都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年12月 記事一覧

2019-12-31 | 記事一覧 

12/02 旧東京都庁舎など
12/06 東京宝塚劇場
12/08 三信ビル その1
12/10 三信ビル その2
12/12 三信ビル その3
12/14 第一生命館
12/16 レバンテ
12/18 可口飯店
12/20 蓮永寺
12/22 馬場先濠と丸の内
12/24 東京駅丸の内駅舎
12/26 鈴や本店
12/28 南長崎の木造アパート
12/30 京成電鉄 旧寛永寺坂駅

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京成電鉄 旧寛永寺坂駅

2019-12-30 | 台東区  
京成電鉄 旧寛永寺坂駅
所在地:台東区上野桜木2-4
建設年:1933(昭和8)
解体年:2016(平成28)
Photo 2012.12.19

 1933(昭和8)年に開業した京成電鉄の地下駅の駅舎地上部分。シャッターの部分が入口でここから階段を下りていく構造だったのだろう。入口部分は建物に斜めに取り付いているが、庇の先端を建物と平行にしようとしているため、異様に右側の張り出しが長くなっている。しかもこの庇部分は木造でトタン屋根とかなり簡易な造作で、当初からこんな安普請だったのだろうかと思ってしまう。同じ地下駅でも上野公園内の博物館動物園前駅は立派な西洋建築風の入口を持つので、この落差には驚かされる。

 同駅は戦争末期に国に接収されたため休業。戦後の1946(昭和21)年に営業を再開したが、翌1947(昭和22)年には結局廃止されてしまったという。その後、1953年4月から「台東倉庫」という会社に貸し、倉庫として使われてきたそうだ。地下にはまだ遺構が残っていたという。

 この撮影時点でも倉庫の状態だったが、2016年に解体されて現在はコンビニになっている。

#失われた建物 台東区  #鉄道 
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南長崎の木造アパート

2019-12-28 | 豊島区  
木造アパート
所在地:豊島区南長崎2-3
備考 :2009年時点で既に消失、建て替え済
Photo 2006.2.19

 南長崎ニコニコ商店街の道から横丁を北側へ曲がると廃墟化しつつある木造アパートがあった。1階がお店の下駄履きアパートだったようだが、撮影の時点で既に手前の豆腐屋さんも含め、営業していないようだった。この後、ほどなくして解体されて建て替えられた。

#失われた建物 豊島区  #看板建築  #商業系 
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鈴や本店

2019-12-26 | 豊島区  
電話専門 鈴や本店
所在地:豊島区南長崎3-11
備考 :マンションに建て替え
Photo 2006.2.19

 閉まっていたので、どういう店なのか不明だったが、電話回線を引く際の代理店だったのかもしれない。よくあるような携帯電話屋さんではなさそう。二階の軒先が小さなタイル張りなのが目を引いていた。

 その後ほどなくして取り壊されたらしく、現在はヴェル・ウッドというマンション(2008年5月竣工)になっている。

 ちなみに、奥に見えるコインランドリーは、現在は営業していないが建物は現存している。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 豊島区  #看板建築  #商業系 
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東京駅丸の内駅舎

2019-12-24 | 千代田区 


 Photo 2002.4.29

東京駅
所在地:千代田区丸の内1-9
建設年:1924(大正13)
構造・階数:鉄骨煉瓦・3F
設計 :辰野金吾
備考 :2012(平成24)に当初の姿に復原

 戦災によりドーム屋根、3階を焼失。南北の台形の屋根は戦災復興時の応急措置で、当初はもっと華やかなドーム屋根が載っていた。またドームとドームの間はこの頃は2F建てになっていたが、ここも当初は3F建てだった。

 1990年代には解体、建て替えの話もあったが、保存が決まり、容積移転によって耐震化・免震化と復原の費用を捻出することができ、2012年に復原工事が完了した。従ってこのページは、仮復旧の形で推移していた当時の東京駅の様子を示すもの。


 Photo 1988.2.28

 実は南北に300m近い巨大建築。丸の内側から見た時、背後に八重洲口の大丸が見えてしまって絵にならかったが、再開発によってビルがなくなり、正面からの景色は少しはよくなったようだ。しかしその代わりに八重洲口の南北に超高層ビルが二棟建てられるので、結局は超高層ビルの谷間に赤煉瓦の東京駅がちょこんと残されることになっている。


 Photo 2007.3.21

 建築史的には、辰野金吾によって設計・建設された当初の形に戻すことは一つの悲願だったのかもしれない。だが、戦後60年以上の間、東京駅はこの姿で推移し、オリジナルの状態より長い時間が経過していた。現在では大半の人が戦後生まれで、その人々にとっては東京駅といえばこの台形の屋根の建物だった。昔の立面図を見た時、個人的には少し違和感があったのも事実だ。当初の華麗な東京駅を見たくないわけではなかったが、復原がきまった時はなんだか複雑な気分だった。また、戦時の空襲によって焼失したものを修復して使い続けてきたという歴史をリセットするべきではない、との意見もあったと言われる。

