都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Roma 6 ローマ市内

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 日中は暖かかったのでセーターを脱いでいたが、夕方になるとやはりひんやりしてきたので再びセーターを着込んで歩く。

 あちこちに古い建物があって、どれがどれやらもう分からない。とにかくみんな古いのね、というかんじ。城壁の内側は全面保存地区らしい。前にも書いたが、遺跡の中で人々が暮らしている感じの街だ。ヴェネツィア広場付近でまたうーんと唸ってしまう。トレビの泉へ行こうとしたが、間違って共和国広場に出てしまう。

ヴェネツィア広場 - Wikipedia
ヴェネツィア広場東側の二つのクーポラとトラヤヌスの記念柱
左:サンタ マリア ディ ロレート教会
  Santa Maria di Loreto, Rome - Wikipedia
中:サンティッシモ ノーメ ディ マリア教会
  Chiesa del Santissimo Nome di Maria al Foro Traiano - Wikipedia
右:トラヤヌスの記念柱 - Wikipedia

 教会はドーム(クーポラ)や箱型のバシリカなど、わりあいシンプルでプリミティヴなものが多い。上写真の二つのドーム型の教会は共に1751年に完成したもの。内部空間の演出としては、やはり近世以降のゴシックやルネッサンス、バロックの方が、華やかで庶民的に分かりやすく面白い。ビザンチンやロマネスクといった比較的初期のキリスト教会が多いので、古典的な感じなのと、壁が重々しく、やや泥臭かったり陰気だったりする感じで、取っつきは悪く、写真写りも地味だ。だが、それはそれで見るものが多い気はする。

 広場の片隅になにげなくあるトラヤヌスの記念柱はA.D.113年に建てられたもの。こういうものがごろごろあるのがローマ。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 - Wikipedia
竣工年:1911

 古典的な建物が多い中、ヴィットリオ・エマヌエーレ II 世記念堂は、20世紀初頭に新古典主義様式でデザインされた巨大な記念碑的建造物。幅135m、高さは70mあるそうで、壮麗な姿は見応えがある。ただ、なんというか、他の古典的な建物に比べるときれいすぎる、整然とし過ぎている感がなくはない。

 18:30 疲れたので夕食をとることにする。迷った挙げ句、もとのカブールストリートへ向かう。食堂に入ると高いような気がしたので、ピザ1,200円、水450円、イチゴ300円を買ってホテルに戻る。

 20:00 ホテルで夕食。節約してはみたものの、こういう夕食はちょっと侘びしいから明日からはどこかで食べてしまおうということになる。相談の結果、明日はアッシジへ行ってみることにする。

 22:30 風呂。お湯が出なかった!とK氏は言っていたが、その後、私が入浴してみると普通にお湯が出た。理由は不明。

 23:00 就寝。

#街並み 海外  #眺望  #教会  #塔  #モニュメント 
#ローマ  #バロック  #新古典主義  タグ一覧

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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シテ島周辺

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 17:00 エッフェル塔からシテ島付近までバスを使う。

 バスの中で「髪をとかしてあげよう」という4人組に囲まれ驚く。他の乗客も同じようなことをされていたが、あれはなんだったんだろう?

ポンヌフからセーヌ川と芸術橋(Wiki

 セーヌ川(Wiki)には多くの橋が架かっているが、芸術橋(ポンデザール・Pont des Arts)は鋼鉄製の歩行者専用橋。

シテ島からポンヌフ(Pont Neuf・Wiki

 Pont Neufでシテ島(Wiki)に渡り、ノートルダム寺院へ。Wikiにもあるが、ポンヌフ(Pont Neuf)は「新しい橋」の意味だが、パリに現存する最古の橋だという。確かに他の橋に較べるとアーチのスパンがやや短く、がっちりしていてクラシックな感じ。

ポンヌフ北詰、モネ通りとポンヌフ通り

 Y字型になった分かれ道と鋭角になった建物が印象的。

パリ市庁舎(Wiki

 セーヌ川右岸にあるパリ市庁舎は、1533年に拡張されてできた建物で、普仏戦争の際、1871年に焼失し、その後1892年に再建されたものだという。

サン・ミッシェルの噴水(右)

