都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

永楽屋

2024-04-24 | 中央区  
永楽屋
所在地:中央区 日本橋蛎殻町1-6-5
構造・階数:木・2
建設年:1925(大正14)
解体年:2022(令和4)
備考 :2021(令和3)末に廃業
Photo 2014.5.6

 新大橋通り、蛎殻町交差点のそばにあったワイシャツの仕立て屋。通り掛かったのが休業日だったためこの時は閉まっていたが、2年ほど前まで営業していたそうだ。しかし2021年末に廃業し、その約1年後の2022年末に建物も解体されてしまった。

 モルタル看板建築だがファサードは平面的ではなく、2階の窓まわりを後退させて柱を付けるなどして立体的に見せる工夫がされている。店名看板もおしゃれにデザインされていた(改装などの際に新調されたものだったのかもしれない)。

 1階の扉は観音開きで店の名が金文字で画かれていた。ショーウィンドウが張り出していて、見せ方にもちょっとした工夫がされた建物デザインだった。ただ、営業時の写真をネットで見たところ、ディスプレイはきれいだとは言い難い感じだった。

永楽屋、他/蛎殻町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #看板建築 #モルタル看板建築 
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Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸

2024-04-21 | 中央区  
Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸
所在地:中央区 日本橋大伝馬町9-2
構造・階数:木・2
解体年:Cotto 2017(平成29)、日比野運輸 2013(平成25)
Photo 2011.1.26

 昔の日光街道・奥州街道のひとつ北側の通りにあった看板建築。角地にある喫茶店コットは1970年代の住宅地図にもその名が記されていた店。1990年代末の住宅地図では、コーナー部はスナックコット、その左側がコーヒーコットで、角地にある一つの建物に異なる業態の同名の店があったようだ。そのためか写真でも入口が2ヶ所あったが、写真の時点では喫茶店だけになっていたようで、コーナー部は入口ではなくなっていた。

 一方その右隣は、かつて運送会社だった看板建築。写真の時点では既に仕舞屋だったが、2000年発行の住宅地図では日比野運輸と記されている。また、下記「ぼくの近代建築コレクション」では1988年の写真を見ることができ、こちらでは軒先に社名の看板が掲げられている。またこの時点と上写真では2階の外壁の様子も異なる。

 喫茶店コットはモルタル看板建築だが装飾は少なく、コーナー部壁面のレリーフとギザギザになったパラペット上端部だけ。日比野運輸の方は外壁が改修されているのでよく分からないが、金属板張りの看板建築で上端部のデザインはコットと似ていた。

 二つの建物は共にこの写真の数年後に解体され、現在、跡地には10階建てマンションが建てられている。

コット、フジスター/日本橋大伝馬町 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #看板建築 #モルタル看板建築 
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月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群

2024-04-18 | 中央区  
月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群
所在地:中央区 月島2-13-10〜12
構造・階数:木・2
建設年:戦前、戦後まもなく
解体年:1998(平成10)
Photo 1996.5.25

 清澄通りの北側から、南側に並ぶ建物群を撮ったもの。

 写真左から、旧荒井喜久蔵商店、酒場ハクツル、旧築地運送、路地の右側が須藤モータース、旧喫茶・スナック「ブレイク」。荒井喜久蔵商店は出桁造り町屋。その他はモルタル看板建築。築地運送の建物は70年代は月島運送事業協同組合、80年代は月島将棋クラブなどになっていた。また、1992年に都営地下鉄大江戸線の環状部の建設が始まったため、道路上には仮設の柵がたくさん並べられている。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」では、この写真の数年前(1980年代末)の写真を見られるが、そちらでは荒井喜久蔵商店がまだ営業中で、軒先に看板が掲げられていることも確認できる。

 月島は2000年に大江戸線が開通したこともあって、この頃から高層マンションがどんどん造られた。写真の建物群も1997〜98年頃に解体され、跡地には12階建ての高層マンションが建てられている。

酒場ハクツル/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区 #看板建築 #モルタル看板建築 
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新富1丁目のモルタル看板建築群

2024-04-03 | 中央区  
トミー・リーアル・アドバイザー、Y邸、中央金属
所在地:中央区 新富1-4-3
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:手前2棟は1998〜2000(平成10〜12)
   :中央金属は2016〜17(平成28〜29)
Photo 1995.6.20

 新富町1−4の北東角から南方向に撮ったもの。下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事の2枚目写真とほぼ同じ向きで、私の方はその約1年後のもの。
 角からトミー・リーアル・アドバイザー、その隣がY邸、その奥は新光貨物株式会社のビル、その奥が中央金属(2F)。新光貨物株式会社は5F建てだが、その他は木造2階のモルタル看板建築だった。

 角地のモルタル看板建築は、1973年の住宅地図ではコーヒーマンダリン、その後、1980年代以降はトミー・リーアル・アドバイザーという会社だったが、1998〜2000年の時期に解体された。またY邸も角地の建物と同時期に解体され、その後、両者の跡地はまとめられて7階建てのビルが建てられている。


 Butterfly Stroke Inc.(旧 中央金属) Photo 2013.10.13

 一方、奥に写っている中央金属の方は、Googleストリートビューの画像を見ると、2000年代後半にはきれいに改装され、Ruffy Tuffy Inc.という小規模事務所になっており、2010年代にはButterfly Stroke Inc.になっていた。また、いつ頃からかは分からないが、この頃には外壁がツタで覆われていた。
 しかし2016〜17年頃に解体され、その後はコインパーキング、現在はホテルになっている。

 1990年代頃までは都心でも看板建築が建ち並ぶ街並みがそこそこあったが、その後次第にそれらは建て替えられ、現在はやはりかなり少なくなっている。

トミー・リーアル・アドバイザー/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#看板建築  #モルタル看板建築  #街並み 中央区 
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井上輪店

