都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年7月 記事一覧

2019-07-31 | 記事一覧 

07/02 消防庁第一方面本部(旧田中長兵衛邸)
07/04 梅窓院
07/06 三田4丁目の銅板張り看板建築
07/08 三田無線
07/10 金光邸
07/12 フィリピン大使館(旧小田良治邸)
07/14 国税庁麻布分室
07/16 旧麻布区保健所
07/18 東京大学生産技術研究所
07/20 聖路加国際病院
07/22 銀座東邦生命ビル
07/24 歌舞伎座
07/26 足立ビル・三笠会館
07/28 交詢社ビル
07/30 松坂屋

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銀座松坂屋

2019-07-30 | 中央区  
銀座松坂屋
所在地:中央区銀座 6-10
建設年:1952(昭和27)
階数 :7F
Photo 2005.6.12

 以下は2007年2月に拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を載せた際の文章。既に銀座松坂屋は解体され、跡地にはGINZA SIXが完成しているが、建て替え計画公表前に記した文をひとまずそのまま都市徘徊blog内に移設しておく。


 銀座には独自の街並み協定に類する「銀座ルール」というものがあるのだそうである。その一つが、表通り(中央通り)において、軒高が56m以上の建築物を建てないというもの。銀座あたりの容積率の指定は1100%なので、11F建てを建てようとすると仮定する。銀座なので、1階あたりの階高を高く取って4mとすると、天井裏も含めて1層が約5mになる。5m×11階+αで56mということらしい。また、通りに面した部分のセットバックを基本的にせず、建物壁面を合わせる(壁面線の20cm以上の後退)。このような暗黙?のルールによって、銀座は突出した建物が少なく、街並みに統一感が生まれている。

 そのようなルールがある銀座で、6丁目にある松坂屋が再開発構想を進めている。再開発事業に協力しているのは森ビル。森ビルと聞いたとたん、またぞろ六本木ヒルズなどのような超高層オフィスビルをガンガン建てるのではないかと危惧する向きもあろう。が、やはり銀座。街並みの持つ力を森ビルの方々が全く知らないはずもなく、現在、建物規模その他は検討中ということになっている。(森ビルは、表参道でも安藤忠雄氏を起用して中層の表参道ヒルズを建設中であるので、超高層ばかりに目が向いているわけではないようです。)街並みを守りつつ、うまいこと再開発が行われることを期待して止みませんです。ハイ。

 ところで、日本橋三越の北側では重要文化財の三井本館の建物を残して、その分の容積を利用して隣接地に超高層ビルが建設された。これは銀座中央通りをずっと北に行ったところで、この近辺では銀座のようなルールはないのかもしれないが、道幅、周辺の建物の軒高、間口などの状況は似通っている。で、この建物はかなり遠くからもランドマーク的に見えるもので、かなり巨大でビックリさせられる。さてさて松坂屋はどうなるのでしょうか?。

銀座松坂屋/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #商業系 
2007.2.25
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交詢ビルヂング

2019-07-28 | 中央区  


Photo 1990.2.18

交詢社ビル
所在地:中央区銀座 6-8
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・7F
備考 :ファサードの一部のみを保存して解体

 銀座の一角にあった倶楽部建築。華やかなファサードが印象的だった。倶楽部関係者でないと入れなかったので、内部は見ることができずに終わり残念。


Photo 2001.6.24 東側側面の4連で膨らんだ部分も印象的だった。


Photo 2001.6.24 西側の入口部分。シャッターには交詢ビルヂングとある。


Photo 2004.11.20

 2004年に竣工した交詢ビルディング。全体はガラスボックス状の建物に替わり、ダブルスキンの照明によるスマートな外観となった。

 保存部分は縮小されているわけではないはずなのだが、全体のボリュームがかなり大きくなったため、相対的に縦に縮められたような印象となった。


Photo 2005.6.12

 南側ファサードの一部のみが保存されて新ビルに活かされており、ここはバーニーズの玄関となっている。

Wikipedia > 交詢社

廃景録交詢社
ぼくの近代建築コレクション
  交詢ビル(1/2)/銀座6丁目
  交詢ビル(2/2)/銀座6丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #オフィス  #商業系 
2007.2.25
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足立ビル・三笠会館

2019-07-26 | 中央区  
足立ビル・三笠会館
所在地:中央区銀座 5-12
建設年:1931(昭和6)
構造・階数:RC・5F
解体年:2002(平成14)
Photo 1998.5.23

 昭和通りに面したところに建っていた、白地に小豆色の装飾が施された華やかなビル。右側は玄関とそれに続く階段室で、最上部には八角形の塔屋が載る。両側に巨大なオフィスビルが建ってしまい、窮屈そうな状況が続いていた。足立鉱業という会社のオフィスであり、また三笠会館というレストランとして利用されていたという。

