04/01 春原医院(神保町・失われた洋館)
04/04 春山表具店(墨田区・失われた看板建築)
04/07 三井倉庫関東支社深川事業所(RCの倉庫建築)
04/10 土屋畜産(北品川の洋風建物)
04/13 丸井中野本店(建て替えられる百貨店)
04/16 富士の湯(失われた銭湯)
04/19 角ふじ荘・大勝軒(再開発で変わる池袋)
04/22 目白浴場(失われた銭湯)
04/25 大学セミナー・ハウス ユニットハウス(失われたモダニズム建築)
04/28 清久寺門前長屋(三田の長屋)
清久寺門前長屋
所在地:港区三田4-11-8
構造・階数:木2
備考 :写真の通り沿いの一棟は現存
Photo 1994.6.17
三田4丁目寺町の中にある清久寺の門前(寺院西側)にある長屋。寺院裏に隣接した場所に2階建て長屋が3棟建っていて、裏側は寺の墓地である。十数年前までは奥の方の長屋にも居住者がいたが、徐々に空き家が増えて建物も解体され、現在は通り沿いの1棟のみになっている。
Photo 1994.11.20
墓地に近い奥の一棟は早くから無人化していて、窓も破れ、屋根も壊れた廃屋となっていた。数年訪れないうちにこの建物は解体され、墓地が拡張されていた。
Photo 1994.11.20 (手前の一棟は現存)
もともと同寺の境内地だった場所で、近代以降?、門前長屋として賃貸されたようだ。現在の所有関係は不明だが、一棟の跡地が墓地になったところをみると、今でも長屋は賃貸なのかもしれない。近年は都心の墓地が人気で、長屋やアパート経営をするより、墓地にした方が確実に儲かるらしい。従ってこのような門前長屋は建て替えられることなく、墓地に姿を変えている。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #古い建物 港区 #長屋
大学セミナー・ハウス 宿泊棟
所在地:八王子市下柚木1987-1
設計 :吉阪隆正+U研究室
完成年:1965(第1期)以降20年掛けて施設を増設。
備考 :2005年に大半の宿泊ユニット群が解体撤去
Photo 2000.10.18(5枚とも)
上写真は、第2群・12~17号棟(解体)
八王子にある大学セミナー・ハウス(八王子セミナーハウス)は首都圏にある大学が資金を持ち寄って作った研修施設。起伏のある山林に、事務棟、講堂、セミナー室、宿泊棟、野外ステージなどが点在する。
「日本におけるDOCOMOMO100選」にも選定された、残すべきモダニズム作品とされているが、老朽化と利用率の低下を理由に、ユニットハウスと呼ばれる宿泊棟の大半が解体された。第1群と第2群の一部のユニットハウスと、それ以外の事務棟、セミナー室、講堂などは全て現存しているが、特色のある当初の宿泊スタイルは失われてしまったようだ。
第3群の建物群(全て解体)
宿泊棟は2人用のユニットハウスが10~15棟程度集まって、その中に少し大きめのセミナー室建物が一つあるのが一つの「群」とされ、この宿泊ユニット群は第7群まであった。
第2群 セミナー室(現存)と、1~5号棟(解体)
第2群では、セミナー室(木の幹と葉が白抜きで描かれた建物)は残されたが、その周囲のユニットハウスは解体された(写真に写っていないユニットハウスの中には残されたものもある。)。
第1群 1~12棟(現存)
第1群についてはセミナー室も含めて全てが残されているが、これらユニット宿泊棟での宿泊は、現在は受け付けていない。
第1群 右:セミナー棟、左:13~8号棟(現存)
施設群は地形を極力いじらずに建てられていて、コンクリートの基礎杭の上にプレハブ的な小屋が載った状態だった。基礎があればどこにでも建物は建つというモダニズムの考えを反映するかのように、山林のやや急な斜面に基礎杭を打って宿泊棟は造られている。
高床状になっているのを明瞭に示そうとしたのか、入口部分のステップも簡素で、2、3の杭を打っただけだったりする。ぼんやり段々を上り下りすることはできない。入口の階段というものが嫌が上でも意識される。
ユニットハウスのレイアウトなどは、私の恩師、戸沼幸市(元早大建築学科教授・現名誉教授)がU研在籍時に行ったという。小さな谷が入り込む地形に合わせて、またそれら建物群がセミナー室の建物を中心にまとまりを持つよう、建物群は少しずつずらしながら馬蹄形に並べられている。
ユニットハウスの室内にはベッドと、小さな机とイス、卓上ライトがあるだけ。風呂・シャワー、洗面、トイレは群の中にはなく共同。もちろんエアコンなどもなかった。
夏は暑く、冬は寒く、なかなかの耐久生活を強いられる施設で、昨今の快適なセミナー施設とは相当異なる。ただもちろん施設利用料はかなり安かった記憶がある。保養施設ではないので、このような考え方の研修施設があっても良いとは思うが、引率をする先生にも学生の側にもある程度の覚悟が求められるためか、最近はこの手の施設はあまり人気がないのかもしれない。
一方、他の宿泊棟には風呂やトイレ、洗面が備わっており、ある意味使い易くなっている。
大きな大学は自前の研修・セミナー施設を避暑地や保養地に保有していて、それらと比較すると、サービスがやや見劣りしてしまうと感じられるかもしれない。ただ、建築を学んでいる学生等は結構関心を持っている施設である。
キャンプ場のような施設なので、夜間は真っ暗に近い。ところどころに街灯が建つのみで、トイレに行くにも懐中電灯が要る。また、コテージ周辺の道は狭く、山中のような階段だらけで、バリアフリーなどということを言い出したら、完全に不適格だ。セミナー施設ではあるが、ほとんどキャンプ場とか山中の村である。逆にいえば、不便さや危険性を通して、バリアフリーを含む、建築の安全性や利便性に思いを巡らせる場なのかもしれない。
