都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京都住宅供給公社 中野駅前住宅

2023-01-06 | 中野区  
東京都住宅供給公社 中野駅前住宅
所在地:中野区 中野2-24〜26
構造・階数:RC・4
建設年:1951〜52(昭和26〜27)
解体年:2019(平成31).9〜
Photo 2018.6.7

 JR中野駅南口から線路沿いに東へ少し行った場所にあった団地。昭和20年代に建てられた団地は東京では既にかなり少なくなっているそうで、しかもJR駅の近くというのは珍しいというか貴重ともいえる存在だった。
 建設から70年近く経ち老朽化もしていたことから再開発されることになり、2019年に解体。現在、中野二丁目地区第一種市街地再開発事業が行われていて、2024年には超高層の集合住宅とオフィスビルが竣工する予定という。


 南北に並んだ7号棟と6号棟  Photo 1997.3.30


 手前から2号棟〜5号棟  Photo 2009.2.4


 JR中野駅のホームから1号棟と2号棟  Photo 2017.11.26


 1号棟は線路沿いの道から直接入っていくかたち  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

 当初は風呂が無かったそうで、風呂場は南側のベランダを後から改装して造ったそう。


 Photo 2009.2.4


 入口の周囲にはスクラッチタイルが張られていた  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

中野住宅くらしとすまい|JKK東京 東京都住宅供給公社
1953年完成も、解体間近の「中野駅前住宅」が伝える集合住宅の「原点」とは? | アーバン ライフ メトロ
Rトピックス 中野住宅が教えてくれること−団地R不動産−
現存する最古級の団地「中野駅前住宅」解体へ | 東スポWEB
歴史ある「中野住宅」の建替事業×「中野」駅南口エリア再開発 新築賃貸マンションの内装イメージを公開|東京都住宅供給公社のプレスリリース

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #住宅系  #集合住宅  #公営・公団・公社・公立住宅 
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公団晴海高層アパート15号館

2019-08-28 | 中央区  


 東南側から

公団晴海高層アパート15号館
所在地:中央区晴海1-6
建設年:1957(昭和32)
構造 :SRC
階数 :10F
設計 :前川国男
備考 :1997年解体、高層住宅に建て替え。
Photo 1996.5.25


 西側から


 北側から


 北西側ファサード 2戸×3層=6戸を1ユニットとした構造


 エレベーターホール

 EVは1F・3F・6F・9F階に停止。この他の階の各戸は通路階から階段で上下にアプローチする


 1F外階段室


 通路手摺


 6F通路の様子

 通路は3F・6F・9Fの3層おき。この通路から階段を介して上下階の住戸にアプローチする。


 通路の様子 やや階高が低い

Wikipedia > 晴海団地

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #公営・公団・公社・公立住宅  #モダニズム 
#前川國男 
2010.04.03
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都営古石場住宅

2019-02-24 | 江東区  
都営古石場住宅
所在地:江東区古石場2-14
構造 :1〜4号棟 鉄筋コンクリートブロック造、5号棟 RC造
階数 :3F
建設年:1〜4号棟と浴場・食堂は1923(大正12)
    5号棟は1926(大正15)
解体年:1999(平成11)
Photo 1995.7.15

 東京で初めてのRC集合住宅。ヨーロッパのアパートメントを意識したのか縦長の窓割りになっている。
 行ってみたら、仮設的な増築が激しく、一部屋増やしてしまったりしていた。木造戸建てなどではよくあることだが、下の階に別の住戸がある共同住宅では日本ではあまりお目に掛からない。築後70年の時の経過の中で出来た姿。

 オリジナルの仕様では外に出られるベランダはなかったらしく、植木鉢を置いたり洗濯物を干す程度の張り出しがあるだけだったようだ。

 各戸へのアクセスは階段から左右に分かれる形式だった。かなりプライベート性が高い雰囲気だったため、建物内部には入らず。屋上が物干し場になっているようだったがそちらにも行かず。


後から増築された物干し台。


外部に配管が露出して取り付けられているが、かなり老朽化していた。


初期の窓枠が残っている部屋と、サッシに取り替えられている部屋がある。


建物本体が見えないぐらいに増築がなされた部分もある。


3F部分は鉄骨で支えられた増築、1Fはそれとは構造を異にした増築。


Tokyo Lost Architecture」内の記事として掲載していましたが、都市徘徊Blog内に移設しました。
古石場住宅/古石場2 - ぼくの近代建築コレクション
『戦前公共集合住宅における住環境形成の分析を通した環境運営計画の構築』
 住宅総合研究財団 研究年報 No.24 1997

