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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

窪寺米店

2025-05-12 | 中野区  
窪寺米店
所在地:中野区 中野5-57-4
構造・階数:木・2
建設年:1959(昭和34)頃
解体年:2023(令和5).12
Photo 2023.12.12

 中野駅北口、サンモールや中野ブロードウェイ東側のふれあいモール沿いにあった米屋さん。
 2006、07年頃までは米屋として営業していたようだが、その後はたばこ販売が中心になっていたようで、数年前までは左側のカウンターとシャッター前の自販機でたばこを売っていた。

 1階は自販機やたばこカウンターがあり、道路側には壁面がほぼなかったが、2階は戸袋がモルタル洗い出し仕上げで、縦縞、横縞、斜めのラインなどが入り、洒落た仕上がりになっていた。また、1階の軒先や2階の窓上には瓦屋根の庇が付けられていた。

 一昨年末に解体されることになり閉店のお知らせが掲出された。そこに築64年と書かれていたので、1959年頃に建てられたものだったようだ。

Tokyo Lost Architecture 所在地別リスト  
#失われた建物 中野区  #看板建築  #モルタル看板建築 
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フジムラスタジオ

2025-05-09 | 中野区  
フジムラスタジオ
所在地:中野区 上高田2-42-5
構造・階数:木・2
建設年代:戦前
解体年代:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2006.2.17

 中野通りから新井薬師・梅照院へ至る薬師柳通りに面してあった銅板張り看板建築。この通り一帯も戦災では焼失しておらず、最近までは看板建築が多く残されていた。

 2軒つづきだったが、写真屋の右隣はこの写真の時には既に仕舞屋だった。70年代の地図では「みうらや」、80年代には税理士事務所。

 銅板張り看板建築は下町に多いが、山の手エリアでも昔ながらの商店街でときどき見掛ける。往々にして駅前のメジャーな商店街ではなく、そこからちょっと外れていてあまり開発圧力が加わらない少々寂れた商店街であることが多いのだが。

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#失われた建物 中野区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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池の湯

2025-05-06 | 中野区  
池の湯
所在地:中野区 上高田2-19-12
構造 :木
解体年:2008〜09(平成20〜21)
備考 :2008(平成20)年5月に廃業
Photo 2006.11.25

 西武新宿線の新井薬師前駅の南の方にあった銭湯。一帯は戦災では焼失していない地域だが、建物の雰囲気からすると戦後に建てられたものだったのではないかと思う。創業時期は未把握。1958年の住宅地図で既に名があるので、それよりは前。

 脱衣場などがある前側は切妻平入り。2階建てのようにさえ見えるが、どうやら脱衣場の天井がかなり高かったようだ。入口部分だけが新しくタイル張りに改修されており、すぐ後ろには入母屋屋根が残されていたのもちょっと不思議。

東京の銭湯・温泉池の湯
銭湯・温泉・サウナ王国池の湯

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旧 渡部商店

2024-09-12 | 中野区  
旧 渡部商店
所在地:中野区 上高田2-58
構造・階数:木・2
建設年代:戦前?
解体年代:2016〜17(平成28〜29)
備考  :昭和50年代には既に仕舞屋になっていた模様
Photo 1994.4.17

 西武新宿線の新井薬師前駅から中野方面へ向かう道沿いにあった旧木造店舗。このエリアは戦災では焼失しなかったようなので、戦前に建てられたものだったのではないかと思われる。さほど立派ではなかったが、一応、出桁造りだったようだ。

 建物の前にしばしばクラシックカー(Morgan? MG TF)が駐められていて、ちょっとギャップのある景色だったのが印象的だった。


 Photo 2005.11.3

 私自身は店舗としての姿は見たことがない。初めて通り掛かった時には既に仕舞屋になっていた。住宅地図で確認したところ、1950年代には「あたりや」、1960年代には「渡部商店」という店だった。ただしそれらが何を売っていた店だったかは不明。

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#失われた建物 中野区  #木造店舗  #出桁造り 
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石森ビル(中野センター・中野ヘルスクラブ)

