都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2022年9月 記事一覧

2022-09-30 | 記事一覧 

09/03 鈴木食品工業
09/06 愛隣保育園・東京愛隣教会
09/09 玉川電機商会
09/12 旧カフェー「東洋」
09/15 隅田湯
09/18 東京割工業株式会社
09/21 旧カフェー「太陽」
09/24 旧カフェー「サンエス(SSS)」
09/27 旧カフェー「松竹」
09/30 高橋靴店

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高橋靴店

2022-09-30 | 千代田区 
高橋靴店(高橋邸)
所在地:千代田区神田神保町2-11
構造・階数:木・2
解体年:1997(平成9)
Photo 1995.7.22

 1995年に研究室で東京の都市調査をした際に撮影した銅板張り看板建築。神保町のすずらん通りか、その西側のさくら通りで撮った記憶があったのだが、詳細な場所を忘れてしまっていた。

 撮影地と建物特定の手掛かりになったのは、右端の新しいビルと、後方のビルだった。特に後者は、窓の中央に外壁のプレキャストパネルの境目が来るタイプで、こういう外壁のビルはそれほど多くない。結局これは靖国通り沿いに建つ北沢書店の南側壁面が、さくら通りから見えていたことが分かった。

 「靴橋」と書かれていたので、当初はそういう店なのかと思っていたが、実は「高橋靴店」だった。戦前の建物で右から店名が書かれており、最初の「高」と最後の「店」の文字が脱落していたのだった。

 看板建築としては、それほど手の込んだ建物ではなかった。1階は大きなガラス張りの2枚引き戸の出入口でちょっとモダン、2階軒先には店名の金文字が付くが、2階の戸袋には特にデザインはなく、普通の看板建築商店。間口も狭く、小規模な建物だった。

 現在は写真左手の表具店と更にその左側も含めて、マンションに建て替えられている。

 二十年ほど前まではこの程度の銅板張り看板建築は、東京では結構たくさんあって、比較的ありふれたものだった。だが、やはりこのような建物は確実に減っている。神田と神保町界隈には戦災を受けずに焼け残った建物が多く、昔の建物を見て歩く楽しみがあったが、最近はタイル張りのマンションやオフィスが大半になって、街並みとしては次第に退屈になってきた。普通の看板建築だったとしても、残されていれば街の中でワンポイントになって、街並みに彩りを与えるのではないかと思うのだが、住み手じたいが高齢化して、いなくなっていく状況では、このような建物の存続は難しいと言わざるを得ない。

2008.9.5に投稿した記事を再編集しました。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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コメント (2)
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旧カフェー「松竹」

2022-09-27 | 江東区  
茂木アパート
旧カフェー「松竹」/茂木アパート
所在地:江東区 東陽1-37-6
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1995.7.15

 この建物もかつてはカフェー(特殊喫茶店)だったもの。1953年発行の火災保険特殊地図では「松竹」という屋号が記されている。

茂木アパート
 Photo 2002.11.6

 かつては通り側に入口が3ヶ所あったようで、洋瓦の載った庇と、豆タイルが張られた円柱のある出口跡が残る。

茂木アパート
 Photo 2002.11.6

 売春防止法の施行の後はアパートになり、入口は中央の1ヶ所になっていた。この建物もアパートとして2000年代まで存続していたが、2003〜05年頃に解体され、跡地はマンションになっている。

茂木アパート/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 江東区  #遊興施設  #集合住宅 
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旧カフェー「サンエス(SSS)」

2022-09-24 | 江東区  
サンエス
旧サンエス(SSS)
所在地:江東区 東陽1-28
構造・階数:木・2
建設年:昭和20年代
解体年:2012(平成24)
Photo 1995.7.15

 東陽町はかつては洲崎弁天町という埋立地で、1888(明治21)年に根津から移転して来た遊廓があった場所。そして戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線街になっていた。この建物は「サンエス」というカフェー建築で、東陽1丁目の中心を南北に通る大通りに面して建っていたもの。サンエスは「SSS」のことらしいが、その意味は知らない。

 戦前は橋本楼という遊廓だったと書かれたりもしているが、一帯は東京大空襲でほぼ全て被災しているので、この建物じたいが橋本楼だったわけではなさそうだ。被災前にこの場所にあったのが橋本楼で、同じ業者が運営していたのかもしれない。

 赤線の廃止後は数軒の店が入居していた。90年代の住宅地図には角から八百周、花秀園、信濃屋支店、山口精肉店の名が記されており、八百屋、鮮魚店、精肉店などがあるマーケットのようなものだった。
 カフェー建築としては間口が大きな建物のように思うが、交差点の反対側、離れたところから見ると屋根が3つあるので、実際は3棟が連続した建物だったようだ。

