都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#官公庁  #高層ビル  #モダニズム  #登録有形文化財 
#docomomo japan  #近代建築  #郵便局 

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丸ノ内ビルヂング(丸ビル) その1

2019-11-12 | 千代田区 

 正面(東側)の堂々とした外観  Photo 1997.3.27
丸ビル(丸ノ内ビルヂング)
所在地:千代田区丸の内 2-4
建設年:1926(大正15)
構造・階数:SRC・8F
備考 :1997(平成9)閉館
解体年:1999(平成11)

 東京駅前に建っていた日本初のアメリカ式の大型オフィスビル。昔は「丸ビル何杯分」と数えられた象徴的な建築物で、詩や歌にも詠まれた。何杯分の基準はその後、霞ヶ関ビル、東京ドームと移り変わっていった。

 建設当時はいわゆる絶対高さ規制だったため、軒高は百尺(約30.3m)になっていた。戦後はメートル法になり軒高は最高31mになったが、昭和30年代まで高さ規制があったため、丸の内界隈の建物は皆、軒高がおよそ揃った状態になっていた。


 中央が丸ビル、手前右は新丸ビル、奥は八重洲ビル  Photo 1993.11.21

 明治〜大正期には煉瓦造のオフィスビル群が並び、一丁ロンドンと呼ばれていた丸の内界隈は、関東大震災後には丸ビルその他が立ち並び、一丁ニューヨークと称されたという。


 中央左 JPタワー、右 丸ビル、右端 新丸ビル  Photo 2018.8.6

丸の内ビルディング
所在地:千代田区丸の内 2-4
竣工年:2002(平成14)
構造 :S・一部SRC
階数 :37F・B4F
高さ :約180m

 新しい丸の内ビルディングは2002(平成14)年9月に完成。建て替えにあたって名前は「丸ノ内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変更された。

 またこの丸ビルの建て替えをきっかけとして、その後、界隈では多くの建て替えが行われ、丸の内は高層ビルが林立する街並みに変貌した。

丸ノ内ビルヂング その2

Wikipedia > 丸ノ内ビルヂング新丸ノ内ビルヂング
      丸の内ビルディング新丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション丸ビル

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#高層ビル  #近代建築 

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JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)

2019-11-10 | 千代田区 


 Photo 1994.1.23

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)
所在地:千代田区丸の内 1-6
建設年:1938(昭和13)
構造・階数:SRC・8F
解体年:1998(平成10)

 鉄道省、国鉄、JRと移り変わった建物。装飾も少なくやや地味なデザインだったこともあって、遠くから撮っただけで終わってしまった。1・2Fは重厚な石張り、7Fと8Fの間に一つ軒庇をまわして、基部、本体、頂部の三層構成の外観としていた。


 Photo 1997.3.27

 築60年で解体され、隣接地のビルを含む一街区全体が丸の内オアゾとして再開発された。丸の内近辺は8〜9階建て、軒高100尺(30.3m、戦後は31m)のビルが建ち並ぶ街並みだったが、丸ビルをはじめとして次々と建て替えが進み、100〜200mの超高層ビルが建ち並ぶ街に変貌している。

廃景録国鉄本社 その1
ぼくの近代建築コレクション国鉄本社

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス  #官公庁 
#近代建築  #高層ビル 

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新丸ノ内ビルヂング

2019-11-08 | 千代田区 
新丸ノ内ビルヂング
所在地:千代田区丸の内 1-5
建設年:1952(昭和27)
構造・階数:SRC・8F
解体年:2005(平成17)
Photo 1993.11.21

 丸ビルに続いて新丸ビルも建て替えられた。丸の内界隈は、いつのまにか200m近いビルが林立する地区になった。20年ほど前、まるで墓石が並ぶような「丸の内マンハッタン計画」なるものの計画図を見て、げっ、と思っていたが、まさか数年でそれが眼前に現れるとは当時は全く予想できなかった。いま思えば、地主も少なく、借り手も協力的なグループ企業中心。建て替えが他の所より早く進んでもおかしくないのだった。


 Photo 2000.2.11

 跡地には、新丸の内ビルディングが2007.4.27にオープンした。丸ビルよりも大きな容積率を獲得したとかで、それもあってか、建物の形状が異なることになっている。完成前は同じ形で双子にしたらよいのにと思っていたが、出来上がってみると、違う形になったのもまあ良いかなと思うようになった。丸ビルと新丸ビルはただでさえ間違えやすいので、デザインぐらいは多少違っている方が良いのかもしれない。

