都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

麻布郵便局(旧逓信省貯金局、旧郵政省)

2024-06-12 | 港区   
麻布郵便局(旧逓信省貯金局・旧郵政省)
所在地:港区 麻布台1-6-19
構造・階数:RC・4+B1
建設年:1930(昭和5)
解体年:2019(平成31)
Photo 1995.5.27

 外苑東通りに面して建っていた大型の近代建築。六本木交差点から飯倉交差点へ向かうと、右側にロシア大使館、左側にこの建物があった。

 逓信省貯金局の建物として建てられたもので、シンメトリーで両翼が張り出した堂々とした庁舎建築だった。80年代に改修されたそうなので、本ページの写真は全てその改修後のもの。昭和初期の建物でアールデコ風のデザインが所々に見られた。

 建物は戦時中から様々に名を変えながら使われてきた。1943(昭和18)年には運輸通信省通信院の本庁舎、戦後の1946(昭和21)年には逓信省、1949(昭和24)年からは郵政省の本庁舎になった。本庁舎が1969(昭和44)年に霞が関に移ると、以降は郵政省の飯倉分館となった。更に2007(平成19)年に郵政省が民営化されると「日本郵政グループ飯倉ビル」と名を変えた。


 外苑東通り・ロシア大使館前付近から  Photo 2017.10.2


 正面中央  Photo 2018.12.13

 90年代までは中央の時計が動いていたが、2000年代頃になると針が取り外されて機能していなかった。


 我善坊谷を挟んで局舎北西側から  Photo 2018.12.13

 虎ノ門・麻布台地区の再開発が行われることになり、日本郵政もこれに参加したため、この立派な庁舎建築も残念ながら解体された。その後、ほぼ同じ位置に約330mの高さの超高層ビル、麻布台ヒルズ 森JPタワーが2023年に完成している。

貯金局 全景 文化遺産オンライン
逓信省 - Wikipedia
麻布郵便局/麻布台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
思いつくまま 第835回・旧逓信省貯金局庁舎

Tokyo Lost Architecture  
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エトワール海渡第三ビル

2024-05-18 | 中央区  
エトワール海渡第三ビル(旧海渡ビル、旧小松ビル)
所在地:中央区 日本橋横山町6-10
構造・階数:RC・6+R
設計 :中村與資平
建設年:1928(昭和3)
解体年:2021(令和3)
Photo 2005.3.27

 静岡市役所や静岡銀行などを手がけた中村與資平が設計したオフィスビル。
 最初はエトワール海渡ではなく、小松ビルとして建てられたという。当初は2階から上がタイル張り、1階は石張りで、軒先にはロンバルディア帯もあったとそうで、写真の頃の外観は当初とはかなり違っていたようだ。下記リンク先「中村與資平記念館新館」には当初の写真が掲載されている。

 昭和30年代に海渡(現 エトワール海渡)の建物になり、その後、外壁が改装されて現在の姿になったという。
 2階から上は金属板張り、1階は当初とは異なる石張り。外壁が変わってだいぶん様子が変わっていたが、玄関上部の装飾等は残されていた。タイル張りや石張りをやめてしまったのはメンテナンスが大変だったからだろうか。玄関周りの装飾は華やかだったが、ほかの壁面とギャップができてしまっていて、もったいない感じではあった。

 また、建物はセットバックしていたが、周囲の道があまり広くないので、5階から上はほぼ見えなかった。

小松ビル | 中村與資平記念館新館
海渡ビル、横山町ビル/日本橋横山町 - ぼくの近代建築コレクション 

Tokyo Lost Architecture  
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東京ビル

2024-02-27 | 千代田区 
東京ビル
所在地:千代田区 神田司町2-2-1
構造・階数:RC・3
建設年:戦後まもなく?
解体年:1997(平成9)
Photo 1996.2.20

 角地にあった3階建てビル。戦前のものなのか、戦後まもなくのものだったのかはわからない。下記「ぼくの近代建築コレクション」にもあるように、「『乱歩と東京』松山巌、1984年、PARCO出版」に南からの写真が掲載されていて、かつてはコリント式柱頭の付け柱を持つ建物だったようだ。戦前の火保図(1935年)では、中央商会(業種は不明)。

 戦後の1950年代の火保図では「東京ホテル」と記されている。3階建ての小規模なビルが東京ビルと名乗って、そこに東京ホテルがあった事はちょっと驚き。1960年代以降、1階はパーラー、ネクタイ屋、釣具店、洋品店、立ち食いそばなど、いろいろなお店になっていたようだ。また90年代、2階はカラオケだったようだ。

 ただ撮影時、それらは全て閉店しており、この翌年には解体されてしまった。その後は2002年までコインパーキング、2004年以降はオフィスビルになっている。

東京ビル/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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須田町ビル/神田きくかわ

2024-02-06 | 千代田区 
左:須田町ビル/右:神田きくかわ
所在地:千代田区 神田須田町1-24-6/-2
構造・階数:RC・3
建設年:戦前/戦中〜戦後まもなく?
解体年:2005〜07(平成17〜19)
備考 :角地にある「神田きくかわ」のビルは現存
Photo 2000.6.3