サンエス
 Photo 1995.7.15

 角を曲がった東側部分には柱が青く塗られたベランダがあり、アーチ型の壁が付いているのが目立っていた。日射しを遮るためのシートが下まで掛けられていたので中の様子はあまり見えなかったが、普通のお店屋さんになっていたので、1階はかなり改変されていたはず。

サンエス
 Photo 2009.8.1

 コーナー部の2階には壁面に半球状の灯りが付けられていた。昔の遊興系建物は軒先に灯りを並べて吊ったりしていることが多いが、ここでも壁面に灯りを並べて、通り掛かる客を呼び込んでいたのだろう。

 洲崎パラダイスについて記された本などでしばしば掲載された建物だったが、10年ほど前に解体され、現在は9階建ての共同住宅になっている。

参考文献:
『赤線跡を歩く』木村聡、自由国民社、1998
『花街・色街・艶な街 − 色街編』上村敏彦、街と暮らし社、2008

弁天マーケット/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
今も残る赤線時代の建物「洲崎パラダイス」 : ~東京レトロ散歩~

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#失われた建物 江東区  #遊興施設  #マーケット  ブログ内タグ一覧
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旧カフェー「太陽」

2022-09-21 | 江東区  
旧カフェー「太陽」/スナックらん、かにや
所在地:江東区 東陽1-26-7・8
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2005〜06(平成17〜18)
Photo 1995.7.15

 洲崎橋南交差点から東へ入った先の南側にあった建物。かつてはいわゆるカフェーだったものらしい。1953年発行の火災保険特殊地図では◎にキと記されている「特殊喫茶店(カフェー)」となっており、屋号は「太陽」だった。両サイドの店舗の他に中央にも入口があり、入口が計3ヶ所だったことや、2階の窓が小さくまた上部にメダイヨン的な装飾が付いていたあたりに、カフェー建築の名残を見て取ることができる。

 撮影時はちょっと装飾的な木造モルタルの洋風看板建築といった感じで、左側(東側)が「スナックらん」、右側(西側)は「かにや(小料理屋?)」だった。この後、建物と店は2000年代まで存続していたが、現在はマンションになっている。

雲形装飾のある家、スナックらん/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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東京割工業

2022-09-18 | 墨田区  
東京割工業株式会社
所在地:墨田区 向島3-5
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 1995.6.11

 革に型押しをする工場だったそうだ。「割工業」という名に馴染みがなく、それが大書してあるのが印象的だった。1階は切妻屋根前面に半円形の壁を立ち上げた看板建築的なファサード。後方はモルタル塗り外壁の入母屋屋根2階建て。入口の引き戸や2階の窓には木製の窓枠が残っていた。

 創業100年にもなる会社で、最近まで活動していたそうだが、2021年に営業終了して解体されたという。台東区、墨田区界隈には革製品関連の会社や工場が多いが、それも次第に変わって行くのかもしれない。

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#失われた建物 墨田区  #工場  ブログ内タグ一覧
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隅田湯

2022-09-15 | 墨田区  
隅田湯
所在地:墨田区 墨田3-23-16
構造・階数:木・1
建設年:1953(昭和28)
解体年:2022(令和4)
備考 :銭湯としては2016(平成28)年末に廃業
Photo 1994.4.17

 旧玉の井の赤線エリアの北側にあった銭湯。界隈の市街化が進んだのは震災後、また、一帯は第二次世界大戦時の空襲でも被災しているので、建物は恐らく戦後のものだろう。戦前の国土地理院の1/1万地図を見ると、銭湯の建物に引っ掛かるような位置に、現在はない道が東西に通っている。従って仮に戦前に創業していたとしても、この場所で営業し始めたのは戦後だったのではないかと思われる。


 Photo 2017.3.20

 建物は入母屋造りトタン葺き平入りで、入口部分にアーチ型の壁を立て、波打つような庇の下に男女別に入口が並ぶ。後方の浴室部分は切妻屋根。2枚目の写真は廃業後のものなので、自販機も既に撤去されている。
 1990年代に訪れた時には、アーチ型の壁に屋号が大書されていたが、2000年代になってから見たら、2つの入口上のシャッター袋に目立たない感じで書かれていた。アーチ型の壁部分の文字がなくなると、ちょっともの足りない感じ。
 左が女湯、右が男湯。シャッターの色も赤と緑(青?)に違えてあった。


 Photo 2007.5.27

 銭湯建築に詳しいわけではないが、外側の入口を男女別々にしていたのはあまり見掛けない仕様だった気がする。普通は入口は一つで、内側で左右に分かれていることが多い。唐破風とも異なるカーブした小さな庇がそれぞれの入口に付いていたのも特徴的。場所柄を意識したデザインということだったのだろうか。