2023-01-12 | 中野区  
石森ビル(中野センター・中野ヘルスクラブ)
所在地:中野区 中央4-61
構造・階数:RC・5
建設年:1961(昭和36)頃
解体年:2009(平成21).12
Photo 1997.3.30

 中野光座があった中野センター食品街の建物の東隣にあったビル。中野光座と同時期、少し後に建てられたもので、1961年発行の「東京都全住宅案内図帳」では建設中と記されている。また1968年発行の「東京都全住宅案内地図帳」では「三越商事KK・中野センター」となっている。また、1976年発行のゼンリンの住宅地図では「石森ビル・三越商事」と記され、その後の住宅地図では「ファミリーショッピング中野センター」などとも記されている。

 南側は5階建て、北側は2階建て。北側が2階建てなのは、大久保通りが将来拡幅される予定なのが当時既に明らかだったためかもしれない。1階にはファミリー中野センターというスーパーマーケットが入居していた。また、主に2階には中野ヘルスクラブというジムがあった。

 ジムとかボディビルとかの方面には全く疎いのでよく知らないのだが、中野ヘルスクラブは古くからのジムで、草分け的な存在だったらしい。とにかく、外国人と思しきマッチョな男女が外壁に描かれているのがすごく印象的だった。最近のジムにはこのような絵は描かれていない。90年代でも異色な存在だった。またその看板が古びて色褪せたりもしていて妙な迫力を醸しだしていたのだった。いちど入ったら出てこられない雰囲気・・・。

 ファミリー中野センターの方は、西側の中野センター同様、戦後このあたりにできていた小規模店舗をまとめたものが元になっていたのだろう。

 建設当初は、大久保通りの拡幅工事が始まるなら5階建ての側は残して北側を取り壊そうと考えていたかもしれない。しかし用地買収がされる頃には建物も老朽化していて、より高層の建物に建て替える方が良くなったということだったのだろうか。

ついに終焉。中野の闇市ゾーン [中野光座] : 日本ボロ宿紀行

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#失われた建物 中野区  #商業系  ブログ内タグ一覧
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中野センター・中野光座

2023-01-09 | 中野区  
中野センター・中野光座
所在地:中野区 中央4-61
構造・階数:RC・2F(一部3F?)
建設年:1960(昭和35)頃
解体年:2010(平成22).6
備考 :中野光座(映画館)は1994年頃に閉館
Photo 1997.3.30

 中野センター・中野光座は、戦後このあたりにできていた小規模店舗群(マーケット)をひとつの建物にまとめて、更に映画館を併設したもの。中野五差路交差点に面していて赤いトタンで覆われた外観が印象的だった。

 下記リンク先の「消えた映画館の記憶」によれば、1958年の映画館名簿には掲載がなく、1960年のそれには「中野光座」として掲載されているという。1961年発行の「東京都全住宅案内図帳」では「中野センター食品街」とだけ記されているが、このとき既に中野光座も存在していたようだ。その後、1968年発行の「東京都全住宅案内地図帳」には、「中野光座・中野センター食品街」と記されている。


 北西側・大久保通り側 Photo 2006.6.4

 中野光座の入口は北側の角にあった。外壁には「中野光座」のネオンサインが残されていたが、「中野光座」「中野ひかり座」「中野ヒカリ座」と、映画館名簿や住宅地図では表記が一定ではなかったようだ。160席だったそうなので映画館としては小規模。途中からはピンク映画の上映館になっていたという。映画館としては1990年代中頃に閉館したそうだ。私が上京してからもしばらくはやっていたわけだが、残念ながら入ってはいない。またその後も小劇場として2000年代中頃までは利用されていたようだ。写真の時点でも演劇開催の告知が掲出されている。
 航空写真で見たところでは、映画館は2階北側に前室(ホワイエなど)があり、中野通り側(1枚目の右半分側)に劇場スペースがあったのではないかと思われる(あくまで外観などからの想像ですが)。


 東南側 Photo 2006.6.4

 東南側は一方通行の小路に面して飲食店などが店を開いていた。上階の全てを映画館が占めていたわけではなかったようで、写真中央の居酒屋などには2階席もあったように見える。


