都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

南京下見板張りの住居

2019-03-16 | 墨田区  
南京下見板張りの住居
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
Photo 1994.4.17

 前項の建物の一つ東側の街区にあった建物で、前項の写真左奥にも写っている。

 建物への入口が複数あり、バルコニーもある、赤線などに特有な建物で、南京下見板張りでペンキ塗りの外観が印象的だった。

 路地の入口には旧遊廓だったと思しき旅館の看板もあったが、周辺はほとんどが住宅やアパートで、知らずに通りかかるとかなり不思議な一角になっていた。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系 
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旧玉の井の住居

2019-03-14 | 墨田区  
旧玉の井の住居
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
解体年:1995〜2004の間
Photo 1994.4.17

 二階にバルコニー状の部分があり、もしかするとここは顔見せ部分として機能することが期待されていたのかもしれない。コーナー部が丸く、裏通りにしては凝ったつくりになっており、不思議な存在感を放っていた。

 『新編「昭和二十年」東京地図』(西井一夫・平嶋彰彦、筑摩書房、1992)によると、旧玉の井遊廓の建物だったとされる。玉の井は関東大震災後に形成された私娼街で、永井荷風が足繁く通ったことでも知られる。当初の建物は戦災で失われ、戦後は若干場所を替えて売春防止法施行まで赤線として営業したという。当時の建物が90年代までは幾つか残っていたが、現在は大半が建て替えられ、当時の面影はほとんど無い。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系 
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東向島のタイル張り住居

2019-03-12 | 墨田区  
東向島のタイル張り住居
所在地:墨田区東向島1-22
構造・階数:木・2F
解体年:不明、大幅な改築のみの可能性もあり
Photo 1993.8.11

 『昭和二十年東京地図』西井一夫・平嶋彰彦 著、筑摩書房 刊、によると「鳩の街」の建物だったとされる。鳩の街は戦後にできた私娼街で、小さな飲み屋の業態で営業していた。近辺には今も当時の建物が数軒残るが、現在は静かな住宅地。

 最近はあまり見かけなくなったが、2cm角程度の小さなタイルを柱に貼り付け、玄関脇の丸柱や角柱を飾り付けるなどし、裏通りにしては凝った建物となっている。コーナー部が丸かったり、左右対称で出入り口が複数ある、などの特色を持つ。

 撮影時、東向島1丁目とだけ記憶していたのだが、その後この建物が、取り壊されたもしくは大幅に改築されて姿を変えたため、場所が分からなくなってしまった。上記の本にも詳細な場所の表記がなく、他の書籍にも示されていなかったため、後になってどこで撮ったのか気になる状態が長いあいだ続いた。

 写真中央の建物が既にないことは諸々の情報で知っていたので、最近になって写真内の他の建物と道路形状から所在地を探してみた。Google Street Viewで探しても一致する場所がないことから、Street Viewには載っていない場所で、かつ小路がT字に交わる場所を見つけ、現場へ行ったところ、左右の建物と交差点内のマンホールの位置が一致。約25年前に撮った写真の場所がようやく分かったのだった(町・番地より細かな部分は表記しない。)。

 ファサードの様子は全く異なるが、建物規模はさほど変わっていない。道路ぎわまで建っていた建物が若干後退したような感じなのは、看板建築状だった前面を取り払ったためかもしれない。だとすると完全な建て替えではなく大幅な改築だったのかもしれないが、当時の街並みは消失したと言って差し支えないものと思われる。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系 
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スミノ近江屋

2018-06-27 | 墨田区  
スミノ近江屋
所在地:墨田区東向島5-32
建設年:戦後まもない頃
構造・階数:木造・3F
備考 :2006年解体
Photo 1995.6.11

 玉ノ井いろは通りの東端近くの角地にあったお店。1階が普通の店舗だったため、看板建築状だった2階だけを撮ってしまい、そのため何のお店だったか分からなくなってしまっていたが、ネット検索したところ「Kai-Wai 散策」内の記事に呉服店とあった。

 私の写真で見ると3階建てのビルのように見えるが、同記事には斜め横からの写真があり、屋根裏3階のようないわゆる看板建築的な建物だったことがわかる。

 近江屋という店名は主人の祖父の出身地が近江だったからという。ならばスミノは名字だろうか?、それとも角地にあったから「隅の」が元だろうか。

 同記事にもあるようにこの建物は2006年に解体された。跡地にはマンションが2007年に竣工している。

玉乃井の呉服店 - Kai-Wai 散策

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#失われた建物 墨田区  #商業系  #看板建築 
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両国公会堂(旧本所公会堂)

2018-02-21 | 墨田区  
両国公会堂(旧本所公会堂)
所在地:墨田区横網1−12
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・4F
設計 :森山松之助
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2015.7.28