 Photo 2019.2.16

 廃業後も建物はしばらく残されていて、今年になってから解体されたのだそうだ。


2022.12.20追記
 1953(昭和28)年11月発行の火災保険特殊地図に隅田湯として記載されているので、やはり恐らく戦後まもなくに建てられたものだったようだ。


2024.2.13追記
 コメント欄に書き込んで頂いたように、戦前の隅田湯は戦災で焼失したそうだ。戦後の隅田湯は1953(昭和28)年に別の人が経営者となって開業したものだったという。

【銭湯】墨田区 隅田湯(廃業) | なるとの銭湯ブログ
さよなら隅田湯ー12月31日で閉店しました( ̄^ ̄)ゞ(`_´)ゞ!―サヨナラ3連ちゃんリベンジ②!: 銭湯遍路ー銭湯大好き!-お湯巡り日記

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旧カフェー「東洋」

2022-09-12 | 墨田区  
旧カフェー「東洋」/旅館福井/田中アパート
所在地:墨田区 墨田3-2
構造・階数:木・2
建設時期:戦後
解体年:2011〜13(平成23〜25)
備考 :旧玉ノ井のカフェー建築
Photo 2007.5.27

 旧玉ノ井、バルコニーのあるカフェー建築。
 玉の井の銘酒屋街(私娼窟)は主に震災後に浅草のそれが移転してできたものという。1945.3.10の東京大空襲で焼失した後、少し北側に移り、戦後は赤線として1958(昭和33)年の売春防止法の施行まで存続した。界隈はもともと水田地帯で畦道をベースにした道路網が迷路のように広がり、迷宮(ラビリンス)とも呼ばれる街。この建物も赤線時代は本通りと呼ばれた狭い道と小路の角にあった。


 Photo 2007.10.21

 角の側の2階の壁が立ち上がっており、アシンメトリーだったのが印象的。バルコニーも斜めに造られていた。客がやってくる方向を意識したデザインだったのだろう。コーナー部にはかつては屋号の文字があったりしたのかもしれない。


 Photo 2007.5.27

 売春防止法の施行後は売却されて旅館となり、1970年代の一時期は会社の事務所、最終的にはアパートになっていた。雑誌などでもしばしば採り上げられていたが、10年ほど前に解体されたらしい。売春防止法の施行から60年以上が経ち、かつての玉の井の面影を残す建物も次第に少なくなっていく。

カフェー東洋/墨田3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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玉川電機商会

2022-09-09 | 台東区  


 玉川電機商会 Photo 1998.5.16

所在地:台東区 東上野3-37-7
構造・階数:木・2(屋根裏3F)
解体年:1998〜2000
所在地:台東区 東上野3-37-6
構造・階数:木・3?
解体年:2006〜07

 トタン張り、ギャンブレル屋根の屋根裏3階建て事務所。トタンが錆びてしまってめくれたりしてボロボロだったが、そのため逆に存在感のある姿になっていた。

 右側の3階建て?も同社の建物だったようだ。瓦屋根なので恐らく木造で、木製の引き戸や窓枠などからすると、こちらもそれなりに古い建物だったはず。左端に見えているのは、軽食喫茶おかもとの建物。

 古い住宅地図を見たところ、写真中央の建物は2001年版で既になく、右側の建物に玉川電機商会は移転している。2006年版ではその右側も仕舞屋となり、更に2008年2月のGoogle ストリートビューでは、それも無くなっている。


2022.12.21追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では、中央が玉川電気商会(電機でなはく電気と表記)、右側(南隣)は北村電池KKと記されている。

玉川電気、宝運道具製作所/東上野3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 台東区  #商業系  #看板建築 
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愛隣保育園・東京愛隣教会

2022-09-06 | 台東区  
愛隣保育園・東京愛隣教会
所在地:台東区 根岸5-15-1
構造・階数:RC・3(4F増築?)
建設年:1924(大正13)?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2010.12.4

 『日本近代建築総覧』では3階と記されているが、訪れてみたら4階建てだった。デザイン的には1〜3階と4階がほぼ同じだが、窓のサッシ割などが少し違う様子なので、4階は後年の増築だったのかもしれない。

 関東大震災後に建てられた建物らしいが、装飾がほぼないモダンな建物で、当時としては清新かつ斬新に見えただろうなと思う。大きく明るい窓はいま見ても清々しい。避難階段の増設などは仕方ないが、敷地外の電柱や電線がなければもっときれいに見えただろうにと思われる。

東京愛隣教会/根岸5丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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