 隣接したビルとの間に設けられた通路  Photo 1997.3.30

 写真左側は北東側の石森ビル。構造的には別々のビルだったが、こちらのビルの店舗も合わせて中野センターと呼んでいたようだ。


 西側入口付近から  Photo 1997.3.30

 1階には通り抜け可能な変形した丁字型の通路があり、中野五差路交差点に面した角と、東南側の小路側から入れるようになっていた。建物全体は長方形の1つの角を斜めに切ったような平面型をしており、基本的にその長方形の四辺に平行してグリッド状に柱梁が造られていた。交差点に面した角はその斜めに切った部分なので、そこから入ると天井の梁が通路を斜めに横切っていた。そして少し奥へ進むと通路はくの字型に折れていた。この頃はまだ営業している店舗がいくつかあったので、通路にも物が置かれたりしていた。
 店舗は2階建てだったが、通路上部にガッチリした梁が入っていることから考えると、この上に映画館の客席や設備が載っていて部分的には3階建てだったのではないかと思われる。


 丁字型交差部からくの字に曲がった通路  Photo 2006.6.4

 2000年代、解体の数年前の段階になると、営業している店もわずかになりひっそりとしていた。


 丁字型交差部。右へ進むと南側に出られる。  Photo 2006.6.4

 くの字型の部分は上部に劇場があったためかRCの梁とスラブがあったが、丁字型交差部付近から東と南にはスラブがなく、梁だけになっていて、角材と塩ビ版で造られた屋根が載せられたアーケードになっていた。


 丁字型の交差部  Photo 2006.6.4

 2階には店主などが住んでいたのだろう。蛍光灯の灯りが点いている部屋もところどころあった。


 南側の入口付近から  Photo 2006.6.4

 90年代に訪れた時には、通路のところどころに蛍光灯が付けられていたが、2000年代に訪れたらそれはなくなっていて、裸電球がぶら下がった状態になっていた。


 Photo 2006.6.4

 隣接する石森ビルは2009年末に解体。中野光座・中野センターも翌2010年に解体された。

 なお、その後に新築されたビルは、北側を通る大久保通りの拡幅と中野五差路交差点の改良もあり、以前よりかなり下がった位置に建てられている。

中野区の映画館 - 消えた映画館の記憶
ついに終焉。中野の闇市ゾーン [中野光座] : 日本ボロ宿紀行
中野光座 02 ← 中野光座の内部写真あり

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#失われた建物 中野区  #映画館・ホール  #マーケット  #飲食店 
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東京都住宅供給公社 中野駅前住宅

2023-01-06 | 中野区  
東京都住宅供給公社 中野駅前住宅
所在地:中野区 中野2-24〜26
構造・階数:RC・4
建設年:1951〜52(昭和26〜27)
解体年:2019(平成31).9〜
Photo 2018.6.7

 JR中野駅南口から線路沿いに東へ少し行った場所にあった団地。昭和20年代に建てられた団地は東京では既にかなり少なくなっているそうで、しかもJR駅の近くというのは珍しいというか貴重ともいえる存在だった。
 建設から70年近く経ち老朽化もしていたことから再開発されることになり、2019年に解体。現在、中野二丁目地区第一種市街地再開発事業が行われていて、2024年には超高層の集合住宅とオフィスビルが竣工する予定という。


 南北に並んだ7号棟と6号棟  Photo 1997.3.30


 手前から2号棟〜5号棟  Photo 2009.2.4


 JR中野駅のホームから1号棟と2号棟  Photo 2017.11.26


 1号棟は線路沿いの道から直接入っていくかたち  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

 当初は風呂が無かったそうで、風呂場は南側のベランダを後から改装して造ったそう。


 Photo 2009.2.4


 入口の周囲にはスクラッチタイルが張られていた  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

中野住宅くらしとすまい|JKK東京 東京都住宅供給公社
1953年完成も、解体間近の「中野駅前住宅」が伝える集合住宅の「原点」とは? | アーバン ライフ メトロ
Rトピックス 中野住宅が教えてくれること−団地R不動産−
現存する最古級の団地「中野駅前住宅」解体へ | 東スポWEB
歴史ある「中野住宅」の建替事業×「中野」駅南口エリア再開発 新築賃貸マンションの内装イメージを公開|東京都住宅供給公社のプレスリリース