2022.9.20 追記
 古石場アパートは1973年版以降の住宅地図(注)では、菱光倉庫社宅と記されている。また、かつての市民館の場所は古石場保育園となっている。同アパート解体後、跡地はウェルタワー深川となった。
 戦後、菱光倉庫の社宅となった時期、また市民館が古石場保育園になった時期は未把握。
 注)都立中央図書館で紙面で閲覧できる最古の「江東区」版ゼンリン住宅地図。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区  #公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
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公社青葉町住宅

2019-01-31 | 渋谷区  
公社青葉町住宅
所在地:渋谷区神宮前5-52
構造・階数:RC・11F
Photo 1987.9.27

 戦前の近代建築ではなく、恐らく昭和30〜40年代の建物だったが、30年程度で取り壊されてしまった。右手奥の建設中の建物はJBPオーバル。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #公営・公団・公社・公立住宅 
#集合住宅  #モダニズム 
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都営桐ヶ丘アパート E47号館

2018-12-17 | 北区   
都営桐ヶ丘アパート E47号館・北西側から
所在地:北区桐ヶ丘1-8
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :14F
Photo 2018.11.3

 現在、桐ヶ丘1丁目アパートへの建て替えが進められている桐ヶ丘団地。1960〜70年代に建てられた団地の建物はほとんどが5階建て以下で、一部にメゾネット6階があるだけ。その中で唯一この建物だけは14階建てで、団地のシンボルタワーのような存在だったそうだ。


 南側からの全景と、団地の給水塔

 桐ヶ丘団地は詳細には見ておらず、この建物も近づいたことがなかった。先月訪れた際、灯りが点いておらずちょっと異様な雰囲気を漂わせていたため近くに行ってみた。すると解体の掲示が出ており、そのとき初めてこの建物がなくなることを知った次第。


 玄関付近

 結局内部には入らずじまい。平面形はほぼ正方形、吹き抜け中庭のあるロの字型の建物だったという。解体直前だったので補修もされておらず、あちこちの塗料が剥げていた。

 解体工事は10月30日からの予定とされていたが、11月3日に訪れた際にはまだ工事は特に始まっていなかった。ただその後1ヶ月以上経ったので、現在はたぶん解体作業が始まっているだろう。

 1Fには桐ヶ丘小売市場という店舗もあったようだ。昔は周辺地域からも多くの人が訪れていたのだろうが、訪問時は既に無人でひっそりしていた。

 階段室・EV室のある壁面の見上げ。近くで見るとなかなかの迫力がある外観をしている。


 非常階段の見上げ

 錆び付いた階段が上方に伸びる姿は迫力があり存在感があった。建物名で検索すると昔の写真も出てくるが、非常階段に布団を干しているのが印象的だった。高層で外側にベランダがなかったためそんなことになっていたようだ。

 壁面から片持ち梁を2列張り出して、それに鉄製の階段を載せている。一見すると素っ気ないが無駄のない合理的な姿はある意味潔くて格好が良い。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 北区  #公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
#高層ビル  #塔 
コメント (4)
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春日町交差点

2014-11-30 | 文京区  
春日町交差点 都営文京真砂アパート
所在地:文京区本郷4-15   Google Map
建設年:1967(昭和42)
構造・階数 :RC・12F
Photo 2014.9.14

 カクカクした書体で大書されたアパート名が印象的。
 1Fには文京区設真砂市場があり、2〜4Fは文京区の施設。
 出っ張ってるのはボイラーの煙突だろうか? それともダストシュート?

#古い建物 文京区  #公営・公団・公社・公立住宅  #高層ビル 
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千住汐入、隅田川近辺

2014-08-14 | 荒川区  
左:荒川区立汐入東小学校・汐入こども園
所在地:荒川区南千住8-9   Google Map
竣工年:2010(平成22)
Photo 2014.5.20

 1Fは汐入こども園、2〜5Fが教室など。6Fが体育館、7Fはプール。最近の都市型校舎はスゴイ。

水神大橋
所在地:荒川区南千住8丁目から   Google Map
架橋年:1989(平成元)
Photo 2014.5.20

 隅田川に架かる橋の中では比較的新しいもの。

 橋の奥は墨田区側の都営白鬚東アパート。1km以上にわたって壁のようにそびえる、防災アパートだ。

伊沢造船所
所在地:足立区千住曙町38   Google Map
Photo 2014.5.20

 隅田川沿いに残る唯一の造船所なんだとか。

 右側の旧綾瀬川は、水門を介して荒川とつながっている。 川の上には首都高速6号が架かる。

#新しい建物 荒川区  #学校  #海・川・池  #橋 
#公営・公団・公社・公立住宅  #眺望 
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赤羽西~蓮沼町あたり

2014-03-16 | 北区   
都営赤羽西アパート1号棟
所在地:北区赤羽西5-12   Google Map
建設年:1969~1974(昭和44~49)年
Photo 2013.9.9

