都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

松屋東別館(旧日本酸素本社)

2024-03-27 | 中央区  
松屋東別館(旧日本酸素本社)
所在地:中央区 銀座3-7-9
構造・階数:RC・4+B1+R(5階は増築)
建設年:1927(昭和2)
解体年:2023(令和5)
Photo 2023.3.28

 銀座松屋がある銀座3丁目で、中央通りのふたつ東側の通りに面してあったビル。日本酸素という会社の本社ビルとして昭和初期に建てられた。同社が戦後の1958(昭和33)年に移転した後は、いくつかの会社に利用され、その後は松屋の東別館となっていた。

 『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』には、このビルの竣工当時の写真が掲載されている。外観に関して、5階は後年の増築だが、その他は当時とあまり変化していない。ただ中央の2本の柱は柱頭部が装飾的だったようだ(もとから古典建築の様式デザインではなかった模様)。

 東別館は売り場ではなく事務所として使われていた。銀座の松屋は裏通りに面した東館も事務棟だが、東別館はその東館と渡り廊下で繋がっていて、東館を介して本館(店舗)まで従業員などが行ける構造になっていたようだ。Googleマップの航空写真を見ると、東館南側の2階建て(これも東館の一部?)の屋上に屋根付きの通路がある。これが東館3階と東別館の3階をつないでいたようだ(本館と東館は5階のブリッジでつながっている。)。

 銀座界隈では少なくなった近代建築だったが、昨年、解体されたという。

参考
『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』
 銀座文化研究 別冊、銀座文化史学会編、秦川堂書店、1995

松屋東別館/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
松屋東別館が建て替え工事に:大江戸時夫の東京温度
松屋銀座東別館 - ずぼら堂懐古録

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区 #オフィス #デパート・百貨店 
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呉服町通りの街並み3

2023-11-14 | 静岡県  

 呉服町2-5  Photo 1995.4.15

 静岡市の中心部、呉服町商店街は1990年頃にアーケードが改修され、華やかで明るいものになった。府中の歴史を示す街路灯が置かれ、街路樹も植えられ、電線の地中化もされて賑やか。パーキングチケットによる駐車が認められ便利ではあるが、いつもやや混雑している。


 呉服町2-6、2-7  Photo 1995.4.15

 大半の人はバスで訪れたり、周辺の駐車場に停めてここを訪れる。お金を払っても十分に魅力的なコンテンツ(ここでは品揃えとか食べ物の良さとか)が存在するためにここはあまり衰退せずに済んでいる。ある意味、ブランドストリート化もしており、静岡ではここでしか買えないものも多く、それがまた固定客を生んでいる。そんな呉服町だが最近は県外資本が増加して元気がないという。

 写真中、銀座ワシントンは既にない。イケダヤは伊勢丹そばの札の辻クロスに移転。呉服町の様子も次第に変わっているようだ。


 西武百貨店静岡店など 紺屋町6  Photo 1992.11.21

 駅に近い部分には地下街がある。1980年のガス爆発後に地下街は改修がされた。地上出口を余裕を持って確保するために車道は蛇行することになり、結果的に地上部はコミュニティ道路的な形態になっている。駅の近くには金融系の店舗やオフィスが多い。

 写真奥には長崎屋がわずかに見えているが、その一角は再開発されて葵タワーが完成している。この葵タワーには戸田書店が大型店を開設していたが、2020年に撤退。写真右には西武静岡店が写っているがこれも2006年に閉店。現在は静岡パルコになっている。


 札の辻交差点 呉服町2-1  Photo 2000.11.1

 札の辻交差点は東南方向から来た東海道が、駿府城の大手門前にあたる南西側で90度向きを変えて南西へ向かう場所。昔は御触書などの高札が掲げられた場所だったといわれ、そこから札の辻と呼ばれている。現在は呉服町通りと七間町通りが交差する場所で、戦後しばらくの間は市内で最も賑やかな場所だったようだ。JRの駅からは離れているため、一時は人通りが減ってしまっていたが、七間町の街並みがきれいになり、服飾系の店舗が増加した。90年代には一角にあった建物が建て替えられ、コンビニなどになっている。

