都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 




07/11 Archives
07/13 RICOH Caplio G4 Wide(まちあるきのお供)
07/15 RICOH Caplio GX8 購入顛末(新・まちあるきのお供)
07/21 Olympus PEN(懐かしのハーフサイズカメラ)
07/22 Canon FT QL(最初に使った一眼レフ)
07/22 昔の東京タワー(Canon FT QLで撮った東京の夜景)
07/25 静岡の雪(Canon 110 EDで撮った風景)
07/25 Canon 110 ED(珍品?110カメラ)
07/27 一の坂~八の坂(中井の階段にみるサインのデザイン)
07/29 日記は苦手・・・
07/30 見えてうれしいランドマーク(築地本願寺遠望)



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 築地七丁目あたりをぶらぶら歩いていたら、築地本願寺の屋根の一部が通りの先の方に見えていた。

築地七丁目から築地本願寺
Photo 2006.7.23

 ある程度、東京の建物のことを知っている人なら、築地近辺で東洋的な建物が見えたら、それが築地本願寺であるだろうと推測できる。近代建築を知っている人なら、伊東忠太の名が思い浮かぶ。遠くからでも見分けられるカタチ、それは言い換えればかなりアクの強いデザインでもある。知らずに夜などに通りかかったら、ハッとしてしまうかもしれないし、ちょっと気味が悪いと思う人もいるかもしれない。でも私はこの屋根が遠くに見えるとうれしい。東洋的な怪しいデザインなのかもしれないが、築地本願寺は見えてうれしいランドマークだ。

 ちょっと前には、同じ中央区の入船のあたりから、明石町の聖路加病院の塔が見えてハッとしたこともある。最近も、勤め先の早稲田鶴巻町の低地から、目白台の上、文京区関口の東京カテドラル(丹下健三氏設計)の鐘塔が見えることに気づいてうれしくなった。帰宅後に地図で確認すると、実は大した距離ではなかったりするのだが、軸線が通っていることがあまり多くない東京の街で、しかも計画的でなく偶然という感じで見えていたりすると、ちょっと得した気分になる。

中央区入船三丁目から聖路加国際病院のチャペル
Photo 2006.4.7

 見えてうれしいヴィスタ景は誰かに教えたくなる。「あのね、○○のあたりから△△の建物が見えるんだよ、意外でしょ!」という感じ。喫茶店で話しているときなど、一人がそういう知識を披瀝すると、他の人も、あそこからは何が見えて驚いたとか、感動したとか、言い出して、さながら景色自慢大会のような状態になることもある。

 一方で、見えてうれしくない場合も、そのストレスを解消するかのように「いやぁ参っちゃったよ。●●から■■がバーンて見えちゃってるんだよねー」てな具合に、あちこちで毒づいてしまう。こちらの方は決まって、何とかしないといけないと思うんだよねー、全く・・・、という感じで次第に暗くなってしまって、精神的にもあまり宜しくない。

千代田区神田神保町1丁目から文京区役所
Photo 1995.7.22

 神保町のとある通りからも、文京区役所が遠くに見えるのだが、これはなぜかあまりうれしくない。遠くからなので、圧迫感があるとかいうことはないのだけれど。

 今回は図らずも、ちょっと裏通りからの偶然のヴィスタ景について見ることになったが、こうしてみると、つくづく電線・電柱が多いなぁと思う。東京では表通りは徐々に電線の地中化がされてきたので、建物を撮って電線が入ることは確かに少しは減っている。しかし裏通りで、遠くの視対象を写すと、途中にあるたくさんの電線や電柱が全部写り込んでしまう。なんだかなぁ。

