都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

外苑東通り・市谷薬王寺町 2

2015-03-11 | 新宿区  

東京新旧写真比較(2006/2009) No.050 新宿区市谷薬王寺町

外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ
Photo 2009.4.18(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。市谷柳町交差点の一つ南側の横断歩道信号の場所。

 2006年の写真中央にあった木造モルタル2階建て商店は、この時点で既にお店をやっていなかったようで、1階北側は車庫になっていた。この1、2年後には解体されたらしく、2009年時点では現場事務所のプレハブが建っている。Google Street Viewで確認すると2014年時点では、このプレハブ事務所も無くなっており、整地作業中となっている。

 左端の茶色いタイル張り建物は、通りの拡幅を見越して、5階建てで建てられていたもので、これは現在も沿道に建っている。

 定点観測をしようとして1枚目の写真を撮っているわけではないため、仮に自分が撮った写真であっても、正確な撮影位置は記憶していない。従って、2度目の撮影の際には、手がかりになる建物の様子を見ながら、正確な位置を特定するのだが、その際には建物の前後の重なり具合を利用することが多い。二つ以上のポイントで重なり方を同一にできるとかなり合わせて撮ることができる。

 この時は前後に重なる箇所があまり多くなかったが、撮影位置は比較的正確に特定できた。ただ、やはり撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みが同一にならず、画像を切り替えると残念ながらポイントがややずれる。

 外苑通りの拡幅が終わったらまた撮影してみたいとは思うが、現時点で既にかなり手がかりが減っているため、次回の撮影はやはり難しくなるのではないかと思う。

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外苑東通り・市谷薬王寺町 1

2015-03-09 | 新宿区  

東京新旧写真比較(2006/2009) No.049 新宿区市谷薬王寺町

外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ
Photo 2009.4.18(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。写真は新しい方のものでも6年ほど前のもの。最近近くを通りかかったら、写真手前右端の建物だけでなく、後方の建物も無くなったようだった。

 2006年の写真中央は木造モルタル2階建て看板建築の洋品店。その右も木造2階のコインランドリー。右端の2009年時点でも残っていた3階建ての1階は韓国料理店。

 現在も拡幅工事は続けられていて、沿道の建物は道路用地になってほぼ消失し、後方の建物も建て替えられたりしている。拡幅後の沿道には14階建て程度の高層マンションが壁のように建ち並んでおり、街並みの様子は数年前とも全く異なる。

 2度目の撮影の時点で既に手がかりになる建物が少なくなっていたため、撮影位置合わせは若干ずれてしまった。また撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みも同一にはならず、画像を切り替えると残念ながらポイントのズレがやや目立つ。現在は写真中の建物がほぼ無い状況で、電柱や街灯、道路の縁石程度しか手がかりがないため、同一視点からの撮影はかなり難しくなっているのではないかと思う。

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朝日生命ビル その2

2009-04-29 | 新宿区  

東京新旧写真比較(2001/2009) No.36 新宿区西新宿

朝日生命ビル
所在地:新宿区西新宿1-7-3
建設年:1963(昭和38)
構造・階数:SRC・9F?
解体年:2006(平成18)
Photo 2005.5.19(朝日生命ビル解体の様子(ノーマル時))

モード学園コクーンタワー
建設年:2008(平成20)末
Photo 2009.4.18(コクーンタワー完成後(マウスオン))

 解体される前に撮りに行こうと思いながらぐずぐずしていたら、あっという間に足場が組まれてしまっていた。仕方がないので、写真は解体中の様子と現在の様子。

 コクーンタワーの完成後、同所を訪れたら、やはり全然違うことになっていた。
 モダニズム系のオフィスビルは今まであまり撮っていなかった。だが最近は、次第に解体事例が増えてきて、撮っておけば良かったと思うことが増えている。撮影対象がどんどん広がるのもどうかと思うが、写真に残しておきたいと思ってしまうのだからしょうがない。


