都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

日本平のテレビ送信塔群

2023-11-30 | 静岡県  
日本平のテレビ送信塔群
所在地:静岡市清水区草薙(日本平頂上付近)
構造 :S
建設年:1957〜79(昭和32〜54)
解体年:2012(平成24)
Photo 1993.12.9

 地上デジタルテレビ放送は2005年から始まった。静岡では日本平の頂上に2004年に日本平デジタルタワーが造られ、現在はここからNHKのテレビ2局と民放テレビ4局、FM2局が送信されている。だが、地上波アナログ放送が2011年に終了して停波するまでは、日本平の頂上付近には各局の送信アンテナがそれぞれ建てられていた。

 上写真は山頂吟望台付近からのもの。左から、NHK総合、NHK教育・NHK-FM、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、奥 テレビ静岡、右方 SBS(静岡放送)×2基(含 FM静岡)、日本平観光天文センター(プラネタリウム・天文台)

 Wikipediaによれば、日本平観光天文センターは1959(昭和34)に建設された、店舗、プラネタリウム、天文台(望遠鏡ドーム)のある建物。アナログ放送の送信塔よりも一足早い2000年に閉鎖され、その後解体されたという。


 日本平デジタルタワー完成後  Photo 2008.12.28

 2枚目の写真も1枚目の近くから撮ったもの。日本平デジタルタワーが完成している一方、日本平観光天文センターは既に解体されてなくなっている。

 静岡のテレビ、FMの開局年代等は以下(コミュニティFMは除外)。

 1957(昭和32) NHK静岡放送局、総合テレビの放送開始
 1958(昭和33) 静岡放送、本放送開始
 1962(昭和37) NHK静岡、教育テレビ(Eテレ)本放送開始
 1964(昭和39) NHK静岡、FM実験放送開始
 1968(昭和43) テレビ静岡開局、本放送開始
 1969(昭和44) NHK静岡、FM本放送開始
 1978(昭和53) 静岡県民放送(現 静岡朝日テレビ)開局、本放送開始
 1979(昭和54) 静岡第一テレビ開局、本放送開始
 1983(昭和58) 静岡エフエム放送開局、FM本放送開始
 2011(平成23) アナログ標準テレビ5局6波が廃止。
 2012(平成24) アナログ標準テレビ5局6波の送信設備が撤去される。


 日本平デジタルタワー完成後  Photo 2008.12.28
 日本平ロープウェイ前の駐車場から

 左から、テレビ静岡(先端のみ)、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、NHK総合、NHK教育・FM、奥 SBS(静岡放送)、日本平デジタルタワー

 日本平の頂上には多くの送信塔が建っていて、それぞれ少しずつ異なる姿形をしていて、それはある意味壮観だった。だが上にもあるように、2011年にアナログ標準テレビ5局6波が廃止され、赤白で塗り分けられたアナログ放送の送信塔群は使われなくなった。このため、各局の送信塔は2012(平成24)年に撤去され、現在はそれらより遙かに背の高い日本平デジタルタワー(高さ95.5m)のみが建っている。

 大きな送信塔一基だけになったので頂上付近の景観はすっきりしたものになった。市内から見ても頂上付近に高い塔が一つ聳えている姿は分かりやすい。ただ、塔があちこちに建っていて、歩くにつれてそれらの見え方が変わっていた時代を知る者にとっては、各局の施設をまとめた高い塔は合理的・機能的で良いことは分かっていても、ちょっと単調に感じてしまうことも事実だ。

日本平テレビ・FM放送所 - Wikipedia
日本平デジタルタワー - Wikipedia
日本平観光天文センター - Wikipedia

静岡の建築・土木構築物 
#失われた建物 静岡県  #塔  #山  #眺望  #夕景・夜景 
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中村眼鏡店/トムソン人形町店