現在、有志を中心に、大学セミナー・ハウスを使いながらつくる「ぐるぐるつくる大学セミナー・ハウス」という取り組み(ワークキャンプ)も行われているが、残されたユニットハウスについても解体の予定であるという話もある。印象的な事務棟などは健在だが、全体としての様相はかなり様変わりしているようだ。
Wikipedia > 大学セミナー・ハウス
ぐるぐるつくる大学セミナー・ハウス
> 大学セミナー・ハウスと吉阪隆正
> 活動主旨
> ぐるぐるつくるブログTokyo Lost Architecture
#失われた建物 都下 #古い建物 都下 #吉阪隆正
#モダニズム #docomomo japan
目白浴場
所在地:豊島区目白3-13
建設年:?
構造 :木造
解体年:1995後半〜98(平成7〜10)
Photo 1995.6.24
富士の湯同様、寺院風の玄関を持つ銭湯。
唐破風が大振りで玄関は立派だが、屋根は大型の入母屋ではなく切妻に千鳥破風で、ややおとなしい印象。
最近訪れてみたら、銭湯は既に廃業してマンションに建て替わっていた。ただコインランドリーはマンション内で営業を続けている。建て替え後のマンションが1999年10月竣工なので、銭湯がなくなったのは1995年後半〜1998年頃の間だと思われる。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 豊島区 #銭湯
角ふじ荘・大勝軒
所在地:豊島区東池袋4-28
構造・階数:木2
備考 :2007年3月閉店
Photo 2006.3.12
大勝軒は有名なつけ麺屋さん。3年前まで写真のお店で営業していたが、再開発によりいちど閉店、別の場所に店を移転して営業を再開している。
東池袋の再開発事業(東池袋四丁目第2地区)によりこの一角の建物は全て解体された。この界隈は再開発が本格的に始まる数年前から立ち退きが進み、ゴーストタウン状態がしばらく続いていた。そのような中で、大勝軒が営業している時間帯だけは、店の周辺に人がいるというやや奇妙な状況だった。
背後に見えているのはサンシャイン60。驚くのはこの写真中で、角ふじ荘やその向こうの木造モルタル2階だけでなく、左方の9階建ての茶色いマンションや、その手前の10階建てぐらいのマンションも解体されていること。写真から見る限りでは、せいぜい築20年程度なのではないかと思うのだが。
再開発によって2011年1月に完成予定なのは、52階建て、高さ190m、600戸超の超高層マンション(OWL TOWER(アウルタワー))。4年前にはこんな風景だったのに、既に40階以上まで建設が進んでいるのにも驚いてしまう。
大勝軒 > 大勝軒とは - 元祖つけ麺 特製もりそば 東池袋大勝軒
東京都公式HP > 東池袋四丁目第2地区第一種市街地再開発事業
富士の湯
所在地:中野区上高田5-37
構造・階数:木造
建設年代:1958(昭和33)以前
解体年代:1996〜98(平成8〜10)
Photo 1993.6.10
寺院風の姿をした典型的な東京型の銭湯。
大きな入母屋屋根を持っていたが、装飾はあまりなく、宮造りと呼ばれる様な豪華な感じは無かった。コインランドリーが玄関脇に増設されていたこともあり、道路沿いはあまり印象的ではなかったが、少し離れてみると意外に全体は立派なのだった。
現在、銭湯の跡地にはマンションが建っている。
2023.1.8追記
建設年代不明だが、1958年発行の「東京都全住宅案内図帳」に「富士の湯」として記載されているので、それ以前のものだろう。1996年発行の住宅地図には記載されているが、1999年発行のものではマンションになっている。マンション建設に掛かる時間も考えると、98年頃までに廃業して解体されたものと思われる。
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丸井中野本店
所在地:中野区中野3-34
建設年:B館:1970、A館:1972
階数 :7F、B1F
備考 :2007.8.26閉店、解体・建て替え
Photo 2003.7.20
A館の店舗外壁には既にネットが掛けられていた。左端奥がB館。
丸井は中野が創業の地で、ここで戦前から営業を続けてきたが、2007年に閉店し建物も解体された。だが地元からの要望が相次ぎ、再度店舗を構えることになったようだ。
2館合わせるとコの字型になった建物で、駅に近い北側のA館(女性向け)と南側のB館(男性向け)が裏側で繋がっていた。建物自体は70年代初めの建物なので、築40年とそれほど古いわけではなかった。
丸井は今も中野駅の北口側に本社を構えているが、新宿界隈に多くの店舗を出店したため、新宿に近い中野店の存在感が薄くなったため、閉店になったという。個人的には、大規模でない店舗はちょっとした買い物には結構便利な面もあって嫌いではなかった。
屋上からは西新宿の超高層ビル街を望むことができた。
Photo 1997.1.22
北側のA館があった場所では、店舗兼事務所の建物が建設中。一方、南側のB館があった場所では、超高層集合住宅が建設されている。
用途:店舗・事務所・駐車場
期間:2009年4月~2010年11月末
構造:S造一部SRC造
階数:13F、B2F、塔屋1F
高さ:約60m 用途:共同住宅
期間:2010年3月~2012年11月末
構造:RC造一部S造
階数:29F、B1F
高さ:約112m
丸井・社歴
FATBLOG > 丸井中野1号店 閉店!