 ところで、都市の風景の中で、球体を配するというのは、馴染みがあまりないせいかなかなか難しいことだと思う。お椀を伏せたような半球型の屋根はあるが、下半分の側もある球形は極めて少ない。思い浮かぶのは、湘南台文化センター(設計:長谷川逸子)の球体型ホールとか、フジテレビの球体展望室程度。
 球形は、建築物としては重力に沿った形でないためか、自然な感じにならない。極めて人工的で意図的、自己主張の強いデザインだ。だからだろうか、普通はあまり使われない。また、球体だと壁面も全て球面になってしまうため、結構使いづらいかもしれない。

 だが、コクーンタワーで、もし自分が別棟をデザインするとしたら、メインのあの超高層棟の脇にはどんな形を配するだろうか? 結局は傍らに球形を置きたくなるのではないだろうか。背の高い紡錘型の建物と球体。置物的なバランスとしては、そうしたくなる気持ちはなんとなく分かる。直方体や円筒、三角柱、三角錐ではなく、やっぱり球のような気がする。紡錘型のデザインが強いので、直方体では面白みがない。三角柱や三角錐だと、紡錘形の曲面的デザインと拮抗してややうるさい。曲面と調和しつつ、埋没しないのはやはり球かもしれない。

 とはいえ、それは模型の上での話。実物はやはり違う。遠くから単独で見るぶんには格好がいいけど、街並みの中にあると、やはりうるさい。直方体系の街並みの中で、球形はやはり異質だ。建築と都市景観の間にはいつもデザイナー的な自己主張と、街並みの調和という対立というか緊張関係が存在する。両者の共存共栄の道は無くはないはずだが、高次元にそれを達成している例はやはり少ない。
 フジテレビでも湘南台文化センターでも、球形は敢えて違和感を出すために扱われている。その意味では余計なお世話なんだろうけど、やはり街並み的には自己主張が強く目障りな気がする。

 繭と卵ってことか?。モスラが羽化しそうだな。

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朝日生命ビル その1

2009-04-26 | 新宿区  

東京新旧写真比較(2001/2008) No.35 新宿区西新宿

Photo 2001.10.21(ノーマル時)、Photo 2008.12.23(マウスオン
朝日生命ビル(左)
所在地:新宿区西新宿1-7-3
建設年:1963(昭和38)
構造・階数:SRC・9F?
解体年:2006(平成18)
モード学園コクーンタワー低層部(左)
建設年:2008(平成20)末

 朝日生命ビルは全景を撮らずじまいになってしまった。戦後、昭和30年代〜40年代頃までの中層大規模モダニズム系オフィスビルは、そんなにすぐには無くなったりするとは思っていなかったので、あまり撮りためていなかった。また、近代建築のように、外観に際だった特徴が無いため、なんとなく写欲を掻き立てられなかった、というのもあった。だが、最近はこのてのモダニズムオフィスの解体が相次ぐので、俄然、気になりだしている。

 モード学園コクーンタワーが建設されることになり、昔の写真を引っ張り出してみたが、全景写真はなく、建物前の歩道の様子を偶然撮ったものがあるだけだった。コクーンタワーが完成した頃を見計らって、同一ポジションから撮影してみた。

 改めて比較してみると、以前の様子は、殺風景なようではあるがモダンなオフィス街の街並みだったのだなぁと思う。歩道も広々としていて、整然としてなんだか結構美しい街並みだったんじゃないの?と思う。

 で、現在。冬場の夕方に撮ったせいもあるんだけど、うーん、なんかちょっと・・・。
 一つは、舗装がタイルではなく、透水性アスファルトになったこと。機能的には優れているし、歩き心地も悪くない。ヒールの女性などもタイルより良いと思っているかもしれない。でも写真で見ると、かなり殺風景に見えてしまう。

 もう一つはコクーンタワーの足まわり。公開空地ができて植栽も造られ、これも悪くはないのだが、昔のようなクールでモダンな格好良さはない。垂直の壁面が続くさまは、空間をスクエアにフレーミングしていたのだが、妙な球体とアミアミの斜めな壁面が主張してしまっている。また、今までは見えておらず、見えないままでよかったはずのスバルビルの西側壁面が見えるようになってしまった。ここで見る限り、以前よりなんとなく乱雑な印象になった気がする。

