都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

皇居乾通り一般公開

2014-07-09 | 千代田区 

 蔵出し写真、つづき。

 混雑するイベントにはあまり行かない方なのだが、ふだん入れない場所なのでつい・・・。 列の最後尾についてから入口の坂下門まで30分。乾門から出たのはその50分後だった。 面白かったが、常に渋滞していて、ほとんど人を見に行ったみたいな感じ。

皇居 坂下門前
所在地:千代田区千代田   Google Map
Photo 2014.4.7

 このあたりまでなら、ふだんでも近づける。天気もよかったので大混雑。みんなこういうの好きだなぁ、って私もか・・・。

 坂下門は江戸時代には枡形門で、現在の渡櫓門の位置に高麗門があり、それを入って左に曲がった場所にこの門があったのだそうだ。明治になって江戸城西の丸に皇居が移った際に、車の通行を考えて枡形が廃止され、1885(明治18)年に高麗門が撤去され、渡櫓門は1887(明治20)年に現在の位置に90°向きを変えて移築されたのだそうだ。

 移築されてはいても江戸時代の建物なのだが、もともとこれがいつ建てられたのかはネットの情報では分からず。

宮内庁庁舎
竣工年:1935(昭和10)年

 特段の申し込みをせずに近くで見ることができる機会は少ないので記念に一枚。

皇居乾通り

 宮内庁庁舎の前は広いが、その先、道が狭くなるので、一気に大渋滞。
 幸い、高齢の方々よりは背が高いので、手を伸ばして片手でならば写真が撮れないことはなかった。

 江戸城・皇居は武蔵野台地の東端部にあり、坂下門は低地側、出口の乾門は台地側にある。そのため、乾通りは途中から上り坂になっており、出口の乾門付近から振り返ると、次第に坂を上ってきたことが分かる。

#古い建物 千代田区  #階段・坂 千代田区  #城・宮殿  #官公庁 
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善国寺坂

2012-11-07 | 千代田区 
善国寺坂
所在地:千代田区麹町3丁目と4丁目の間   Google Map
Photo 2012.10.17

 半蔵門の某局へ行った帰り、四谷まで新宿通りを歩き、丸ノ内線で新宿へ。

 途中、道の北側にある善国寺坂(奥へ向かって下る坂)を眺める。通りの北側が急に窪んでいるので、写真では坂自体は見えない。低い部分は樹木谷とか、三丁目谷とか言われてるそうだ。

 善国寺は現在は神楽坂の毘沙門天として知られる寺。昔、この坂の途中にあったことから坂名だけが残る。

#階段・坂 千代田区  #ヴィスタ 
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明神女坂

2011-10-23 | 千代田区 
明神女坂?
所在地:千代田区外神田2-7と湯島1-2の間   Google Map
Photo 2011.10.9

 神田明神の東南側にあるくの字に折れ曲がった階段。

 階段下にあった建物が解体され、長らく空き地になっていてあまり良い景色になっていなかったが、北側にコンクリート打ち放しのビルが建ち、南側でも建物の建設が始まっていた。木造建物が建つ以前のような風情はなくなったが、街中らしい感じになってきたのはまだ好感が持てる。

 神田明神には男坂はあるが女坂はない。男坂の北側にあった女坂は、現在は廃道になってしまったといい、HP内の境内図にも女坂は記載されていない。なので、今までは女坂とはせずに、新女坂?としていた。

 ただ、直線的な男坂に対して、くの字型でやや狭く、男坂の南側にひっそりある様子は女坂的で、いくつかのサイトでも明神女坂として扱われたりしている。

「明神女坂」と記された掲示
Photo 2011.10.9

 ところが最近現地を訪れてみたら階段の途中に「明神女坂」の文字が。発注者は千代田区。明神男坂もこの階段も区道だが、区役所内でもこの道は明神女坂と呼ばれているらしい。神社としては公式には認めていないのかもしれないが、周辺の人は既にこの坂を明神女坂として認識しはじめているのかもしれない。

神田明神境内図

東京23区の坂道
   > 千代田区の坂(8)~神田明神方面明神女坂
坂学会のページ全国・坂のプロフィール
   > 東京23区の坂(千代田区)

都市徘徊blog神田明神わきの階段

東京の階段 DB神田明神 新女坂

#階段・坂 千代田区 

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靖国通り 九段坂

2009-02-21 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2009) No.29 千代田区九段北

