都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 

里水  


里水
所在地:新宿区市谷田町3-13
構造・階数:木・2F
備考 :解体・建て替え
Photo 2000.11.15

 写真の時点で既に営業はしていなかったようで、なんのお店だったのかよく分からないままに終わってしまった。ただ写真を詳細に見ると、店先にポカリの自販機があり、雪印のビンケースが積まれている。また、手前下の腰壁にはタイルで牧場と牛の絵柄が描かれている。どうも牛乳か飲み物などを販売している店だったようだ。

 それと軒上には「申込は(260)05××へ」とも書かれている。牛乳配達とかの申込受付をしているということだったのだろうか。その時に確かめなかったので、現在ではこれもよくわからない。

 2009年11月のGoogle Street Viewでは既に建て替えられているので、遅くとも2008年末頃までには解体されたと思われる。

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#失われた建物 新宿区  #看板建築 


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もちだ酒店
所在地:新宿区西早稲田1−4
構造・階数:木造・2F
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2012.12.11

 西早稲田バス停前、松の湯という銭湯の東側にあったモルタル看板建築。もちだ酒店は少し西側の西早稲田3丁目に移転したようだ。

 都内では次第にこういう街並みが減って、中高層のマンションやオフィスになっていくことが非常に多い。

ワセダ菜館
所在地:新宿区西早稲田1−4
構造・階数:木造・2F
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2014.10.04

 一枚目の写真で奥にわずかに見えていたワセダ菜館(定食屋)と理容ヒサゴの建物は、アルミサイディング張りの看板建築だったが、これも解体。こちらも建て替え中は一時休業していたが、新しいビル内で、2017年に営業を再開(ワセダ菜館は別の名に改称)している。

 近年はこの手のお店が廃業して建て替え、というパターンが多いが、ここの場合は建て替え後も同所もしくは移転先で営業を継続している。

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早稲田大学 記念会堂(37号館)
所在地:新宿区戸山1−24
建設年:1957(昭和32)
解体年:2015年7月で利用停止、8月から解体開始。
Photo 1987.7.16

 1964年の東京オリンピックの際には、フェンシング競技場として使用された建物。


 Photo 2007.9.20 RCのアーチ型梁が印象的


 Photo 2014.11.5 正面

 正面の立面全体を立面図的に見るには引きが足りないので、建物に近い場所から3枚の写真を撮って合成してみた。このため両サイドの階段が横に伸びている。


 Photo 2014.11.5 アリーナ

 入学式や卒業式がここで行われたので、その際に入ったことがあるが、それ以外では実はあまり縁がない建物だった。入学式などの際は、学生はアリーナに置かれた折り畳みイスに座り、父兄などは観客席に入っていた。


 Photo 2013.5.23 アリーナ

 このときはバスケットコート2面として使われていた。

 建て替え後の新しい建物は2019年竣工予定だそうで、名前は記念会堂ではなく「早稲田アリーナ」になるそうだ。また、緑化された屋上に上れるようになり、「戸山の丘」という屋上広場ができるのだそうだ。

新記念会堂(仮称)名称決定「早稲田アリーナ」「戸山の丘」に
– 早稲田大学 2016.10.21
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 神宮外苑、聖徳記念絵画館前からのダイヤモンド富士。

 多くの人々が見守る中、太陽は数分間の内に沈んでいった。新国立競技場の建設が既に始まっているため、富士山の方向には杭打ち機やクレーンが見えている。

 以下の写真は、富士山の頂上に太陽が掛かってから沈むまで。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
Photo 2017.2.4 17:01 F11 1/500sec ISO125

 この日は快晴。太陽がずっと輝いていたため、16:45頃に現場に着いた時には逆光になって富士山の姿は全く見えていなかった。しかし太陽が富士山に掛かって明るさが減じ、裏から照らす状態になると、シルエットになって富士の姿が浮かび上がってきた。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士

 日没時は比較的暖かかったため、若干の埃や水分が空中にあったのか、富士の周辺はややぼんやりしている。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士

 ここまで約1分。あっというまに太陽は山頂中央に沈んでいった。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
Photo 2017.2.4 17:14 F4.9 1/500sec ISO1000

 日没後はシルエットが17時30分頃までよく見えている。またこの光景は、冬場、天気が良ければもうしばらくの間、見ることができるのではないだろうか。ただやはり、新国立競技場の躯体が立ち上がってくると、隠されてしまうことにはなるのだろう。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士を眺める人々
絵画館前の広場でダイヤモンド富士を眺める人々
Photo 2017.2.4 17:04