 コクーンタワーに限らず、超高層ビルは公開空地を設けることで、容積率ボーナスを得ている。その結果、沿道景観(ストリートファサード)が失われる。ストリートファサードはまちあるきの際に、あるいみリズムを創るものでもあるように思うのだが、困ったことに西新宿や汐留にはストリートファサードがない。超高層ビルの足下には茫漠とした公開空地空間が広がってしまっている。

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新宿西口付近から西新宿

2009-01-30 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1997/2008) No.26 新宿区西新宿

Photo 1997.1.18(ノーマル時)、Photo 2008.12.23(マウスオン) 撮影地:新宿区西新宿1 小田急デパート玄関前から

 東京モード学園他が入居するモード学園コクーンタワーができたので、景色の印象はかなり変化したのだが、それ以外の構成要素はほとんど変わっていない。11年しか経っていないからとも言えるが、西新宿でも7丁目など、新宿駅から遠いエリアは激変しているので、駅前でそれほど建て替えが激しくなかったのはちょっと意外だった。もちろん、コクーンタワーの存在感はかなり大きいので、風景はかなり変わったという方が正しいのだろうが・・・。

 コクーンタワーに関しては、いろいろ意見がある。自治体の景観審議会などでも話題になったが、デザインの質を云々してこれをコントロールするのが難しかったのか、結局あまり介入しなかったと聞く。都市景観の分野の人の間でも議論が分かれる。
 今まで西新宿にはモダニズム系のすっきりした角形のビルが多かった、というか全国的にそういうのが多数派だった。だから、コクーンタワーの濃いデザインは、調和を乱すという意見がある。確かに今後、こんなビルばかりが建つとちょっと風景的にはうるさい。中国やドバイはその手の主張する建物だらけで、しばらく見ていると疲れてくるのだが、日本もそうなるのではないかという懸念を持つ人々もいる。
 一方で、今までのつまらない形より面白い形のビルがもっと増えても良い、もっと増えた方が良いという人もいる。

 今まで新宿の超高層ビルは素人目にはどれがどれだか分からないことが多かったことは事実だ。西新宿を歩いていると、この界隈をあまり知らない人が、建物を振り仰いではどれがどれなんだろ?という顔をしていることがしばしばある。また、都庁の展望台からビル群を眺めて、あれは何ビルじゃないの?とか、あそこが新宿御苑かしら?なんて言っている人たちが大勢いるのだが、たいがいがなにかしら間違っている。

 東京でほとんどの人が間違わないのは東京タワーぐらい。また、新宿では東京都庁(第一本庁舎)の知名度は高い。テレビなどで見る機会が多いのと、双塔が特徴的であるからなのだろう。これに対して第二本庁舎の方はいきなり知名度が落ちる。また同じ丹下健三デザインによる新宿パークタワーが都庁と混同されることがしばしばある。以前、都庁の展望室でおじさんがパークタワーを指差して、「あれが都庁だろ」と言っていたのには驚いた。今、自分がいる場所が都庁だよ。そんなにたくさん都庁はないよ〜。もちろんこれはかなりの例外なんだけど、地上から見てパークタワーと都庁を混同する人は結構多い。

 新宿では、住友三角ビルがよく知られている。三角(よく見ると六角形)の形が特徴的で、新宿には類似のものがないのと、超高層ビルの初期に建てられて知名度が比較的高いのが理由だろう。次点は損保ジャパン(旧安田火災海上)とNSビルだろうか。損保ジャパンはスカート型が話題になったし、NSビルは高さはないが巨大な吹き抜けが特徴的だ。

 その他、新宿には20以上の超高層ビルがある。だが、他は外観からは全然区別が付かないらしい。京王プラザホテルは、ホテルとしては良く知られているが、その外観の知名度はさほど高くない。

