都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

水村家住宅

2023-05-15 | 埼玉県  
水村家住宅
所在地:川越市 喜多町1
構造・階数:木・2
建設年:江戸時代中期
解体年:2020(令和2)
Photo 2017.6.16

 蔵造りの町並みで知られる川越。蔵造りの建物群は重要伝統的建造物群保存地区に選定されて保護され、近年は多くの観光客が訪れている。

 水村家住宅は、その重伝建地区の北端の札の辻交差点から、更に200mほど北へ行った場所にあった江戸時代中期の商家の建物。水村家は江戸時代には味噌・麹問屋で、幕末には川越総名主も務めた家で、また明治以降は米穀問屋だったという。
 建物は1726(享保11)年にあった大火の後に建てられたと考えられており、また1893(明治26)年の大火で被災しなかった。このため川越の古い時代の建築様式を残す貴重な建物で、建築史の専門家からは、保存されれば重要文化財にも指定される可能性があるものだと評価されていたという。

 解体予定であることが明らかになってからは署名活動など保存への働きかけもされていた。しかし残念ながら3年前に解体された。関係者でも地元民でもないし建築史の専門家でもないので、なぜ解体に至ったのか詳細は知らない。ネットで検索したあたりでは、保存や文化財指定について所有者の同意が得られなかったということらしい。解体直前は子孫が所有して居住していたわけでもないようで、かつてこの家に住んでいた子孫も残したかったができなかったという。

 解体直前には見学会も行われた(私は参加できなかったが)。最後の頃はトタン葺きだったがもとは杉皮葺き。江戸期の建物なので棟の高さが低く、中2階(厨子二階)は舟底天井と呼ばれるアーチ型の天井になっていた(下記リンク先記事などを参照)。蔵造りの立派な建物群とは異なり、高さも低くトタン葺きなので一見すると粗末な長屋のように見えてしまうが、それは江戸時代の建物だったから。大半が明治以降の建物である蔵造りの町屋とは造りがやはり異なる。

 西日本には古い建物がたくさんあるが、関東地方は災害や都市開発などで古い建物は少ない。立派には見えなくても、江戸時代の様子を残していたという点でこの建物は貴重な存在だったわけで、残せなかったのはやはり残念だ。

 その後、この場所は駐車場になっている。現在の様子を見ると、3年前に壊す必要があったのだろうか、もう少し猶予はなかったのだろうかと思ってしまう。

「水村家住宅」解体始まる 江戸中期の川越の町屋建築、保存ならず:東京新聞 TOKYO Web
関東最古クラスの町家・川越の「水村家住宅」が取り壊しの危機に 署名運動も - 川越経済新聞
川越style「水村家住宅」江戸時代中期に建てられた県内最古の商家 川越市喜多町 | 「小江戸川越STYLE」

日本国内の建物や街並み
#失われた建物 埼玉県  #江戸時代  #住宅系  #商家 
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東京都住宅供給公社 中野駅前住宅

2023-01-06 | 中野区  
東京都住宅供給公社 中野駅前住宅
所在地:中野区 中野2-24〜26
構造・階数:RC・4
建設年:1951〜52(昭和26〜27)
解体年:2019(平成31).9〜
Photo 2018.6.7

 JR中野駅南口から線路沿いに東へ少し行った場所にあった団地。昭和20年代に建てられた団地は東京では既にかなり少なくなっているそうで、しかもJR駅の近くというのは珍しいというか貴重ともいえる存在だった。
 建設から70年近く経ち老朽化もしていたことから再開発されることになり、2019年に解体。現在、中野二丁目地区第一種市街地再開発事業が行われていて、2024年には超高層の集合住宅とオフィスビルが竣工する予定という。


