都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧 六本木プリンスホテル

2022-05-14 | 港区   
六本木プリンスホテル/ホテルヴィラフォンテーヌ六本木アネックス
所在地:港区 六本木3-2-7
構造・階数:SRC・9
設計 :黒川紀章
建設年:1984(昭和59)
解体年:2012(平成24)
Photo 2007.2.11

 バブル期の直前ないしは、バブル期の初めに造られたシティホテル。
 ロの字型の平面で、中庭にプールがあったことで知られた。プールの水面が高く設定され、側面の一部がアクリルガラス製で、泳ぐ人が横から見えると評判だった。

 このホテルが人気だった当時、私自身は学生だったので、ここには全く縁がなく、結局、建物内にも入らずじまいに終わってしまった。 プリンスホテルとしての営業時にいちど訪れておけばよかったと時々思う。

 六本木プリンスホテルとしては2006年12月末に営業終了し、住友不動産に売却された。その後、ホテルヴィラフォンテーヌ六本木ANNEXとして期間限定で営業したが、これも2011年11月に閉館した。

 写真は、ホテルヴィラフォンテーヌ アネックスだった頃のもの。後方に見えている日本IBM本社と合わせて再開発され、住友不動産六本木グランドタワーが2016年秋に完成している。

 内部空間は面白い作りになっていたようだが、外観はモダニズムの箱型で、横連窓はオフィスビルのようにも見えた。窓ガラスと壁面が同一のいわゆるツライチ。最上階の上部の壁面が薄くシャープな印象ではあるが、外観上は正直言ってあまり特徴はない。時期的にはポストモダン建築が多く建てられるようになった頃だが、その外観は無駄のないデザインだった。まあ、タクシーや車で乗り付けるならば、 外観はどうでもいいともいえるが・・・。
 ポストモダン的な遊び心のあるデザインは、やはり中庭のプールまわりだったのだろう。今にして思えば、この建物を表すには、中庭空間とプールが写った写真を用いないとあまり意味がないのかもしれない。

六本木プリンスホテル - Wikipedia
六本木プリンスホテル
旧六本木プリンスホテルが解体へ | kinoiekoubou日誌

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #ホテル・旅館  #黒川紀章 
#昭和戦後期  #ポストモダン  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中銀カプセルタワービル

2008-12-25 | 中央区  

 既に文化財級ではないかと思われるこの建物も、老朽化等の問題のために解体されようとしている。

中銀カプセルタワービル
所在地:中央区 銀座8-16
構造 :SRC・一部S
階数 :11F・一部13F
建設年:1972(昭和47)
設計 :黒川紀章
Photo 2008.7.22

 建物の老朽化とアスベスト問題、改修にかかる費用の面から、解体、建て替えが決まったのだという。(注1)

 もともとかなりアクの強い建物なので、住むためにはそれなりの覚悟が必要だと思う。だから、てっきり入居者はこの建物を愛して止まない人たちなのだろうと、私などは思っていた。その意味では、意外に大人の対応?がなされたのにはちょっと驚いた。しかしこの建物の部屋を所有している人、住んでいる人の中に、投資目的の人は少ないのではなかろうか。そう考えると、やはりぎりぎりの線だったのかなぁとも思う。
 確かにアスベスト問題は、住人にとっては我が身の健康の問題ではある。コストと安全という問題の前では、たとえ建物を愛していても妥協せざるを得なかったということなのだろうか。Wikipediaの記述を見ると、建て替えは、区分所有法に基づく建て替え決議を経て決まったという。残したいのはやまやまだが、これ以上負担できないという人に較べて、大規模に改修してでもなんとしても残したいという人は、かなり少なくなっていたようだ。

Photo 2008.7.22

 中銀カプセルタワーは、大まかに言うと、ベースとコアシャフト、カプセルからなる。カプセルは2本のボルトだけでコアシャフトに固定され、この他に電気、給排水管が接続されているという。その名の通り、宇宙ステーションに実験棟カプセルがドッキングしているような感じだ。60〜70年代にはこういう発想は斬新で未来的だったのだろう。カプセルモジュールで空間や機能を増減するやり方は、その後、様々な場面で実現している。またプレファブリケーションで建物を造ることも広まっていて、中銀カプセルタワーはそれらの先駆的な存在だったのだろう。