 3年ほど前に解体されてしまった建物。写真は、解体されると聞いて一目見ておこうと思って訪れた際のもの。

 建物には既に近寄れなくなっていたが、囲いや足場はまだできていなかった。旧安田庭園から最期のお姿を拝見。


 安田庭園内の池の反対側から

 庭園からの景色をかなり意識したドーム型のデザイン。東京スカイツリーが出来て、新旧さまざまな施設が見える状態になっていた。


 北西側から

 公会堂としてはこちらが入口のようだが、改装されていたのか様式的なデザインは見られない。 庭園側からの景色は素晴らしいが、入口側のこの状況はいまひとつ。


 側面のようす

 耐震補強をして使ってくれる団体を探したりしたそうで、行政側も建て替えありきではなく、なんとか使っていけないか模索はしていたようだ。ただ予想以上にお金が掛かって辞退されたとかで、結局解体することになってしまったのだとか・・・。

 新しく、安全な建物になるのは悪いことではないが、昔の景色が写真などの資料の中にしか残らないのは、歴史がどんどん消え去っていくようでやはり非常に残念なことだ。

東京墨田区の旧両国公会堂(大正モダン建築再訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
両国公会堂の解体(後) 東京都墨田区横網2丁目 - 墳丘からの眺め

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #海・川・池  #公園  #映画館・ホール 
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鳩の街のアーケード街

2014-12-06 | 墨田区  
所在地:墨田区向島5-49
備考 :1998〜2000頃の間に消失
Photo 1995.6.11

 墨田区の鳩の街商店街のはずれにあった、小さな飲み屋街のアーケード。

 日本のアーケード商店街は、建築基準法上の制約のため、基本的に両脇の建物の構造体とは別になっている。(近年の大型再開発などで見られるアトリウムの場合は、建物本体とも接続されている。)しかしここのアーケードには、見たところアーケード独自の柱がなく、両側の建物に載っているようだった。基準法以前のものなのか、法律など関係なしに勝手に屋根を掛けちまったのかは不明だが、この歩行者のみのスケール感はなんともよい。

Photo 1995.11.12

 半透明の塩ビ波板で屋根が掛けられていたが、ところどころ穴が空いていて、補修されたりされてなかったり。かなりぼろい感じだったが、当時はまだ手前の「プローン」というバーは営業していたようだ。しばらくぶりに訪ねてみたらこの路地自体が消滅していて、どこにあったのかサッパリ判らなくなってしまっていた。

2009.1.12記

 この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、写真は別のものに差し替えました。

#失われた建物 墨田区  #商業系 
#夕景・夜景  #アーケード  #路地 
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旧三井銀行錦糸町支店

2011-03-01 | 墨田区  
旧 三井銀行 錦糸町支店
所在地:墨田区江東橋4-25
建設年:?
構造・階数:RC・2F?
備考 :2003年頃解体
Photo 1996.5.12

 写真の時点では既に看板が取り払われており、空き屋だったようだ。銀行か何かの建物だったのだろうと思い、遠くから一枚だけ撮っておいた。錦糸町界隈はほとんど訪れないので、この建物を見たのもこの時だけ。この写真の後、しばらくは残っていたようだが、結局取り壊されたそうだ。

 建設年が実はよく分からないのだが、様式的なので戦前の建物だったのではないかと思う。1970年頃には三井銀行錦糸町支店だったそうで、恐らく三井銀行の支店として建てられた建物なのだろう。

 三井銀行は1990年(平成2年)に太陽神戸銀行を吸収し、太陽神戸三井銀行となった。更に1992年(平成4年)にさくら銀行に改名したので、最後の頃はさくら銀行錦糸町支店だったようだ。

 軒が巡らされ、付柱が並ぶ姿は様式的な銀行建築といった感じだが、柱頭などの飾りはほとんどないようだった。当初からこんなにさっぱりしていたのではなく、改装の際に取り払われたりしたのではないだろうか。ちょっと地味になりすぎていて、保存すべきだといえる感じにはなっていなかった。

 なお、さくら銀行は2001年4月1日に住友銀行と合併し、三井住友銀行となった。三井住友銀行の錦糸町支店は、錦糸町駅近くの江東橋4-27の楽天地ビル内に移転している。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 墨田区  #オフィス 
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春山表具店

2010-04-04 | 墨田区  
春山表具店
所在地:墨田区墨田2-1
建設年:?
構造・階数:木2
備考 :解体・建て替え
Photo 1995.11.12

 墨堤通り近くにあった銅板貼り看板建築。立派な文字の看板が掲げられていたのが印象に残る。

 たまたま通りかかった時に気になって撮ったもので、実はその後、訪れていない。Google Street Viewで確認したところでは建て替えられたようだが、いつ頃なのかなどは不明。Google MapやYahoo電話帳には記載があるので、表具店としては営業を続けているようだ。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 墨田区  #看板建築 
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向島の料亭・明月