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.1.18(マウスオン

 この場所の景色もかなり変化している。

 中央の交差点は九段下交差点。写真は、靖国神社方面から九段下交差点へ向かって下る九段坂の途中から、神田神保町方面を撮ったもの。

 現存しているのは、右方の千代田区立九段社会教育会館・区営九段住宅(9F・茶色の建物)と、写真中央付近の九段郵便局・官舎(10F)、そして首都高速とその向こう側の角に立つオフィス(ニュー九段ビル・9F)程度。左端の日本債券信用銀行本店ビルも再開発で無くなったため、上記の遠方のビルや首都高速の重なり具合で場所決めをするほかなかった。地下鉄の入口は場所こそ変わっていないが、建屋が化粧直しされたりして、高さや幅が微妙に変化している。

 区立九段社会教育会館は、右端の協和銀行が周囲と共に8Fのビル(現りそな銀行)に建て替えられたため、ほとんど見えなくなった。
 首都高速の向こう側、正面の最も奥に見えるのは、三井住友海上駿河台ビル(神田駿河台3丁目、1984、25F、103.5m、旧 大正海上本社ビル)。84年完成なので、上写真の2、3年後に姿を見せたのだろう。九段坂上からは昭和初期にはニコライ堂が見えていたという。駿河台の高台に聳えるニコライ堂を写した絵はがきもあるが、現在は全く見えない。

 交差点の角付近にはトタン張りで物干し台のある木造家屋が見える。昔はこのような建物が建ち並んでいたのだろうが、この時点で既に残り少なくなっていた。鉄骨や鉄筋コンクリートのビルで埋め尽くされた街並みへと変化する過渡期の様子である。

#東京新旧写真比較 千代田区  #階段・坂 千代田区
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日枝神社

2008-02-06 | 千代田区 

 2/3は朝から雪だったので、段々に雪が積もってストライプ状に見えたりするのではないかと期待してカメラを持って行った。ところが赤坂周辺はお昼頃にはややみぞれ混じりの雪となっており、車道などは水浸しの状態。歩道上もシャーベット状の雪が少し積もっている程度で、真っ白な場所は少なかった。ビル風もあって雪は横殴りに降っているのだが、街中は期待したほどの雪景色にはなっていない。

 ただせっかく雪の日に都心に来ていたので、お昼前にTBSを出た後、近辺の階段巡りをしてみることにする。まず最初に赤坂通りにも近い福吉坂へ行ってみたが、ここはビルとビルの間の道で、また人通りもあるためほとんど積もっていなかった。街中の階段はあまり期待できそうにないなぁとあきらめ、丹後坂に行くのもやめてしまう。

 神社だったら人が少ないかも知れないと日枝神社に行ってみる。ところがこの日は節分で、午前中に節分祭があったらしく、意外にも人出は多かった。また神社の方が一所懸命に雪かきをしてしまっていて、真っ白で人のいない階段などというのはここでも見ることができなかった。半ばあきらめつつ、とりあえずお参りをしに上がってみる。

日枝神社山王橋参道
日枝神社西参道

 日枝神社には全部で6ヶ所の階段がある。本には載せなかったものが3ヶ所。実はそれらもなかなかよい。西参道の階段は101段。上部で山王橋参道の途中に接続し、そこから19段、計120段で山上に至る。昔は木々の間を上る階段だったが、2000年に山王橋参道の整備にあわせて改築されて現在のようになった。赤坂見附方面からの参拝者の多くは、丘の斜面に沿って踊り場を介しながら緩やかに上るこの階段を利用している。

日枝神社、後方はプルデンシャルタワー

 境内にはやはり雪が積もっていた。回廊内からは遠くにいくつかの超高層ビルが雪で霞んで見えている。雪が降ってしまうとそういう景色もなんだか都会的で良い景色に思えてきてしまう。極彩色の社殿と雪のコントラストが美しい。

日枝神社山王男坂

 樹木が覆い被さるようになっているので男坂も雪は大して積もっていなかった。それでもほんの少しの雪で、階段は縞々に見えてちょっときれい。雪深くない風景が逆に東京らしいのかもしれない。

Photo 2008.2.3
#階段・坂 千代田区  #雪  #神社 
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駿河台・甲賀坂