2021-09-03 | 中央区  
中村眼鏡店/世界のCD専門ショップ トムソン人形町店
所在地:中央区 日本橋人形町1-19-3
構造・階数:木・3
建設年:1924(大正13)頃
解体年:2002〜03(平成14〜15)
Photo 1996.10.6

 大正時代の竣工で、木造3階の上に塔屋が載る建物。以前は眼鏡店だったそうだが、撮影時には既に業態が替わっていてCDショップになっていた。

 1990年代後半に訪れた時には、ビニールの幕看板が外側を囲んでいてその外観はほとんど見えなくなっていた。かろうじて塔屋の上部だけが道の反対側から見えていて、タイル張りの壁面が後方に少しだけ見えている状態。店舗としては目立っていたが、建築としての魅力がほとんど無くなってしまっていたのは残念。
 看板で囲まれていない昔の姿は、下記、ぼくの近代建築コレクションに1983〜88年の様子が掲載されており、2、3階の壁面の様子も見ることができる。

 西側の小路を入った場所にも看板建築が並んでおり、下記サイトによれば、80年代は左側が鮮魚店、右が金網店だったようだ。私が撮影した96年時点では、鮮魚店の建物は飲食店かなにかに既に替わっている。

中村眼鏡店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #商業系  #塔  タグ一覧
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日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #眺望  #山  #塔  #橋  #現代建築 
#屋内階段  #隈研吾 
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工場街夜景

2021-07-23 | 静岡県  
日本軽金属清水工場の渡船のりば付近から
所在地:静岡市清水区三保
Photo 1997.4.20

 20年前のリバーサルフィルム写真

 左側は日本軽金属清水工場、右側は中部電力新清水火力発電所。

 周辺は工場ばかりで、この道も渡船のりばへの行き止まり道なので、車も人もほとんど通らない。夜間にこの場所で三脚を立てて撮影してるのはほぼ不審者。よく通報されなかったものだ。近年は部外者の立入は不可の模様。
 右側の火力発電所は今はもう無く、ライトアップされた煙突も既に無い。

 この頃、既に都市景観愛好者には工場の夜景は話題に上っていたが、まだ大手を振って好きだとか格好いいとは言いにくい状況だったような記憶がある。工場萌えって言葉もまだ流布してなかったはず。

 やはり大山顕さんの登場で変わったのか、時代がそのように変化したのか・・・。

静岡の街並み
#街並み 静岡県  #夕景・夜景  #塔  #工場 
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静岡県庁別館 21F 展望室から2

2021-07-08 | 静岡県  

 静岡県庁の展望室から。つづき。気になる施設など。

静岡県庁別館展望室から 駿府城公園、巽櫓と東御門
所在地:静岡市葵区追手町9-6
Photo 2016.8.18

 私が静岡に住んでいた頃にはまだ無かった建物。巽櫓は1989年に、東御門は1996年に復元された。天守閣は江戸時代中期には既に無く、図面も無いので、もし再建するとしたら推定するしかないらしい。
 巽櫓や東御門、坤櫓(2014年復元)は幕末まではあったのかな? 指図などが残っていたのか、時間は掛かったが比較的すんなり復元された。駿府城は大御所として家康が住んだ城で、外堀の大半と中堀が現存しているが、昔は建物が全然無く、やはりちょっと物足りない状態だった。江戸時代に既に無かった天守閣をむりやり造るのには賛成しかねるが、資料がある建物を少しずつ復元、整備していくのは良い。20年前までは無かったこの建物も、いつのまにか市のシンボルのようになっている。


 静岡県庁本館

 左の方の赤瓦の部分が正面中央の塔屋。正面から見るといわゆる帝冠式で立派だけれど、上から見るとやや殺風景。環境に配慮して芝生緑化したり、太陽電池パネル並べたりしてるが、屋上というものは雑然としていることがやはり多い。


 静岡大成中学・高校 2004年竣工 設計 長谷川逸子

 昔は精華高校という女子校だった。学校法人名は今も静岡精華学園だが、中学・高校の名前は男女共学化と校舎新築に際して静岡大成に改称されている。幹線道路には面していない建物だが、高いところから眺めると奇妙な外観が目をひく。