廃景録足立ビル
足立ビル/銀座5丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #オフィス 
2007.2.25
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歌舞伎座

2019-07-24 | 中央区  


 Photo 1998.5.23

歌舞伎座
所在地:中央区銀座 4-12
建設年:1924(大正13)
    戦災で焼失したため改築。1950年改築完成、1951年開場。
構造・階数:SRC・4F(一部5F)
設計 :岡田信一郎
備考 :登録有形文化財(平成14)
    2005.4 再開発検討開始を公表。11.16 建て替え決定を発表。
    2009.1 再開発計画公表の予定だったが、公表を2010.2に延期。
    当初は2010年頃を目標に建て替えと言われていた。
解体年:2010(平成22)


 Photo 2009.6.2

 以下は、拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を掲載していた時の文面。都市徘徊blog内に記事を移設するにあたって、文章を更新することも考えたが、解体・建て替え前に書き始めていた元の文を残すことにした。


 これはとにかく有名。岡田信一郎の設計によって、関東大震災後に建てられた歌舞伎の殿堂。戦災によって屋根などが焼失したため、上部の屋根の形状や内装を変更して、現在も使われている。再開発が検討され、最近、建て替えの決定が公表された。現在の建物が登録有形文化財になっていることも踏まえて、外観その他の雰囲気を残しながらバリアフリーに対応し、耐震性のある建物に建て替えるのだそうだ。

 しかしやはり、この桃山風などと呼ばれている、豪華絢爛な姿あってこその歌舞伎座である。海外からの訪問者も多い。ジャポニズム色満載だから良いのだ。内部の方も独特である。座席まわりがちょっと狭いような気もするが、巨大ホールではないため、観客と役者がちょうど良い一体感で包み込まれる。

 浜町の明治座、新橋演舞場、東京宝塚劇場など、建て替わった劇場は多いが、単に近代的で使い勝手が良くなったり客席数が多くなっただけのような気もする。観劇空間の雰囲気も含めて劇的に素晴らしくなった例は少ない。現在の歌舞伎座がかなり良い空間なので、これを継承しながら、これを上回る空間を造るのはなかなか大変なことではないだろうか。

 ヨーロッパのオペラ劇場などはそれこそ200年以上前の建物だったりする。しかし、かの国の人々は、取り壊してしまえば、それを上回る空間は二度と創れないことを知っているような気がする。現在の歌舞伎座も80年の年月を経て、そのような歴史を蓄積した建築空間になっているのではなかろうか。
 どのような再開発計画が立案されるのか、期待と不安が入り交じる。要注目である。

2009/03追記
 2009年1月に再開発計画が公表される予定だったが、経済状況の変化などから公表を延期。ただ、同時期に超高層のパースが新聞紙上に載った。かなり簡略化された外観になっており、以前の華やかな姿からはかけ離れたものになっている。当初は現在の外装を残す案だったようだが、都知事が銭湯みたいだと言ったので変更され、簡略化されたとも言われる。現状を尊重しながらと以前は言っていたので、ある程度は残されるのかと思っていたのだが、自らの手で文化財を壊すようなことをするのだろうか。これはちょっと予想外のことで、かなりがっかりさせられる行為だ。

2013/07追記
 紆余曲折があったらしいが、最終的には以前の外観を踏襲しつつ超高層を付加するデザインで新建物が完成した。

歌舞伎座 - 都市徘徊blog

Wikipedia > 歌舞伎座

歌舞伎座/銀座4丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #映画館・ホール 
2013.7.22
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銀座東邦生命ビル

2019-07-22 | 中央区  
銀座東邦生命ビル
所在地:中央区銀座 3-3
建設年:1931(昭和6)
構造・階数:SRC・8F
解体年:2003(平成15)
Photo 1990.2.18

 銀座に建っていた重厚な生命保険会社の建物。コリント式のジャイアントオーダー柱が印象的だった。周辺の建物が建て替わっていく中、重厚な様式建築として貴重だったが、残念ながら解体。何故、このような建築遺産を貴重な文化的ストックとして残せないのか。非常に残念。地震が多いとか、銀座だからもっと高度利用したいとかいうことは知っているが、上手い方策はなかったのだろうか。

廃景録東邦生命銀座ビル
銀座東邦生命ビル/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #オフィス 
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聖路加国際病院

2019-07-20 | 中央区  
聖路加国際病院
所在地:中央区明石町10
建設年:1929(昭和4)
構造 :SRC
階数 :6F・B1F・塔屋
備考 :中央部のチャペル棟を残して建て替え
Photo 1988.2.28

 隣接地と共に再開発され、大半が建て替えられたが、中央部のチャペルと塔屋は保存された。両翼部も高層化することはなく、ボリュームの雰囲気は残されている。ただ多少凹凸が少なくなり、ややペラッとした印象になった気がする。


