都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧渡辺甚吉邸

2024-06-18 | 港区   
旧渡辺甚吉邸(旧ラオス大使公邸、旧スリランカ大使公邸ほか)
所在地:港区 白金台4-19-10
構造・階数:木・2+R
設計 :遠藤健三、今和次郎、山本拙郎
建設年:1934(昭和9)
解体年:2018(平成30)
備考 :2022(令和4)に取手市に移築完成。国登録有形文化財
Photo 2017.1.10

 白金台にあった旧渡辺甚吉邸は2018年に解体されたが、その後、取手市内に移築された。もともとの所在地で残せなかったのは残念だが、東京の現状などを考えると移築であっても残らないよりはましで、残ったのは良かったことだ。

 建物は岐阜の名家、渡辺家の当主、甚吉の私邸として建てられたもの。渡辺甚吉は実施設計を行った遠藤健三を伴ってヨーロッパに赴き、その体験からチューダー様式でこの住宅を建てたという。全体計画は洋風住宅を手掛けていた「あめりか屋」の技師長・山本拙郎、また、内部の装飾類は考現学で知られる今和次郎がデザインしたものという。

 戦後は米軍が接収、渡辺家に返還された後はラオス大使公邸やスリランカ大使公邸として利用され、更に2010年からは結婚式場「白金甚夢迎賓館」としても使用されていた。

 塀や1階部分の壁は鉄平石を積んだもので、都内に残る洋館の外壁としては珍しいものだった。2階、屋根小屋部分はハーフティンバーで、チューダー様式の田舎家の雰囲気。

 正門左側の平屋は車庫だったものだそうだ。

 都内に現存していた頃は内部を見学する機会がほぼなかったが、移築後の現在はときどき見学会が行われており、他のサイトには現状や内部の様子も掲載されている。また、移築作業を行った前田建設によるレポートも見ることができる。

旧渡辺甚吉邸主屋 文化遺産オンライン
旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト|Construction REPORT|実績・事例|前田建設工業株式会社
奇跡の住宅- 旧渡辺甚吉邸と室内装飾- | LIXILギャラリー | LIXIL文化活動 - LIVING CULTURE
旧渡辺甚吉邸(東京) : 洋館探訪ブログ
思いつくまま 第845回・旧渡辺甚吉邸
Anthology -記憶の記録-
 − 取手市のお散歩2023 その3その4その5

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 港区 #移築保存 #洋館・洋風住宅 #国登録有形文化財 
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第一KSビル(旧丸菱ビル)

2020-11-13 | 千代田区 
第一KSビル(旧丸菱ビル)
所在地:千代田区 神田淡路町2-3
構造 :RC造
階数 :4+B1+R1
建設年:1925(大正14)
解体年:2014(平成26)
備考 :国登録有形文化財(解体後に登録抹消)
Photo 2005.3.25

 ワテラスの少し南側の外堀通り沿いにあったオフィスビル。何度か建物名が替わっていて、最後の頃は第一KSビルという名だった。幅が狭くペンシルビル状の小規模なビルだったが、窓まわりなどは白く装飾されていて、暗褐色のタイル壁面とコントラストがあり、意外に手の込んだファサードを持つ建物だった。

 トラックなどが路上駐車していたのと、休日でお休みだったため、1Fの詳細は分からない。下記リンク先の写真にはディテールも写っている。

 国の登録有形文化財にも登録されていた建物だったが、数年前に北側(写真右側)のビルと共に解体され、現在はマンションになっている。


 2023.12.22追記
 オフィスビルだったので、住宅地図等にはテナント名が記されていたりもしたようだ。1950年発行の火災保険特殊地図には、金本薬品工業KKと記されており、また1954年作図・1959年修正の同地図には、興亜火災海上KKと記されている。

思いつくまま 第420回・旧丸菱ビル(第一KSビル)
第一KSビル/神田淡路町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #オフィス  #登録有形文化財 
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東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#官公庁  #高層ビル  #モダニズム  #登録有形文化財 
#docomomo japan  #近代建築  #郵便局 

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日本工業倶楽部

2019-11-06 | 千代田区 
日本工業倶楽部
所在地:千代田区丸の内1-4
建設年:1920(大正9)
構造・階数:RC(一部S)・5
ファサード設計:松井貴太郎(横河工務所)
備考 :保存再生
Photo 1998.10.31