Photo 2002.4.29

 ただ、中銀カプセルタワーはコンセプチュアルにその概念を表現したもののようにも思う。幹に枝葉のようにカプセルを固定するやり方は、直接的な見せ方だし、カプセルが様々な位置と方向で取り付く様は、非常に格好が良く、機能優先ではないデザイナー魂が出ているように思う。
 実際、新陳代謝できる建築という実質的な機能の進化は、カプセルタワーのような、これみよがしな分かりやすいデザインではなく、もう少しこなれて、見えにくいものになった。現在的な見方をするなら、カプセルタワーは結構不便なところが多い気がするし、無理やりな挑戦をしているような気もする。メタボリズムの発想を明快に形にしてはいるが、思想をそのまま形にしなくても良かったんじゃないの?、などとは思ったりもする。

 だが、やはり憎めない建物だ。考えを示すために現実的な住みやすさなどを捨て去ってしまったかのような潔さが感じられ、見ていて気持ちがよい。思想とライフスタイルが外観に現れているという意味ではとてもモダンな建物だ。
 築40年以下の建物だが、建築文化に与えた影響は大きいという。日本におけるDOCOMOMO135選にも2006年度に選ばれている。

 今、周辺にはカプセルタワーより大きなビルが建ち並んでいる。高速道路を挟んだ南側には汐留の高層ビル群が建ち並び、カプセルタワーは今ではどちらかというとこぢんまりしたビルになってしまった。また、首都高速が目の前にあるので、全貌を見るのは極めて難しい。今回、外観を撮るためには、交通量が多い道を無理やり渡らねばならなかった。そして高速下の駐車場の縁にピッタリと張り付いて、ビュンビュン走る車をやり過ごしながら、ようやく全体が見える写真が撮れたのだった。

 ビルの足下を歩いていると、1Fにコンビニが入居した普通のマンションのように感じられてしまう。私が写真を撮っていると、通りかかった人々が何事かと上を振り仰いでいた。これが建築的に有名なものであることを知らずに行き交っている人も多いようだ。当初の近辺は、せいぜい7,8Fのビルが数棟ある程度で、低層の家屋も多かったのではないだろうか。そういう状況ではカプセルタワーは抜群の存在感をもっていたに違いないが、今の様子はかなり異なる。もしかするとカプセルタワーの時に思い描かれていた未来の街を、現在の街は追い越してしまったのかもしれない。

 解体される場合、カプセルぐらいは残されるのだろうか。どこかでカプセル1ヶだけを保存して公開したりはするかもしれないが、そうではなく、全部の移築保存はできないのだろうか。江戸東京たてもの園に移築したら、周辺とギャップがありまくって、おもしろカッコイイ気がする。今までの雰囲気が壊れちゃうからダメかもしれないけど・・・。メタボリズムつながりで、両国の江戸東京博物館の前庭あたりに移築なんてのも面白そう。江戸博の巨大さが改めて分かる気がする。移築先でベースとコアシャフトを造っておいて、現在のカプセルをトラックで運んで、クレーンで取り付ける。これこそメタボリズムの真価発揮。もし実行されたらちょっとしたイベントではないだろうか。

 新陳代謝する建築は、増改築や修繕がしやすい建物、定期的なメンテナンスや交換がしやすい建物として、現在では一般化している。カプセルを丸ごと取り替えてしまうのではなく、更に部分、部分を更新できるわけで、より緻密な新陳代謝だし、リユースやリサイクルの観点からすれば、よりエコなシステムが構築できてきたことになる。

 でもカプセルタワーは、建てたらそれっきりになりがちだった近代建築に、新陳代謝や使い続けながら更新するという発想を、形は違うが意識的に取り入れたわけで、大きな意義を持つ建物なんだろうなと思う。