#街並み 千代田区  #街並み 中央区  #ヴィスタ  #寺院  #教会


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六月に一ヶ月ほどBlogを離れていたワケ。
元来、湯水のように文言が沸いてくる性質ではない。なにしろ、小学校の頃は作文や読書感想文というものも苦手で、授業中も終了ぎりぎりまで苦吟していたし、夏休みも最後の夜まで唸っていた。
また、小さい頃は人前で話すのが苦手で、授業中もあまり手を挙げない子供だった。通信簿には毎度のように「もう少し積極的に」と書かれていた。未だに多くの人とわいわい話すのはあまり得意ではない。
そんな性格なのに、親の影響からか何故か人前で話すことを仕事の一部とするようになってしまった。もちろんある程度、得意な分野について話すのは、さほど難しくはない。ただしツッコミや反論、意地悪な質問にはめっぽう弱く、議論をして自我を通すことは相変わらず苦手である。
小学校の頃は日記が毎日のように宿題として課せられていて、わずか数百字を埋めるのに毎日苦労していた。自己表現が苦手なので、思ったことをすらすら書くことができないのだった。とっとと書いてしまいなさい、と父母に急かされて、しまいに泣いてしまったこともしばしば。
そんなわけで、こまめにコンスタントに文章を書き綴って載せていくというのは、実はあまり得意ではない。だから書くことが極めて億劫になることも多く、一度途切れると、再開のきっかけがなく、そのまましばらく中断することになってしまった。

書けなくなったのにはもう一つワケがある。
小学校の時の担任がとても良い先生だった!(いきなりかなり飛躍してますが・・・。)
日記と日誌は似ているようで異なるのだと教わった。時系列で何があったとか、何をした、何を見た、どこへ行ったという事実関係を記す日誌は単なる記録であり、誰でも書けるものだと。
感動した、面白かった、きれいだった、という言葉だけでは心の一部を表したに過ぎず、まだ日記には足りない。何を考えたか?、どのように感じて、如何に心を動かされたか?。作文、感想文、日記では、感情を素直にうまく言葉に換えて記すことが必要であると説いたのである。

また夏休みの自由研究課題などでは、こうも奨められた。曰く、どこかで見聞きしたような自由研究はするな、自分で考えたテーマを持ち、オリジナル性を大事にしろ、と。

今にして思えば、この二つの教えは、その後の私に大きな影響を与えている。
私は当時まだ、たいした基礎知識も判断力もない小学生であり、心持ちを表現する多彩な語彙も持ち合わせていなかった。冷静に考えれば、たくさん本を読んで語彙を増やし、表現技術をもっと養えば良かったということになる。そういうテクニックを様々な本から仕入れて応用することには問題はなかったはずで、要領さえ良ければ、おもしろいように文言が沸いてきたのかもしれない。だが当時、そういう知恵はなかった。ただいたずらに、ゼロから表現を生まねばと気負って空回りをしていたのだなぁと思う。多くの知識を仕入れてからオリジナルな表現に至るのでも遅くはなかった。
でも当時は、先生の言うことは私にとっては絶対的なものだった。大人の考えでもって、私に入れ知恵をして手伝ってあげようとする父母の助け舟を拒否して、ひとり手段も解らぬまま、徒手空拳、空回りを繰り返した挙げ句、泣く泣く父母の助言を受け容れては、自分独りで解決できなかった敗北感を味わうことも多々だった。
しかしよくよく考えてみれば、オリジナルな情報、オリジナルな表現なんて、そうそう出来るものではないのだ。

この一ヶ月、本業の方でも雑事がやや多かった。

正直言って、私の頭のキャパシティはそれほど大きくない。一つのことが気に掛かっていると、同時に別のことはあまり考えられない性質である。仕事をバリバリやって、経験豊富な方は、次々と来る仕事を右から左へと華麗にこなしつつ、Blogもさくさくっと書けるのかもしれないが、私にはどうもそれができない。集中力がないだけなのかもしれないが、仕事上で問題や課題を抱えていると、そちらが気に掛かってしまい、Privateな部分も止まってしまう。まあ、典型的に要領が悪い人間ということ。