 建て替え後の日本工業倶楽部会館部分 Photo 2003.3.26

 隣接のビルと併せて一体的に再開発された。当初は存続自体が危ぶまれたが、重要な部分を保存し、一部はレプリカ的に保存しながら超高層ビルとなった。背後の高層ビルは全面ガラス張りで、大きな違和感はない。もちろん本物を残すという意味では、惜しまれる部分も多々あるのだろうが、超高層ビル化の圧力が強い場所で、街並み景観をそれなりに存続させたことには、一定の評価がされてよいのではないかと思われる。
 ただし、超高層ビルを林立させること自体が富裕の象徴かどうかには、いろいろと疑問があるが・・・。

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル
(完成当初は三菱信託銀行本店ビル)
建設年:2003(平成15)
構造 :S(一部SRC)
階数 :30・B4・R2
Photo 2004.11.24


 Photo 2003.3.26

 中央の屋上には殖産興業の象徴としての塑像が飾られていたが、これはリフレッシュされて真っ白で美しいものになった。

Wikipedia > 日本工業倶楽部

廃景録日本工業倶楽部
近代建築ホームページ日本工業倶楽部
日本工業倶楽部会館/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所)  #登録有形文化財

2012.2.25
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大村邸

2019-10-07 | 静岡県  
大村邸
所在地:静岡市葵区平野
建設年:1865年(江戸時代末期)
備考 :国登録有形文化財。静岡市景観重要建造物
Photo 2016.1.5

 静岡市葵区の山間部に残る、かぶと造りの民家。
 安倍川左岸、急斜面の山地に石垣を築いて壇をつくり、大型の茅葺き屋根の家屋が造られている。
 かぶと造りは関東甲信越東北南部に多く、この家はかぶと造りの南限と言われているそうだ。養蚕の作業を考えて造られた形なので、確かに静岡では見掛けない珍しい建物。

静岡市 > 景観重要建造物第1号 大村家住宅

 石段を上り、農家にしては立派な門をくぐって庭に上がる。
 温暖な静岡では冬場でも午後の日射しは明るく暖かい。

 個人所有で現在も居住者がおられるので、事前に許可を得ないと敷地内には立ち入れない。2mほどの石垣の上に家屋が建つ敷地があるため、かぶと造りの特徴的な姿はなかなか拝むことができないが、山地を背景に聳える姿はなかなかの迫力。

 家屋が建つ敷地を支える石垣。石垣の下には水路があり、山からの冷たい水が勢いよく流れている。

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #山  #住宅系  #和風住宅  #登録有形文化財 
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歌舞伎座

2019-07-24 | 中央区  


 Photo 1998.5.23

歌舞伎座
所在地:中央区銀座 4-12
建設年:1924(大正13)
    戦災で焼失したため改築。1950年改築完成、1951年開場。
構造・階数:SRC・4F(一部5F)
設計 :岡田信一郎
備考 :登録有形文化財(平成14)
    2005.4 再開発検討開始を公表。11.16 建て替え決定を発表。
    2009.1 再開発計画公表の予定だったが、公表を2010.2に延期。
    当初は2010年頃を目標に建て替えと言われていた。
解体年:2010(平成22)


 Photo 2009.6.2

 以下は、拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を掲載していた時の文面。都市徘徊blog内に記事を移設するにあたって、文章を更新することも考えたが、解体・建て替え前に書き始めていた元の文を残すことにした。


 これはとにかく有名。岡田信一郎の設計によって、関東大震災後に建てられた歌舞伎の殿堂。戦災によって屋根などが焼失したため、上部の屋根の形状や内装を変更して、現在も使われている。再開発が検討され、最近、建て替えの決定が公表された。現在の建物が登録有形文化財になっていることも踏まえて、外観その他の雰囲気を残しながらバリアフリーに対応し、耐震性のある建物に建て替えるのだそうだ。

 しかしやはり、この桃山風などと呼ばれている、豪華絢爛な姿あってこその歌舞伎座である。海外からの訪問者も多い。ジャポニズム色満載だから良いのだ。内部の方も独特である。座席まわりがちょっと狭いような気もするが、巨大ホールではないため、観客と役者がちょうど良い一体感で包み込まれる。