 授業でカプセルタワーの考え方、発想について解説すると、多くの学生が関心を持つ。40年近く前にそのような先駆的建物が日本人建築家によって建てられたことに、今の若者も感心するらしい。メタボリズムもまだまだ捨てたものではないなと改めて思う。

中銀カプセルタワービル - Wikipedia

注1)2016.1.13追記
 その後、マンションを建築する予定だった業者が倒産しため、建て替え決議は無効になったという。建て替え賛成派と反対派の割合は変動しているようで、2015年末時点でも今後の方針は決まっていない。


2022.8.21 追記
 2021年に解体が決定し、2022年4月解体開始。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #集合住宅  #黒川紀章 
#メタボリズム  #docomomo japan   ブログ内タグ一覧
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立新美術館-3

2007-03-09 | 港区   

 外へ出ると、本館建物の前に小さな3階建ての別館がある。Photo 2007.2.11

 実はこれが旧陸軍歩兵第三連隊の庁舎の一部。昭和11年の2.26事件の際、ここから反乱将校らが出撃したことでも知られる建物。

 国立新美術館と政策研究大学院大学の敷地は、江戸期には伊予宇和島藩の上屋敷だったところだそうだ。明治になり藩邸が無くなった後、大正、昭和戦前期には、旧日本軍の軍用地となり、昭和3年(1928)に、旧陸軍歩兵第三連隊の庁舎が建てられた。

 戦後の一時期は、敷地全体が米軍に接収され、周辺も含めてハーディーバラックスと呼ばれる下士官兵宿舎となる。昭和34年(1959)の接収解除の後は、東大の所有となり、東京大学生産技術研究所となった。

昔の様子 → 東大生産技術研究所(旧歩兵第三連隊兵舎)

 そして数年前にこの東大生産研が移転し、跡地に国立新美術館と政策研究大学院大学が造られた。

 その際、戦前からあった建物は、一部が保存され、別館として再利用されることになった。

 もともとは、環状の平面形をしたかなり大きな建物だったが、現在残るのは、西南角近くの部分のみ。この部分だけは、新美術館と大学院大学の、どちらともあまり関係がない場所だったから辛うじて残されたのかもしれない。残された部分でも、北側は更に削られてガラス張りになっており、新美術館側から見ると、旧建物の雰囲気は一掃されている。往時を思い起こさせるのは、南側の外壁で小さな入口が一つあるところ。まあ記憶を継承したっていうあたりで、これをもって、残ったとはとても言えない。

 もとの建物をそのまま美術館にして、中庭をアトリウムか何かにしてるのだったら、残したと言えるけど、一切れだけ残ったカステラというか、ホントに欠片が残った感じで、これでもって昔を想像しろというのは無理な話だ。

 だが、たとえ外観全部を残そうとしても、多くの人が訪れる美術館の空間にするには、相当の改修が必要で、どのみち残せる部分はほとんどなかったかもしれない。

 パリのルーブル美術館とか、オルセー美術館とか、昔の建物を転用した美術館が欧米にはある。日本でも上野の国立国際こども図書館は、国会図書館の上野分館を安藤忠雄氏が改築した例。やろうとしてやれないことはないが、どちらかというと地味な歩兵第三連隊の建物は、新美術館には向いてなかったかもしれないなとは思う。

 設計の過程で旧建物を残すことにしたことに、黒川氏が激怒したという話も、どこかで見た。建築家というものは、やはり真っ新なキャンバスに絵筆をふるいたい人たちなんだろうな。

 ところで、国立新美術館の目の前に、やけに細くて背が高いマンションが建っていてかなり気になった。あれは何?、なぜあそこに建ってるのかしら?