2009-01-16 | 墨田区  
料亭・明月
所在地:墨田区向島5-23
建設年:1945(昭和20)頃
構造・階数:木2
備考 :2008.2解体
Photo 2007.5.27

 料亭明月は、一年近く前に解体された老舗料亭。向島の料亭街に残っていた古い建物の中では、規模が大きく立派だった。跡地にはマンションが建つという。

 以下、情報はリンク先のブログ記事を御覧下さい。私自身は二度ほど外から見ただけで詳細は知らないので、ここでは若干の外観写真のみに留めます。

月刊旧建築向島の老舗料亭「名月」取り壊しへ(正しくは「明月」)

 2007年春に向島界隈を訪れた時、立派な料亭があることを知った。向島界隈にはあまり詳しくなかったので、このような大きな料亭が昔のままの様子で残されていたのには少々驚いた。料亭じたいは都内でもまだところどころにあるが、大きなお店の場合、建て替えられて近代的なビルなどになっていることが多く、木造二階の古い建物で大きな庭を持つ料亭は、貴重だったのではないだろうか。ただ、下見の時点で既にお店の名前が消されていたので、そのうちに無くなってしまうのかもしれないなとは思っていた。

 その後、講座での街歩き当日に通りかかったら、既に「解体工事のお知らせ」が板塀に貼られ、内部でも関係者が解体の準備を始めていた。そして、2008年になったら新聞にも記事が載った。最近は現地を訪れていないが、2月にも取り壊しとあったので、既にこの景色を見ることはできなくなったのだろう。
 改めて写真を見ると、立派な枝振りの木が庭に何本もあることに気づく。マンションにする際は、これらの木もなくなってしまったのだろうな。

 築60年余、確かに登録文化財級の建物だが、仮に文化財に指定されたとしても、保有して維持するのは大変だっただろうと思われる。このような物を残すためには建物を残すだけでなく、使いながら維持するための手段を考えなければならないのだろう。とすると料亭文化じたいを残さねばならないことになるが、時代、社会構造の変化もあり、これを取り巻く状況は厳しい。あとは区などに寄贈、移管して建築展示物として保存する方向だろうか。

 他の近代建築や町屋などの場合もそうだが、暮らしたい都市の姿、都市の構造、そこでの生活のあり方、すなわちライフスタイルと、これらの古い建物の存亡は、結局は関連がある。建物や文化を残し、維持して行くために、少しの不便を我慢し、あまり「発展」しない、変化が緩やかな社会を選ぶか、発展し続け、古い物をどんどん捨て去る社会の流れに任せるか。究極的には、そのへんの選択が関わってくるような気がする。そう考えると、それは今後の私たちの生き方と根底ではつながっている。
 地方都市に比べると東京は、変化しないことを選択するのが難しい都市だと、改めて思わずにいられない。

2010.11.09 訂正 正しい名称表記は「明月」でした。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 墨田区
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東京モード学院

2008-10-08 | 墨田区  

 一字違いで大違い

東京モード学院
所在地:墨田区太平4-6-13
構造・階数:RC4
Photo 2002.12.11

 墨田区内に少し前まであった学校。現在、建物は存続しているが、屋上の看板は既に無い。
 袖看板などを見ると、2階はヘアーサロン、3階は錦糸町ゼミナールという学習塾である。Google Street Viewを使って確認すると、両者は現在も同所にある。一方、東京モード学院は4階にあったらしいが、屋上看板、袖看板などが現在は無くなっている。

 建物はL字型で蔵前橋通りに南面している。写真左手の袖看板のある部分が建物の正面玄関。窓の高さが南面と東面で異なり、また4階部分の屋根が傾斜しているので、ここが階段室になっているようだが、随分大きい。後方の屋上広告の付く部分が恐らく居室・教室部分。

 西新宿で異形の超高層ビルを建設中の「東京モード学園」とは、たった一字違いだが、全然別物。
 ネットで検索しても、ほとんどこの学校のことは出てこない。Googleで検索すると「もしかして:東京モード学園」などと表示され、入力ミスを疑われてしまう始末なのだが、一応実在した学校。
 東京モード学園のことを東京モード学院と誤入力して記載している記事の方がずっと多い。なんだか哀しくなるほどの情報量の差。Yahooの電話番号検索などでは表示されるのだが、いずれも古い情報の模様。

 東京モード学園が西新宿に進出したのは1980年ということなので、その後、20年ぐらいは併存していたことになる。手許の地図で、2006年版には載っているが、2007年版では消えているので、2年ほど前に無くなったのかもしれない。
 いつ廃業したかはともかく、一字違いで、ものすごい違いになっていたのに、とにかく驚いてしまったのだった。

#古い建物 墨田区  #学校 
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