 サン・ミッシェルの噴水は、シテ島からサンミッシェル橋を渡った先のセーヌ川左岸地区にあり、カルチェ・ラタン(Wiki)地区の入口にあたる場所にある。大学などが多いカルチェ・ラタン地区にも行ってみたいところだったが、やはりノートルダム寺院だなと思い直して、橋を渡ってまた戻る。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#街並み 海外  #古い建物 海外  #海・川・池  #橋 
#官公庁  #オフィス  #新古典主義  #世界遺産 
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セーヌ川・マドレーヌ寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 14:30 コンコルド広場周辺をぶらぶら。

コンコルド橋(Pont de la Concorde)からセーヌ川下流側
アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)とエッフェル塔

 広場の南側にはセーヌ川(Wiki)が流れており、そこにコンコルド橋(Wiki)が架かっている。一つ下流側には華やかな親柱を持つアレクサンドル3世橋(Wiki)があり、その向こうにはエッフェル塔が建っている。

 この付近の川幅は150mほどと浅草あたりの隅田川とほぼ同じ。ゆったりと水が流れるその川岸には多くのプレジャーボートが係留されている。

コンコルド橋からセーヌ川上流側
ロワイヤル橋(Pont Royal)、オルセー美術館(Musee D'Orsay)

 上流側(東側)を眺めてみると、右手にはオルセー美術館。そしてロワイヤル橋(Wiki)の彼方にはシテ島のノートルダム寺院が見えている。3月上旬のパリはロンドンに比べれば少し暖かく、川岸の風景も少し霞んで穏やか。

改修中のマドレーヌ寺院

 コンコルド広場を再び横切って、北側のマドレーヌ寺院(Wiki)に行ってみる。広場で遠くに見えていた時から不審だったのだが、近くまで行ったら正面ファサードは工事囲いで覆われていて、書き割りのファサードが描かれていることが分かった。最近でこそ、この手の書き割りは日本でも増えているが、当時はまだこのような例は日本ではほとんどなかったので、実際に目にした時にはかなり驚いた。

マドレーヌ寺院側面の列柱

 内部は修復中で見ることが出来なかったが、側面の列柱など一部は見ることができた。

 マドレーヌ寺院はギリシャの神殿のような形をしているが、完成したのは1842年で比較的新しい。柱の高さは30mだそうで、ジャイアントオーダーなどと呼ばれるもので、ギリシャの神殿などよりスケールアップした、ネオクラシシズム(新古典主義)様式の建物だ。ヨーロッパ各地の大きな都市には、ネオクラシシズムの近代建築があちこちにあって、それぞれに街のシンボル的な存在になっていることを、あとあと知るのだが、当時の私は不勉強でそのあたりについてはあまりよく知らなかったのだった・・・。

マルゼルブ通り(Blvd. Malesherbes)とセント・オーガスティン教会(Saint-Augustin, Paris)

 マドレーヌ寺院前の広場からも道路が他の広場へ向かって直線的に延びている。西北に向かうマルゼルブ通りの正面奥にはセント・オーガスティン教会(Wiki En)が、アイストップの位置に建っている。

 後年、パリ市では、このような見透しや遠近感のある風景を法的に保全していることを知ったのだが、この当時はまだそのようなことは知らなかった。ただ素直に、日本にはほとんど存在しない広幅員のブールヴァールや、バロック都市のシンメトリーな景観に、やや圧倒されながらシャッターを切っていたのだった。

 中心部をなんだかウロウロしている感じだが、やはりルーヴル宮の方へ行ってみようと思い直して、また少し戻る。

 15:00 ルーヴル宮の広さにビックリする。遙か彼方に入口のガラスピラミッドが見え、広大な場所に美術館があることを確認し、午後3時過ぎになってから入場しても仕方ないことを再認識して、今度はエッフェル塔へ行くことにする。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#ヴィスタ  #海・川・池  #橋  #教会  #新古典主義  #世界遺産 
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シャンゼリゼ通り

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 13:00 バスで凱旋門へ。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)で下車。

エトワール凱旋門(Wikipedia
竣工年:1836
高さ :50m

 とりあえず有名な凱旋門は見ておこう、写真を撮るなら1枚はシンメトリーな構図でと考え、道路を横断する途中でちゃちゃっと撮影。その際、屋上にちらちら人影が見えたことで上に上れるらしいことにようやく気付く。予備知識無しで適当に訪れると、そういうことをきっかけにどんどん予定が変わるが、この時はなぜか見学にはさして興味が無く、そこからシャンゼリゼ通りをルーヴル方面に歩くことの方が優先されたのだった。