この一ヶ月はBlogを書く元気も全くなかった。
PCを前にしても、紙を前にしても、何を書けば良いやらさっぱり解らなかった。最初のうちは途切れちゃったなぁという感じ。しばらくしたら、書かなくちゃなぁ、みたいな変なプレッシャー。だが一ヶ月を過ぎたあたりからどうでも良くなってきた。
見て下さっている方には申し訳ないが、あくまでこれは私のまちあるき日記。本来は気が向いたら書けば良いはず。それでも良かったら見てねん!、なのだ。不遜だと思う人もいれば、それが当たり前だろ!、と同意して下さる方もおられるかと思う。妙に自意識過剰だったかもしれない。コメントを入れて貰ったりすると、もっとちゃんと考えて書かなくちゃとか思ってしまったりしていた。もともとたいした文じゃないのに・・・。

Blogっていうものとのつきあい方、距離感が自分でもまだよく分かっていないという面もある。
写真を撮っているうちに、せっかく撮った写真を自分だけで見て、あーだこーだと考えているのはつまらなくなってきて、そこでNet上に公開することにした。
せっかくなので、少し説明も付けて、個人的な思いも込めて。4年ほど前に始めたホームページの方は、一方通行で、見たい人は見てね的なスタンスで、他人がどう感じようが知ったこっちゃない、見てくれる人が少なくても仕方がない、という立場だった。だがしばらくすると、やはり多少、反応が欲しくなってくる。そんなときに始めたのがBlog。最初こそマイペースだったが、少しするといろいろ反応が来るようになった。新たなつながりが増えて面白くなってきたと同時に、意欲も沸いて気合も入り、知らず知らずの内に独特の緊張感を得ることになった。雑誌に書くのよりダイレクトな感覚は、心地よくもあったが、奇妙なプレッシャーにも繋がり得るものだった。

ところがここで前述の、小学生の時に常々言われていた二つの教えが日々脳裡をかすめるようになる。
一、心の声をしっかり表現しているか?
一、他の誰もが書き得ないオリジナルな情報を発信しているか?
師曰く、駄文を書いていてはいけません、と。
今までの記事を振り返り、ふとそれを自覚した瞬間、書けなくなってしまった。

それなのになぜ再開したのか?

もちろん雑事が少し去って、時間がとれて、落ち着いてきたからというのもある。でもそれだけではない。駄文でも良いじゃん、という開き直りももちろんある。作家先生じゃないんだから・・・。その一方で、もう一度、丁寧に書いてみたい、考えて発信してみたいという思いが沸いてきたのも事実だ。書くことは、練習や訓練であるのと同時に、ある意味、癒しやリハビリなのかもしれない。

小学生の時から、文章にしても、絵にしても、主観的ではなく、客観的で、自分のことなのに他人事みたいに表現すると言われてきた。
一人っ子で、人前に出るのが苦手で、自分の意見をあまり言えない。自分の判断にあまり自信がないので、考えを公にして責任を負うのがイヤでもある。従って優柔不断。しかし特定の方向に突っ走らないこともあってか、クラス委員はよくやらされた。ノーアイデアで、大勢が赴くままに収拾するので重宝だったのかもしれないと、今頃になって思う。
他人に対して意思表示をしないというのは推し進めるとノーアイデアに繋がる。決断なり意思表示をしないのだから、「考え」が要らなくなってしまうのだ。そんなわけで私は長いこと考えないで済むように自分を仕向けていたのかもしれない。

そう考えてみると、やはり師は素晴らしかったのだ。
考えよ、そして My Opinionを持て。そして発信せよ。
うだうだとした生活を送っている私への重い課題である。

文字を連ねて文を紡ぐこと。文章にすること。それがたとえ駄文に過ぎないものであっても、日々たくさんの人によって億単位で書かれる文章の一つにしか過ぎないのであっても、私にとって書くことは一つの生産的活動であり、立場を示し、何かを残す一つの行動であることには違いない。言い換えればそれは、自分自身の存在意義を確認する活動なのかもしれない。
まあ、そこまでたいそうなものじゃないんだけど、いろいろ考えた挙げ句、またぐだぐだと書き綴っていくことにしたのです。