2024-03-18 | 千代田区 
井上輪店
所在地:千代田区 富士見2-2-11
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2014(平成26)
Photo 2008.4.4

 飯田橋駅近くの商業地にあった自転車屋さん。袖看板には三菱自動車のマークがあり、ギャラン、ミニカなどの文字もあるので、かつては自動車の取り扱いもしていたのかもしれないが、戦後間もない時期の火保図(1952年)では、井上サイクルと記載されているので、基本はやはり自転車屋さんだったのだろう。

 モルタル平入り看板建築で、2階の窓まわりの壁はトタンかアルミに換えられたかしたようだ。一帯は戦災では焼失しなかったエリアなので、もしかすると戦前に建てられたものだったのかもしれない。現在は5階建ての雑居ビルになっている。

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神田蓄電池(車庫・倉庫)

2024-03-12 | 千代田区 
神田蓄電池(車庫・倉庫)
所在地:千代田区 西神田3-1
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前?
解体年 :2014(平成26).4
Photo 2008.9.9

 玄関シャッター上部に見える「神田蓄電池」で検索したところ、本社は神保町にあり、ここは1972(昭和47)に建物を購入して、車庫、倉庫として使用していたものだったことが分かった。

 モルタル看板建築で一部にギャンブレル屋根があり、その部分は屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根を用いた3階建てなので、震災後から戦前期のものだったのではないかと思われる。

 90年代以降は別の居住者の名が記されていたりして、いつ頃まで同社の倉庫として使われていたのかはわからなかった。この数年後の2014年に解体され、現在、同所はコインパーキングになっている。

有限会社神田蓄電池

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大信不動産

2024-02-24 | 千代田区 
大信不動産
所在地:千代田区 神田多町2-9
構造・階数:木・2
解体年:2010(平成22)
Photo 1998.6.27

 多町通りの角地に建っていた洋風モルタル看板建築。戦前なのか戦後のものなのかはわからないが、1915年の火保図には「タバコ屋」、戦後の火保図や1965年の全住宅案内地図帳では「塩崎洋服店」と記されている。
 1973年以降に発行された住宅地図では「大信不動産」となっており、これが解体直前まで続いていた。下記「ぼくの近代建築コレクション」によると、大信不動産は1965年からここで営業していたとのこと。


 Photo 2009.2.14

 コーナー部を挟んで両サイドに出入口があったが、角地にあり交差点に面したコーナー部にアーチ型の装飾があった。昔はアーチの下に店の名前の文字が縦書きで付けられていたのだろう。
 なお、西隣(写真左手)の銅板張り看板建築はサカエヤクリーニングで、こちらは2022年7月時点で現存(Google ストリートビューによる)。

大信不動産、サカエヤクリーニング店/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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笹村商店・岡谷商事

2024-02-15 | 千代田区 
笹村商店・岡谷商事
所在地:千代田区 神田須田町1-30
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2016(平成28)
Photo 2002.2.24

 靖国通りのひとつ南側の通りにかつてあった2軒の看板建築。現在はパークホームズ千代田淡路町という12階建てマンションになっている。
 角地の笹村商店はモルタル看板建築で、綿織物卸商。角から2軒目の岡谷商事は銅板張りの看板建築で、毛織物卸。


 岡谷商事 Photo 1996.2.20

 営業していた頃の様子。玄関前の台車には反物が載せられている。


 Photo 2014.3.16

 2014年に通り掛かったら、岡谷商事は銅板張りではなくトタン張りに改装されていた。ストリートビュー画像で確認したところ、2009年12月時点で既にトタン張りに替えられていた。

古い建物と街並みをもとめて: 神田須田町の建物巡り
岡谷商事、笹村商店/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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中村邸ほか

2024-02-09 | 千代田区 
中村邸・旧SHK
所在地:千代田区 神田須田町1-26
構造・階数:木・3
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1996.2.20

 神田中央通り(旧中山道)のひとつ西側の裏通りに面して西向きに建っていた、大型ギャンブレル屋根の3階建て。住宅地図等から推測するに左右2軒になっていたようだ。

 住宅地図によれば、北側(手前側)が個人宅。ただ入口がシャッターなので、かつては何らかの店だったのではないかと思われる。南側は1970〜80年代はSHKという会社(業種は知らず)、90年代は空き家だった模様。

 妻面はモルタル壁で屋根はトタン葺きだったようだ。建設年代はわからないがギャンブレル屋根の3階建ては戦後はあまりないと思うので、震災後から昭和戦前期のものだったのではないだろうか。

あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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秋田接骨院・珈琲の店びいんず

2024-01-27 | 千代田区 
秋田接骨院・珈琲の店びいんず
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2014(平成26).4
Photo 2011.10.9

 2軒の店が入った妻入りのモルタル看板建築。戦後まもなくの時期に建てられたのではないかと思うが、戦前の可能性もあり詳細は不明。昼間の写真を撮り損ねてしまったため、手もとにあるのはこの一枚のみ。

 撮影した時期には接骨院と喫茶店になっていたが、ここの店舗はずっと同じだったわけではなかったようだ。戦前の1935年の火保図では小林医院?、戦後の1950年の火保図では水谷歯科、1954年作成・1959年修正の火保図では菊地歯科と信濃デンキと記されており、戦前から戦後にかけて医院がいろいろ替わっている。

 その後、1973年には大京印刷・オクムラネーム店、1982年にはコーヒーびいんず・オクムラネーム店と記されている。びいんずという喫茶店はこの頃からのもののようだ。

旧村木商店、びいんず/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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