都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Field調査 新旧比較写真7

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

 教会北側のプーシキン通りを西へ行く。

プーシキン劇場  Google Map
建設年:1908年
プーシキン劇場(ウラジオ古写真アルバムから)

 プーシキン劇場は1908年完成だそうで、1915(大正4)年12月には、日本から松井須磨子や島村抱月らの芸術座一行が渡航して、現地の俳優と合同演劇を行ったという話もある場所。

蔵書目録 - 「松井須磨子一行と露国俳優」 プーシキン座 (1915.12)

 ただ我々が訪れた頃は残念ながら使われていないようだった。また賑わいの中心も街の西の海沿いへ移動してしまっており、ただの静かな住宅街になっていた。街の東方にはサーカス場等の施設もあるが、概して静かだ。俗っぽい店が多くないと賑わいが形成しないのかもしれない。

 新旧比較写真なので、ほぼ同一の場所から写真を撮りたかったのだが、このあたりの建物は手掛かりに乏しいものも多く、同じように撮ることは短時間では難しいようだった。

フニクラの山下駅  Google Map

 劇場の近くにはケーブルカー(フニクラ)の山下駅がある。長さは150m程度らしいが、路線の下1/3ほどはレールがなく、1992年時点では修復中で休業だった。修復した後、少しは人が集まってくるようになるか知りたいところ。そしてまたいつか訪れたときに乗ってみたいものだ。後年、S氏はこれに乗ることができたという。うらやましい・・。

極東国立工科大学(旧東洋学院)の玄関部分  Google Map
建設年:1899年?

 プーシキン劇場の向かい側は、この頃は極東国立工科大学だった場所。現在は極東連邦大学に統合され、キャンパスも移転してしまったようだが、そもそも1899~1920年に東洋学院という学校があったようだ。

 劇場の近くで、ばったりアレキサンドル氏と出会う。彼の家はこの近くだそうで、昼食前にちょっと帰る途中だった。この辺に昔、学校があったという彼のアドバイスでここで1枚撮影し、また後で会うことにして別れる。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真6

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

スターリン様式の建物  Google Map

 スヴェトランスカヤ通りを東の方まで行くと、いわゆるスターリン様式の行政関係の建物(KGB沿海州オフィス?)や、柱頭に朝日や船の飾りのある建物を見つける。しかしこれらの詳細は判らないままだった。

柱頭に朝日や船の飾りのある建物  Google Map
朝日や船の飾りがある柱頭部分

 古写真に教会が写っていたので、教会を探すが似たようなデザインのものが見つからない。最初の頃にもいちど行った軍事博物館(旧ドイツ教会・ルーテル教会)へ再度行ってみたが、残念ながら異なるようだった。

軍事歴史博物館  Google Map
建設年:1909年
旧ドイツ教会、現在(2013年)はセントポールルーテル教会

 2013年になってGoogle Map上でPanoramioの写真などを検索したら、この建物に関してもロシア語の情報を得ることができた。ロシア語はさっぱり分からないので、Google Translateで翻訳。機械翻訳の妙な日本語を読み解いておよそ以下のことが判明。20年前に不明だったことが今頃になってようやくおよそ分かったのだった。

 しかし、教会を軍事博物館にしていたというのは、なかなかスゴイ。日本でお寺がそんなことになってる話は聞いたことがない。無宗教の共産主義ならではの話なのかも。


 セントポールルーテル教会は、ドイツ人信者らの資金により地元の起業家によって建設され、1909年に完成。ウラジオストクに現存する最古の教会建築で、ロシア極東では珍しい後期ゴシック様式で建てられている。

 教会は1934年まで活動していたが、1935年に建物が海軍に移管され、軍のクラブ建築となり、1951年からは約半世紀にわたりソビエト太平洋艦隊の軍事歴史博物館となっていた。

 ソビエト崩壊後の1997年に、建物はロシア太平洋艦隊司令部からルーテル教会の人々に引き渡された。博物館は新しい場所に移動し、教会の庭にあった大砲などは取り除かれ、建物は修復作業が行われた。さらにその後、ドイツで造られた鐘が取り付けられた。

TVIL(ウラジオの宿泊予約サイト) > ウラジオの観光スポット
  > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語)
Otzovik(ロシアの口コミサイト)レビュー > 旅行・観光 > ホテルやツアー > ロシア > ウラジオストク
  > セントポールルーテル教会(Лютеранская кирха Святого Павла)(ロシア語)
1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真5

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

 スヴェトランスカヤ通りを更に東へ歩き、元ソ連邦共産青年同盟、シュテインバフの家、元フランス領事館、国立銀行などを撮る。

元ソ連邦共産青年同盟(1909〜44)   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
写真にマウスをあてがうと、古写真が表示されます。

 撮影場所はもう少し坂を下った場所だったようだ。2F分増築されて見え方が異なっていたのを現場であまり考慮に入れなかったため、パースの掛かり方がやや異なる。20世紀初頭の写真に写っている右端の建物は、現存するが、対象を重ねたらフレームアウトしてしまった。

シュテインバフの家   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1901年

 シュテインバフの家の写真は、右端の建物も変化があまりなかったので、かなり良く一致させることができた。若干、カメラの高さが異なったようで、パースの掛かり方が異なる部分があるが、他はほぼ同一。80年前とほぼ同じ位置で撮影できるのは感慨深いものがある。

 シュテインバフの家は、軒を支える持ち送りの装飾がなくなってしまった他はほとんど変化していない。

シュテインバフの家(奥)と国際電話局(右)
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 この写真も比較的良く一致させることができたが、やはりカメラの高さと位置が少し異なったようだ。20世紀初頭の写真は、三脚を用いて腰高程度の位置から撮られたらしい。位置も1992年よりもう一歩前だったらしい。写真を比較してよく見ると、そんなことも分かってくるが、それも建物が比較的良く残っているからで、日本で80年前と一致させるのは至難の業だ。

 国際電話局は昔は市庁だった建物で、1891年完成。1938年に増築されたという。確かに階高が低く装飾の少ない3Fが付き、軒が一つ上に上がっている。最初は現場でこの軒の変更に気づかず、以前通りのつもりで軒とシュテインバフの家の位置関係から撮影ポイントを探そうとしたため、大幅に位置を誤りそうになってしまった。

 
元フランス領事館   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1909年

 撮影時には食料品店になっていた元フランス領事館だが、これも20世紀初頭とほとんど変わらない姿を見せていた。柱の頂部や窓廻りの装飾はやや劣化しているし、白黒写真と比較しても壁面が汚れているのは分かるが、全体の様子にはほとんど変化がない。

 奥に見える赤い壁の建物は上記の国際電話局。2階建ての頃には華やかな屋根だったが、3階建てに増築され装飾が失われたことが分かる。

 当時はあまり詳細な地図を持ち合わせていなかったので、この建物がどの辺にあったのかうろ覚えだったのだが、2012年になってGoogle Map上でPanoramioの写真を探し回って、当時の撮影場所がようやく判明。驚いたことにこのそばでは金角湾を横断する巨大な吊り橋が建設中だった。元フランス領事館は辛うじて残されているが、周辺の景観は激変しているらしい。20年の時間の経過はウラジオにも大きな変化を及ぼしているようだ。

国立銀行と旧スタルツェフの家   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年:国立銀行、1907年
   :旧スタルツェフの家(左奥)1897-99年
   :右手前側の建物、1959年

 更に東へ行くと国立銀行の建物がある。古写真を見ると両側に翼部があるものだったようにも見えるが、右側だけ改築されているところをみると、右側は別なのだろうか。

 国立銀行の建物は、玄関庇が少し変わり、ドーム屋根がややベタッとした感じになり頂部の装飾も失われているが、その他はほとんど変わっていない。最近修繕されたのか、やけにきれいだったのが印象的だ。また奥に見える旧スタルツェフの家は、西側も同じ規模に増築されている。

 国立銀行の右側の建物は後年、大幅に改築されているが、完全な新築ではないらしく、1F、2Fのアーチ型窓やバルコニーは全く変わっていない。3階以上を装飾なしで増築して、5階建てにしたもののようだ。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真4

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

 08:30 起床。疲れている。眠い。でも外へ行きたい気持ちもある。
 08:45 出発のために集合するが、少し遅れてしまう。
 09:05 出発。

 09:20〜10:00 ウラジオストクホテルにて朝食。極東大学に語学留学している東京外語大の女子学生に偶然会う。一人で横浜から客船「ルーシ」に乗ってナホトカまできて、そこから列車でウラジオに入ったという。元気な人だ。ここで会ったのも何かの縁だということで、午後に予定しているバスでの市内視察に、彼女も同行することになる。

 食後、解散。バスでグム百貨店のそばまで行き下車。昨日に続いてH君と二人で新旧建物比較写真の撮影作業を始める。日曜日なので人通りは少ない。とりわけグムのそばは平日とは全く様子が異なる。撮影中に声を掛けられることもほとんどない。スヴェトランスカヤ通り沿いのグム百貨店、旧ダッタンの家、旧ピアニコフの家などを撮る。

スヴェトランスカヤ通りとグム百貨店   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 奥の方は増築部分だそうだ。その部分は更に増改築がされているようだが、手前側の外観は、中央の玄関と2階バルコニーがなくなった程度で、ほとんど変化がない。

グム百貨店(旧クンスト&アリベルス商会)
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1893年。1936年にグム(国営百貨店)となる。後方は増築部分。
構造・階数:煉瓦・3F

 ウラジオの街は港近くのスヴェトランスカヤ通りや駅周辺を中心として発達してきたそうだ。従って、20世紀初頭の絵葉書もその界隈に建つ建物が写っていることが多い。目抜き通りなので、日本だったらどんどん建て替えられてしまうところだが、ウラジオの場合、幸か不幸か外国人の立入が規制され、極東の地方都市のままでいたため、繁華街であっても当時の建物がほぼそのまま残されていた。

旧ダッタンの家(西方から)   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1891〜1902年の間。4・5階はソビエト時代の増築。
構造・階数:煉瓦・5F

 増築に伴い軒庇が無くなり、また、コーナー部分の窓上のペディメントなどの装飾も失われている。4・5階が増築されたため、以前と比べると壁面が大きく立ち上がった感じになっている。交通量は、変動があるのでなんともいえないが、写真によっては20世紀初頭の方が人通りが多かったりする。路面電車は走っておらず、馬車が多く行き交っているのが印象的だ。

スヴェトランスカヤ通りと旧ダッタンの家(東方から)
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 建物の写真は、H君が要領よく案内してくれるのでどんどん撮ることができた。しかし海沿いの様子は昔とかなり変わってしまっており、当時の撮影点がわからなかった。また周辺のビルの2、3Fのベランダや窓から撮られたものも多く、完全に画角を一致させることはできないものも多かった。今回、掲載したものは比較的きれいに一致させることができたもの。

旧ピアニコフの家(東方から)   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1903年
構造・階数:煉瓦・3F

 手前右側の建物は近代的なモダニズム建築に建て替えられているが、旧ピアニコフの家の外観はほとんど変化がない。バルコニーの手摺が金属製で軽快な感じのものに変わっている程度だ。

 撮影中、街中を馬で駆ける女性約5人を見かける。突然、蹄の音が聞こえてきて、かなりのスピードであっという間に目の前を通り過ぎて行ってしまったので、あっけにとられてカメラを構えるのを忘れてしまったが、大通りを駆け抜けてゆく姿はとても気持ちよさそうだった。また3頭だてのトロイカも走っていた。しかしこれはロシアでは日常の風景なのだろうか?。よくのみ込めない光景だ。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真3 ・サウナ

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

旧ランゲリーチェ商会とスヴェトランスカヤ通り   Google Map
PCのWebブラウザでは、写真にマウスを重ねると古写真が表示されます。
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 約90年前の写真と比較してあまり変化がなかった建物。中央広場の前にあり、目抜き通りのスヴェトランスカヤ通りとオケアンスキー大通りの交差点の角に建つ。廃墟などにはなっておらず、状態も良いように感じられた。

 しかし2012年に改めて現地の写真を検索してみたら、ミラーガラス張りの4〜5Fが増築されていて全く異なる印象に変貌していた。ガラス張り部分の形がやや奇抜で、そちらにばかり眼が行ってしまう。個人的には以前の建物の方が良かったのではないかと思う。

旧ランゲリーチェ商会とスヴェトランスカヤ通り
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
電信局とオケアンスキー大通り   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 電信局周辺も約90年前とほとんど変わっていなかった。ソビエト時代、計画経済で発展が停滞し、外国からの投資もなかったためか、ある意味、時間が止まったような都市空間だったとも言える。2012年時点で確認したところ、この建物の用途は分からないが、リフォームされてそのまま利用され続けているようだ。


 夕方まで動き回ったが、調査は全ては終わらなかった。残りをまた別の日に譲って今日の調査を終わり、17:30に中央広場に集合する。別班の街路調査は今日でようやく全て終了した。

 18:00、今日も寮では風呂に入れないので、オケアンスキー通り北部のサウナに行く。サウナはこの前ほどきれいではないが平均的なものだった。中にある暖室の温度は90℃を超していると思われるが、慣れると気分が良い。しかし何度もやると目が回ってきてしまう。

 ところで、私たちは18時〜20時の予約だったのだが、入口の前には何人もの地元の人が並んで待っている。何かと思ったら、20時以降そこがFreeになると聞いて待っているのだそうだ。中には朝8時から並んでいる人もいたらしい。物がなくなるから並ぶわけでもないのに、なぜ朝から並ばねばならないのかさっぱり分からない。そこで、少しでも私たちが早く出てあげれば、彼らも早くサウナを使えるだろうと考え、早めに出ようとしたのだが、アレキサンドル氏は、急いでも意味が無いというのだった。たとえ早く出たとしても、20時までは待っている人々を入れることがないのだという。相変わらず全くわからない。

 寮に戻ってビアレストラン「熊」にて20:00過ぎから夕食。ロシアの料理だが意外に美味しい。結局、良い店(高い店)なら美味しいのだということが、しばらく過ごしてようやく判った。

 21:30から明日の打ち合わせ。M2はどちらかというと旅行モードなので、遊んだり買い物をする事を考えており、調査に関してはあまり熱心ではない。この後、I氏は彼女たちの部屋に出向く。私はやや疲れていたので部屋で日記を書いてごろごろする。

 25:00、日記を書いていたら半分寝てしまった。明日のこともあるので本格的にきちんと寝ることにする。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真2

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

アレウツスカヤ通りと旧ゾロトイローグホテル   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真は現アルセーニエフ郷土博物館の2階から撮ったものらしく、視点の高さは異なっている。

 旧ゾロトイローグホテルと旧ホテルツェントラーリ(3枚目中央)の建物は、私たちが訪問した1992年当時はかなり傷んでいて廃墟のようだったが、その後、修復されて、昔のような美しい姿を取り戻しているのだそうだ。

スヴェトランスカヤ通りと旧ゾロトイローグホテル   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 撮影時にはコーナー部のベランダが無くなっていたが、その後、修復されて、現在は昔のようなベランダが再現されている。

 もう少し時間をかければ、もっときれいに一致させることができたかもしれないが、現在と違ってデジタルカメラではないので、正確に一致させるのはかなり難しかった。現場ではかなり正確に撮ったつもりでも、後で見ると詰めが甘かったものも多い。海外だと撮り直しが効かないのが残念だ。

アレウツスカヤ通りと旧ホテルツェントラーリ   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真より交差点寄りで撮ってしまったため、見え方が異なっている。

 新旧比較写真で使っていたもとの写真は、20世紀初頭の絵葉書などを集めたアルバムだ。従って、その写真とほとんど違わない姿が眼前にあるということは、80年間あまり景色が変わっていないということで、それにまず驚かされる。また80年あまり前、この絵葉書の写真を撮影した人が同じポイントに立って、今の私と同じようにカメラを構えたであろうということも感慨深かった。

スヴェトランスカヤ通りとアルセーニエフ郷土博物館  Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
古写真はゾロトイローグホテルの2階から撮ったものらしく、視点の高さが異なる。このため諸々の見え方も異なっている。

 午後のため、西向きの撮影は逆光になってしまう。もとの写真に比べて条件が悪いことも多い。日程に余裕があればまた後日ということにもなるが、残念ながらそうもいかず、このまま撮ることになってしまう。

 毎日の調査で、疲れは結構きていたが、駅前、スヴェトランスカヤ通りとアレウツスカヤ通りの交差点付近、スヴェトランスカヤ通りとオケアンスキー大通りの交差点付近、市役所付近で写真を撮る。割合に多くの撮影ポイントが正確にわかり、中にはほとんど同じ画角から撮れたものもあったので作業は楽しかった。

 なお、ウラジオストクの都市形成、街並みの歴史については、佐藤洋一氏の著書に詳述されている。この一連のロシア日記の記事でも、同氏の論文等を随時参照している。ウラジオストクの古写真アルバムも同氏が所有・管理しているもの。

Amazon.co.jp
 > 「帝政期のウラジオストク 市街地形成の歴史的研究」
   佐藤洋一著、早稲田大学出版部、早稲田大学学術叢書、2011.3

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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Field調査 新旧比較写真1

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

 14:00から昼食。今日は豪華な昼飯だった。食後、チャイ(紅茶)にS氏がミルクのつもりでマヨネーズを入れ、つられて添乗員のSさん、F氏も間違って入れてしまう。

 15:00から再び Field調査。まず郵便局で昨日書いた絵葉書を計5通出す。ここからは待望の新旧比較写真の撮影。H君と作業することになる。別班は午後も街路調査、またK氏とY君は眺望調査。

ウラジオストク駅   Google Map
建設年:1912年

 残念ながらウラジオ駅の古写真は駅構内に行かなければ撮れないものだったので、同じポジションからの撮影は諦めて駅前から撮影。

 ウラジオストク駅は1912年に造られた建物で、南北に長く、駅前はモータープールになっている。中央には前へ突き出る形でホールが造られており、全体は緑色に塗られている。S氏によると、その後1995年になって駅舎は建設当時の色に塗り直され、壁はクリーム、屋根は紫になったということだ。立派な建物だが、基本的には平屋で、さほど大きな建物ではない。しかし何となく愛嬌があり印象的な駅である。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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1992-01-10 | 記事一覧 
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Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
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