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 新宿区中井、妙正寺川北側の丘に上る坂 Photo 2006.2.19

五の坂
所在地:新宿区中井2-20・24

 江戸期には農村だった中井周辺。西武線が開通し、大正期以降、都市化、宅地化が進んだ。現在、林芙美子記念館(旧林邸)がある、中井二丁目周辺も郊外住宅地として宅地化が進み、それに伴って坂にも名前(呼称)がつけられたようだ。 江戸・東京には名の付いた坂が実に沢山あり、坂を巡り歩くのも楽しい。

 だが、中井二丁目近辺の坂には至極単純に、一から八まで、東から西へ順に番号が付けられた。この坂を、芸のない名の付け方だと評した本もどこかで読んだことがある。確かにごもっとも。このように名付けられると、個別の坂についての印象は薄れ、中井には一~八へと番号を振られた坂があると、ひとくくりになってしまう。地元の人は、林芙美子邸の前の階段が、四の坂だと知っているかもしれないが。

 坂の由緒を愛する人から見れば、さして特徴のない坂かもしれないが、私はこれらの坂が結構好きだ。その理由は、この一連の坂には、オリジナルの看板が設置されているから。

一の坂上
所在地:新宿区中井2-6・7

 標識が設置されている坂は多い。東京の坂は各区の教育委員会などが標柱を熱心に立てているので、まちあるきをしてこれを読めば勉強になる。それはそれで良いのだが、それらはどこでもほとんど同じ仕様で、アルミや木の四角柱が道路脇に立っているというもの。

 だがこの中井の坂では、プレートに大きく「五の坂」とか「一の坂上」などと手書きっぽい書体で書かれている。またそのプレートが、住宅建物や塀に直接取り付けられている。なんだかとても手作り感覚。中井町会とあるが、地元の有志で作ったりしたのだろうか? 結果的にこの一連の坂は、他のどこにもない特色が備わることになった。「ああ、手書きっぽい看板が建物に付いている坂ですね。」というように記憶されている。

 実は私は、今後のパブリックデザインの一つの鍵は、このへんにあるんじゃないかとちょっと期待している。交通標識のように、全国共通になっちゃうと、個性が消えてしまって全然面白くない。かといって完全にオンリーワンでも良くないのかもしれない。中井近辺の坂という共通のくくりの中にあることが察せられる、さりげない共通デザインだから良いのではないかと思う。地域に共通なデザインが掲げられていることにより、コミュニティの気配が伝わる。

 昔はこの中井の坂のようなサインがもっとあちこちにあったような気がするのだが、次第に小ぎれいにデザインされたものが増えて、中井のような事例は今の東京では少なくなってしまった。

 商店街などでは、しばしばオリジナルデザインのサインを作っているが、たいがいはデザイナーに依頼するので、結局、似たような感じになり、他との違いがあまりないことが多い。プロがデザインするより、素人が取り組んだ方が個性的になることはよくある。

 案内版などというと、ついいろいろ情報を入れ込んだり、「デザイン」をしてしまいがちだが、このサインプレートはそれらを排除していて潔い。書体やプレートの雰囲気は田舎っぽいが、シンプルなところが逆に新鮮だ。

#階段・坂 新宿区  #地形


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 徒然まちあるき日記はどうなったの?、というお問い合わせも受けるが、もうしばらくカメラの話題。

 私が小学生の頃、父が旅行用に購入したのがCanon 110 ED(1975発売)。35mmサイズフィルムではなく、当時コダック社が提唱した新規格の110カートリッジフィルムを使用するコンパクトカメラだった。