 谷津山(右)と愛宕山(左端)の間の鞍部には、草薙、清水方面のビルが見えている。左は静岡銀行の本部ビル。右と奥のマンションはどこのものかよくわからない。奥に白く微かに見えるクレーンは清水港のガントリークレーン。県庁からでも清水港の港湾施設が見えるのにはちょっと驚いた。

 谷津山(標高100m)の頂上の2つの鉄塔は、NHK静岡(JOPK)の旧ラジオ送信塔。1931(昭和6)完成で、設計は塔博士、内藤多仲。
 東京の愛宕山の頂上でラジオ放送が開始された時の塔と似たタイプの送信塔で、二本の鉄塔の間に丁字型にケーブルを張っている。初期のラジオ送信塔の遺構としてかなり貴重なものだが、文化財指定などはされていない。現在は東海大学が所有管理している模様。
 その右側の塔は、東静岡のJR操車場跡地に造られたNTT DOCOMOの塔。18階建てのビル(高さ82.7m)の上に塔が建っており、総高約160m。ビルは谷津山の向こう側の低地に建っているが、手前の谷津山の標高が低いので、山の向こう側に見えてしまっている。

静岡の街並み
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#山  #塔  #官公庁  #学校  #城・宮殿 
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御前埼灯台

2021-06-29 | 静岡県  
御前埼灯台
所在地:静岡県御前崎市御前崎1581
建設年:1874(明治7)
設計 :R.H.ブラントン
構造 :煉瓦造
高さ :22.47m
備考 :近代化産業遺産、国重要文化財
Photo 2001.9.6

 明治初期に建てられた煉瓦造の灯台。ランプ自体の高さは地表から約18mだが、岬の突端の台地(高さ約36m)の上に建っているため、海面からは54mになるという。
 御前崎付近は今でも海の難所で、座礁する貨物船なども多く役割は大きい。見学ではランプの直下まで上ることができる。


 展望フロアへ上るタラップ


 展望フロアから、上部のランプ

 展望フロアから東方向


 展望フロアから西方向

御前埼灯台 - Wikipedia

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #近代建築  #塔  #眺望  #パノラマ 
#海・川・池  #重要文化財 
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聖路加国際病院

2019-07-20 | 中央区  
聖路加国際病院
所在地:中央区明石町10
建設年:1929(昭和4)
構造 :SRC
階数 :6F・B1F・塔屋
備考 :中央部のチャペル棟を残して建て替え
Photo 1988.2.28

 隣接地と共に再開発され、大半が建て替えられたが、中央部のチャペルと塔屋は保存された。両翼部も高層化することはなく、ボリュームの雰囲気は残されている。ただ多少凹凸が少なくなり、ややペラッとした印象になった気がする。


 改修後の様子 Photo 2001.4.22

Wikipedia > 聖路加国際病院

ぼくの近代建築コレクション
  聖路加国際病院(南面)/中央区明石町
  聖路加国際病院(聖ルカ礼拝堂)/中央区明石町

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #近代建築 
#病院  #塔 
2007.2.25
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梅窓院

2019-07-04 | 港区   
梅窓院
所在地:港区南青山 2-26
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
解体年:2000(平成12)頃
Photo 1991.5.11

 2000年頃まであった昔のお堂は、大正末期に鉄筋コンクリートで建てられた和風デザインのものだった。しかも、普通の寺院の堂のような形ではなく、四角い建物の上に塔を載せたような姿で、いま見ても、一風変わった建物だった。建設当初はかなり斬新だったのではないだろうか。妙な感じで目立っていたかもしれない。

 建築家・隈研吾氏の設計によって建てられた新しいお堂もなかなか斬新な設計らしい。寺院建築は、ともすれば昔ながらの建て方になってしまいがちだが、梅窓院は、前回の建立時と同様、建て替えるからには、その時々に合った、新しい寺院建築の在り方を模索したのかもしれない。