2007-06-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.11 千代田区神田駿河台1丁目

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン

 JR御茶ノ水駅から駿河台下へ向かって坂道を下り、明治大学のリバティタワーの角を東向きに左折すると、淡路町方面へ向かう甲賀坂という下り坂。江戸時代に甲賀者の組屋敷があったと云われ、甲賀町という名だったことに由来するのだそうだ。左側にはYWCAや日大の校舎、遠方にも日大の建物が見えている。

 1981年の写真で中央の煉瓦色の建物は日本大学理工学部1号館で、歴史的な外観を持ったものだったが、残念ながら2001年に解体され、ガラス張りの現代的な建物に建て替えられた。外観の一部だけでも残して中を近代的にする方法はいくらでもあったと思うし、個人的にはその方がかなりかっこいいと思うのだが、日大の関係者にはその気がなかったらしい。

 YWCAも80年代の後半に解体され、現在の建物は1990年に建てられたもの。遠方にあった中央大学もなくなり、超高層の大正海上(右側:現三井住友海上)と新日本証券(左側:現三井住友海上別館)になった。

 左方、YWCAの一つ奥の日大の校舎は、壁面の様子が全く変わってしまったので、よく分からなかったのだが、後から写真を見たら、玄関庇の様子が全く変わっていなかった。装飾的な近代建築というわけではなく、地味なモダン建築であり、とりたててなんということはないのだが、辛うじて残っていたことになぜかホッとする。

 建て替わっていない建物を一つチェックしそびれたことと、以前は歩道がなかったことに気づかなかったため、撮影位置はうまく一致しなかった。

 写真では見えていないが、右側は主婦の友社(御茶の水スクエアB・C館)だった。主婦の友社・御茶の水スクエアは、2002年に日大にこの土地建物を売却。日大は再開発をするため、2004年にB・C館の建物を解体し、現在は駐車場として暫定利用している。

 ちなみにA館は大正14年(1925)に建設されたもので、磯崎新氏のデザインにより増改築が行われた建物。現在は日大の大学院法務研究科として利用されており、カザルスホールも管理は変わったが存続している。

関連サイト
日本大学理工学部一号館の記録
#東京新旧写真比較 千代田区  #階段・坂 千代田区
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皀角坂(さいかち坂)

2007-03-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.5

ここは今回の新旧比較では一番苦労した。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.2.24(マウスオン

 皀角坂(さいかち坂)は、御茶ノ水駅前から中央線沿いに西へ行った先にあり、東京デザイナー学院前から水道橋駅方面に下る坂。昔、皀角の木が多くあったため、皀角坂という名になったのだそうだが、この坂の景色も四半世紀でかなり変わっていた。

 左手の建物が現在もあるので、撮影位置の特定は簡単かと思ったのだが、それ以外に基準になるものがあまりなく、微妙な位置取りにはかなり苦労させられた。結局、基準に使ったのは以下の2点。

1.左端の東京デザイナー学院の窓の見え方
2.後楽園黄色いビルの塔屋と左端建物の窓の位置関係

 最終的にはこの2項目を使ったのだが、そうすればよいと分かるまでに時間が掛かり、二回目までは、撮影ポイントがうまく見つからず、結局、現場に三度通うことになってしまった。
 それもこれも、道路・歩道の状態がかなり変わったためである。特に、左側の歩道が拡幅されて、街路樹が植えられたのが、視覚的に大きな変化をもたらし、撮影時に完全に騙されてしまった。あそこまで歩道が大きく変化しているとは思いもよらなかった。

 道の右側も、81年にはバイクがたくさん停められていて、学生がたむろっていたが、今は歩道が作られている。センターラインの引かれ方も変わり、坂の筋が変わってしまったようにも見える。また、右端の樹木は、かなり大きくなったものの現存していた。
 遠景を見ると、右手の樹木の陰には東京ドームホテルがそびえている。また中央にも3棟の高層ビルが後から建った。その周辺、水道橋駅付近の建物群も中高層化が著しい。周囲に大きな建物が建ったため、後楽園黄色いビルの塔(オレンジ色から、緑系の色に塗り替えられた。)は、やや小さくなったようにも見える。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #階段・坂 千代田区
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駿河台女坂

2006-08-17 | 千代田区 

 西神田方面から神田駿河台へと上る駿河台女坂。Photo 2006.8.9

駿河台女坂
千代田区猿楽町2-4と2-8の間
素材/踏面・蹴上:御影石、手摺:コンクリート・鋼管
規模/高低差14.7m、幅員3.8m、82段、蹴上18cm、踏み面33cm
建設年代/大正末期