 神田の須田町交差点、神田中央通りに面して建つRC造3階建ての2棟の商業ビル。

 左側の須田町ビルは、1935年発行の火保図で既に須田町ビルと記載されているので、戦前に建てられた建物だったらしい。上写真の後、下写真までの5年間に北側1/3は部分的に撤去され、左端の1スパンがなくなった。そしてその後の2005〜07年には全体が解体され、跡地にはACN神田須田町ビルが2008年9月に竣工した。
 装飾はあまりないが窓まわりの壁が少し後退して柱型が見え、2階と3階の窓の間に装飾が少しある様子はやはりクラシックなビルならではだった。


 Photo 2005.5.18


 Photo 2005.5.18

 角地にある「神田きくかわ」のビルは、昭和初期の時点では完成していたかどうか不明。この時点では後に須田町ビルに入居するてんぷらの「天米」が角地に存在していた。
 「神田きくかわ」は、同社のWebsiteによれば終戦直後に現在地で創業したそうだ。戦後の火保図(1950年発行)では角地のビルは「唐沢ビル」と記されているが、その中にはうなぎ屋も既に書かれている。また1973年時点では、現存する季節料理「恵比元」も記載されている。ただ、現在は全館が飲食店のようだが、1970年代頃までは他にも電気会社や法律事務所なども入居していたらしい。
 「神田きくかわ」と「恵比元」が入居している角地のビルは現存。縦長の窓上にアーチ型の装飾が並ぶ様子は近代建築っぽい感じ。現在はえんじ色っぽい外壁になっているが、当初はどんな色だったのだろう。

神田きくかわ
神田きくかわ、須田町ビル/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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淡山翁記念報徳図書館

2023-11-24 | 静岡県  
淡山翁記念報徳図書館
所在地  :掛川市掛川
建設年  :1927(昭和2)
構造・階数:RC・2F
Photo 2001.7.12

 大日本報徳社公会堂の南側にある、RC造の図書館。1Fは書庫、2Fが閲覧室。

TOP - 大日本報徳社
大日本報徳社 - 掛川市
大日本報徳社 - Wikipedia

静岡の建築・土木構築物 
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旧澤野医院(袋井市澤野医院記念館)

2023-10-30 | 静岡県  
旧澤野医院(袋井市澤野医院記念館)
所在地:袋井市川井444-1
建設年:1934(昭和9)
構造・階数:木造・2F
Photo 2000.1.1

 旧東海道の袋井宿を西の方へ抜けたあたりにある木造洋館。

 写真は旧東海道沿いの病棟部分で、これは1934(昭和9)に建設されたという。奥行きがある細長い敷地で、この洋館の背後には1855(安政2)に建てられた和館の居宅や、1916(大正5)に建てられた別の洋館、渡り廊下、庭園などもあるそうだ。

 袋井市が寄付を受け、2005(平成17)以降、袋井市澤野医院記念館として一般公開しているという。ただ、撮影時点ではまだ公開されていなかったため、内部は未見。

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福岡玉屋

2023-10-06 | 福岡県  
福岡玉屋
所在地:福岡市博多区 中洲3-7-30
構造・階数:RC・5
建設年:1923(大正12)
解体年:2003(平成15)頃
備考 :1933(昭和8)に7階建てを増築。更に1973(昭和48)に8階建てを増築。
Photo 1998.9.12

 福岡玉屋は福岡市内で初めてできた百貨店だったそうだ。
 建物は1923年に福岡ビルディングとして竣工したもので、1925年にそれを買収し、改修、増築して玉屋呉服店としてオープンしたという。

 増築を重ねていたのでややつぎはぎな外観だったが、下記サイト掲載の昭和前期の絵などから考えると、コーナー部が丸くなった建物が最も古い部分だったのではないかと思われる。またこの画像では前方が5階、後方が7階なので、前方の古い部分もどこかの段階で6階が増築されたようだ。

 外壁はタイル張り。西洋建築様式的な装飾はなく、アーチ型の窓もなくモダンなデザイン。ただ横連窓ではなく、縦長の窓が並び、柱が少し前に出た形になっていた。

6:行政の拠点、県庁と市役所 競い合うデパート
  ~ 福岡・博多 | このまちアーカイブス |
 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産


 夜になるとライトアップされていた。

 地元の者ではないのでよく知らなかったのだが、私が訪れた1998年頃にはどうやら既に経営状態が悪化していたようで、この翌年に閉店してしまったという。またその後、すぐには解体されず、空き家のまま数年が経ち、2003年頃になってようやく解体されたようだ。

福岡玉屋 - Wikipedia
[Biz 今昔]福岡玉屋が閉店(福岡市):地域ニュース : 読売新聞
【あの日】福岡玉屋が閉店、女性店員も涙=7月15日|【西日本新聞me】
福岡玉屋: 梅ヶ枝

#失われた建物 福岡県  #デパート・百貨店  #近代建築 
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キッコーマンビル

2023-08-03 | 神奈川県 
キッコーマンビル
所在地:横浜市中区 海岸通1-1
構造・階数:RC・3
建設年:1929〜32(昭和4〜7)頃
解体年:2000(平成12)
Photo 1989.5.27