シャルル・ド・ゴール広場からシャンゼリゼ通り

 大きなロータリーの中心に建つ凱旋門の足下までは行ってみる。シャンゼリゼ通り(Wikipedia)は幅70m。日本にはあまりない広幅員の目抜き通りで、しかもコンコルド広場まで約3km、一直線に続いている。また沿道の建物の高さなどが規制されているため、ほぼシンメトリーな街並みが視界の奥まで延々と続く。

シャルル・ド・ゴール広場からデファンス方面

 ルーヴル宮とは反対の方角、ラ・デファンス方面の様子。デファンスはパリ市外のため、市内のような記念的建築物に関わる高さ規制は受けないという。このためデファンスには近代的な超高層ビルが多く建ち並ぶ。
 エトワール凱旋門の周りのロータリーはいつも車がたくさん走っている。

 14:30 シャンゼリゼ通りをぶらぶら歩いて、コンコルド広場へ向かう。3kmもあるとは知らず、1kmほどのつもりで歩いていたので予想外に遠かった。

シャンゼリゼ通りの街並み

 シャンゼリゼ通りの街並みを構成する建物は、そのほとんどが白か明るいクリーム色の外壁。また、斜線規制を受けて上部がセットバックしている。一つ一つの建物の規模が比較的大きい、もしくは建物が連続していることもあって、比較的統一感があるゆったりとした街並み景観が創り出されている。

 3月上旬なので街路樹には全く葉がなく寒々しいが、そのぶん建物が織りなす町並みはよく見えた。

シャンゼリゼ通り・フランクラン D ローズヴェルト駅のある交差点付近

 途中には噴水のある広場が造られている。広幅員で真っ直ぐな道といい、ロータリーの交差点に面した噴水といい、日本とはスケールが違う。そのようなものを造らせてしまえる権力のすごさをいちいち感じ、そうならない日本の社会環境を残念に思ったり、逆にこういうことにあまりお金をつぎ込まない現在の日本の方が良いのかもと思ったり・・・。結果的には観光資源になっているからこれはこれで良いのかもと思ったり。。。

グラン・パレ(Grand Palais・Wikipedia
竣工年:1900

 グラン・パレは、1900年に行われたパリ万博万国博覧会のために建てられた大規模な展覧会場・美術館という。列柱が並ぶ古典的な外壁がある一方、鉄とガラスで巨大なヴォールトが造られているのが印象的。新古典主義のファサードを持つ巨大温室みたいにも見える。

 ロンドンのように雪は降らなかったが、3月上旬のパリはまだ寒く、シャンゼリゼを歩く人もまばら。彩りの少ない景色の中をコートを着た男性がひとり歩いている様子はモノクロ映画のワンシーンのようでもある。

 スケールが大きい景観は壮大で魅力的ではあるがが、これを向こうの方まで歩くのかと思うとそれはそれでややうんざりする。馬車かなにかに乗って、ある程度のスピードでもって優雅に移動する事を念頭において考えられた都市構造であり街並みなのかもしれない。

コンコルド広場とオベリスク
広場の設計年:1755

 ようやくコンコルド広場(Place de la Concorde・Wikipedia)に到着。広場中央に建てられているオベリスクは、ルクソールオベリスク(Wikipedia En)(クレオパトラの針・Wikipedia)と呼ばれ、1826年に、当時エジプトを支配していたムハンマド・アリーがフランスに贈ったものといい、1833年に広場に立てられたそうだ。
 先端部分が紀元前6世紀ごろに盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。このため現在はこの写真より尖った形になっている。

 コンパクトカメラ(フィルム)なので、広角側で撮影すると周辺光量低下が起こっている。最近のデジカメはたぶんそのあたりも補ってしまっているのだろうが、昔のフィルムカメラはそのあたりの良し悪しがもろに出る。

 コンコルドと聞くと私などは昔の超音速旅客機を思い浮かべてしまうが、そもそもコンコルドは古代ローマ神話の女神コンコルディア(Concordia)に由来するもので「調和」を意味するそうだ。Wikiなどによると、フランス革命の時期の1795年に「コンコルド広場(調和広場)」と呼ばれるようになったという。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#古い建物 海外  #街並み 海外  #広場  #ヴィスタ  #道 
#モニュメント  #門・ゲート  #新古典主義  #世界遺産 
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モンマルトルの丘、サクレ・クール寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 10:50 K氏とバスでモンマルトル(Montmartre)へ行く。