レンズ前面のカバーを開けた状態。
 左が合焦用ファインダー、中央がEE用レンズ、右がメインレンズ。クリックでカバーを閉めた状態が表示されます。

 上面の黄色いボタンがシャッターボタン。その横の直線スライド式のノブでピント合わせを行う。EE用レンズ部分に、快晴、晴れ、曇り、ストロボ使用時の4段階の絞りがあり、それに連動して、シャッタースピードが決定される仕組みだったらしい。下側の面にはスライド式の巻き上げノブがある。
 上部右端は日付合わせ用の小窓。側面のギアを回して年月日を合わせる。電子式ではないので、西暦年は84年までしか設定できない。


背面
 左側の裏蓋を手前下へ開け、そこにカセット式の110フィルムカートリッジを入れる。右隅はファインダー。

 コンパクトな110カートリッジを用いることで、薄型でポケットに入るデザインが可能になっている。また35mmフィルムの場合、パトローネから出ているベロを適宜引き出して装填しないと、巻き上げに失敗してしまうが、この110カートリッジはカセットテープのように差し込んで巻き上げるだけだから失敗がない。万事大味なアメリカンが考えそうな仕組みで、確かに便利なのだが、その代わりフィルムの一コマのサイズが小さくなり、画質はいまひとつ。ISO感度も80程度で、高速シャッターが切れるわけでもない。スナップ写真が写りさえすれば良いと思っている初心者向けともいえるのだが、Canon 110EDは日付写し込み機構などもついて、ややお値段が高かった。

 コダックの肝いりで作られた規格だったが、カメラメーカーがあまり対応カメラを出さなかったためか、普及することはなく、今では珍品に近い存在。フィルムもヨドバシカメラなどの大型店でわずかに扱われているに過ぎない。

 ただ、扱いがそれほど難しくないカメラだったので、小学生の頃からときどき借りて写真を撮らせて貰っていた。


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 小さな頃にCanon 110 EDで撮った故郷の風景

静岡市北:裏山の茶畑
Photo 1980.2.10

 静岡市はほとんど雪が降らない街だ。東京も一年に二、三回しか積もることがないが、静岡では数年に一度。雪が積もったら大騒ぎである。この日、雪が積もったので、喜び勇んで自転車で裏山に行き、農道を上り、更に茶畑の中を尾根筋まで歩いて写真を撮った。お茶の畝に雪が積もり、縞模様になった写真など、雪の少ない静岡では滅多に撮れるものではない。子どもながらになかなかのショットだったと思うが、やはり画質はいまいち。

 ただこの時、あまりに興奮してあっちこっち歩き回る内にかなり時間が経ってしまい、父親が心配して山を探し回る事態になってしまった。本人は面白くて仕方がなかったのだが、両親はさぞかし心配しただろうと今になって思う。

 静岡での雪の写真は本当に時間との勝負だ。夜半に降り積もったとしても翌朝にはたいがい止んでしまい、お日様が昇ってあっという間に解けてしまう。私が静岡に住んでいる間、このような写真は、その後、二度と撮ることはできなかった。

 次第に一眼レフを使うようになったため、その後はあまり使わなくなったが、Canon 110 ED は、雪を撮りに行った時に使ったカメラとして記憶に残っている。

#山  #雪 


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浜松町・世界貿易センターより東京タワー
Photo 1988.5.28

 浜松町に行ったついでに世界貿易センターにふらっと上ってみたら、東京タワーがよく見えたので、三脚を持っていなかったが手持ちで撮影した覚えがある。

 当時使っていたのは、Canon FT QLというボディにその標準レンズ(f=50mm)。ISO400、F1.2開放で、1/15sec程度だったろうか。残念ながらやはり少し手ぶれしてしまっている。