Rewritten in 2022.3
静岡呉服町名店街web HOME  呉服町の歴史

静岡の建築  静岡の街並み
#街並み 静岡県  #商業系  #旧東海道 
#アーケード  #デパート・百貨店  #共同建物 
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福岡玉屋

2023-10-06 | 福岡県  
福岡玉屋
所在地:福岡市博多区 中洲3-7-30
構造・階数:RC・5
建設年:1923(大正12)
解体年:2003(平成15)頃
備考 :1933(昭和8)に7階建てを増築。更に1973(昭和48)に8階建てを増築。
Photo 1998.9.12

 福岡玉屋は福岡市内で初めてできた百貨店だったそうだ。
 建物は1923年に福岡ビルディングとして竣工したもので、1925年にそれを買収し、改修、増築して玉屋呉服店としてオープンしたという。

 増築を重ねていたのでややつぎはぎな外観だったが、下記サイト掲載の昭和前期の絵などから考えると、コーナー部が丸くなった建物が最も古い部分だったのではないかと思われる。またこの画像では前方が5階、後方が7階なので、前方の古い部分もどこかの段階で6階が増築されたようだ。

 外壁はタイル張り。西洋建築様式的な装飾はなく、アーチ型の窓もなくモダンなデザイン。ただ横連窓ではなく、縦長の窓が並び、柱が少し前に出た形になっていた。

6:行政の拠点、県庁と市役所 競い合うデパート
  ~ 福岡・博多 | このまちアーカイブス |
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 夜になるとライトアップされていた。

 地元の者ではないのでよく知らなかったのだが、私が訪れた1998年頃にはどうやら既に経営状態が悪化していたようで、この翌年に閉店してしまったという。またその後、すぐには解体されず、空き家のまま数年が経ち、2003年頃になってようやく解体されたようだ。

福岡玉屋 - Wikipedia
[Biz 今昔]福岡玉屋が閉店(福岡市):地域ニュース : 読売新聞
【あの日】福岡玉屋が閉店、女性店員も涙=7月15日|【西日本新聞me】
福岡玉屋: 梅ヶ枝

#失われた建物 福岡県  #デパート・百貨店  #近代建築 
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横浜松坂屋本館

2023-07-30 | 神奈川県 
横浜松坂屋本館(旧野澤屋呉服店支店)
所在地:横浜市中区 伊勢佐木町1-5-4
構造 :RC
階数 :7+B1
設計 :出浦高介 /増築設計:鈴木禎次
建設年:1921(大正10)
解体年:2010(平成22)
備考 :1929、34、37(昭和4、9、12)に増築
    横浜市認定歴史的建造物(解体に伴い認定解除)
Photo 1994.1.15

 伊勢佐木町にあった老舗百貨店。初めて訪れたのが1994年なので、私は横浜松坂屋本館として記憶しているが、この建物、もともとは野澤屋という百貨店として建てられたものだそうだ。その野澤屋は、1864(元治元)に弁天通で野澤屋呉服店として創業。1910(明治43)にこの場所に野澤屋百貨店支店をオープンさせている。

 この建物は1921(大正10)に建てられたものがベースで、以降3回ほど増築していたという。その後、1974(昭和49)に松坂屋と資本提携し「ノザワ松坂屋」になり、1977(昭和52)には「横浜松坂屋」となった。また、隣にあった「松屋横浜店」が撤退したため、これを買い取り西館とした。


 Photo 2002.11.3

 上層階の壁面にはアーチが並び、華やかな外装デザインとなっている。最後の時点で見られたアールデコ風の外壁は、1934(昭和9)の改築時に造られたものだったという。


 Photo 2004.2.20

 4Fのエレベーターホール。1Fのエレベーターホールにある階数表示の方が装飾的で華やかだったのだが、なぜかそちらは撮り忘れてしまった。


 Photo 2009.9.1

 横浜松坂屋は2008年10月26日に閉店。閉店後も一時は市の観光案内デスクが置かれて部分的に利用されていたが、残念ながら2009年秋に解体された。横浜市の歴史的建造物にも指定されていた建物でもあったが、解体に伴い指定も解除された。