 昭和40年代後半に建てられたそうな。建物名のカクカクした文字がいい。1の字がかなり離れてるけど。

旧陸軍兵器補給廠専用線跡
所在地:北区赤羽西6-34   Google Map
Photo 2013.9.9

 住宅街の中に残る旧陸軍兵器補給廠専用線の跡。明治末から戦後の頃までここを貨物列車が行き交っていたそうだ。右側のカーブしてる道のあたりが線路跡らしいが、話を知らなければ全然わからない。

本蓮沼駅の近くにて
所在地:板橋区蓮沼町17   Google Map
Photo 2013.9.9

 木造長屋を改装したモルタル看板建築系の建物かと思ったのだが、ヴォールト状の屋根裏があり、新しいのか古いのか、わからなくなってしまった。

#街並み 北区  #街並み 板橋区  #公営・公団・公社・公立住宅 
#集合住宅  #鉄道  #看板建築 
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赤羽台団地

2014-03-09 | 北区   

 赤羽台団地再訪。

UR都市機構赤羽台団地49号棟
所在地:北区赤羽台1-4   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 8棟あったスターハウスの内、半数が2013年に解体された。残るは赤羽台トンネルのすぐ上に見える49号棟と西側の42~44号棟。老朽化は否めないのでこれらも数年の内に解体されてしまうのかもしれない。

UR都市機構赤羽台団地50号棟(左)・51号棟(右)
所在地:北区赤羽台1-6   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 4棟で中庭を囲んでいた50~53号棟は既に封鎖され、中庭に行くこともできなかった。これらの棟には1階に商店が入居していて、2年前に訪れた時はまだ数軒が営業していたが、既に全く人の気配がなかった。訪ねたのは昨秋なので、既に解体されてしまったかもしれない。

UR都市機構赤羽台団地33号棟
所在地:北区赤羽台2-1   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 久々に近くを通りかかったが、33号棟も築50年を経て閉鎖されていた。

 廊下があるのは3Fと6Fのみで、他の階の部屋には3Fか6Fの廊下から階段で上り下りしてアプローチするものだった。廊下のない階では通風や採光、プライバシー面で優れ、エレベーターの効率も良いとされたが、バリアフリー面での問題もあり事例は少ないという。

 赤羽台団地が造られたのは日本住宅公団の時代。団地の在り方が模索され、住棟も様々なスタイルでデザインされたようだ。今の公団住宅とは全く異なるが、昔の団地建物も興味深い。

#古い建物 北区  #失われた建物 北区  #街並み 北区 
#公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
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赤羽台4丁目の木造家屋

2013-08-28 | 北区   
赤羽台4丁目の木造家屋
所在地:赤羽台4-12   Google Map
Photo 2013.7.3

 赤羽台4丁目の5~15番地のあたりは街区が碁盤の目のようになっており、かなり古い建物も建っている。

 この近辺は、終戦時までは近衛工兵第一連隊と第一師団工兵第一連隊、両工兵連隊の練兵場だった場所で、戦時中の航空写真を見ると原っぱになっている。

 戦後すぐ(1947年頃)に宅地化され、当初は都営住宅地だったようだ。復員者などが増えて住宅難になったため、応急的に造られた木造住宅団地らしく、その辺の経緯は戸山ハイツなどとも似ているが、ここの住宅地は集合住宅団地にはならず、現在も戸建てが密集する宅地になっている。

 スリバチ本の地図には同潤会住宅地と記されているが、ここは戦時中は練兵場だったので、これは著者の錯誤かと思われる。

 スリバチ・フィールドワークで御一緒した際、もしここが同潤会住宅地なら当時の建物かもしれないとは思ったのだが、後からよく見ると、なんだか違うような気がして気になっていた。

 分譲住宅地だとしたら、言ってはなんだが、ややしょぼい。また、2階部分が相対的に小さいプロポーションは普通住宅地の2戸連続の長屋形式に似るが、ここでは戸建てなのが気になっていた。裏路地的な細道が配されているあたりは、かなり同潤会住宅地っぽいのだが、昭和12年の地図で練兵場と書かれ、また昭和20年の地図では真っ白に表記されている場所に、戦前に同潤会住宅地ができてそれが残っていることは、まず考えられない。

 現在、北区赤羽近辺の同潤会住宅地としては、赤羽普通住宅地が赤羽西4丁目(旧王子区稲付町4丁目)に、また、赤羽分譲住宅地が西が丘1丁目(旧稲付西町)にある。あと、少し南には十条普通住宅地が十条仲原3丁目(旧上十条町)にあり、いずれにもわずかな数、当初からと思しき木造家屋が残っている。

#古い建物 北区  #公営・公団・公社・公立住宅 
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