多な景観にパワーやエネルギーを感じるとも言われる。街並みは汚いけど、次々に素晴らしい電化製品を生み出す極東の先進国の首都・東京。同じことがエッフェル塔と東京タワーの景観にもあてはまる気がする。もともと航空法の規定から生じた赤と白の縞模様は、ずっと格好悪いと言われ続けてきたが、ライトアップされるとあまり気にならなくなる。外国人的な視点に立てば、アジアンな配色で、世界的にも珍しい色づかいの塔(Red & White Tower !)ということになるのかもしれない。

 エッフェル塔は100年ほど前に行われたパリの万博に際して作られたという。建設時は300mを超える鉄塔などというものが世の中に全くなく、醜悪なものとさえ言われたというのは有名な話。日本電波塔という送信塔である東京タワーとは違って、エッフェル塔はObservatory=展望塔である。初期においては展望以外には用途はなかった。それでも近代構造技術の結晶として現在に至るまで残り続け、今ではフランスが誇る文化財になっている。

 さて、東京タワーは建設から50年近くになるが、あと20~30年経ったとき、東京タワーは文化財になるんだろうか? 新東京タワーが600m超で墨田区内に建設されることになったということが最近公表されたが、新東京タワーができたら東京タワーは要らなくなってしまって、取り壊されてしまうってことはないのだろうか? 送信塔としての収入がなくなったら、東京タワーは維持できるのかしら?

 非常勤で教えている大学の学生に、最も印象的な建物は何かを尋ねたことがある。国宝の法隆寺とか、金閣寺、東大寺、姫路城などの古建築を挙げた学生も多かったのだが、東京タワーと回答した学生もかなりいた。

 ライトアップされた東京タワーはキレイだという答えも多かった。確かに石井幹子氏によって東京タワーの照明が変えられてから、東京タワーは輝きを取り戻したように思う。それまでは高いところから見渡すための建物だったので、あちこちに超高層ビルが建って高さに魅力がなくなると、人々の気持ちは離れてしまっていた。ところがライトアップによって、東京タワーは見る対象に変化した。遠くから眺めるシンボルタワーになったことで、東京タワーは別の存在価値を持つようになった。

 さて、設問を変えて、海外から日本を訪れた人に是非見て欲しいと思う建物は何か?、と尋ねたところ、東京タワーはかなり減ってしまった。やはり海外からの人には日本文化を知って欲しいということなのだろうか。金閣寺や東大寺、日光東照宮などの割合が増加し、近現代建築はほとんど挙げられなかった。東京タワーは、個人的には印象的で記憶に残るのだが、他人に勧めるほどの存在にはまだなっていないらしい。なんだかその辺は微妙で複雑な感情が混じっている。何故か誇りに思える状態にはなっていない。

 パリでは、エッフェル塔のシルエットが簡略化されてポスターなどに使われていることがある。「人」という字に近い極めて簡略化されたマークを見て、誰もがそれがエッフェル塔であることに気づく。エッフェル塔は、フランス・パリのまさしくシンボルなのだ。東京タワーはどうだろうか? 東京タワーはそこまで明確な景観資源にはなっていない。

 しかし、東京タワーよりエッフェル塔が美しくって、東京タワーはエッフェル塔のコピーだからダメだという議論は、既に過去の話になっているのだろう。上述のように、生まれた時から東京タワーが存在していて、修学旅行で東京タワーに行った経験者は確実に増えている。そしていつのまにか東京タワーは国民的存在になり、あるのが当たり前なものになってきている。美醜や文化的意義を超えて、東京タワーは一つの重要な景観資源に既になっている。

 そういえば、同じ内藤多仲博士設計の、名古屋のテレビ塔の内部が改修されるとの報道も最近あった。どうやら名古屋のテレビ塔の方は、既に文化財的な扱いがされているようである。テレビ塔などの高層の塔が、近代化遺産として文化財になる時代がもうすぐ来る。

 田町からの東京タワーのこの風景。最初は東京の都市景観の計画性のなさを指摘するつもりでいたのだが、何度も見返すうちに、意外に捨てたもんじゃないよなと、思い返すことになった。印象的な風景、良い景色、そういう風景を構成する、愛着がわく建物ってなんだろう?

#ヴィスタ  #モニュメント  #塔  #街並み 港区  #内藤多仲  #エッフェル  #東京タワー 
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早稲田大学大隈講堂 その1

2006-01-21 | 新宿区  
早稲田大学 大隈講堂(21号館)
所在地:新宿区 戸塚町1-104
構造・階数:SRC・3F+時計塔
建設年:1927(昭和2)
設計 :佐藤功一+佐藤武夫
構造設計:内藤多仲
備考 :東京都選定歴史的建造物(注)

 早稲田大学には東京大学のような重々しい門はない。そのへんが開かれた大学と言われる由縁でもあり、大隈講堂も西早稲田キャンパスの前の、街の人々や車が行き交う広場に面して建っている。

 外観はチューダーゴシック様式で、内部は表現派的だと言われる。

 玄関脇の壁面。壁面はスクラッチタイルで覆われ、正面のチューダーアーチ(写真右端)は色を混ぜたコンクリートで作られている。冬場の斜めからの陽光で、ランプの長い影が壁面に落ちていた。左の丸い窓は階段室の採光窓。

 玄関アーチの内側天井は交差ヴォールト状で、ランプが下げられている。

 別角度から。ランプ底面にも装飾が施されている。また壁面には花のような形をした大きな丸窓がある。この窓枠はテラコッタ製。

 鋳物製の門扉。なかなか手の込んだデザインです。中央のAは何の意味だろう?。次回は内部へ。


追記
 2007年に国の重要文化財に指定。これに伴い、東京都選定歴史的建造物の選定は解除。

早稲田大学大隈講堂 その2
早稲田大学大隈講堂 その3
早稲田大学大隈講堂 その4

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1992-01-10 | 記事一覧 
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Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
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