(参考:「図説・占領下の東京」佐藤洋一、河出書房新社、2006)

#新しい建物 港区  #失われた建物 港区  #古い建物 港区 
#近代建築  #ミュージアム  #黒川紀章 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立新美術館-2

2007-03-08 | 港区   

行ったからには、ちゃちゃっと写真も撮った。Photo 2007.2.11

 でもあまりにたくさんの人が写真を撮っていたので、なんだか恥ずかしくなってしまった。一眼レフで一生懸命撮っていた人もいたけど、こんなに人が多い日に撮っても「作品」は撮れまい。ケータイでパシャパシャ記念写真を撮ってる人もたくさんいた。ある程度の写真好きとしては、みんなと同じ写真はできるだけ撮りたくない。同じ写真を撮って何が面白いのかと思う。が、そうそう来る機会もないだろうから、やっぱり犬の小便(マーキングと言った方が良いですね)のように、足跡を残すように撮る。撮りたい場所が重なって、順番に交代することになったりすると恥ずかしい。表参道ヒルズに行ったときも、三角形の吹き抜けの角で同じ現象が起こっていた。そう言いながらやっぱり、みんなと同じ写真、撮っちゃったよ。

 アトリウムに作られたレストランは空中レストランみたいで、ちょっと気持ちよさそうだった。こういう空間構成を作り出す技量はやはりすごい。映画なんかで使えそうな空間のデザインだ。長蛇の列だったけど。

 展示スペースは、自由に使える3つの長方形になっている。多目的の展示に対応するためか意外なほど素っ気ない。だがそれも収蔵品や常設展示を持たない美術館らしく、好感が持てる。

 国立新美術館は、フラクタル理論を用いたという、グネグネしたルーバー壁面を持つアトリウムがとても印象的。ところが、側面に回るとこれが単なる箱なんだということに気づく。そう、ホントに倉庫みたいな感じ。でもこれは非常に潔いなぁと思った。機能、サービス動線側は、あくまで合理的に、シンプルに。正面から見ると新しい形で、斬新さを売りにしてるように見えてしまうが、機能を支える思想は正しくモダニズム的。あまり人が見ることのない側の外観は省略・節約して、皆が訪れる正面側のデザインに注力した感じ。

 また、広々とした敷地に建ち、建物の軒高が高くないので、六本木の喧噪からちょっと離れて、静かな中に佇む感じになっている。正面ファサードの主張は強く、やはり「建築作品」なのだが、街並みを乱すことにはなっていない。江戸東京博物館が、下町にそびえる巨大ロボットみたいなことになっているのとは、かなり様相が異なる。

 曲面に沿って、柱と水平ルーバーがあちこちを向いているので、光の入り方がいろいろにコントロールされる。季節や時刻、天気などによって、明るさや直接光の入り具合が変わるのは面白い。

 「こんなガラス張りの場所造って、夏になったら温室みたいになって大変よ、冷房代いくら掛かるのかしら?」などと、おばちゃん達がしたり顔でケチを付けていた。でもそう言いながら、しっかりレストランでお食事するんだろうな。

 もちろん私も心配だけど、ここは天井があるし、ルーバーでかなり遮ってるので、全面ガラスの古い建物よりはかなりマシなんじゃないかと思うぞ。最近は全面ガラスでも二重だったり、熱線反射だったりして、熱効率の良い建物が増えてるから、ガラス張りだからと言って一概にダメとは言えない。こんなに大規模な建物と、家庭用冷暖房を比較するのがそもそもナンセンスだし・・・。

 一応、建築学科出身なんだけど、最近は細かいところに目が行かないので、ディテールは他のサイトへどうぞ。例えば、秋葉OLさん。私なんかより遙かに良く観察しておられて正直言って驚かされる。なぜにそこまで・・・。

新美術館の箱
「本気か!」★紀章展と新美術館
#新しい建物 港区  #吹き抜け・アトリウム  #ミュージアム  #黒川紀章  #21世紀 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立新美術館-1

2007-03-07 | 港区   

ちょっと前のことになるが、1月に開館した国立新美術館に行った。

Photo 2007.2.11

 美術館を見学したいと思って行ったわけではなく、たまたま近くを通りかかったついで。休日だったので、六本木の駅から人の流れができていて、なんとなくついていったらたどり着いてしまった。で、アトリウムに無料で入れるのを知り、野次馬根性からつい入場してしまった次第。