Wikipedia > 丸井 > 丸井中野本店
土屋畜産
所在地:品川区北品川2-30
建設年:?
構造・階数:木・2
解体年:2005〜07(平成17〜19)
Photo 1994.2.6
木造モルタルで2階部分に装飾のある商店建築。角地に建っていて写真は目黒川に面した側面の部分。
実はこの写真は、わずかに開けられた2階の窓から、猫が通りを見下ろしている姿が印象的だったので咄嗟に撮影した。だから建物の全景写真は撮らずじまい。旧東海道の品川宿を歩いていた時に見かけた建物だったのだが、ネットで土屋畜産を調べても出てこないので、所在地が分からなくなっていた。だが最近になって、住宅地図や写真後方の建物を確認したりした結果、荏原神社のそばにあった建物で、既に解体されていたことが判明した。
改めてよく見ると、軒先部分の装飾は結構手が込んでいる。手前に一部だけ写り込んでいる木造建物も2階の腰壁が亀甲模様になっていたりして、今頃になってどのような建物だったのか妙に気になるのだった。
2022.12.30追記
1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では「西村肉店」。戦前の1936(昭和11)年発行の同地図でも、業種は不明だが同じ名が記されている。また1970年代以降の住宅地図では「土屋畜産KK」。撮影後、2005年頃までは存在していたようだが、2008年の住宅地図では既になく、跡地には2009年6月にマンションが完成している。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 品川区 #旧東海道
三井倉庫関東支社深川事業所
所在地:江東区佐賀2-9
建設年:?
構造 :RC+木
解体年:2006〜09(平成18〜21)
備考 :新倉庫に建て替え
Photo 2006.9.9
大手会社の倉庫も最近まではこんな普請だった。扱っているものによってはこういう建物でも良かったのかもしれないが、都心に近い場所のわりにのんびりした風景だった気がする。数年前までは江東区界隈にはこのようなタイプの倉庫が意外に多かったが、その後、急速に建て替えが進み、最近はビル型の高機能な倉庫が多くなったようだ。
倉庫建物間の通路の様子。
Photo 2002.11.6
倉庫の建物本体はRCでちゃんと耐火建築だったが、倉庫の間には木製トラスの屋根が掛けられていた。薄暗い屋根の下で、フォークリフトが荷物を移動している光景が記憶に残る。
2022.12.21追記
1936年発行の火災保険特殊地図では、東神倉庫と記されており、西側(上写真の手前側)に富一〜七号の7棟、東側(上写真 奥の側) に計8棟が描かれている。また『東京都全住宅案内図帳 江東区北部』(1962年?)では、西側が三井倉庫株式会社東京支店深川倉庫で、東側は帝国倉庫運輸株式会社の倉庫となっていた。東神倉庫も帝国倉庫運輸も三井系の会社のようで、現在は全ての建物・敷地をまとめるかたちで新しい倉庫が建てられている。
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春山表具店
所在地:墨田区墨田2-1
建設年:?
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2000(平成10〜12)頃
備考 :表具店は建て替え後も営業を継続
Photo 1995.11.12
墨堤通り近くにあった銅板張り看板建築。立派な文字の看板が掲げられていたのが印象に残る。
たまたま通りかかった時に気になって撮ったもので、実はその後、訪れていない。Google Street Viewで確認したところでは建て替えられたようだが、いつ頃なのかなどは不明。Google MapやYahoo電話帳には記載があるので、表具店としては営業を続けているようだ。
2022.8.25追記
住宅地図で確認したところ、1998〜2000年の間に建て替えられたらしいことが判明。
2022.12.19追記
「東京都全住宅案内図帳」1961年?(発行年詳細不明)には「石川食料品」として掲載されている。それ以前の状況は未把握。また1973年の住宅地図でも石川と記されており、当初から表具店だったものではなかったようだ。
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