 4枚目写真は、閉店後のもの。この時点ではまだ「横浜松坂屋」の文字が壁面に残されていた。
 その後、跡地には2012年2月にカトレアプラザ伊勢佐木という低層のショッピングセンターがオープンした。この建物には旧建物の外壁の装飾の一部が再利用されている。

横浜市認定歴史的建造物「横浜松坂屋本館」について(2009.11.6)
旧横浜松坂屋本館、解体計画 歴史的建造物の認定解除へ | 経済 | カナロコ by 神奈川新聞
横浜松坂屋閉店・レトロな姿を見納めよう! [横浜の観光・旅行] All About
「横浜松坂屋」が10月26日に閉店・解体へ!? どうなる横浜歴史的建造物、どうする伊勢佐木 - ヨコハマ経済新聞
横浜松坂屋が解体-外観を一部復元し新たに商業施設を建設 - ヨコハマ経済新聞
横浜松坂屋本館−出浦高介、鈴木禎次 Yokohama Matsuzakaya Main Building−Kosuke Ideura, Teiji Suzuki
横浜松坂屋/横浜市中区伊勢佐木町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Enjoy! YOKOHAMA −横浜ブログ− : 横浜松坂屋

日本国内の建物や街並み
#失われた建物 神奈川県  #デパート・百貨店  #近代建築  #アールデコ  #大正期 
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銀座松坂屋

2022-03-15 | 中央区  
松坂屋銀座店
所在地:中央区 銀座6-10
構造/階数:RC/7+R1+B1F
建設年:1924(大正13)
解体年:2013(平成25)
備考 :2013.6.30 閉店
Photo 1992.3.8

 関東大震災後の1924(大正13)年に建てられたのは、北側の約3分の1の部分だったようだ。「松坂屋銀座店の歴史」を見ると、当初はクラシックなビルでコーナー部に塔屋があったことが分かる。また、解説文には、黒光生命保険(現 第一生命)からのビル賃貸申し入れを機に出店を具体化させ、建設工事を進めたとある。当初は黒光ビルという名だったという話もあるが、この説明からすると、最初から百貨店として賃貸する予定でビルを建てたようだ。

 戦災で大半が焼失したが、戦後の1952(昭和27)年に全館が完成。更に1964(昭和39)年にA.レーモンドの設計で、旧館部分を建て替えるなどの増改築を行ったという。また、1996(平成8)年にも外装を改修している。

 上写真は1996年の外装改修以前のもの。この頃までは、屋上に同社のマークを戴くシンボルタワーがあった。


 1963(昭和38)年の銀座通り

 2枚目写真は知人から頂戴した写真で、銀座通りを走るバス車内から撮影したもの。左側が松坂屋、右側には小松ストアーやヨシノヤ靴店の看板も見える。上にも記したように、この頃、松坂屋は増改築を行っていて足場や工事囲いで囲まれていた。


 Photo 1993.11.21

 北側コーナー分の3階から上と袖看板は、1996年の改装でも変わらなかったようで、最後の頃の様子とあまり違わない。階段室の灯りは白熱灯だったようで、ネガフィルムの色温度特性の関係もあり、オレンジ色に写っている。


 Photo 2005.6.12

 1996年までは網が掛かったような外観で、ややもっさりした印象だったが、改装でコントラストがはっきりしたグリッド模様になり、少し新しめのモダンな雰囲気になった。またこの時期以降、北側コーナー部分がGUCCIやFOREVER 21など人気ブランドの路面店になった。このため全体の統一感はやや失われることになった。


 Photo 2013.7.2

 松坂屋閉店直後の頃の全景。GINZA SIXは中央通り東側の2ブロックを使って建てられたので、写真手前の2棟も解体された。


 北側階段室 Photo 2009.1.18

 2000年代に照明が電球型蛍光灯に変えられたようで、階段室はクールな印象になった。冬場などはやや冷たい感じで、これが良かったのかどうかはわからない。


 Photo 2009.1.18

 上から見ると窓越しに銀座の街を歩く人や車が見えるのがよかった。


 店舗裏(東側)の通り Photo 2013.7.2

 こちらは搬入口などになっており、やや雑然とした様子。GINZA SIXを造る際、この区道は廃道にされ、同所には車輌用通路がビルを貫通する形で造られた。


 Photo 2013.7.2

 別館とのあいだには渡り廊下があった。


 Photo 2013.7.2

 こちらは従業員用の入口だったのだろうか。

松坂屋銀座店 - Wikipedia
松坂屋銀座店の歴史
銀座松坂屋/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
銀座松坂屋:都市徘徊blog - 2019.7.30
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銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)