 どちらかというと、昔あった歩兵第三連隊の建物が、部分的とはいえ、どのように残されたのかが気になっていたので、ついでにその確認もすることに。 それにしても人が多い。東京で新しい施設がオープンしたり、特別展が開かれたりすると、いつもこんな調子。人混みが嫌いなので、普段はこういう場所を敬遠しているのだが、今回はつい迷い込んでしまった。絵画展の方は長い列ができていたので回避。

 中に入ってみたら、黒川紀章展をやっていた。建築の展覧会なんて久しぶり。無料だったのでこれもついでに冷やかしてみる。

 見た感想としては・・・面白かった。建築の展覧会というと、模型があって写真や図面があって、静かで、ちょっと気取った感じなんだけど、この展覧会はなんだか様子が違った。

 新美術館オープニング後、初めての連休だったせいかもしれないが、観客がやたらに多かった。都知事選立候補なんていう話題もあり知名度も高く、老若男女がどやどや。みんな口々にいろいろ話しているので場内が賑やか。こんな建築展も珍しいのではないだろうか。いわゆる建築家志望の学生が多数集まり熱気に満ちて、というのとも違う。

 そんな状況を見越したかのように、黒川氏のサービスも派手。とにかく視覚的にうるさいぐらいに主張が文章化されている。図面や写真が壁一面になっているのはともかく、その横にでかでかと文字が並ぶ。10cm角以上もある大きな字で文章が数行ずつ書かれ、離れたところからでも読みやすい。ついつい皆が読んでしまう仕掛けになっている。

 美術館での絵画などの展示というと、絵や彫刻を邪魔しないように、比較的小さな字で説明が付けられていることが多く、説明を読むために人が、壁にべったり張り付いて並んでしまうことが往々にしてあるが、黒川氏は逆の方へ行った。図や写真の全体像を見せつつ、遠くからでも主張が分かるようにという展示。 室内に入って、文字や写真、図面を大量に浴びるような感じで、やや視覚過多、情報疲れをしてしまったが、こういう暑苦しい系の展示は久しぶりだったので結構面白かった。

 ただし、内容的には両手を挙げて賛同してるわけではない。内容は、今までのまとめであり、紀章黒川のほとんどプロモーションなので、へぇーそうだったの、というだけ。環境との共生を謳っているが、エネルギーを集約的に利用するとして、大型の構築物を企てるあたりは、ホントに共生を目指したエコなんだか怪しく見えてしまう。実際のところどうなんだろう。

 ただ、大阪のソニータワーの解体と、中銀カプセルタワーの解体計画に対して、猛然と反論し挑発しているところなどは、まだまだ元気だなぁと思わせられた。確かに解体はとても残念なことなのだが、文句を言う相手がちょっと違うような気もする。どうしても残したいという熱い思いが、そうさせてるんだろうか。70才を超えてるのにまだ枯れてないっていうか、更に元気になって居るんじゃないかとさえ思った。あくまで私見だけど。

#新しい建物 港区  #ミュージアム  #黒川紀章 
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タグ一覧