 改修後の様子 Photo 2001.4.22

Wikipedia > 聖路加国際病院

ぼくの近代建築コレクション
  聖路加国際病院(南面)/中央区明石町
  聖路加国際病院(聖ルカ礼拝堂)/中央区明石町

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#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #病院  #塔 
2007.2.25
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東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)

2019-07-18 | 港区   
東京大学生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)
所在地:港区六本木7-22
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC・3F
Photo 1995.5.27

 東京大学生産技術研究所の建物は、戦前に歩兵第三連隊の兵舎として建てられたもの。一帯は江戸期には伊予宇和島藩(愛媛)伊達家の上屋敷だった場所で、明治期に陸軍用地となった。

1874(明治7)歩兵第三連隊設置。
1923(大正12)関東大震災で木造兵舎が焼失。
1928(昭和3)歩兵第三連隊兵舎として上記写真の建物がRC造で竣工。
1945(昭和20)米軍に接収され、ハーディーバラックス・エリア1(Hardy Barracks Area1)となる。
1958(昭和33)日本側に返還(エリア1の一部は未返還)。
1962(昭和37)東大生産技術研究所が千葉県からこの場所に移転。
2001(平成13)東大生産技術研究所が駒場に移転し、この後、建物が解体される。
2005(平成17)政策研究大学院大学が跡地に移転。
2007(平成19)国立新美術館が跡地に開館。

 第二次大戦後は一時米軍に接収されたが、返還後、東大生産技術研究所として使われるようになった。写真はこの時期のものだが、この数年後に生産技研は移転し、建物が解体されて国立新美術館が造られることになった。撮影当時、既に計画はあったのかもしれないが、私がそれを知るはずはなく、私自身はこの敷地内、建物内を見学することはないまま終わった。

 建物は「日」の字型をしていた。昔の建物は採光のため、光庭を取った建物が多かったが、この建物ではそれに加えてコーナー部が丸くなっていて、廊下も長方形ではなく、角を斜めにした八角形だったようだ。一説には、万一何者かが侵入したとき、似たような廊下が続き、侵入者が自身の場所が分からなくなるようにしたと言われている。


 六本木ヒルズ森タワーから  Photo 2003.5.20

 写真の頃には昔の庁舎建築の一部分だけを残した状態で、国立新美術館の建設が行われていた。
 この後、2007(平成19)年1月に国立新美術館は開館。

 旧歩兵第三連隊兵舎の建物のうち、上記写真で残されていた一部分は保存されて別館となった。ただし写真の塔屋部分は残存していない。また北面部分は更に削られ、ガラス曲面の壁面とされた。結局、保存されたのは全体の1/10に満たない部分のみだった。

保存された一部分の現況 → 国立新美術館-3(都市徘徊blog)

Wikipedia > 歩兵第3連隊

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス 
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旧麻布区保健所(港区麻布保健所)

2019-07-16 | 港区   
旧麻布区保健所(港区麻布保健所)
所在地:港区六本木6-16
構造・階数:木造・2F
Photo 1996.5.15

 六本木ヒルズの再開発地に隣接したすぐ南側の通りに面して建っていた。六本木ヒルズの再開発(当時は六本木六丁目再開発事業)が動き出した頃、既に空家のようになっていたので、当然一緒に再開発されるものだと思っていたら、なぜか再開発対象地からはちょっと外れてしまい、ずっと空き家のような感じで残り続けていた。もともと公共施設なので、一時的に別の公共施設として利用されていたこともあったようだ。しかし、2005年の春になって訪れてみたら、やはり取り壊されていて、六本木ヒルズへとつながる斜面の公園になっていた。場所柄、欧米人の子供が家族と共に遊んだりしている。

 すぐそばに玄碩坂からクランク状に上ってくる階段の出口があるのだが、出口部分は建物と共に残されている。下部の階段は地形がまるごと変わってしまったので消失してしまった。ポケットパークの草むらの中に、奇妙な感じで小径が残っている。

2018.6.13
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス 
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国税庁麻布分室

2019-07-14 | 港区   
国税庁麻布分室
所在地:港区六本木6-5
建設年:?
階数 :2F+塔屋
備考 :廃屋化→解体
Photo 1994.8.21

 現在の六本木ヒルズのすぐ東側の一角、賑やかな表通りから横道にそれて奥に入った所に、人々から忘れられてしまったかのような廃屋があった。袋小路にあるので人通りは少なく、都心なのが嘘のように静かな空間。裏通りにこのような時計台のある建物が建設されたこと自体、今考えてみればちょっと不思議だ。

 窓の部分まで這ったツタ、壊れたガラス、閉じられた雨戸、鍵が掛かって錆び付いた門扉、いつから止まっているのか分からぬ時計など、紛れもなくそれは廃屋だった。

2007.2.26
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #官公庁  #オフィス 
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