御隠殿坂橋の階段
所在地:台東区根岸2-23
段数 :35段(下17段、上18段)で跨線橋部分に至る
Photo 2012.12.19
御隠殿坂(ごいんでんざか)は、輪王寺宮(東叡山寛永寺の住職である親王)が寛永寺から御隠殿と呼ばれた別邸へ行くために造られた坂。
鉄道が建設された後は踏切になっていたが、1928年頃にRCで御隠殿坂橋が架けられたという。
階段をリストアップする際は、地形と関係があるか、すなわち地形的な高低差を上り下りするために造られているかをいちおう基準にしている。だから普通の歩道橋や跨線橋は対象にならないのだが、片側だけが階段になっているこのような場合はちょっと悩む。階段のある場所が斜面や崖から100m近く離れていても良いものかどうか・・・。
#階段・坂 台東区 #地形 #橋 #鉄道
寛永寺橋の階段・北側
所在地:台東区根岸2丁目
段数 :55段(上から23・15・17段)
Photo 2012.12.19
上野台地上の上野桜木から寛永寺橋を渡ると、JRを渡ったところで歩行者は階段で低地に降りることになる。
高架橋から下りるこの階段は寛永寺橋が延長された1975年にできたもののようだ。下部はアーケード状になった高架の下を下るかたちになっている。
寛永寺橋の階段・南側
所在地:台東区根岸2丁目
段数 :47段(上23段、下24段)
Photo 2012.12.19
北側の階段も南側の階段も、下部はアーケード内の歩道部分にあり、上部は片持ち梁で高架道路から外へはみ出す形で空中を上っていく。高架上の車道と路側帯を確保しながら、下部には歩道を残すため、階段が途中から外へはみ出すことになったようだが、あまり見たことがないスタイル。
北側と南側の段数が異なるのは、高架下の敷地に傾斜があり、南側の敷地の標高が1mほど高いため。
寛永寺橋の階段・南側
Photo 2012.12.19
#階段・坂 台東区 #橋
新坂・凌雲橋
所在地:台東区根岸1丁目
Photo 2012.12.18
新坂(鶯坂・根岸坂)
新坂は明治初期に新しく造られた坂。坂上の台地上は、江戸期には全域が寛永寺領だったので、根岸・下谷側から上る坂道はほとんど無かった。鶯谷を通る坂だったので鶯坂、坂下の根岸にちなんで根岸坂という別名もある。
新坂の一部、JRを渡る橋は凌雲橋(新坂橋)と呼ばれる。1928(昭和3)年頃完成で、現在は全部で13の線路を跨ぐ。左右の歩道部分は1966(昭和41)年に追加された。凌雲橋が完成するまでは、新坂は踏切で線路を越える坂道だったが、大正期には踏切の東側に人道橋(歩行者用の跨線橋)が既に架けられていたようだ。
凌雲橋の名は、明治初期まで現在の国立西洋美術館のあたりにあった、寛永寺の塔頭「凌雲院」の名に因むものという。橋の近くに他の塔頭もあったのに、わざわざ少し離れた場所にあった塔頭(しかも半世紀ほど前)の名を付けた理由は不明。縁起がよいとか、そういうものがあったのだろうか。
凌雲と聞くと、浅草の凌雲閣が思い起こされるが、凌雲閣は関東大震災で崩壊してしまったので、橋ができた時には既になかった。また、こちらは塔ではなく橋なので、凌雲閣に因んで付けたなどというのもなさそうだ。
#階段・坂 台東区 #橋 #夕景・夜景
根岸の極小階段
所在地:台東区根岸3-23と24の間
段数 :2段
Photo 2012.12.18
根岸は低地側の町なので、基本的にほとんど平坦で坂も階段もない。だが、微地形(微々地形?)はあって、場所によっては数十cmの高低差がある。
平坦な場所であっても、わずかな高低差が階段でつながれている場合にときどき出会う。なぜ、坂道にしてしまわないのか、正直なところ理由はよく分からない。公道と私道の境目であるからということも多かろうが、だからといって坂道にできないことはない。やはり階段のままにしておきたいのだろうと思う。以前から階段だったからわざわざ坂道に改造しなくてもいい、という程度かもしれないが。
写真奥の車庫には自動車がみえる。面倒だが路地の反対側から出入りしているのだろう。階段の半分は植木鉢などで占拠されてしまっている。車が来ないためか、猫が道の真ん中でうずくまり、中学生がそれをあやしていた。夕暮れ時、まったりのんびりした時間が流れる空間。
#階段・坂 台東区