1992-01-10 | 記事一覧 
#失われた建物 
#失われた建物 千代田区 
#失われた建物 中央区 
#失われた建物 港区 
#失われた建物 新宿区 
#失われた建物 文京区 
#失われた建物 台東区 
#失われた建物 墨田区 
#失われた建物 江東区 
#失われた建物 品川区 
#失われた建物 目黒区 
#失われた建物 大田区 
#失われた建物 世田谷区 
#失われた建物 渋谷区 
#失われた建物 中野区 
#失われた建物 杉並区 
#失われた建物 豊島区 
#失われた建物 北区 
#失われた建物 荒川区 
#失われた建物 板橋区 
#失われた建物 練馬区 
#失われた建物 足立区 
#失われた建物 葛飾区 
#失われた建物 江戸川区 
#失われた建物 都下 
#失われた建物 神奈川県 
#失われた建物 埼玉県 
#失われた建物 静岡県 
#失われた建物 長野県 
#失われた建物 愛知県 
#失われた建物 広島県 
#失われた建物 福岡県 
#古い建物 
#古い建物 千代田区 
#古い建物 中央区 
#古い建物 港区 
#古い建物 新宿区 
#古い建物 文京区 
#古い建物 台東区 
#古い建物 墨田区 
#古い建物 江東区 
#古い建物 品川区 
#古い建物 目黒区 
#古い建物 大田区 
#古い建物 世田谷区 
#古い建物 渋谷区 
#古い建物 中野区 
#古い建物 杉並区 
#古い建物 豊島区 
#古い建物 北区 
#古い建物 荒川区 
#古い建物 板橋区 
#古い建物 練馬区 
#古い建物 足立区 
#古い建物 葛飾区 
#古い建物 江戸川区 
#古い建物 都下 
#古い建物 新潟県 
#古い建物 神奈川県 
#古い建物 千葉県 
#古い建物 静岡県 
#古い建物 埼玉県 
#古い建物 山梨県 
#古い建物 長野県 
#古い建物 愛知県 
#古い建物 海外 
#新しい建物 
#新しい建物 千代田区 
#新しい建物 中央区 
#新しい建物 港区 
#新しい建物 新宿区 
#新しい建物 文京区 
#新しい建物 台東区 
#新しい建物 墨田区 
#新しい建物 江東区 
#新しい建物 品川区 
#新しい建物 目黒区 
#新しい建物 大田区 
#新しい建物 世田谷区 
#新しい建物 渋谷区 
#新しい建物 中野区 
#新しい建物 杉並区 
#新しい建物 豊島区 
#新しい建物 北区 
#新しい建物 荒川区 
#新しい建物 板橋区 
#新しい建物 練馬区 
#新しい建物 足立区 
#新しい建物 葛飾区 
#新しい建物 江戸川区 
#新しい建物 都下 
#新しい建物 神奈川県 
 
#新しい建物 静岡県 
 
 
 
#新しい建物 海外 
#階段・坂 
#階段・坂 千代田区 
#階段・坂 中央区 
#階段・坂 港区 
#階段・坂 新宿区 
#階段・坂 文京区 
#階段・坂 台東区 
#階段・坂 墨田区 
#階段・坂 江東区 
#階段・坂 品川区 
#階段・坂 目黒区 
#階段・坂 大田区 
#階段・坂 世田谷区 
#階段・坂 渋谷区 
#階段・坂 中野区 
#階段・坂 杉並区 
#階段・坂 豊島区 
#階段・坂 北区 
#階段・坂 荒川区 
#階段・坂 板橋区 
#階段・坂 練馬区 
#階段・坂 足立区 
#階段・坂 葛飾区 
#階段・坂 江戸川区 
#階段・坂 都下 
#階段・坂 神奈川県 
#階段・坂 千葉県 
#階段・坂 静岡県 
 
 
 
#階段・坂 海外 
#東京新旧写真比較 
#東京新旧写真比較 千代田区 
#東京新旧写真比較 中央区 
#東京新旧写真比較 港区 
#東京新旧写真比較 新宿区 
#東京新旧写真比較 文京区 
#東京新旧写真比較 台東区 
#東京新旧写真比較 墨田区 
#東京新旧写真比較 江東区 
#東京新旧写真比較 品川区 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
#新旧比較写真・静岡県 
 
#新旧比較写真・海外 
#街並み 
#街並み 千代田区 
#街並み 中央区 
#街並み 港区 
#街並み 新宿区 
#街並み 文京区 
#街並み 台東区 
#街並み 墨田区 
#街並み 江東区 
#街並み 品川区 
#街並み 目黒区 
#街並み 大田区 
#街並み 世田谷区 
#街並み 渋谷区 
#街並み 中野区 
#街並み 杉並区 
#街並み 豊島区 
#街並み 北区 
#街並み 荒川区 
#街並み 板橋区 
#街並み 練馬区 
#街並み 足立区 
#街並み 葛飾区 
#街並み 江戸川区 
#街並み 都下 
#街並み 青森県 
#街並み 神奈川県 
#街並み 千葉県 
#街並み 静岡県 
#街並み 埼玉県 
#街並み 海外 
#パノラマ 
#ヴィスタ 
#眺望 