 駿河台女坂はキリッとした階段だ。何故そう思うのかと問われても明確な理由は述べられないのだが、来るたびにそういう雰囲気を感じる。少し東には同じく男坂があるのだが、そちらはスキッとしたとか、スパッとしたという印象。あまり違いがないじゃないかと、お思いになるかもしれないが、ちょっと違う。確かに大きな差ではないんですけどね。

 男坂と女坂、神社などではしばしば、直線的に一気に上る男坂と、蛇行して緩やかに上る女坂が造られている。駿河台男坂と女坂は、神社の階段ではないのだが、ここでも一気に上る方を男坂、屈曲する方は女坂と呼ばれている。

 男坂の方が、一直線に階段を上る感じが潔いので、スパッとした印象であるというのは、なんとなく理解して頂けるかと思う。一方の女坂の方は屈折して上るので、どちらかというと柔らかい印象になると、普通は考えるのだが、駿河台女坂の場合、柔和な印象というよりは、女性剣士のような雰囲気が漂っているように思うのだ。なんだか妙なことを書いてるなと思われるかもしれないが・・・。

 CONFORTという雑誌で階段について連載していたときにも、この駿河台女坂はとり上げたことがある(2004年7月号)。その際にも記したのだが、駿河台女坂と隣の男坂は共に、蹴上が18cm、踏み面が33cmであり、実は傾斜が同じなのだ。女坂には途中に二カ所踊り場があるのに対して、男坂には無いという違いはあるが、段々部分の傾斜は同じ。しかも、男坂が73段なのに対して女坂は82段と、女坂の方が9段、段数が多く、全体の高低差も1m以上余計にあるという、妙なことになっている。更に、道幅が男坂より若干狭いため、高低差は視覚的にも強調されているようだ。

 踊り場があるので与しやすいと思って挑んだら、傾斜は男坂と同じで、しかも段数は男坂より多いなんて、なんだかおとこ顔負けの強さを持つ女性剣士みたいじゃないかと思う。

 キリッとした印象は見た目からも来ている。大谷石のような柔らかい石でできた階段は、経年変化で削れて丸くなってしまい、柔らかな印象になるが、ここの階段は比較的硬い石をきっちりと規則正しく並べて造っているので、階段のデザインがとても直線的に感じられる。階段の手摺や縁にも曖昧な部分が少なく、全体に建築的できちんとした形をしている。屈曲した部分も成り行き任せではなく、計画的に屈曲させてあり、傾斜も道幅も一定になっているあたりはとても律儀な印象を与える。

 階段の周辺にやや背の高いビルがいくつか建っていること、屈曲して視線や視野が変化することも、階段を視覚的にも体験的にも、高く感じさせることに寄与している。屈曲して伸び上がるような姿は、下から見上げる人に対して、モデルさんがやや斜めに構えているようにも感じられる。

 そんなわけで、この階段を見ていると、キリッとした階段だなぁと思うのです。結局、あまりうまく説明できてないんだけど・・・。

 でもって、そんなキリッとした駿河台女坂が私は好きです。へへ。

#階段・坂 千代田区
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鳥居の彼方に

2006-03-14 | 千代田区 

 アイストップが気になる-九段下編。

九段坂下、俎橋付近から、首都高速のガード越しに靖国神社の大鳥居を望む
Photo 2006.1.27

 高さ約25m。離れてみると巨大な鳥居であることがよく判る。

 さて、鳥居の彼方に背の高い鉄塔が見えるが、実はこれは市ヶ谷の防衛庁にある通信塔である。

 偶然なのだろうが、九段下から見たとき、靖国神社の鳥居の延長線上に、防衛庁(旧陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)はある。参道の軸線とはわずかにずれてはいるが、ほぼお参りの方向に一致する。参拝することとはもちろん基本的には関係がないことなのだが、自衛隊に向かってお辞儀をしていると考えてみると、少々不思議な気分になる。