 従って、当初は戦後60年に渡って姿を見せていた仮復旧の状態こそ、建物の歴史をよく見せているものだから、そのままで良いのではないかとも考えていた。だが、こうして復原が済んでみると、これはこれで当初の意気込みを感じさせるもので、悪くはない。

 今はまだやや馴染めない気もする復原駅舎だが、50年、100年先のことを考えれば、これで良いのかもしれない。仮復旧の状態は写真などで残しておいて、機会があるごとに、過去へたどれば良いのかもしれないと考えるようになった。


 丸の内南口 Photo 1994.1.22


 丸の内南口のドーム天井 Photo 2005.11.27

 南北の改札口ホールは地味な感じだった。天井もただのドームだった。現在は柱もピカピカになり、ドームも華やかなものになっている。

都市徘徊blog > 東京駅丸の内駅舎 復原後のようす

Wikipedia > 東京駅

ぼくの近代建築コレクション東京駅

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #古い建物 千代田区  #鉄道  #近代建築  #辰野金吾 


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馬場先濠と丸の内

2019-12-22 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2019) No.072 馬場先濠と丸の内

Photo 1988.2.28(ノーマル時)、 Photo 2019.12.3(マウスオン

 皇居外苑馬場先濠、丸の内2丁目〜有楽町方面。31年ぶりに同じ場所から撮ってみた。

 とある講義でかつての建物高さ規制(百尺、戦後は31m)について話していて、丸の内界隈の街並み写真(1枚目)をお見せして、昔はこのあたりで揃っていたけれど、諸々の事情で容積率制に変わって、高さ面での統一感は失われている的な話をしたりしているのだが、ふと、これ1988年の写真じゃないか、現在の様子も出さなくちゃと気づき(気付くのが遅すぎるけど。。)、先日、大嘗宮の一般参観のついでに同じ場所から撮ってみた次第。

 予想はしてたけど、やはり予想以上でした。画角内の空の面積が3割程度減った感じ。

 1988年の時点では第一生命館も明治生命館も高層化はされていなかった。奥の方に三信ビルや日比谷三井ビルも見えている。赤白の塔は東京電力の通信塔。奥の方の超高層は左が帝国ホテル新館、右が第一勧業銀行(現みずほ銀行)。 百尺規制がなくなって約四半世紀が経った時点の写真だが、まだ丸の内三井ビル〜第一生命館あたりまでは当時の痕跡を残していた。三信ビル〜日生ビルも当時の名残。

 2019年の写真に写っている高層ビルは、手前から丸の内My Plaza(明治生命館)、丸の内二重橋ビル、DNタワー21、ザ・ペニンシュラ東京、そして最近、東京ミッドタウン日比谷が奥の方にドンと建った。
 帝国ホテルの新館や東電の通信塔が隠れてしまうとは思ってもみなかった。日比谷シャンテなんてほとんど見えない。

 今回の撮影、建物の重なり具合を同定できる場所があまりなく、第一生命館と日比谷シャンテと帝国ホテル新館の重なり具合から撮影位置を判定したのだが、3つのビルが遠くにあったため、現場でも視認しづらく、誤差がやや出てしまった。あと1mほど左で撮ればよかったのかもしれない。

都市徘徊blog東京商工会議所ビル  東京會舘  第一生命館
   三信ビル その1その2その3日比谷三井ビル

Tokyo Lost Architecture  
#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #海・川・池 
#オフィス  #高層ビル 

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蓮永寺

2019-12-20 | 静岡県  
蓮永寺 山門
所在地:静岡市葵区沓谷2-7
Photo 2016.8.18

 蓮永寺は鎌倉時代の創建で、江戸時代初期に現在地に移ってきた古刹。徳川家康の側室、お万の方(紀州徳川家の家祖徳川頼宣や、水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。養珠院)の墓があることでも知られる歴史的な寺。
 山門は自動車が通れるもので、駐車場もこの奥の左側にある。

 山門を抜けて少し先で左に曲がると仁王門がある。
 この時は平成の大改修が行われていて、仁王門にも改修中である旨の幕が付けられていた。

 肝心の仁王像は網の向こうでよく見えない。だが、手前の柵に小さな穴が開けられていて、どうやらそこから覗いて拝見する仕組みになっているようだった。

 確かに穴から覗くと仁王が見下ろしている。こういう見せ方もあるんだなという感じなのだが、ちょっと迫力に欠ける見栄えになってしまっているような気もする。

 仁王門から境内  右奥が本堂。中央は鐘楼。左はかつての三松幼稚園の建物。

 庫裏  屋根は金属板葺きで新しくモダンなのだけれど、あちこちのパーツがわりと古め。古い建物の屋根を葺き替えただけなのだろうか。

 左・客殿、右・本堂  本堂の屋根も瓦が葺き直されて立派。

 お寺じたいのWebsiteはない模様。Wikiその他によれば、1774(安永3)にいちど伽藍が焼失したが、寛政年間(1789~1801)に再建されたという。ただそれぞれの堂がいつ頃建てられたのかは、ネット上の情報では分からなかった。
 第二次大戦時には静岡も空襲があったが、蓮永寺のある沓谷は、街の中心部からやや東にはずれているので、空襲の被害はなかったらしい。