 1988年頃までは東京タワーの夜間照明は電球で輪郭を縁取るものだった。89年に石井幹子氏のデザインで、現在の投光器によるライトアップに変更された。今、見比べてみると当時のイルミネーションはずいぶん暗い印象。球切れで、輪郭の灯りがとぎれとぎれなのがなんだかしょぼい。同じ建物なのにライトアップが変わったら一気に華やかになったのが記憶に残る。この頃はまだ東京タワー周辺にも背の高い建物があまりない。バブル期だったはずなんだけど、夜景も地味なのがちょっと意外。

#街並み 港区  #眺望  #夕景・夜景  #塔


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 引き続き、カメラの記憶

 一眼レフのCanon FT QL(1966発売)は、私が生まれた頃に父が購入したもの。私が小さな頃は、たぶんこれを使って父母が写真を撮ってくれていたんだと思う。中学生の頃になって、父からこれを借りて、近所の街などの写真を撮るようになった。




Canon FT QL

 CdSを使用した反射式露出計を内蔵。中央重点測光で、ファインダー内の針の上下で露出の過不足が分かる構造だった。ピント合わせはファインダー画面のぼやけ具合で判断するもの。フィルムローダーが当時としては斬新で、所定の位置にフィルム先端のベロをあてがって裏蓋を閉め、巻き上げを何度か繰り返すだけでよいのが便利だった。キヤノンはこれをQuick Loading機構と称して、この機構を持つカメラには、QLと付記していた。

 レンズは50mmの標準レンズと、マクロレンズが自宅にあった。標準レンズの方は、F1.2と明るい。昔は高感度フィルムが少なかったので、高速シャッターを切ることができる明るいレンズが、高性能の証拠のように思われていたかもしれない。マクロレンズは、父が化学関係の仕事をしており、試料を原寸大で近接撮影する必要があったために購入したもの。

 露出計はついていたが、露出や絞りは自分でリングを回して決める方法だし、当然AFなどは付いていないのでピント合わせも手作業。だがこれを中高生時代に使っていたために、私はカメラの仕組みをおよそ理解することができた。

 大学に入ってからも使い続け、1989年頃までは街や建物をこれで撮っていた。また建築模型の写真をマクロレンズを使って撮ったりもしていた。

 ピント合わせ、露出合わせをやっている間に、絶好のタイミングを逃すことはしばしばなのだが、これから撮りますよ的な一連の作業はちょっとした儀式であり、撮る側からすれば嫌いではない手順である。建物のように撮影対象が動かない場合は、のんびり一つ一つ確認しながら設定してからおもむろに静かにシャッターボタンを押せば良い。

 しかしスナップ写真などの場合、早く撮ってよ、ってなことになり「少々待たれい」とお願いしつつ、やや焦りながら撮ることになる。出来上がった写真を見ると、そのへんのやりとりが如実に出ていて、ゆったり待って下さる御仁と、せっかちな方では、明らかに表情が違うのがおもしろい。

 このカメラは現在も私の手もとにあり、しっかり動く。今では生産されていない水銀電池を使うものなので、一時は使えなくなったと思っていたのだが、最近は電池のアダプターが売り出されていて、これを使えばアルカリのボタン電池でも露出計が正確に作動して昔同様に使うことができる。

 ボディが金属製なのでかなり重く、まちあるきで長時間肩から提げているのは、正直しんどい。広角でもズームでもないので、建物を撮るときなどフレーミングしづらいことも多い。でも時々使ってみたくなるカメラである。


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 ようやく新しいデジカメを買ったまでは良いのだが、ここへ来てまた週末が少し忙しかったりして、写真を撮れずにいる。そこでしばらく、今までに使ってきたカメラについて、思い出しながら書いてみる。

 私が初めて写真を撮ったのは小学4年生の時だったと思う。親戚を訪ねて、母と青森へ旅行をしたときが最初。旅行中に母に教わって使ったのが、Olympus PEN(1959発売)。懐かしのハーフサイズカメラで、弘前城で記念写真を撮った。