 南北に並んだ7号棟と6号棟  Photo 1997.3.30


 手前から2号棟〜5号棟  Photo 2009.2.4


 JR中野駅のホームから1号棟と2号棟  Photo 2017.11.26


 1号棟は線路沿いの道から直接入っていくかたち  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

 当初は風呂が無かったそうで、風呂場は南側のベランダを後から改装して造ったそう。


 Photo 2009.2.4


 入口の周囲にはスクラッチタイルが張られていた  Photo 2009.2.4


 Photo 2009.2.4

中野住宅くらしとすまい|JKK東京 東京都住宅供給公社
1953年完成も、解体間近の「中野駅前住宅」が伝える集合住宅の「原点」とは? | アーバン ライフ メトロ
Rトピックス 中野住宅が教えてくれること−団地R不動産−
現存する最古級の団地「中野駅前住宅」解体へ | 東スポWEB
歴史ある「中野住宅」の建替事業×「中野」駅南口エリア再開発 新築賃貸マンションの内装イメージを公開|東京都住宅供給公社のプレスリリース

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #住宅系  #集合住宅  #公営・公団・公社・公立住宅 
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旧カフェー「時の家」

2022-12-21 | 墨田区  
旧カフェー「時の家」/U邸
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1994.4.17

 前項の建物の一つ東側の街区にあった建物で、カフェー「鹿島家」の写真左奥にも少しだけ見えている。

 建物への入口が複数あり、バルコニーもある、赤線などに特有な建物で、モルタル塗り洋風ではなかったが、南京下見板張りでペンキ塗りの外観が印象的だった。

 路地の入口には旧遊廓だったと思しき旅館の看板もあったが、周辺はほとんどが住宅やアパートで、知らずに通りかかるとかなり不思議な一角になっていた。

2019.3.16記


2022.12.21追記
 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、かつてはこの建物は「時の家」というカフェーだったようだ。また、赤線廃止後は一般の住宅になっていた(住宅地図などによる)。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系 
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旧カフェー「鹿島家」

2022-12-18 | 墨田区  
旧玉の井・カフェー鹿島家
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
解体年:1996〜97(平成8〜9)
Photo 1994.4.17

 2階にバルコニー状の部分があり、もしかするとここは顔見せ部分として機能することが期待されていたのかもしれない。コーナー部が丸く、裏通りにしては凝ったつくりになっており、不思議な存在感を放っていた。

 『新編「昭和二十年」東京地図』(西井一夫・平嶋彰彦、筑摩書房、1992)によると、旧玉の井遊廓の建物だったとされる。玉の井は関東大震災後に形成された私娼街で、永井荷風が足繁く通ったことでも知られる。当初の建物は戦災で失われ、戦後は若干場所を替えて売春防止法施行まで赤線として営業したという。当時の建物が90年代までは幾つか残っていたが、現在は大半が建て替えられ、当時の面影はほとんど無い。


2022.12.18追記
 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、この建物は「鹿島家」というカフェーだったそうだ。また、住宅地図などで確認したところ、玉の井遊廓の廃止後はメリヤス工場となっていた。

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#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系  #遊興施設 
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S邸

2022-07-13 | 文京区  
S邸
所在地:文京区 西片2-22
構造・階数:木・2
建築年:戦前?
解体年:2013〜16(平成25〜28)
Photo 1998.6.8

 西片の住宅街に数年前まであった洋風住宅。西片の中ではやや狭い道に面していて、Googleストリートビュー画像も建物現存時のものがない。またネット上にもこの家の画像はほとんどなく、下記、西片町会のページに写真があるぐらいのようだ。

 戦前に建てられたのかどうか確証はない。ただ1952(昭和27)年の火災保険特殊地図には既に載っている。戦後すぐにはこのような建物は建てられなかっただろうから、やはり戦前のものだったのだろう。

 右側の背の高い部分は洋風で、屋根は傾斜が急で、切妻屋根の端部を折ったような半切妻屋根(はかま腰屋根とも言うらしい)、スレート葺き。南京下見板張りで上げ下げ窓。一方、左手の木に隠れた部分は和風で、2階の窓には雨戸・戸袋があり、屋根は日本瓦。この写真一枚しか撮らなかったので詳細は分からないが、和洋折衷の住宅だったようだ。