 本堂   修復したからかなのか、素木感が強い。ただ新築の感じとも違っていて枯れた感じだけれど妙にきれいな木肌をしている。20年ぐらい前に訪れた時は、今と違う印象だった気がする。

 境内の片隅にある平屋の建物は、同寺が以前に幼稚園を経営していた時の園舎。現在は物置のように使われている。 玄関部分には「ヤマハ音楽教室」とも書いてあった。

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #寺院  #門・ゲート 
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可口飯店

2019-12-18 | 千代田区 


 Photo 2000.2.11

可口飯店
所在地:千代田区有楽町2-8-13
構造・階数:RC・3F
建設年:1926(大正15)
解体年:2005(平成17)

 有楽町の駅前の密集地に建っていたタイ料理レストラン。昔は違う用途だったようで、1950年代前半には朝日新聞出版局別館、1959〜1970年には朝日ソノラマ(朝日ソノプレス社)だったという。また、1992年頃には西武デパートの社員休憩室として利用されていたそうだ。


 Photo 2004.11.20

 駅前の一角の再開発に伴い、両サイド奥の方の建物群と共に2005年に解体された。 同じブロック内にはレバンテもあったが、これも同様に解体された。

注)朝日ソノラマは、1959年に朝日新聞社の系列会社として「朝日ソノプレス社」の社名で設立、1966年に現在の朝日ソノラマに改名。

ぼくの近代建築コレクション可口飯店
古い建物と街並みをもとめて 有楽町の洋館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #商業系 

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レバンテ

2019-12-16 | 千代田区 
レバンテ
所在地:千代田区有楽町 2-8-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1925(大正14)
解体年:2005(平成17)
Photo 2000.2.11

 有楽町の駅前の密集地に建っていたレストラン。駅前の一角の再開発に伴い2002年に店が移転し閉店。建物は2005年に解体された。
 一角には他に、可口飯店もあったが、これも2005年に同様に解体された。

2023.12.29
 下記「ぼくの近代建築コレクション」には「戦前は「中央自動車」という会社の輸入自動車のショールームだったという。」と記されている。1935年発行の火災保険特殊地図でもこの建物は「中央自動車会社」とされている。

ぼくの近代建築コレクション有楽町レバンテ

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #近代建築 

2012.2.25
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第一生命館

2019-12-14 | 千代田区 
第一生命館
所在地:千代田区有楽町 1-13
建設年:1938(昭和13)
構造 :SRC
階数 :7F(中2階付)・B4F・R2F
設計 :渡辺仁
備考 :1989(平成元)に解体。1995年に東側の農林中央金庫と合わせて超高層ビルのDNタワー21が完成。
Photo 1988.12.20

 皇居のお濠端に建ち水面に美しい姿を映す。戦前から続いた市街地建築物法の100尺(約31m)の高さ規制により、周辺の一連の建物群は軒高が統一されていた。堅牢な構造設計であったため、戦争中は高射砲陣地として屋上が使用された。また戦後は接収され、GHQ総本部として利用されマッカーサーが執務していた。新建物内にも執務室が残されている。

DNタワー21
建設年:1993(平成5)
構造 :S+SRC
階数 :21F・B5F
高さ :99.8m
備考 :東京都選定歴史的建造物
Photo 2007.1.27


 DNタワー21、東側(旧農林中央金庫有楽町ビル側)のファサード。

 DNタワー21は東側部分が農林中央金庫有楽町ビルだった場所にあり、東側は旧農林中央金庫有楽町ビルの石材を一部再利用し、当初とは異なる位置だがそのイメージを再現している。このためDNタワー21は、お濠端側は第一生命館のファサードで角柱が並び、東側は旧農林中央金庫有楽町ビルで使われていたイオニア式柱頭の付柱が並んでおり、東西でスタイルの異なるファサードになっている。
 それでも、塔屋や時計塔がなく、しかも陸屋根の近代建築であるため、銀行倶楽部や野村ビルに比して、高層部との折衷には違和感が少ない。

農林中央金庫有楽町ビル
建設年:1933(昭和8)
構造 :SRC
階数 :6F(中2階含む)・B1F・R1F
解体年:1989(平成元)
Photo 1997.3.27

Wikipedia > 第一生命保険(DNタワー21)第一生命館農林中央金庫有楽町ビル

廃景録第一生命館
ぼくの近代建築コレクション第一生命保険相互館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #古い建物 千代田区  #近代建築  #銀行・保険 
#渡辺仁 

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