 取り壊された二つの建物は、丸ノ内ビルヂングと新丸ノ内ビルヂング。
 新しくできた二つの建物は、丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング。
 丸ノ内→丸の内、ビルヂング→ビルディング、と名称が微妙に変化している。

Wikipedia > 新丸ノ内ビルヂング新丸の内ビルディング
      丸ノ内ビルヂング丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション新丸ビル

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
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日本工業倶楽部

2019-11-06 | 千代田区 
日本工業倶楽部
所在地:千代田区丸の内1-4
建設年:1920(大正9)
構造・階数:RC(一部S)・5
ファサード設計:松井貴太郎(横河工務所)
備考 :保存再生
Photo 1998.10.31


 建て替え後の日本工業倶楽部会館部分 Photo 2003.3.26

 隣接のビルと併せて一体的に再開発された。当初は存続自体が危ぶまれたが、重要な部分を保存し、一部はレプリカ的に保存しながら超高層ビルとなった。背後の高層ビルは全面ガラス張りで、大きな違和感はない。もちろん本物を残すという意味では、惜しまれる部分も多々あるのだろうが、超高層ビル化の圧力が強い場所で、街並み景観をそれなりに存続させたことには、一定の評価がされてよいのではないかと思われる。
 ただし、超高層ビルを林立させること自体が富裕の象徴かどうかには、いろいろと疑問があるが・・・。

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル
(完成当初は三菱信託銀行本店ビル)
建設年:2003(平成15)
構造 :S(一部SRC)
階数 :30・B4・R2
Photo 2004.11.24


 Photo 2003.3.26

 中央の屋上には殖産興業の象徴としての塑像が飾られていたが、これはリフレッシュされて真っ白で美しいものになった。

Wikipedia > 日本工業倶楽部

廃景録日本工業倶楽部
近代建築ホームページ日本工業倶楽部
日本工業倶楽部会館/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所)  #登録有形文化財

2012.2.25
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東京銀行集会所/東京銀行協会ビルヂング

2019-11-04 | 千代田区 
東京銀行集会所(銀行倶楽部)
所在地:千代田区丸の内 1-3
建設年:1916(大正5)
構造 :煉瓦造(鉄筋で補強)
階数 :2+塔屋
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
備考 :ファサードを残して解体。超高層ビル化
Photo 1988.2.28


 東京銀行協会ビルヂング  Photo 1993.11.21

 恐らくパネル状にした煉瓦で外側を覆っている。旧来のような構造体として働きは失われている。塔屋部分は辛うじて4面あるが、南側の屋根は棟部分まではなく半端なものになっている。また車寄せが取り払われ、一方で東端には自動車進入口が設けられた。屋根も昔のような自然な銅板葺きではなく、あらかじめ工場で緑青をふかせた緑青銅板を用いているようだ。厚く処理を施しているのか、色合いがベタッとして、テーマパークの建物のような妙な色をしている。

東京銀行協会ビルヂング
建設年:1993(平成5)
階数 :19+B4
備考 :2016.12〜17.6(平成28.12〜29.6)に解体
Photo 2009.1.14

 1993年に竣工した東京銀行協会ビルヂングだったが、隣接する銀行会館、みずほ銀行の前の本店ビルと合わせて一体的に建て替えることになり、2016年末から解体された。23年しか使われなかったことになる。

 跡地では29F・B4F・R2F、高さ150mの高層ビルが2018年から建設中で、2020年9月に完成する予定だという。

東京銀行協会ビルヂング - Wikipedia

東京銀行協会/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#銀行・保険  #近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所) 

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日本債券信用銀行

2019-10-22 | 千代田区 
日本債券信用銀行
所在地:千代田区九段北 1-13
Photo 1988.10.30

 九段下の交差点に面して建っていた戦後のオフィスビル。ロビー階はガラス張りの高い吹き抜けになっていて、上層階は水平庇が巡る横連窓。戦後の日本で多く造られたモダニズムオフィスビルの典型のような建物。日本債券信用銀行が1998年に破綻し、金融再生法により一時国有化されて整理されたあおりなのか、あっさり取り壊されてしまった。また、日債銀自体はあおぞら銀行となった。