 なお、『日本近代建築総覧』(1980年刊)では、隣地が「片桐軍邸・近代建築社」で木造3Fとされているが、該当地には古い建物がない。1970〜90年代の住宅地図をざっと見てもこの片桐邸はなく、近辺にもそれらしいものがない。もしかするとこの家と取り違えたのかもしれないが、それにしてもよく分からないままだった。

西片町会: その他

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#失われた建物 文京区  #住宅系  #和洋折衷住宅  タグ一覧
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市島邸 その2

2022-07-10 | 文京区  
市島邸
所在地:文京区 千駄木3-14
構造・階数:木・1
建設年:明治期(大正期に移築)
解体年:2020(令和2).8
備考 :市島邸 その1
Photo 2013.12.10

 その1でも記したように、この住宅は早大図書館の設立に貢献した「早稲田の四尊」故市島謙吉の遠戚にあたる市島宗家、故市島信氏の遺族から早大に寄付されたもの。鶴見にあった市島本家の建物(明治期に建設)の一部を大正時代に千駄木へ移築したもので、最初に建てられた時からだと100年以上、移築後でも80年以上経っていた。
 老朽化のため2020年に解体され、史料や一部の部材等は新潟県新発田市の市島家に寄贈されたという。
 以下の写真も、早大オープンカレッジ講座の巡見で邸内を見学した時のもの。


 Photo 2011.10.18


 Photo 2015.3.5

 修復すればそれなりに美しく立派になるのではないかと思われたが、残念ながら放置状態だった。


 Photo 2010.10.12

 市島家は新発田藩主となった溝口氏に仕えて新潟に移り住み、地域を発展させた豪農という。それもあって床の間の障子には溝口氏の家紋である五階菱があしらわれていた(写真は障子の位置が内外逆になっていて正しくないので五階菱に見えない。)。
 折り畳みの長机やゴミ箱が置かれてしまっていたのもちょっと・・・。


 縁側の廊下 Photo 2015.3.5

 網戸が嵌っているのは生活感のある感じ。

千駄木菜園: 市島邸の解体、高村光雲邸跡地の今
SOPvol.96 東京・林町市島邸に五階菱 | 新発田オレンジプレス

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#失われた建物 文京区  #住宅系  #戸建て住宅 
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市島邸 その1

2022-07-01 | 文京区  
市島邸
所在地:文京区 千駄木3-14
構造・階数:木・1
建設年:明治期(大正期に移築)
解体年:2020(令和2).8
Photo 2010.1.10

 早大図書館の設立に貢献した市島謙吉(「早稲田の四尊」と呼ばれる方の一人)の遠戚にあたる市島宗家、故市島信氏の遺族から早大に寄付された住宅。鶴見にあった市島本家の建物(明治期に建設)の一部を大正時代に千駄木へ移築したもので、最初に建てられた時からだと100年以上、移築後でも80年以上経っていた。
 老朽化のため2020年に解体され、史料や一部の部材等は新潟県新発田市の市島家に寄贈されたという。

 千駄木界隈には古くからの邸宅が点在している。そのなかで市島邸は比較的敷地が大きく樹木も多く、昔ながらの雰囲気を残した家だった。また道の反対側には武者小路千家の東京稽古場(邸内の茶室、半床庵は都指定文化財)もあり、落ち着いた静かな一角となっていた。

 邸内は基本的に非公開だったが、早大の研究室がゼミなどの活動でときどき利用していた。以下の写真は、早大オープンカレッジ講座の巡見で邸内を見学した時のもの。


 Photo 2015.3.5

 門を入り、庭木の間を西へ抜けて玄関へ向かう。樹木や草の手入れは多少はされていたが、きれいな庭園とするほどのことはされていなかった。ふだんは無人だったこともあり、若干荒れた感じという方が合っていたかもしれない。