 昨日は数十人の人々がこのダイヤモンド富士を眺めていた。新国立競技場の建設が始まり、昨年2月や11月のダイヤモンド富士の際に、見納めだと新聞やテレビで報道されたためか、昨年2月のダイヤモンド富士の時に比べると人出は少なかった。もう見えないと思われてしまったか、いちど見たからもう良いと思ったか・・・。

富士見坂眺望研究会 明治神宮外苑聖徳記念絵画館前からの富士のページ

昨年のダイヤモンド富士の様子
 → 聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士 - 都市徘徊blog

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聖徳記念絵画館前からのダイヤモンド富士。

1,000人以上が見守る中、太陽は数分間の内に沈んでいった。

以下の写真は、富士山に太陽が掛かる直前から沈むまで。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
Photo 2016.2.4 16:57 F5.6 1/1,230sec ISO100
デジタルズーム、450mm相当で撮影。

 富士山方向はやや曇っていたが、日没直前になって太陽が富士の背後に近くなり、薄雲越しに富士がシルエットになって浮かび上がる。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
16:58 F5.6 1/290sec ISO109
300mm相当で撮影。

 左の稜線ははっきりしているが、右側は雲の中。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
16:59 F5.6 1/290sec ISO367
300mm相当で撮影。

 寒い中、たくさんの人が100km程先の富士山を眺めている。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
17:01 F5.6 1/290sec ISO283

 太陽は富士山頂に完全に沈み、現場では拍手も。。
 TVも各社来ており、大型三脚に脚立で、万全の準備で撮影していた。

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聖徳記念絵画館前の広場から富士を望む
所在地:新宿区霞ヶ丘町1と2の間
Photo 2016.1.10

 晴天の日曜日、日没の時間帯に神宮外苑の聖徳記念絵画館前へ。旧国立競技場が解体されて、絵画館前の広場から富士山が見えるようになったという情報を得て、シルエットになった富士を確認しにいく。

 現場に行ってみてビックリ。絵画館前を横切る道の真っ正面に富士が見えている。意外な場所からの富士のお姿に、通り掛かる人は皆、写真を撮っていた。神宮外苑の計画時に「山あて」をして軸線を取ったのではないかと思えてしまう配置。

 明治神宮の内苑・外苑の計画に関して、そのような話があったとは聞いていないが、これはあまりにも真っ正面過ぎる。
 東京から道路の先に富士を眺める場合、方向が1°でも違うと正面には見えない。
 明治天皇の事績を展示する絵画館前で、西方の目立つ方向の真っ正面に富士が見えるということは、なんらかの計画的意図があったと考える方がむしろ自然ではないだろうか。

 初代の競技場は大正時代に建てられたらしい。戦後に新しく競技場が造られ、その後、1964年の東京オリンピックの際にこれは増築されている。どこかの段階(たぶん東京オリンピックの時だと思う)で、富士は隠されてしまったのだろう。
 富士が見えることや、そこに神聖なものを感じ取るよりも、競技場の拡張が優先された時代があったということなのかもしれない。

 駐車場のおじさんは「新国立競技場ができるとまた見えなくなっちゃうよ。今だけの景色だろうね。」と言っていた。

 この眺望に関することは今度の競技場計画でも考慮はされていないだろう。だが、新国立競技場を建てつつ、突如として復活したこの景観を残す手だてはないものだろうか。

 ちなみに、富士見坂眺望研究会のWeb Siteには、早速、絵画館前からのダイヤモンド富士のシミュレーションが掲載されている。

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東京新旧写真比較(2006/2009) No.49 新宿区市谷柳町

外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷柳町交差点付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ
Photo 2009.4.18(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 外苑東通り市谷柳町交差点の少し南側。拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。

 2006年の時点で道路沿いの建物は既にある程度解体されていたので、この写真の中で2006年~2009年に解体されたのは、ドトールコーヒーが入居していた建物と、その後ろ、そして2軒先の家屋。ドトールコーヒーの隣はパチンコ屋で、2009年にもまだ残されていたが、既に営業はしていなかったようだ。

 右端に見えている建物は市谷柳町交差点角にあった建物で、写真の頃には1Fにオリジン弁当が入居していた。左方には新しくビルが建ったため、2006年に見えていた少し後方のマンションは、写真では見えなくなっている。また、バス停は移設されたのか、2009年の写真には見あたらない。