モンマルトル - Wikipedia
サクレ・クール寺院 - Wikipedia

 11:20 モンマルトルの丘を登る。一説には7つの丘があると言われるパリだが、モンマルトルの丘はパリ市内では一番高いらしい。丘の下の方にはキャバレー「ムーラン・ルージュ」などがあり、丘の上にはサクレ・クール寺院のドームがそびえる。

 寺院建物の下まで階段を上って振り返るとパリ市内を一望することができる。その後、サクレ・クール寺院(La Basilique du Sacre-Coeur de Montmartre)を見学。ドーム(Dome)にも上る。ドームは上写真の大ドーム下部の円環の部分まで上ることができ、ここからもパリ市内がよく見える。

 丘の上のDomeからの眺望は素晴らしかった。写真右端がエッフェル塔。中央のビルは建設後に景観的に失敗だったと言われたモンパルナスタワー。
 パリ市ではモンマルトルの丘など、高台に定められた眺望点からパノラマ景が見えるように、市街地の建物の高さが規制されている。モンマルトルの丘だけでなく、凱旋門の屋上などからも遠くが見えるようにされているため、市内の大半の場所では、建物の高さが約35m以下に規制される結果になっているという。

サクレ・クール寺院 Domeから

 日本でも最近は京都などで、周囲の山並みが見えるようにと、建物の高さや広告物の景観が規制されるようになっているようだが、パリの取り組みは40年ほど前から始まっていて、その規制によって写真のような広いパノラマ景が維持されている。

 実は1993年の訪問時には、そのような規制ががっちり行われていることを私はまだ知らなかった。ただ、モンマルトルの丘からは遠くがよく見えて、眺望がとても良いのだなと印象深く感じたのだった。

サクレ・クール寺院 Domeから

 12:00を迎え、鐘が市内各所で鳴る。

 12:30 丘の前でサンドイッチを買って食べる。フランスはやはりパンが美味しい。240円くらいで、ハム・野菜・フランスパンのサンドイッチが食べられる。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#古い建物 海外  #パノラマ  #眺望  #教会  #階段・坂 海外 
#街並み 海外  #ロマネスク  #新古典主義 
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夜のパリ市内散策

1993-03-04 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.4(Thu) Paris

 18:00 荷物をユースホステルに置いて外出。オペラ座でMetroを降り、付近の喫茶店で夕食をとる。

オペラ座

 食事代は少し高いようだ。ゴーフルショコラをスタンドショップで買ったら無茶苦茶甘くて閉口する。近辺をぶらついて、帰りにユースホステル近くのスーパーで水を買って帰る。

市内の夜景

 21:00 フランスに着いたばかりだが、パリ滞在を楽しむためにもこの後のことを考えておかねばならない。なので今後の予定を決めようとしたが、なかなか決まらず、23:30頃まで相談。結局、スイスからイタリア方面へ行くことにして、パリ東駅~Bazel経由・Zurich乗り換えでBrigへ。更にZermattへ行くことになった。

 その後、シャワーを浴びるが、湯加減が調節できず、冷たい思いをする。

 24:00 就寝。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#古い建物 海外  #新古典主義  #ネオバロック  #広場 
#ホール・体育館  #街並み 海外  #夕景・夜景 
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St Mary'sから

1993-03-03 | イギリス 

1993 Europe日記
1993.3.3(Wed)

 University Church of St Mary the Virgin(通称 St Mary's)の塔に上る。

St Mary'sの塔から北方向

 中央は、Radcliffe Camera(1749年落成)  Wikipedia JPEn
 左方の塔は、Exeter Collegeのチャペル  Wikipedia En
 Radcliffe Cameraのすぐ左側は、The Sheldonian Theatre(シェルドン劇場) Wikipedia En
 右側は、All Souls College  Wikipedia En

St Mary'sの塔から南方向

 左の塔は、Merton College Chapel  Wikipedia En
 中央やや右の塔は、Christ Church Cathedral  Wikipedia En
 右の塔は、Christ Church Tom Tower  Wikipedia En