 1981年の写真は、後方左から、エステック情報ビル、工学院大学、中央通りを挟んで奥がホテルセンチュリーハイアット、新宿住友ビル、新宿センタービル、新宿エルタワー。手前は左側角が明治安田生命ビル、右側角がスバルビル、その右側が松岡セントラルビル。
 2008年の写真では、新宿センタービルがモード学園コクーンタワーに完全に隠されてしまったが、他は一緒(ホテルセンチュリーハイアット東京は、2007.10にハイアットリージェンシー東京に名称変更)。手前の建物も屋上広告が変わったりはしているが、建物には変化がない。ただ、スバルビルの屋上にある時計が、いつのまにかデジタルからアナログに変わり、明治安田生命ビルの天気予報電光掲示板がなくなったりしていた。
 どうでしょう。これらのビルは、名前は知ってるけど形やデザインとビル名が全部は一致しないという状況なのでは? そう考えると、コクーンタワーはアクの強いデザインだけど、誰もが知る可能性を持った建物かもしれない。

 もちろん、東京モード学園も丹下事務所もそのへんを狙って建物をデザインしたわけで、ビル全体が広告塔のようなものなのだ。大隈講堂が早稲田大学を、安田講堂が東京大学を代表し、ユニバーシティ・アイデンティティを創る形であるのと同じように、コクーンタワーは東京モード学園のUIとなる形なのだろう。そういう意味では、王道的戦略なんだが、いかんせん図体が大きい。大隈講堂や安田講堂はイメージとしては記憶に残るが、そんなに遠くからは見えない。渋谷にある青山製図専門学校もド派手な建物で、これも学校のアイデンティティを象徴する広告塔なのだが、大きな建物ではないので、地元の人と建築系の人以外の一般人にはあまり知られておらず、影響は限定的である。

 新宿の超高層ビル街に建つコクーンタワーは、人々の視線を吸い寄せる。どうにもこうにも目立つので気にならずにはいられない。新宿駅に近い街区に建ったため、他の多くのビルはコクーンタワーに主役の座を奪われて、引き立て役に回ってしまったようでさえある。
 1991年に東京都庁が建った時も、他よりも目立っている印象はあった。だが都庁は新宿駅の方から見ると西の奥にあるため、他の超高層ビルに隠れがちで、群としてみると意外に目立たなかった。だがコクーンタワーは群の中から前に出るように建っている。視線を吸い寄せる状態は当分続きそうだ。

 丹下健三が手掛けたものとしてはフジテレビの知名度も抜群に高い。テレビでしばしば登場してくるからというのもあるが、他の局がそんなことになっていないことを考えると、やはり形の力が大きいのだろう。
 ところでコクーンタワーが新宿にあると、非常に目立つのだが、お台場にあったらどうだろう。周辺に昔ながらの市街地が広がっているわけではなく、フジテレビみたいなキワモノもあるわけで、ここだとコクーンタワーは全然違和感がない。今後、もっと怪しい建物が建つ可能性もあって、そういう場所ならご自由にどうぞ、という感じ。池之端にあったソフィテルの時にも書いたが、埋め立て地や新開地ではこういうのを建てても良い気がする。西新宿は、比較的地味なモダン超高層ビルが建ち並ぶ街のイメージが、もう出来上がっているのかもしれない。だが、新宿でも歌舞伎町だったら、ネオンサインがないコクーンタワーは意外に地味な存在になってしまうかもしれない。
 コクーンタワーは、丸の内の皇居近くだったら、反対が強くなって建てられなかったんじゃないかなと思う。西新宿だと、いろんな意見は出るけど一応建つ。お台場やドバイ・上海だと、また一つ変なのが建ったという程度。

 ここまで考えてみると、新宿の超高層ビル群の街並みに一つだけあるぐらいはまあ許せるのかもしれない。みんなが同じような形じゃ凡庸でつまらない。かといって百家争鳴状態だと、やはり混乱状態になり、形がうるさくて疲れる。
 だから、これ以上変なのを建てないでね、という感じ。名古屋には同じモード学園がスパイラルタワーというねじれた外観のビルを造ったが、あれがコクーンタワーの隣に並んだら、デザイン的な騒々しさが倍増して、イヤな感じになってくる気がする。

#東京新旧写真比較 新宿区  #新しい建物 新宿区  #街並み 新宿区  #高層ビル
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新宿パレット

2008-12-27 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1997/2008) No.25

Photo 1997.2.1(ノーマル時) Photo 2008.12.23(マウスオン
新宿パレット(新宿西口会館)
所在地:新宿区西新宿1-1
階数 :8F
建設年:1963年頃
解体年:1999年
現在の新宿パレット
階数 :10F
建設年:2000年