 九段下・俎橋付近は台地の下側で、地形的には下町の側に属する。一方、靖国神社及び自衛隊は台地上に位置するので、九段下から見ると、坂を見上げたやや上方の彼方にこれらは見えている。靖国神社の大鳥居は当然九段坂の下から見上げられることを意識して作られたものだろう。坂の上方に施設を設け、見上げさせる視覚構造を創ること自体は、靖国神社に限らず神社一般、宗教施設一般に見られることで、特別なことではない。一方の自衛隊の通信塔。こちらも市谷の高台上に高い鉄塔を建て通信を確保するというのは理にかなったことで、妙なことではない。だが、両者が奇妙に一致する特異点が存在するとき、そこでは不思議な感覚が呼び起こされる。

 靖国神社は明治になってから招魂社として設置された施設である。一方、市ヶ谷の防衛庁は江戸期には尾張藩の屋敷だったところで、維新後、これが陸軍のものになり、戦後は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に、さらに六本木から防衛庁が移転してきて、現在は防衛庁になっている。市ヶ谷の自衛隊には昔から通信用の鉄塔が建っていたのだが、建て替えられてより高くなり、市ヶ谷の周辺ではあちこちからこの通信塔が見えるようになった。

 そして靖国神社との視覚的な関係も、おそらくその際にはからずも生ずることになった。参道の延長線上に防衛庁があること自体は、地図上では昔から判っていたことなのだが、施設が実際に現場で見えるようになったことで、不思議な関係が不意に意識されるようになった。繰り返すようだが、もちろん両者の施設配置の間には直接の関係はない。あくまで、あちこちから見える市ヶ谷の通信塔が、靖国神社と九段坂の所からもたまたま見えているということであって、拝礼して貰おうとして塔を建てるなんていう、アナクロ・ナンセンスな発想で通信塔を建てるほど自衛隊は暇じゃない。

 ただ一部には、都心部におけるこの手の施設の配置に、何らかの意図が働いているとか、隠された計画が存在する、ということを指摘する向きもある。江戸城と江戸の町が、風水学的にデザインされていると言われるのだから、明治以降の皇室、官公庁関連施設の配置にも、風水などの企図が大なり小なり働いているはずだ、という意見である。東京都心から西へ向かって一直線に皇室関連施設が立地しているとも言われる。その辺の込み入った事情に関しては知らないことが多いので、私はこの件に関して、意見を述べることは全く不可能である。

 政教分離の世の中では、そのようなことが事実かどうかはほとんど検証不能で、そのような説はあくまで仮説に過ぎないともされるが、九段下からのこの光景に接すると、にわかに東京の都市空間には隠された構造があるのではないかと勘ぐりたくなったりする。

#ヴィスタ  #神社  #塔  #階段・坂 千代田区
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神田明神わきの階段

2005-12-24 | 千代田区 

 先週の土曜日は御茶ノ水界隈を徘徊。

 駅を出てニコライ堂、聖橋、湯島聖堂を経て神田明神へ。天野屋で甘酒を飲んでから、おもむろに参拝。その後、台地を下り、秋葉原方面へ抜ける。

 神社の東側には、秋葉原、御徒町方面を望むことができる神田明神男坂がある。男坂は直線的で、幅も広く立派な階段だが、その少し南側に建物に隠れるようにこの階段はある。男坂に比べて幅が狭く、くの字型に曲がっているが、住宅群の間の密かな抜け道のようで楽しい。といっても結構、有名な階段ですけど・・・。

 階段の上には小さなホテルがある。場所柄、その手のホテルなのかも知れないが、階段好きの私としては、階段の風景とも相まって、ちょっと心惹かれるプチホテルである。以前は階段の両側に木造の老朽住宅が建っていて、これもちょっと歴史を感じさせるものになっていた。ところが今回訪れてみたら、下の方で両側の建物が取り壊され更地になっていて、階段がむきだしになり脇からも見える状態になっていた。木造の老朽建物が徐々に減り、風景が変わるのは仕方がないのかも知れないが、落ち着いた静かな街のたたずまいは残って欲しい。

2007.6.30 追記
 当初「神田明神女坂」と記していたが、坂道の本を改めて読んでみたら、この階段は女坂ではないことが判明。そういえばここには標柱が全くなかった。女坂は男坂の北側にあったのだが、現在は廃道になってしまったという。1年半も前の記事ですが間違っていたので訂正します。

 ただこの階段は、もとの女坂が廃道となった現在では、男坂の近くに並ぶ唯一の階段で、細く屈曲しているあたりは、新女坂と呼んでも良いのではないかと勝手に思っています。

#階段・坂 千代田区 
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