St Mary'sの塔から西方向

 左端の塔は、Christ Church Tom Tower  
 その右の塔は、St Aldate's Church(セント・オールデート教会)  Wikipedia En
 中央手前の塔は、All Saints Church(オールセインツ教会)  Wikipedia En
 右側奥は、Nuffield College(ナフィールド大学)の塔と  Wikipedia En
  Wesley Memorial Methodist Church(ウェズリー記念教会)の塔  Wikipedia En
 右端はExeter Collegeのチャペル  

 オックスフォードの街なかにはいくつもの教会の塔がさまざまなデザインで建っており、それらの塔の姿が街並みのスカイラインの上に飛び出すようになっている。また、町の地形は全体に緩やかな丘陵地で、遙か彼方に少し高いなだらかな丘を望むことができる。教会以外の建物の高さは低中層に抑えられており、丘と塔と町並みが調和を保って美しい風景を創り出している。

 日本でも地方のやや小さな町だと、町並みは低中層で、その中に寺院の屋根がぽつぽつ見えたり、鎮守の森の木々が見えたりする。そして町外れの丘や自治体の庁舎から町の全貌を見ることができ、遙か彼方の山並みが見えたりもする。

 ただ日本の場合、そういう町では景観や風景よりも、過疎化・高齢化とか商業衰退とかの方が大問題であって、残念ながら景観コントロールにまでは人的に財政的にも手が回らなかったり、今までの状況が当たり前で、市民・行政の関心が低いことも多い。

 一方、少し大きな都市になると、景観コントロールに手を付ける前に都市間競争に巻き込まれて開発が進行し、高層化が進みはじめて従来のスカイラインが破壊されているケースが多い。早くからコントロールに手を付けていれば避けられるのだが、従来の開発が緩やかだったりすると危機意識が乏しく、いざ問題が発生した時には手遅れということも多い。

 オックスフォードの場合、どこまで景観保護の規制があるのかは把握していないが、町の建物は教会の塔よりも高くしてはいけないというルールがどうやらあるようだ。塔に上れば美しい町並みを俯瞰することができるという、景観的な財産を持つ町が羨ましく思われる。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#古い建物 海外  #ゴシック  #新古典主義  #教会  #パノラマ 
#眺望  #塔  #大学
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Regent St(リージェントストリート)

1993-03-02 | イギリス 
Regent St(リージェントストリート)   Google Map
建設年:1814〜25
Wikipedia > リージェント・ストリート

 リージェントストリートは、19世紀前半にショッピングストリートとして計画的に造られた道だそうだ。当初から道と沿道建物が一体的に建設され、ピカデリーサーカスからカーブした美しい通りが接続し、人々を誘う。

Regent St(リージェントストリート)

 カーブした道を先へ進むと、北の方へ進む真っ直ぐな道になる。ロンドン市内の道はあまり広くないため一方通行が多い。リージェントストリートもカーブした部分は対面交通だったが、直線区間は一方通行だった。とはいっても、歩道は比較的広く取られている。十分な幅の歩道を取るために一方通行にしているということなのかもしれない。

 2階建てバスが採用されているのも、狭い道が多いからだそうだが、一方通行が多いので、バスも行きと帰りでは全然違う道を通ったりする。だから初めてだと、バス案内を持っていてもしばしば間違えてしまう。私たちは一日券を持っていたので、間違えたらどんどん降りてまた別のバスに乗る、ということを繰り返していた。

 まちなかの建物のほとんどは、少し暗めの石材で造られていて、冬のどんよりとした天気の中、薄暗い印象になってしまっているが、その風景の中を真っ赤な2階建てバスが横切っていく。かなり鮮やかな印象のバスだが、この無彩色系の風景の中では、ちょっとだけ気分を高揚させるワンポイントの要素になっている。

 人々の服装を見ていても、ど派手な赤いコートを着たおばちゃんなどを時々見掛けるが、それもこのとても地味な背景の中ではきれいに見える。対して、日本の町は建物が派手なので、そこに派手な衣装を着ると、混乱に拍車をかけてしまうようだ。日本とは地と図がやはり逆なのかもしれない。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21

#古い建物 海外  #街並み 海外  #新古典主義  #道  #自動車
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バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)

1993-03-02 | イギリス 

 10:30 Green Parkにて下車。
 公園内を通ってバッキンガム宮殿前へ。騎兵が目の前を通り過ぎる。

バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)   Google Map
建設年:1837

 バッキンガム宮殿ってのはつまるところ日本の皇居みたいな所なのか?などと言いながら行ってみると、皇居とはかなり様子が違う。海外で宮殿に行ってみると、当たり前かもしれないが、日本の皇居が西洋の一般的な王宮や宮殿とはかなり異質なものだということに気づくことになる。