 アプローチの通路から家屋の全景  Photo 2015.3.5


 庭から  Photo 2010.10.12

 縁側の庇はやや傾いていたようだ。


 同じく庭側から  Photo 2010.10.12

 木立がやや鬱蒼とする中、電灯の明かりで照らされた室内が印象的。


 Photo 2013.12.10

 2013年に訪れた時は晩秋で、紅葉がきれいだった。

千駄木菜園: 市島邸の解体、高村光雲邸跡地の今
SOPvol.96 東京・林町市島邸に五階菱 | 新発田オレンジプレス

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鈴木邸・旧 杉卯七邸

2022-06-03 | 新宿区  
鈴木邸・旧 杉卯七邸
所在地:新宿区 下落合2-14
構造・階数:木・2
建設年:1923(大正12)
解体年:2012(平成24).4
設計 :あめりか屋
Photo 2009.6.8

 下落合2丁目、日立目白倶楽部(旧学習院目白寮)のそば、近衛町と呼ばれる住宅地にあった洋館。
 壁面の多くは洋風の下見板張、2階の一部はハーフティンバー風と言えば良いのだろうか。

 窓枠は昔からのものが維持されていたようで、細く華奢で装飾的な窓が印象的だった。

 F.L.ライトがデザインに関わったのではないかという話もあったが、どうやら「あめりか屋」という洋風住宅建設会社によるものだったようだ。下記ブログの記事にはその詳細が記されている。

近衛町の杉卯七邸を拝見する。(下):落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ

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#失われた建物 新宿区  #住宅系  #洋館・洋風住宅  #近代建築  #大正期 
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江崎邸

2022-05-17 | 新宿区  
江崎邸
所在地:新宿区 市谷加賀町2-5
構造・階数:木・2F
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2006.8.27

 かつて、市谷加賀町の御屋敷町の一角には長屋門のある御屋敷があった。

 『ガイドブック新宿区の文化財』(注)によれば、幕末の御殿医の住宅で、亡命した孫文が一時期住んでいたこともあったという。

 正確な建設年は知らず。ただ幕末期だったとしても150年以上経っていたのではないだろうか。 60〜100cmほどの高さの石垣が連なり、その上に建物が並んでいる様は、山手線の内側の都心ではほぼ唯一のものとなっていた。残したかったが取得費用が多大でできなかったという話も新宿区関係の方からは伺った。敷地も大きく立派な家だっただけに惜しい。

 注)『ガイドブック新宿区の文化財(7)建築』新宿区教育委員会 編集・発行、1983


 西北側から Photo 2010.7.11

 出窓のある下見板張りの家屋と長屋門が連なる様は武家屋敷のような感じで、周辺の建物とは全く異なる雰囲気を醸し出し異彩を放っていた。通り沿いに古い建物が連なっていたため、北側の道からは敷地奥の様子がわからず、この後ろ側にも古く立派な日本家屋があるのかとも思ったが、資料や航空写真によれば期待したような古い御屋敷は残っていなかったようだ。


 Photo 2006.8.27

 同書には「入口はガラス戸引違に改造されてはいるが、その内側に開戸が現存し、東隣りの潜りと共に旧態をよく保存している。」とある。この家の場合、かつては内側から引いて開ける戸を使っていたようだ。


 Photo 2006.8.27

 2階建て部分の1階は出窓で、堅格子と呼ばれる縦の桟が沢山入った窓になっていた。
 

孫文が潜伏した長屋門屋敷。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ

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巴歯科

2022-04-09 | 港区   
巴歯科
所在地:港区 虎ノ門3-16
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 2008.5.21

 左右対称で出窓がある洋風2階建て。中央に2ヶ所玄関扉があるのでメゾネット形式だったのかもしれない。住宅地図等によるとかつては歯科と住宅だったそうだが、どちらが歯科だったのかは分からず。
 少し前まで高齢の女性が玄関先の植木の手入れをしていたが、昨年取り壊されたという(SNS情報による。現地は未確認)。

虎ノ門の古いメゾネット 港区虎ノ門 - 東京ノスタルジア

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#失われた建物 港区  #医院  #住宅系 
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