2021-02-17 | 中央区  
銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)
所在地:中央区 銀座5-2
構造・階数:SRC/8+B1+塔屋(当初)
設計者:佐藤功一、構造設計:内藤多仲
増改築設計:清水建設(内藤多仲指導)
施工 :清水組(増改築は清水建設)
建設年:1934(昭和9)
解体年:2012(平成24)
備考 :1966(昭和41)に増築。8+B4+塔屋となった。
Photo 2011.12.26

 建築当初はマツダビルディングという名だった建物。1階にはマツダランプのショールームがあり、また8階には横浜のホテルニューグランドが出店したレストランがあったという。そして2〜7階はオフィスだったそうだ。また当初は外堀通りと晴海通りのコーナー部に塔屋があった。

 以下のリンク先に竣工当時・戦前期の様子が掲載されている。当初はアールデコで垂直線を強調し、8階がセットバックした建物だった。

東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃

 1956年に数寄屋橋阪急が開店。そして1966(昭和41)年に大幅に増築・改装され、外観は全く異なるものになった。上写真の外堀通り沿いの壁面位置が途中から異なるが、この手前側が戦前期の部分で、後方が増築部分。コーナー部にあった塔屋も増築の際に撤去され、別位置の塔屋となったようだ。


 晴海通り、有楽町側から  Photo 2011.9.7

 私が知っているのはこの数寄屋橋阪急以降。様式建築的な装飾がないモダンな建物だったので、まさか古い建物を増改築して使っているとは思わず、写真も撮らずにいた。

 2004年にモザイク銀座阪急へ衣替え。その頃になってから、晴海通り側部分の躯体は建築当初のものも使っている建物だと知ったが、外観が新しい感じのデザインだったこともあり、にわかには信じられなかったものだ。


 Photo 2009.6.2

 2012年にモザイク銀座阪急が閉店し、その後、解体。跡地には東急プラザ銀座(11F+B5F)が2016年に開業している。

銀座TSビル - Wikipedia
第9回BCS賞受賞作品
銀座エリア・昭和なショッピングセンターめぐり(3)銀座TSビル・モザイク銀座阪急(旧数寄屋橋阪急、銀座東芝ビル)
東芝、銀座東芝ビルの売却発表 : 月刊旧建築
東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃|東宝映画「社長外遊記」|東京「あの場所は?」秘宝館

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東急百貨店(旧白木屋)

2019-08-20 | 中央区  
東急百貨店(旧白木屋)
所在地:中央区日本橋1-5
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:SRC・7F
設計 :石本喜久治
備考 :1999.1閉店、その後解体
Photo 1996.10.6

 老朽化と不採算店舗の整理によって日本橋東急は閉店した。閉店セールに予想外に多くの客が押し寄せたことが記憶に残る。その後ビルは取り壊され、あっという間に再開発が行われ、2004年4月に日本橋コレドがオープンした。

 外観は幾度かリニューアルされていたため、近代的な装いとなっていたが、構造体は昭和初期の白木屋当時のもの。有名な白木屋火災を経て改装・増築を重ねた姿である。

東急百貨店日本橋店/日本橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #商業系  #デパート・百貨店  #石本喜久治 
2007.2.25
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銀座松坂屋

2019-07-30 | 中央区  
銀座松坂屋
所在地:中央区銀座 6-10
建設年:1952(昭和27)
階数 :7F
Photo 2005.6.12

 以下は2007年2月に拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を載せた際の文章。既に銀座松坂屋は解体され、跡地にはGINZA SIXが完成しているが、建て替え計画公表前に記した文をひとまずそのまま都市徘徊blog内に移設しておく。