 新宿パレットビルは、新宿西口付近に戦後集まっていた露店を整理して建てられたもので、食堂や居酒屋が多数入居した雑居ビルだった。

 パレットと思い出横丁の間の道を入っていくと、小さなガード(角筈ガード)でJRをくぐり抜けて東口広場へ至る。以前は、この角筈ガードの直前で右へ上る坂道があり、坂を上ると新宿西口七福小路だった。小路はパレットとJRの線路に挟まれた狭い一角にあった。

 新宿パレットは、1999年に七福小路の一角と一体的に建て替えが行われ、2000年に10階建てのビルに生まれ変わった。新しいビルの地下1F〜4Fには、さくらやがテナントとして入居していたが、2008年12月末で閉店。駅前の一等地だが、今後はどうなるのだろう。

#東京新旧写真比較 新宿区 
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新宿松竹会館

2008-08-13 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1996/2008) No.19

靖国通りに面して建っていた映画館。

新宿松竹会館
所在地:新宿区新宿3-15-15
建設年:1958(昭和33)
2006年5月に閉館・解体。
Photo 1996.11.10(ノーマル時
新宿ピカデリー建設中の様子
Photo 2008.1.20(マウスオン

新宿ピカデリー
構造・階数:S・11F
2008年7月オープン
Photo 2008.8.11(Click

 記憶があまりはっきりしないが、新宿松竹会館は4つのスクリーンがあり、ファストフードなどのショップも入居していた大型建物だった。ここで映画を観たのは数回。釣りバカとか文芸系の映画を見たことがある。内部に入ってしまえば何のことはない普通の映画館だった。

 調べてみると、最大のスクリーンはかなり大きく820席、一方最小は44席という小ささだったという。

 ただ私は、歌舞伎町の側からこの建物を見たときのこの無骨な外観(特に上部)がずっと気になっていた。建物の足下を歩いて入口にたどり着くと全然分からないのだが、遠くから見ると、あれは何?、と言いたくなるような形をしている。いまどきのキラキラした建物からは程遠く、かといって戦前の近代建築のようなクラシックなものでもなく、ごっつい外観。

 建物の用途に従って設計をして、外部を飾り立てることなく、内部の空間を隠さずに外観に現した武骨な外観。特に上部は映画館の形そのもの。

 だが結果的にこの外観からは、映画というものについてまわる庶民的な憧れの感覚が排除されているような気がしていた。確かに映画館としての機能は満たしているし、劇場内部の方はこんなに武骨ではなく、古くてもラグジュアリーな空間だったのだが、この外観だけを見ると映画を見ようという気分が少々萎えるものがあった。あの汚い外観の建物で映画見るのー?、あたしイヤよっ、と言われそうなくらい、薄汚れた外観。内部は違ったんだけど。私も含めて庶民としてはやはり、映画という非日常体験をする時に、それを見る空間の周囲も非日常空間であって欲しいと思う。

 その意味では、新宿という街には豪華絢爛系や文芸路線の映画は、今まではどうも似合っていなかった。ギャング映画とか、成人映画など、全体にざらざらした系統の映画でないと街の雰囲気には合わない。見終わった後、外に出て美しい夢の続きを見ることができる街ではないような・・・。すぐに現実に引き戻されるというか、別の現実を見せられてしまう街。

 数年前に早稲田の学生に、新宿と映画について問うてみたところ、女子学生を中心に新宿ではあまり映画を観ないという回答が多かった。周辺の私鉄沿線都市に出来はじめたシネコンで観るか、日比谷・有楽町へ行くという惨憺たる結果だった。少なくとも数年前まではそんな感じだったのだ。

 だが最近は状況が少し変わってきたらしい。シネシティ新宿としてイメージアップに取り組んだから、というのだけでは残念ながらない。歌舞伎町の映画館は、箱自体が現在のところ変わっていないので、さしたる変化はない。

 変わったのは新宿東映の跡にできた新宿バルト9であり、今回の新宿ピカデリーである。新宿区新聞などによれば、新宿バルト9はかなりの集客力をみせているようだ。歌舞伎町には来ないような、若い女性が来ているという。旧新宿松竹会館も、今回、完全に建て替わって、同様に、新宿では新しいタイプの映画館になったようだ。新宿ピカデリーのサイトによれば、4Fから11Fに、115〜580席の大小さまざまな10のスクリーンがある。内部もきれいで、今まで新宿で映画を見なかったカップルも来るようになるだろうなと思われる。

 副都心線が開通した新宿の街は、映画館一つをとってみても次第に変わりつつあるのかもしれない。

 ただ、改めて、新しくできた新宿ピカデリーの外観を見てみると、新宿バルト9が入居している、新宿三丁目イーストビルになんだか似ている。とても繊細できれいな感じなのだが、いまいち印象が強くない建物だなぁ。今さら言うのもなんだが、前の建物の方が個性的で面白かった。上の方で書いた文とまるで矛盾するのだが、新しいのができてみたら、昔の建物の意外な面白さが分かった気がする。

 以前の建物の二倍近いヴォリュームがあるようなので、濃いデザインとか派手なデザインだと街並みを混乱させることになり、それはそれで困るのだが、ここまで無色透明な感じだと、どうなのかなぁと思ってしまうのだった。

映写室からのつぶやき
 > File.37 新宿松竹会館が建替えFile.51 新宿松竹会館メモリアル 1
新宿経済新聞新宿松竹会館、シネコンへの再開発始まる
新宿ピカデリー
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新宿昭和館

2008-08-11 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1997/2008) No.18

Photo 1997.12.18(ノーマル時)、Photo 2008.1.28(マウスオン
新宿昭和館
所在地:新宿区新宿3-35
構造・階数:RC・2F+地下1F
建設年:1951(昭和26)
解体年:2002.4に閉館。その後、解体
備考 :映画館としては1932(昭和7)に開業。

 新宿昭和館は任侠映画専門として知られた映画館だった。だが、今回調べてみたら、そうなったのは昭和40年頃以降で、当初は洋画上映館として開館したのだそうだ。

 昭和館のあった場所は新宿通りから南に入り込んだ一角で、それは甲州街道から北に入り込んだ場所でもあり、表通りからは少し離れた場所だった。駅からは比較的近いが表通りに較べると人通りは少なく、ちょっと怪しげな雰囲気のある場所で、地下に成人映画館があったことも関係があるのか、現在も風俗系の店舗が少し集積する場所である。

 立地や場所が雰囲気を生み出したのか、映画館が場所の雰囲気を創ったのかは定かではないが、3丁目のこの周辺は微妙な空気が漂う場所である。

 2002年に惜しまれつつ昭和館が無くなった後、跡地には小さな映画館と飲食店が入居した複合ビルが建てられた。

 左後方に写っているのは三越新宿店南館。三越南館は1991年開業。上の写真の時にはまだ三越だったのだが、99年に大塚家具に賃貸され、下の写真の時(現在)は同じ外観だが大塚家具となっている。

参考記事
港町キネマ通り新宿昭和館/昭和館地下劇場
神宮寺表参道映画館嗚呼、新宿昭和館
魅惑の昭和館

2009.1.11追記
 2008.12.27に、誤って以前の文章を別のものに差し替えてしまいました。テキストのバックアップが無かったため、オリジナルのものには復元不可能ですが、およそ似た内容の記事を書き直しました。

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みやこホテル

2008-07-06 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1990/2008) No.17

Photo 1990.6(ノーマル時)、Photo 2008.3.4(マウスオン
みやこホテル
所在地:新宿区高田馬場1-24-18
構造・階数:木造3F+塔屋

 大学4年の時に、高田馬場駅周辺を対象とした設計課題を同級生と共同でやることになり、とりあえず数人で高田馬場駅周辺を見て回った。大学は大久保3丁目にあるので、高田馬場駅は毎日のように利用していたのだが、駅周辺の街は意外に知らない場所が多く、歩いてみるとなかなか新鮮だった記憶がある。