 電柱や街灯、電線の類がまだ移設されていなかったため、撮影の位置決めはこれらと後方の建物との重なり具合で行うことができた。道路拡幅が済む頃には、電柱・電線の地下化も進み、街灯も移設されるだろうから、もし次に同じ場所から写真を撮れば、画面のあちこちを横切る電線や電柱が無くなるので、それだけでも様子は大きく変化するだろうと思われる。

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#東京新旧写真比較 新宿区  #失われた建物  #失われた建物 新宿区


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東京新旧写真比較(2006/2009) No.48 新宿区市谷薬王寺町

外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ
Photo 2009.4.18(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。市谷柳町交差点の一つ南側の横断歩道信号の場所。

 2006年の写真中央にあった木造モルタル2階建て商店は、この時点で既にお店をやっていなかったようで、1階北側は車庫になっていた。この1、2年後には解体されたらしく、2009年時点では現場事務所のプレハブが建っている。Google Street Viewで確認すると2014年時点では、このプレハブ事務所も無くなっており、整地作業中となっている。

 左端の茶色いタイル張り建物は、通りの拡幅を見越して、5階建てで建てられていたもので、これは現在も沿道に建っている。

 定点観測をしようとして1枚目の写真を撮っているわけではないため、仮に自分が撮った写真であっても、正確な撮影位置は記憶していない。従って、2度目の撮影の際には、手がかりになる建物の様子を見ながら、正確な位置を特定するのだが、その際には建物の前後の重なり具合を利用することが多い。二つ以上のポイントで重なり方を同一にできるとかなり合わせて撮ることができる。

 この時は前後に重なる箇所があまり多くなかったが、撮影位置は比較的正確に特定できた。ただ、やはり撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みが同一にならず、画像を切り替えると残念ながらポイントがややずれる。

 外苑通りの拡幅が終わったらまた撮影してみたいとは思うが、現時点で既にかなり手がかりが減っているため、次回の撮影はやはり難しくなるのではないかと思う。

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東京新旧写真比較(2006/2009) No.47 新宿区市谷薬王寺町

外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ
Photo 2009.4.18(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。写真は新しい方のものでも6年ほど前のもの。最近近くを通りかかったら、写真手前右端の建物だけでなく、後方の建物も無くなったようだった。

 2006年の写真中央は木造モルタル2階建て看板建築の洋品店。その右も木造2階のコインランドリー。右端の2009年時点でも残っていた3階建ての1階は韓国料理店。

 現在も拡幅工事は続けられていて、沿道の建物は道路用地になってほぼ消失し、後方の建物も建て替えられたりしている。拡幅後の沿道には14階建て程度の高層マンションが壁のように建ち並んでおり、街並みの様子は数年前とも全く異なる。

 2度目の撮影の時点で既に手がかりになる建物が少なくなっていたため、撮影位置合わせは若干ずれてしまった。また撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みも同一にはならず、画像を切り替えると残念ながらポイントのズレがやや目立つ。現在は写真中の建物がほぼ無い状況で、電柱や街灯、道路の縁石程度しか手がかりがないため、同一視点からの撮影はかなり難しくなっているのではないかと思う。

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新宿御苑 旧大温室
所在地:新宿区内藤町
建設年:1957/58(昭和32/33)
備考 :2007(平成19)閉鎖・解体
Photo 1991.7.7

 一般財団法人国民公園協会のサイト(最新情報 | 新宿御苑 | 一般財団法人国民公園協会)には、「昭和26年(1951)から温室の公開が始まりましたが、観賞用にはたてられていなかった為、改修工事を行い、昭和33年(1958)に、当時としては東洋一の規模を誇る大温室が完成しました。」と記されている。
 しかし、環境省の「国民公園新宿御苑について」には、「昭和32年:大温室完成。」と記されている。

 建築物としての竣工は昭和32年で、一般公開は昭和33年ということなのだろうか? そのへんの詳細はよく分からなかった。

 新宿御苑内には、中国風木造建築である旧御涼亭(台湾閣) や、管理事務所としても使われていた旧洋館御休所など、文化財として保存されている建物もある。大温室は築50年で、戦前からの古い建物ではなかったが、放物線型のアーチを持つ大屋根は美しく印象的だった。

 この大温室は施設の拡充等のために建て替えられることになり、2007年に閉鎖され、解体された。同所には新しい温室が2012年に完成している。

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