 浜町の明治座、新橋演舞場、東京宝塚劇場など、建て替わった劇場は多いが、単に近代的で使い勝手が良くなったり客席数が多くなっただけのような気もする。観劇空間の雰囲気も含めて劇的に素晴らしくなった例は少ない。現在の歌舞伎座がかなり良い空間なので、これを継承しながら、これを上回る空間を造るのはなかなか大変なことではないだろうか。

 ヨーロッパのオペラ劇場などはそれこそ200年以上前の建物だったりする。しかし、かの国の人々は、取り壊してしまえば、それを上回る空間は二度と創れないことを知っているような気がする。現在の歌舞伎座も80年の年月を経て、そのような歴史を蓄積した建築空間になっているのではなかろうか。
 どのような再開発計画が立案されるのか、期待と不安が入り交じる。要注目である。

2009/03追記
 2009年1月に再開発計画が公表される予定だったが、経済状況の変化などから公表を延期。ただ、同時期に超高層のパースが新聞紙上に載った。かなり簡略化された外観になっており、以前の華やかな姿からはかけ離れたものになっている。当初は現在の外装を残す案だったようだが、都知事が銭湯みたいだと言ったので変更され、簡略化されたとも言われる。現状を尊重しながらと以前は言っていたので、ある程度は残されるのかと思っていたのだが、自らの手で文化財を壊すようなことをするのだろうか。これはちょっと予想外のことで、かなりがっかりさせられる行為だ。

2013/07追記
 紆余曲折があったらしいが、最終的には以前の外観を踏襲しつつ超高層を付加するデザインで新建物が完成した。

歌舞伎座 - 都市徘徊blog

Wikipedia > 歌舞伎座

歌舞伎座/銀座4丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #近代建築  #映画館・ホール 
#登録有形文化財  #岡田信一郎 
2013.7.22
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清水銀行 由比支店 本町特別出張所

2019-06-15 | 静岡県  
清水銀行 由比支店 本町特別出張所(旧 庚子銀行 本店)
所在地:静岡市清水区由比41
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
備考 :国登録有形文化財
Photo 1997.5.5

 イオニア式の角柱4本を正面に据えた小さな銀行建築。
 ただ柱頭の渦が四角くなっていてなんだか中華料理の器についている模様のようだ。基壇が妙に高く、建物の大きさには不釣り合いな階段が入口の前に付く。また、様式的なのは正面ファサードのみで、側面などには装飾がほとんどない看板建築状の状態になっている。気合い空回りという感じでもあるが、可愛らしく愛すべき近代建築。

 庚子銀行は1900(明治33)年設立。銀行名は、設立年が庚子(かのえね)の年にあたることに由来するという。
 1928(昭和3)年、近隣5つの銀行と合併して、駿州銀行となった。
 1932(昭和7)年には駿州銀行と旧清水銀行が合併、1948(昭和23)年に現在の清水銀行となった。

清水銀行由比支店本町特別出張所 文化遺産オンライン
旧庚子銀行本店|ふじのくに文化資源データベース

静岡の建築  #古い建物 静岡県  #銀行・保険 
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清水港荷揚げ施設(テルファー)

2019-06-09 | 静岡県  
清水港荷揚げ施設(テルファー)
所在地:静岡市清水区入船町13
建設年:1928(昭和3)
備考 :登録有形文化財
Photo 1997.5.5

 北側から。水辺に張り出した不思議な構築物だ。現在は、エスパルスドリームプラザに隣接する場所に修復されて展示されている。

 撮影した1997年当時は忘れ去られたように打ち捨てられていた。
 ループ状のレールが水上まで張り出しており、レール上を走行する巻上機で船から荷を吊り上げ、埠頭に降ろしていたらしい。

 その後、ここはエスパルスドリームプラザとして再開発されることになったが、敷地内にあったこの施設は幸運にも保存措置がなされ、海側正面の目立つ場所にモニュメントとして残された。現在、周辺はボードウォーク状に整備され、休日はカップルや家族連れが行き交う場所になっている。

 しかしいまだにどのように作動して使われていたのか正確にはよく判らない。昔の港湾の仕事ぶりも解るし、社会科見学の教材になったりもするのではないかと思うので、保存するなら動かせるようになっていたらなお良いのだが、さすがにそこまでの復元はされなかった。