 内蔵露出計はなし。距離計もなし。フィルムの外箱に、晴れの日はF11で1/250、曇りならF8で1/125、などと書いてあり、その部分をカメラの背蓋に貼って、絞りとシャッタースピードの目安にしていた。距離の方はだいたいで決める。レンズが小さく、比較的被写界深度があるせいか、ピンぼけなどでミスった記憶があまりない。だいたい、サービス版程度での引き延ばしではちょっとぐらいのピンぼけは判らない。ハーフサイズなので、当時の20枚撮りフィルムでも40枚程度撮れてしまう。だから旅行中に使ったのはフィルム一本だけだったかもしれない。

 使い切りカメラのような巻き上げダイヤルを回し、適当に距離とシャッタースピードを合わせてシャッターを押す。一眼レフではないので跳ね上げミラーがなく、シャッターもレンズシャッターなので、小さなカシャという音しかしない。ほんとにそれで撮れてるの?という感じだったが、結構ちゃんと撮れていた。

 私が生まれる前、父母はアメリカに一時期滞在していたが、その際にも使っていたようだ。しばらく使わないうちにあちこちが痛んでしまい、巻き上げ機構が壊れて、残念ながら使用不能になってしまった。

 オリンパスの英語版サイトを見ると、過去に発売された全てのカメラについて、見ることができる。何故か日本語版はない。日本の会社なんだから日本語版でもヒストリーサイトをちゃんと整備してくれると良いのだけれど・・。仕方ないので英語版をちょっと訳してみると、ペンについてはおよそ以下の内容が記されていた。
→早速、日本語版もちゃんとあるとの御指摘がありました。よく探してみたらやはりというか当然、オリンパスの歩み(日本語版)がありました。失礼致しました。Olympus PENについても、オリンパスペンがあるので和訳文は削除しました。
 ふーむ。なかなか良いカメラだったのね。確かにちっちゃなカメラの割にそれなりに撮れてた記憶がある。よいDPE店に出して、大きくプリントしてみたりすればよかったかなと、今になって思う。


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 RICOH Caplio G4 Wideに若干の不満を感じ、他のカメラに羨望のまなざしを送る。でも広角28mmは捨てがたい。RICOHの新しいヤツはどうなのかと調べてみると、現行機種はGR Digital、Caplio GX8、Caplio R4の三機種。そこでそのうちのどれかにしようと思ったのだが、これが悩ましかった。
RICOH Digital Camera HP
 まず、GR Digital。画質が良い。ズームなしは潔いが、やはり私は素人なのでズームもちょっと欲しい。しかもややお値段が高い。

 次に、Caplio GX8。三機種の中では大きめ。でも28~80mmのズームが付いてる。撮像素子の大きさの関係から、画質はGR Digitalよりは劣るが、R4よりは良い。手ブレ防止機能なし。少し古いので液晶画面がやや小さい。ワイドコンバーターその他で、拡張が可能。マニュアル露出調整が可能。

 そして、Caplio R4。小さくてリーズナブル。28~200mm!、手ブレ防止機能も付いてる。でもGX8よりも画質が劣る。液晶は大きい。電源のオンオフ時にレンズが出入りするが、その音が大きくノイジー。レンズを光軸からスライドさせて格納する仕組みなので、機構上、故障したり、光軸がずれて画質が落ちる可能性が他の機種より大きい。露出補正はあるが、マニュアル露出調整は無い。

 三者を比較したあげく、4月ぐらいからGX8を買おうかなぁと考えていたのだが、これが2005年5月発売で、もしかすると、GW明けぐらいに新機種が発表されるかもしれないと、ネット上で噂されていたので、しばらく買い控えをすることに。デジカメの進歩は著しく、半年ごとに新機種が出て、一年ごとに前の機種がリニューアルされるような状況なので、この噂は何となく信憑性を持っていた。