 銀座には独自の街並み協定に類する「銀座ルール」というものがあるのだそうである。その一つが、表通り(中央通り)において、軒高が56m以上の建築物を建てないというもの。銀座あたりの容積率の指定は1100%なので、11F建てを建てようとすると仮定する。銀座なので、1階あたりの階高を高く取って4mとすると、天井裏も含めて1層が約5mになる。5m×11階+αで56mということらしい。また、通りに面した部分のセットバックを基本的にせず、建物壁面を合わせる(壁面線の20cm以上の後退)。このような暗黙?のルールによって、銀座は突出した建物が少なく、街並みに統一感が生まれている。

 そのようなルールがある銀座で、6丁目にある松坂屋が再開発構想を進めている。再開発事業に協力しているのは森ビル。森ビルと聞いたとたん、またぞろ六本木ヒルズなどのような超高層オフィスビルをガンガン建てるのではないかと危惧する向きもあろう。が、やはり銀座。街並みの持つ力を森ビルの方々が全く知らないはずもなく、現在、建物規模その他は検討中ということになっている。(森ビルは、表参道でも安藤忠雄氏を起用して中層の表参道ヒルズを建設中であるので、超高層ばかりに目が向いているわけではないようです。)街並みを守りつつ、うまいこと再開発が行われることを期待して止みませんです。ハイ。

 ところで、日本橋三越の北側では重要文化財の三井本館の建物を残して、その分の容積を利用して隣接地に超高層ビルが建設された。これは銀座中央通りをずっと北に行ったところで、この近辺では銀座のようなルールはないのかもしれないが、道幅、周辺の建物の軒高、間口などの状況は似通っている。で、この建物はかなり遠くからもランドマーク的に見えるもので、かなり巨大でビックリさせられる。さてさて松坂屋はどうなるのでしょうか?。

銀座松坂屋/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #デパート・百貨店 
2007.2.25
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上野松竹デパート・上野セントラル

2019-04-08 | 台東区  
上野松竹デパート・上野セントラル
所在地:台東区上野公園1
構造・階数:RC・3+B
建設年:1953(昭和28)?
解体年:2012(平成24)
Photo 2008.6.1

 上野松竹デパートは上野百貨店(西郷会館)と並んで、上野公園東側にあった建物。1階が店舗、2階と地階に4つの映画館(上野セントラル1〜4)があり、3階は囲碁センターだった。

 2006年5月に上野セントラルは閉館し、撮影時点では、1階と3階だけに灯りが点っていた。


 Photo 2012.9.2

 その後も店舗等の営業は続いていたが、2012年8月末で上野松竹デパートが閉店。


 Photo 2012.9.2

 2012年9月はじめに訪れたら、まだ古本屋さんは営業していた。ただこれらの店や囲碁センターもこの直後に閉店したらしい。


 Photo 2012.9.2

 建物は2012年中に解体され、跡地には2014年に「上野の森さくらテラス」という飲食店ビルができている。

上野松竹デパート/上野公園 - ぼくの近代建築コレクション

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上野百貨店(西郷会館)

2019-04-06 | 台東区  
上野百貨店(西郷会館)
所在地:台東区上野公園1
構造・階数:RC・3F
建設年:1952(昭和27)?
解体年:2010(平成22)
Photo 1998.5.16

 手前が上野百貨店(西郷会館)、右手奥は上野松竹デパート・上野セントラル、そのさらに奥が上野東宝劇場・上野宝塚劇場。


 Photo 2003.12.7

 上野百貨店(西郷会館)は、上野公園のある丘の東側斜面に高低差を利用して建てられていた。1Fは土産物店など、2、3Fはレストラン。建物内の階段を屋上まで上ると、西郷隆盛像のある広場に出られるようになっていた。


 西郷隆盛像のある広場に出る階段室 Photo 2007.1.21


 屋上から下りる階段 Photo 2007.1.21


 3F Photo 2007.1.21

 老朽化のため取り壊されると新聞記事にもなっていたが、2007年時点ではまだ残っており、2Fのレストラン聚楽台は営業していた。ただ、1Fの店舗は閉店して退去済、3Fも閉鎖されていたようだった。


 Photo 2008.3.11

 2Fのレストラン聚楽台は、上写真の約1ヶ月後の2008年4月21日に閉店。


 Photo 2008.6.1

 建物はその後も残されていたが、2010年9月頃から解体・建て替えが始まり、2012年に「UENO3153」が完成した。

上野松竹デパート/上野公園 - ぼくの近代建築コレクション

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