長青山 梅窓院|東京南青山

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #近代建築  #寺院  #塔 
2007.2.26
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大谷口配水塔

2019-01-21 | 板橋区  
大谷口配水塔
所在地:板橋区大谷口1-4
建設年:1931(昭和6)
構造 :RC
解体年:2005(平成17)
Photo 2004.10.10

 関東大震災の後、荒玉水道組合によって建設された配水塔。東京都水道局に管理が引き継がれ、1972(昭和47)まで使用されていたが、老朽化のため使用停止となり、2005年に解体された。

 他に大きな建物が少ない住宅地の中、巨大な姿が印象的。「水道タンク前」というバス停もあり、地域のランドマークとなっていた。高台でもあり、昔はかなり遠くからでも望むことができたのではないだろうか。

 中野区江古田1-3にも同じ設計者の手による野方配水塔がある。こちらのほうは非常用貯水タンクとしてまだ現役。

 水道局施設内には立ち入りができないので、金網越しに撮影。西洋建築風の意匠とドーム屋根が強い印象を与える。

 施設の東側は路地を挟んでそのまま住宅地になっている。住宅地の中の道を歩いていると忽然と巨大な塔が現れるので驚かされる。

 初めて見ると少しビックリするが、毎日のように見慣れていると、地域の重要な景観要素・ランドマークと認識されるようになるのだろう。

 大谷口給水所再整備に際しては、この建物が長年地域のランドマークになっていたことなどを考慮して、デザインの継承が試みられたといい、新設のポンプ所はかつての配水塔に似たデザインになっている。ただ改築等ではなく完全に新しい建物なのに、昔のデザインをまねる必要があったのかはいまひとつわからない。

大谷口配水塔 - Wikipedia

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都営桐ヶ丘アパート E47号館

2018-12-17 | 北区   
都営桐ヶ丘アパート E47号館・北西側から
所在地:北区桐ヶ丘1-8
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :14F
Photo 2018.11.3

 現在、桐ヶ丘1丁目アパートへの建て替えが進められている桐ヶ丘団地。1960〜70年代に建てられた団地の建物はほとんどが5階建て以下で、一部にメゾネット6階があるだけ。その中で唯一この建物だけは14階建てで、団地のシンボルタワーのような存在だったそうだ。


 南側からの全景と、団地の給水塔

 桐ヶ丘団地は詳細には見ておらず、この建物も近づいたことがなかった。先月訪れた際、灯りが点いておらずちょっと異様な雰囲気を漂わせていたため近くに行ってみた。すると解体の掲示が出ており、そのとき初めてこの建物がなくなることを知った次第。


 玄関付近

 結局内部には入らずじまい。平面形はほぼ正方形、吹き抜け中庭のあるロの字型の建物だったという。解体直前だったので補修もされておらず、あちこちの塗料が剥げていた。

 解体工事は10月30日からの予定とされていたが、11月3日に訪れた際にはまだ工事は特に始まっていなかった。ただその後1ヶ月以上経ったので、現在はたぶん解体作業が始まっているだろう。

 1Fには桐ヶ丘小売市場という店舗もあったようだ。昔は周辺地域からも多くの人が訪れていたのだろうが、訪問時は既に無人でひっそりしていた。

 階段室・EV室のある壁面の見上げ。近くで見るとなかなかの迫力がある外観をしている。


 非常階段の見上げ

 錆び付いた階段が上方に伸びる姿は迫力があり存在感があった。建物名で検索すると昔の写真も出てくるが、非常階段に布団を干しているのが印象的だった。高層で外側にベランダがなかったためそんなことになっていたようだ。

 壁面から片持ち梁を2列張り出して、それに鉄製の階段を載せている。一見すると素っ気ないが無駄のない合理的な姿はある意味潔くて格好が良い。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 北区  #公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
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