 みやこホテルはその時に何気なく撮ったもの。最近になって当時の写真を引っ張り出して唖然。ホテルという名が付いているが、なんだこりゃ? お寺みたいでもある。北側にはほとんど窓がない。怪しいお堂といった体だ。

 こんな事だったら玄関先もちゃんと撮っておけば良かった。とりあえずググッてみたが、ほとんど情報はなし。高田馬場周辺の戦後郷土史の資料か何かを読めばあるいは載っているのかもしれないが、そちらは未調査。とりあえずネット上に載せてみることにする。いつ頃まであったのかも不明。

 現在はアサイガーデンコートという一部5F建てのマンションが建っている。1Fには美容院とコンビニも入居している。

 この写真を撮った道も実は変な道で、小学校の南側をクランクしながら巡り、更に東側の路地へと繋がっていく。早稲田通りの裏道で、遠回りである気がする道なのだが、なぜか駅への抜け道として利用する人が多い。

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#東京新旧写真比較 新宿区  #失われた建物 新宿区 
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北新宿 1992-2008

2008-02-11 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1992/2008) No.16

変わったような変わっていないような、でもやっぱり激変。

Photo 1992.6(ノーマル時)、Photo 2008.1.28(マウスオン
新宿区北新宿2-23と西新宿8-22の間の地点から南方向
2008の写真で正面は西新宿三井ビル

 北新宿2丁目では市街地再開発事業が行われている。最近では新しい建物の建設も本格化しているようだが、実は15年以上前からこの界隈は妙なことになっていた。この地区の都市計画決定は平成6年10月(1994.10)だという。上の写真はそれより前なのだがこの時点で既に空き地が多い。計画決定以前に地上げ等が進んでいたのだろうか。

 実を言うと私は、この写真の場所を訪れた理由を全く覚えていない。当時はまだこのような場所にはそれほど興味がなかったはずなので、わざわざ怪しい場所を狙って探索をしていたわけではないはず。大学院生だった頃なのだが、どうしてここを通ることになったのかさっぱり記憶がない。写真もこの一枚しかなくて、前後のコマは全然違う場所。

 ただ、この写真を撮ったときの記憶だけはある。空き地の中に建っていた廃墟のようなビルにとにかく驚いたのだ。基壇のようになった1Fの上に載る武骨な建物。正面から見ると間口は狭かったような記憶があるが、横から見ると威圧感を伴う存在感があった。そこまでの衝撃があったくせに、どこで撮ったのかさえ分からなくなってしまい、最近までは北新宿あたりで撮ったような気がするという程度の状態だった。そしてその後、北新宿界隈には長い間行かなかった。

 だが2年ほど前にこの界隈を探索して以来、この写真はまた気になるものになった。同じ場所の風景はどうなったのだろうか? ひょっとするともう全然無くなってしまっているかも知れない・・・。そして手掛かりを探すうち、左端の建物がまだ残っていることが分かり、今回撮影に赴いたのである。

 写真中、道路から右側が市街地再開発事業地で、左側は対象地ではなかったため道路沿いに並んだ一連の建物は残った。右側のエリアでは青梅街道沿いまで、全ての建物が無くなり再開発を待っている。ただ、15年以上が経つのにまだ建設が始まらず空き地のままであるのは少々不思議でさえある。また、北新宿の市街地再開発事業地ではないが、道路正面奥の建物も解体されそこに西新宿三井ビルという超高層ビルが建てられた。この他、右奥には青梅街道沿いのマンションが見えていて、これらにはあまり変化がない。屋上の広告が無くなったり携帯電話の通信アンテナが立てられたりしているが、同じような形態をしていたため場所の特定には役だった。

 空き地になっている場所では、35階建て160m程度の超高層オフィスビルの建設が今年の夏頃から始まるらしい。完成予定は2011年夏だという。15年余が経過し、大きく変わった部分となぜか変わらない部分があったが、3年後、ここの景色はまた全く違ったものになっているはずだ。

(2008.2.13追記)
 昔の住宅地図で確認したところ、1992年の写真中央に聳えていたのは、小林マンションというRC7Fの建物で、1993年頃に解体されたらしい。

#東京新旧写真比較 新宿区  #街並み 新宿区  #高層ビル 
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