 横浜港大桟橋の北西側の海沿い、象の鼻埠頭のそばには同じような規模(3F建て)のビルが3棟並んで建っていた。キッコーマンビルはその真ん中の建物で、両側には昭和ビルと横浜海洋会館ビルがあった。

 通り沿いに長いファサードを持つ横浜貿易協会ビルも含めて、同じような高さ(階数)の建物が並ぶ様子が印象的だったが、なかほどのキッコーマンビルが解体されてしまったため、昭和ビルがひとつだけ離れて残され、連続した街並みが途切れてしまったのは残念。
 ただその代わり、現在は日本大通りから象の鼻埠頭の海が開けて見える状態になり、街と埠頭が一体的になったようだ。跡地に別の建物が建ったりせず海沿いの公園になったのは救い。


 左から昭和ビル、キッコーマンビル、横浜海洋会館ビル  Photo 1989.5.27

昭和ビル/横浜市中区海岸通 - ぼくの近代建築コレクション
昭和ビル - Wikipedia
昭和ビル/キッコーマンビル

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横浜松坂屋本館

2023-07-30 | 神奈川県 
横浜松坂屋本館(旧野澤屋呉服店支店)
所在地:横浜市中区 伊勢佐木町1-5-4
構造 :RC
階数 :7+B1
設計 :出浦高介 /増築設計:鈴木禎次
建設年:1921(大正10)
解体年:2010(平成22)
備考 :1929、34、37(昭和4、9、12)に増築
    横浜市認定歴史的建造物(解体に伴い認定解除)
Photo 1994.1.15

 伊勢佐木町にあった老舗百貨店。初めて訪れたのが1994年なので、私は横浜松坂屋本館として記憶しているが、この建物、もともとは野澤屋という百貨店として建てられたものだそうだ。その野澤屋は、1864(元治元)に弁天通で野澤屋呉服店として創業。1910(明治43)にこの場所に野澤屋百貨店支店をオープンさせている。

 この建物は1921(大正10)に建てられたものがベースで、以降3回ほど増築していたという。その後、1974(昭和49)に松坂屋と資本提携し「ノザワ松坂屋」になり、1977(昭和52)には「横浜松坂屋」となった。また、隣にあった「松屋横浜店」が撤退したため、これを買い取り西館とした。


 Photo 2002.11.3

 上層階の壁面にはアーチが並び、華やかな外装デザインとなっている。最後の時点で見られたアールデコ風の外壁は、1934(昭和9)の改築時に造られたものだったという。


 Photo 2004.2.20

 4Fのエレベーターホール。1Fのエレベーターホールにある階数表示の方が装飾的で華やかだったのだが、なぜかそちらは撮り忘れてしまった。


 Photo 2009.9.1

 横浜松坂屋は2008年10月26日に閉店。閉店後も一時は市の観光案内デスクが置かれて部分的に利用されていたが、残念ながら2009年秋に解体された。横浜市の歴史的建造物にも指定されていた建物でもあったが、解体に伴い指定も解除された。

 4枚目写真は、閉店後のもの。この時点ではまだ「横浜松坂屋」の文字が壁面に残されていた。
 その後、跡地には2012年2月にカトレアプラザ伊勢佐木という低層のショッピングセンターがオープンした。この建物には旧建物の外壁の装飾の一部が再利用されている。

横浜市認定歴史的建造物「横浜松坂屋本館」について(2009.11.6)
旧横浜松坂屋本館、解体計画 歴史的建造物の認定解除へ | 経済 | カナロコ by 神奈川新聞
横浜松坂屋閉店・レトロな姿を見納めよう! [横浜の観光・旅行] All About
「横浜松坂屋」が10月26日に閉店・解体へ!? どうなる横浜歴史的建造物、どうする伊勢佐木 - ヨコハマ経済新聞
横浜松坂屋が解体-外観を一部復元し新たに商業施設を建設 - ヨコハマ経済新聞
横浜松坂屋本館−出浦高介、鈴木禎次 Yokohama Matsuzakaya Main Building−Kosuke Ideura, Teiji Suzuki
横浜松坂屋/横浜市中区伊勢佐木町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Enjoy! YOKOHAMA −横浜ブログ− : 横浜松坂屋

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旧水産試験場(貿易会館)

2023-07-15 | 静岡県  
旧水産試験場(貿易会館)
所在地:静岡市清水区日の出町1-15
構造・階数:RC・2F
解体年:1999(平成11)
Photo 1997.5.5

 日の出埠頭周辺再開発整備に伴い解体。肝心の建物名を失念してしまっていたのだが、当初は水産試験場の建物だったらしい。その後、私が見た頃には貿易会館として使用されていたという。某映画にも登場していたが、地方都市の港に建つオフィスの感じがよい味わいを出していた。

 1995〜99の住宅地図では、貿易会館と記されていて、2Fに清水市日の出開発課、清水先区水洗人会があったと記されている。同エリアの再開発に伴い、2000年の住宅地図では既に建物は無くなり、同所は道路になっていることから、1999年にこの建物は解体されたものと思われる。

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