 日本の城や御殿は、門の奥深くに建物があって、門前からは建物が全然見えないことが多い。だが、バッキンガム宮殿は柵のすぐ内側に建物がある。都市全体が城壁で囲まれているので、その中はみんな身内という感覚からなのかもしれないが、徐々に奥へ進んで期待感を高める構造を持つ、日本の建築や都市などと較べると、やや拍子抜けしてしまう。やはり日本の都市は「みえがくれする都市」なのだろうか。

Wikipedia > バッキンガム宮殿
ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21

#古い建物 海外  #城・宮殿  #新古典主義 
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大英博物館(British Museum)

1993-03-01 | イギリス 

 14:00 トラファルガー広場を経て大英博物館へ向かう。
 14:30~ 大英博物館(The British Museum・Google Map)を駆け足で見学。

大英博物館・展示空間の様子

 空間が贅沢だ。展示物がそれなりに大きいものであるせいもあるが、日本に較べると、一回りも二回りも展示空間が大きく、天井が高い。日本人だと、こういう空間をいくつもに分節してしまったり、二層にしてしまうだろう。デザインの質以前に、建築の規模という面で、欧米と日本では基本的な差があるような気がする。

 ロゼッタストーンなんていう、教科書にも出てくるような超重要な発掘物も、展示スペースの片隅にひょいと置かれていたりする(レプリカだったのかもしれないけど)。

エジプトのミイラ展示

 ただ、ロンドンでエジプトのミイラを見るのは、どうも変な気分だ。その他の展示物の多くも世界中の遺物であり、世界各地から集めたといえば聞こえはいいが、収奪したとも言えるわけで、なんだかしっくり来ない。戦利品の展示を見ているようで、しかもそれが過去の栄光の遺産でもあるわけなので、すごいねぇ、でもイギリスの遺産ていうのはどれなのよと、いちゃもんをつけたくもなる。

 日本だったら「エジプトからはるばるやってきたミイラを今回特別に展示します!」という感じで、厳重に管理して、薄暗い部屋で厳かに御開帳というぐらいになるはずなのだが、大英博物館ではなんだかガサガサした部屋の中央にヒョイとガラスケースがあって展示されているだけ。中には棺が立てられているものもある。おまけにノーフラッシュなら写真撮影もOKなのだから、かなり拍子抜けしてしまう。

メソポタミアの門の彫刻とレリーフ

 やれやれ、貴重なものだと感じたら、根こそぎ剥がして持ってきてしまうのだから、すごい話だ。

ギリシャの神殿の軒先にあった彫刻を展示しているスペース

 いやはや、古今東西、あちこちから持ってきている。少し早く産業革命を迎えて、世界屈指の海軍を持ち、世界中に植民地を確保し、世界中から文化財を奪い集めた。そのちょっとした先進性と先見性が、今に続く観光地を抱えることにつながっているわけで、経済力や軍事力をつけたら、それを上手いこと文化に振り向けるのが、後々、文化国家として生き延びるためには良いのかもしれないな、などと、妙なことを考えてしまう。

 ただ、最近になってWikiなどで見てみると、博物館ができた当時、他の国ではまだ文化財保護が充分ではなく、大英博物館にまとまって集められたことで、散逸を防ぐことができたという面もあるそうだ。確かにそのへんは評価できる。だがそれなら、もともとの国での保護状況が改善したら、順次返してくのが筋なんじゃないかなぁと素人ながらに思ったりもする。だが一方で、ここに集まってるってのは便利といえば便利。ただやっぱり古代の遺物などは、その場所で見るからこそ感動するのではないかとも思う。見学している内に、凄いなぁと、でもねぇとの間で、考えが何往復もしたのだった。

 17:00 大英博物館見学終了。本当は一日かけても見切れないのだが、それを2時間半で終わらせてしまう。オリエンテーリングのように、チェックしてまわったみたいな感じで、そこで見たことが重要なのさ、またこんど機会があったらじっくり見に来ようと諦める。こんどの機会がいつになるのか、本当にそんな機会が訪れるのかは分からない。

Wikipedia > 大英博物館
ヨーロッパ旅行記 1993.2.28~3.21
#ミュージアム  #新古典主義 
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