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#失われた建物 中野区  #住宅系  #集合住宅  #公営・公団・公社・公立住宅 
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乾海苔問屋赤羽

2022-12-15 | 中野区  
乾海苔問屋赤羽
所在地:中野区 中央4-6
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期〜昭和30年頃
解体年:2018(平成30)
Photo 2007.3.2

 中野駅南方の中野通りに面して建っていた商店。
 敷地が鋭角になっているらしく建物は北側の間口が狭い。このため北側から見ると細身の建物のように見えて印象的だ。


 Photo 2013.8.27

 一方、南側から見ると、さほど異形の建物には見えない。1階の屋根の傾斜が2階のそれよりかなり急なのがちょっと目立つ。


 Photo 2007.3.2

 建物は中野通り沿いに長く、幅広の間口を見せている。

 このあたりの中野通りは関東大震災前の大正時代にはまだできていなかったようだ。だがこの店舗はちゃんと中野通りに沿って建っている。従って、少なくとも中野通りが計画決定されたとき以降に建てられたものだろうと思われる。
 また、この建物のある地区は第二次大戦では被災しなかった場所なので、この区間の中野通りが完成した昭和戦前期の頃に建てられた可能性もあるだろう。ただ、屋号などが分かるのは1958(昭和33)年の地図以降である。

1933 ? 「火災保険特殊地図」外形は似ているが屋号などの記載がなく判別不能
1945 非焼失地域 「東京都35区区分地図帖 戦災焼失区域表示」1947
1958 ○ 「東京都全住宅案内図帳・中野区南部」住宅協会
2018.4 ○ Google ストリートビュー
2019.3 × Google ストリートビュー


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千葉商店

2022-01-21 | 中野区  
乾物屋・千葉商店
所在地:中野区 新井1-36
構造・階数:木・2
建設年:1937(昭和12)
解体年:2016(平成28)
Photo 2005.11.3

 薬師銀座・薬師あいロード商店街にあった乾物屋。モルタル塗りのベランダのある平入りの2階建て商店。


 Photo 1993.11.7

 90年代、店先の右側にはたばこ販売のコーナーがあった(既に使われていなかったが)。また店内右側もたばこコーナーだった。店先にはしばしば海苔やお茶の段ボールや木箱が置かれていた。


 Photo 2013.8.26

 2010年代、店頭左側のたばこの自販機はまだあったが、店頭右側や店内のたばこコーナーは無くなり、乾物中心のお店になっていた。

 下記「東京ノスタルジア」には2016年1月の写真があるが、この少し後に解体されたという。薬師銀座商店街でも古い建物はかなり少なくなっている。

旧千葉商店 中野区新井 - 東京ノスタルジア

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一の湯商店街のアーケード

2020-11-01 | 中野区  
一の湯商店街 西側入口付近から東方向
所在地:中野区沼袋1-36、37
解体年:2000〜07(平成12〜19)の間
Photo 2000.4.19

 西武新宿線沼袋駅北口にある銭湯前のアーケード商店街。北口の商店街の通りから、一の湯という銭湯へ向かって東へ入る小路と銭湯前の小路にT字形にアーケードが架かり、商店が並んでいた。

 小路の北側の一角がマンションに建て替えられた(ダイナシティ中野沼袋、2008.3竣工)際に、アーケードは撤去されたようだ。南側の建物も一部は建て替わったり業態が替わっている。ただ、右側、幟のある店舗、茶の丸美屋と、奥の右角の鮮魚店魚光は現在も存続している。

 アーケード中ほどから西側入口方向。右側はマンションになり、左側は店舗の業態が替わった。

 一の湯の前から西方向。左端の鮮魚店と、少し奥の茶の丸美屋は現存。右側はマンションになり全てなくなっている。

 T字形のアーケードの東南端から。右側の銭湯、一の湯は現在も営業していて、その前の部分だけはアーケードが残存している。

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#失われた建物 中野区  #街並み 中野区  #商業系  #アーケード 
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