 余ったテトラポッドが放置され、廃車やゴミが捨てられ、そう長くはないのかと思っていたが、逆に一気に華やかな空間に引っ張り出されたのだからちょっと不思議だ。

 草むらの中に放置されていた当時の姿には、寂寥感の漂う美しさがあった。保存措置が講じられたこと自体は喜ばしいことだが、一方で、昔の姿にも修景された現在とは異なる独特の良さがあったように思う。

清水港テルファー 文化遺産オンライン
機械遺産Mechanical Engineering Heritage
景観重要建造物第5号 清水港テルファー:静岡市

静岡の建築  #古い建物 静岡県  #モニュメント  #インフラ 
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鈴木邸

2018-12-29 | 大田区  
鈴木邸
所在地:大田区 田園調布3−3
建築年:昭和初期
構造/階数:木/2F
解体年:2015春
備考 :国登録有形文化財(解体により抹消)
Photo 2012.2.26

 田園調布の住宅地は西側の中心部は半円型で放射状の道が入っている。鈴木邸は有名なその放射状分譲地の一角にあり、分譲当初に建てられ、多少の増改築はあったもののほぼそのまま残されていた数少ない住宅。

 可愛らしい門の向こうに、木立の中に赤い屋根の洋館が見え隠れする姿はとても印象的で、残っていって欲しい建物だった。国の登録有形文化財にもなっており、所有者も大切にしているのだろうなと思っていたのだが、相続税を納めるために売却され解体されることになってしまったのだった。

 下記のリンク先の記事にもあるように、解体直前には見学会も行われたが、私は行けなかったので内部の写真は無い。敷地の中に入ることもなかったので、この写真も門の外からちょっと覗いて取らせて貰ったもの。若干反った屋根、暖炉の煙突、カーブした張り出し部分など、特徴的な意匠が印象的。


北東側から

 敷地が大きく庭も大きいので、外周には多くの木があり、邸内はあまり見えなかったが、冬場は枯れ木越しに建物が見えたりしていた。日本の建物には見えない可愛らしい家。


西側から

築90年余り の洋館取り壊しから考える、家を大切にすると言うこと - SUUMOジャーナル
築100年弱、相続のために売却されたお屋敷の一夜限定公開を見てきた | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

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#失われた建物 大田区  #近代建築  #住宅系  #洋館・洋風住宅  #登録有形文化財 
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青葉台神鋼荘

2017-03-21 | 目黒区  
青葉台神鋼荘(旧安田邸)
所在地:目黒区青葉台2-3-20
建設年:1935(昭和10)より前
構造・階数:木2
設計 :山田醇
備考 :2002〜05に解体
Photo 2001.12.8

 上写真は西側から、下写真は北側から見たところ。

 赤みを帯びた大きな瓦屋根を持つ、ハーフティンバーの洋館。大きな屋根裏を持つ平屋とも言えるのだろうが、この感じはほぼ二階建て。内部の様子を知らないので、どちらだったのかよく分からないが。

 この建物、当初は個人住宅として建てられたが、昭和50年頃以降に青葉台神鋼荘となったようだ。1973年の住宅地図では安田邸、1977年の同地図では青葉台神鋼荘と記されている。建物の感じからすると社員寮とかではなく、会社の福利厚生施設か迎賓館のようなものだったのではないだろうか。

 撮影当時は気づかなかったのだが、後日、写真を見返していた時に、駒場にあった三井造船駒場寮の洋館とそっくりな建物だったことに気がついた。そこで『日本近代建築総覧』で確認したところ、やはり同じ建築家の作だった 。この山田醇という建築家による住宅としては、世田谷区の砧に築山邸(国登録有形文化財)が現在も残っている。そしてこの家も、無くなった二つの洋館とかなり似ているのだった。

三井造船駒場寮
所在地:目黒区駒場4-1
建設年:昭和初期
構造・階数:木1
設計 :山田醇
備考 :解体・消失
Photo 1990.1.14
築山邸(国登録有形文化財)
所在地:世田谷区砧8−18
建設年:昭和初期
構造・階数:木1
設計 :山田醇
Photo 2016.12.20
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