#地形 
#海・川・池 
#山 

#夕景・夜景 
#雨 
#雪 

#花・紅葉 
#樹木・植物 
#動物 
#祭 

#地図 

#自動車 
#飛行機 
#鉄道 
#船 

#道 
#旧東海道 
#旧中山道 
#甲州街道 
#日光街道 
#奥州街道 
#旧街道 
#トンネル 
#橋 
#路地 
#広場 
#公園 
#地下 

#塔 
#モニュメント 
#門・ゲート 
#東京タワー 
#インフラ 
#神社 
#寺院 
#教会 
#神殿 
#城・宮殿 

#商業系 
#看板建築 
#銅板張り看板建築 
#モルタル看板建築 
#タイル張り看板建築 
#木造店舗 
#マーケット 
#デパート・百貨店 

#オフィス 
#高層ビル 
#官公庁 
#研究所 
#公共施設 
#ミュージアム 
#体育館 
#野外劇場・スタジアム 
#映画館・ホール 
#遊興施設 
#ホテル・旅館 
#宿場町 
#飲食店 

#工場 
#病院 
#医院 
#倉庫・蔵 
#銭湯 
#銀行・保険 
#郵便局 

#住宅系 
#集合住宅 
#公営・公団・公社・公立住宅 
#長屋 
#戸建て住宅 
#洋館・洋風住宅 
#文化住宅 
#和風住宅 
#和洋折衷住宅 
#同潤会 
#青木淳 
#芦原義信 
#阿部美樹志 
#安東勝男 
#安藤忠雄 
#石井和紘 
#石本喜久治 
#石山修武 
#磯崎新 
#伊東忠太 
#伊東豊雄 
#乾久美子 
#今井兼次 
#内田祥三 
#大江宏 
#大高正人 
#岡田信一郎 
#菊竹清訓 
#岸田日出刀 
#桐山均一 
#隈研吾 
#黒川紀章 
#小坂秀雄 
#坂倉準三 
#佐藤功一 
#佐藤武夫 
#関根要太郎 
#妹島和世 
#曽禰中條 
#高橋貞太郎 
#竹山実 
#辰野金吾 
#谷口吉郎 
#丹下健三 
#土浦亀城 
#内藤多仲 
#中村與資平 
#林昌二(日建設計) 
#前川國男 
#松井貴太郎(横河工務所) 
#村野藤吾 
#森山松之助 
#安井武雄 
#山田醇 
#山田守 
#吉阪隆正 
#吉村順三 
#渡辺仁 
#A.レーモンド 
#I・M・ペイ 
#J.コンドル 
#W.M.ヴォーリズ 
#エッフェル 
#マックス・ヒンデル 
#クリストファー・レン 
#ミケランジェロ 
#リチャード・ロジャース 
#レンゾ・ピアノ 

#ロシア・クラシック様式 
#ネオ・ロシア 
#スターリン様式 
#ソビエト様式 
#江戸時代以前 
#江戸時代 
#明治期 
#大正期 
#震災復興 
#昭和戦前期 
#昭和戦後期 
#平成期 

#古代 
#中世 
#近世 
#近代 

#ギリシャ 
#ローマ 
#ビザンティン 
#ロマネスク 
#ゴシック 
#ルネッサンス 
#バロック 
#新古典主義 
#ネオゴシック 
#ネオバロック 
#擬洋風建築 
#近代建築 
#近代土木遺産 
#アーツ&クラフツ 
#アールヌーヴォー 
#アールデコ 
#セセッション 
#表現主義 
#帝冠式 
#モダニズム 
#メタボリズム 
#ポストモダン 
#現代建築 
#吹き抜け・アトリウム 
#アーケード 
#屋内階段 
#EV・ES 
#出桁造り 
#ギャンブレル屋根 

#早稲田大学 
#大学 
#学校 

#講座 
#マスメディア 

#国宝 
#重要文化財 
#都道府県指定文化財 
#市区町村指定文化財 
#国登録有形文化財 
#重要伝統的建造物群保存地区 
#史跡 
#世界遺産 
#保存樹 
#移築保存 
#docomomo japan 

Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする