
岩佐多聞邸(旧 久米民之助邸洋館)
所在地:渋谷区 上原2-20-1
構造・階数:RC・1
建設年:1912(大正元)頃
解体年:2020(令和2)
備考 :2023(令和5)、群馬県沼田市に移築
Photo 2013.10.28
代々木上原駅南側の高台にあった洋館。もともとこの洋館は、宮内省で皇居正門石橋の設計に携わり、久米工業事務所を設立した実業家である久米民之助が自邸の敷地内に建てたものだったという。
邸宅の来歴については下記サイトやWikipediaに詳しいので、以下はその概要。
久米氏は現在の上原2丁目に明治後半に敷地面積約4万坪の屋敷を構えたそうで、そこに1912(大正元)年頃にこの洋館が建てられたという。同敷地内には和館や能楽堂もあり、屋敷は代々木御殿と呼ばれたそうだ。
しかし同氏は関東大震災の前後にこの邸宅を紀州徳川侯爵家に売却。紀州徳川侯爵家は関東大震災で麻布区飯倉にあった本邸が被災したこともあり、ここを本邸「清和園」とし、洋館は迎賓館として利用されたという。
その後、紀州徳川侯爵家は1938(昭和13)年にこの屋敷を目黒蒲田電鉄に売却、屋敷一帯は同社によって住宅地として分譲された。しかし和館(母屋)と洋館(迎賓館)は取り壊されずに残された。
第二次大戦では洋館の内部が被災し、戦後はGHQに接収された。返還後、洋館と和館は1970年頃まで京浜急行社長の田中百畝邸になっていたが、1980年頃に分割されたようで、和館はなくなり、洋館は岩佐多聞邸となった。
2020年に取り壊しが計画されたが、久米民之助の出身地である群馬県沼田市への移築が急遽決まり、2023年からは「旧久米家住宅洋館」として公開されている。
私自身は上原にあったときに敷地外から見ただけで、移築後のものも見ていない。前面道路より高い敷地上に建っていたので2階建てのように見えていたが、実際は平屋なのだそうだ。
当初は広大な屋敷地の中にあり、その外観も全く見えなかったのだろうが、敷地が分割されて住宅地化されたことから建物が見えるようになっていたのは興味深い。
デザインはセセッション的なのだそうで、モダニズムに至る建築運動の時期のスタイルらしい。RC造ではあるが、軒裏や窓まわり、パーゴラ?などがパステルカラーの緑色になっており、ちょっと可愛らしく魅力的な建物だ。機会があったら移築されたものを改めて見てみたい。
代々木御殿:久米民之助邸⇒紀州徳川家邸⇒戦後接収⇒岩佐多聞邸
旧久米家住宅洋館 - Wikipedia
旧久米家住宅洋館|沼田市公式ホームページ
岩佐多聞邸が移築へ?: ★近代建築探訪★
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区 #古い建物 群馬県 #洋館・洋風住宅
#移築保存 ブログ内タグ一覧