 Photo 2019.7.16

 跡地には最近流行のツルッとした表面の高層ビル(北の丸スクエア)が2006年に完成した。

Wikipedia > 日本債券信用銀行北の丸スクエア

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日本大学理工学部1号館

2019-10-10 | 千代田区 
日本大学理工学部1号館
所在地  :千代田区神田駿河台1-8
建設年  :1929(昭和4)
構造・階数:RC・6F
備考   :2001(平成13)解体、建て替え
Photo 1988.11.1

 御茶の水の日大理工学部のシンボル的存在だった。角に面したゴシックアーチの入口から入る校舎はなかなか格好良かったが、あまり話題になることもなくあっさり解体されてしまい、少々驚かされた。


 Photo 2017.2.28

 新校舎では旧建物のファサードは全く残されず、全面ガラス張りの近代的なものに替わった。


 Photo 2014.2.21

 旧校舎の玄関部分のみが、玄関内のエレベーターホールに展示されている。イメージが全然違うから展示するだけにしたのかもしれないけれど、せっかくなら玄関として使えば良かったのに・・・。

廃景録日本大学理工学部一号館
日本大学理工学部1号館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #大学  #近代建築 
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旧主婦の友社・お茶の水スクエア

2019-10-08 | 千代田区 
日本大学大学院法務研究科(旧主婦の友社・お茶の水スクエアA館)
所在地:千代田区神田駿河台 1-6
建設年:旧建物 1925(大正14)、現建物 1987(昭和62)
構造・階数:RC・3F
備考 :解体復元、高層棟増築(設計:磯崎新)
Photo 2005.3.25

 もともと主婦の友社として大正末期に建てられた建物を、ファサードを残して一度解体し、高層棟を新築。旧建物は内部構造も含めて改装され、お茶の水スクエアという、主婦の友社とその他テナントが入居する建物に生まれ変わった。またカザルスホールという室内楽専用の音楽ホールも同時に造られた。
 しかし最近(2002年)になって、日本大学の所有するところとなり、大学院法務研究科の建物となり、道を挟んで明治大学と相対することとなった。

 テラコッタ等の部品は旧建物のものを再利用しているが、壁体は完全に新築であり、保存というより外観の復元である。また中央の新しい高層棟のポストモダンデザインが旧来の建物と競うようにデザイン主張をしている。高層棟壁面が後退しているため、多少は目立たないのだが、改めて眺めてみると、かなりギャップのある組み合わせ。丸の内のビル群では、超高層棟はデザイン的には極力目立たないものにするという立場・無難な解決策が採られている。どちらが良いのか、正しいのか解らないが、20年以上経っても良くも悪くも刺激的な姿であり続けている。

 その後、日本大学がキャンパス再整備の一環として、カザルスホールを2010年3月末で閉鎖した。建て替えるのかどうかは不明だが、築20年ほどで次々に状況が変化するのには考えさせられてしまう。また、クラシックファンに評判が良かった室内楽専用ホールが失われたのは非常に残念。

Wikipedia > お茶の水スクエア

Tokyo Lost Architecture
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#オフィス  #大学  #磯崎新  #ポストモダン  #近代建築 
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明治大学記念館

2019-10-06 | 千代田区 
明治大学記念館
所在地:千代田区神田駿河台 1-1
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC+SRC・4F
備考 :1998(平成10)に建て替えられ、超高層ビル化。
Photo 1988.11.1


 講堂内入口部分 Photo 1995.7.22


 講堂入口上部のステンドグラス Photo 1995.7.22

 文明開化に沸く人々が太陽を仰いで万歳する姿を描いたものだそうだ。講堂の外から見ると、このステンドグラスの上に二人の童子が梵鐘を持つブロンズのレリーフ「暁(あけ)の鐘」があったそうなのだが、内側から見ているのでレリーフの方は写っていない。

 このステンドグラスは、新築された超高層校舎の最上階(23F)の岸本辰雄ホールにレリーフと共に移設されている。


 Photo 1998.6.27

 超高層ビル化した建物の頂部にはドームが載っており、旧校舎のイメージの継承が図られている。また左側の翼部のイメージも残されている。しかし旧来の外壁は全く残されておらず、全面的に建て替えが行われた。

Wikipedia > 明治大学

明治大学記念館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #高層ビル 
#大学  #近代建築 
2007.2.25
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