 ところがGW明けはおろか、6月になっても何も発表は無し。ヨドバシカメラのサイトでGX8の在庫を見ていると、日によっては在庫僅少になったりするので、すわ新製品発表かと固唾を呑んで見守るのだが、一週間しても何も無く、在庫も十分ありに戻ってしまう、というのを繰り返す始末。結局、ぐずぐずしている内に6月末になってしまった。

 そうこうしている内に、他社から出てくる新機種はほとんど全てが手ブレ防止機能付きに。アナログ手ブレ補正(腕をガッチリ固定して、息を止めて静かにシャッターを押す仕組み!)のみのGX8は、やや旧式な印象になってしまい、ますます購入がためらわれる状況に。

 いい加減、買っちゃおうかなーと思っていたら、パナソニックからも28mmの広角コンデジ(DMC-LX1-S LUMIX)が出てるという情報がもたらされ、また混乱。しかもあちらはライカレンズなのだ!。店頭で触ってみるとこちらもなかなかよろしい。しかもフルマニュアル露出調整が可能。でもこの28mm広角はワイドテレビ的な仕組みで、撮像素子の両サイドが普段は使われておらず、広角時だけそこからもデータを取得するというもの。35mmの両側がびよーんと延びた画角なので。横使いで大きな建物を撮ると、上の方は切れてしまうのが難点。フル高画質時でないと28mmの恩恵を受けられないのは困る。で、これも断念。

 というわけで、新しいカメラ欲しいなぁ、でもお金ないもんなぁー、という日々がしばらく続き、写真を撮るわけでもなく、カメラを買うわけでもなく迷いの日々。つくづく優柔不断だなーと反省。

 2ちゃんねるには、Caplio GX系スレ、というのがあるのだが、これを覗いてみると、全く同様の悩みを抱えた人が何人かいるのが判る。そうそう、そうなんだよなー、と思っていると、とある書き込みに目が止まる。曰く、

「欲しいと思ったときが買い時である。」
「カメラは後からでも手に入れることができるかもしれないが、そのカメラを使って撮る写真は今しか撮れない。」
「カメラはお金で買えるが、ある瞬間の写真は、カメラがなければいくらお金を出しても買えない。」

 ううっ、簡潔にして的を射た発言・・・。欲しいカメラを買っていないばかりに、写真を撮るのを止めてしまっている自分、まちあるきも控えてしまっている自分を見透かされているようだった。これはまずいなー。買いたくなっちゃったが最後、買うまでダメってことじゃないか、などと思っている内に、今度は仕事の方がちょっと忙しくなって、またストップ。

 そうこうしている内に、先輩が件のパナソニックのデジカメをポンと購入。おお、お金持ち~、決断がいいのかな。で「良いですねそれ」と言ったのが6月の末。ところが、7月の上旬に会ったら、先輩は「アキバのヨドバシに行ったら衝動買いしちゃった。記念だと思って・・・。」と言って、胸ポケットからライカ印のスリムなコンパクトデジカメ(ライカ C-LUX 1)を取り出したのだった。うわっ、1ヶ月の内に二台買ったんすか!!。

 うらやましいなぁ。でもその思い切りは見習いたいものだなぁ。ぐずぐず買い控えしていた自分が情けなく、アホらしくなってきた。トホホ。

 さて、ここまで状況が煮詰まって、更に先輩の行動に背中を押されたような感じになり、ついに私もようやく購入を決断したのでした。

 で、結果的に。買って良かった。ウン。
 撮ってみて実感したこと。
 やはり撮像素子のサイズが大きいので、画質がよい。デジタル一眼の画質が圧倒的に良いのも頷ける。また、デジカメは現在急速に進歩しているので、新しいカメラはやはり昔のものより格段に画質も良いし、露出関係やカラーバランス関係も改善されていると言うこと。

 カメラがなければ写真は撮れない。
 カメラが気に入らないと写欲が出ない。
 その一方で、気に入ったカメラを持つとそれを使って写真を撮りたくなる。
 なんだかバカみたいに当たり前のコトなんですが。


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