都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

いろは通り

2023-03-21 | 青森県  
いろは通り
所在地:青森市 古川1-13-12
構造・階数:木・2
解体年代:2018〜22(平成30〜令和4)
Photo 1998.8.24

 こちらは少し前まで建物が残っていてGoogleストリートビューでも確認できたもの。店先の通りに商品を山積みしたりしていて、撮影時は賑やかな市場といった雰囲気だった。

 現在、Googleストリートビューで見られるのは2014年以降の画像だが、この頃になると閉じてしまっている店も増えていて賑やかさはあまりない。それでも2018年までは建物が残っていた。だが、2022年の画像では写真中央の三浦商店(青い建物)の左側の阿保商店(茶色の建物)までが解体されて、駐車場になっている。

 私が訪れたのは午後〜夕方の時間帯で、ストリートビューの撮影時間帯とは異なっているかもしれないので一概には言えないが、ストリートビューの画像では人通りも少なく、閑散とした印象。

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青森公益魚菜市場?

2023-03-18 | 青森県  
青森公益魚菜市場?
所在地:青森市 古川1-12-4
解体年代:1998〜2014(平成10〜26)
Photo 1998.8.24

 建物の外観や看板を撮らずに入口と内部だけを撮ったため、正確な場所や施設名がはっきりしない。
 Google ストリートビューで駅周辺のある程度大きな市場の建物を探してみたところ、似ているものはあったが同じものは現存しないようだった。そこで現存しない市場系の建物を90年代の住宅地図で探したところ、青森公益魚菜市場が候補として残った次第。ただ、改装されて現存している可能性もあるので、結局のところ確証はない。

 よく見ると1枚目の写真と2枚目では売場のしつらえが少し異なっている。もしかするとこの2枚の写真も別々の建物だったのかもしれない。四半世紀経っているので当時の記憶はやはり曖昧になってしまっている。


2023.3.19追記
 Facebookサイトにリンクしてこの記事を公開したところ、2枚目の方は「青食センター」ではないか、という御指摘があった。青食センターの内部の様子をネットで発見できていなかったため、2枚目も青森公益魚菜市場としていたが、御教示頂いた下記サイトの写真を見ると、2枚目は青食センターのようだ。
 通称、青食センター(協同組合青森生鮮食品センター)は青森公益魚菜市場の南隣で、Googleストリートビューで見ると建物は2022年9月時点で残っている。ただ、2018年5月のストリートビュー写真ではまだ市場として営業していたが、4年後の2022年では1階がコインパーキングになっており、上の階も空き家になっているようだ。

懐かしい風景を求めて 2014.7 鉄旅北東北 第22回 青森レトロ市場めぐり

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中野センター・中野光座

2023-01-09 | 中野区  
中野センター・中野光座
所在地:中野区 中央4-61
構造・階数:RC・2F(一部3F?)
建設年:1960(昭和35)頃
解体年:2010(平成22).6
備考 :中野光座(映画館)は1994年頃に閉館
Photo 1997.3.30

 中野センター・中野光座は、戦後このあたりにできていた小規模店舗群(マーケット)をひとつの建物にまとめて、更に映画館を併設したもの。中野五差路交差点に面していて赤いトタンで覆われた外観が印象的だった。

 下記リンク先の「消えた映画館の記憶」によれば、1958年の映画館名簿には掲載がなく、1960年のそれには「中野光座」として掲載されているという。1961年発行の「東京都全住宅案内図帳」では「中野センター食品街」とだけ記されているが、このとき既に中野光座も存在していたようだ。その後、1968年発行の「東京都全住宅案内地図帳」には、「中野光座・中野センター食品街」と記されている。


 北西側・大久保通り側 Photo 2006.6.4

 中野光座の入口は北側の角にあった。外壁には「中野光座」のネオンサインが残されていたが、「中野光座」「中野ひかり座」「中野ヒカリ座」と、映画館名簿や住宅地図では表記が一定ではなかったようだ。160席だったそうなので映画館としては小規模。途中からはピンク映画の上映館になっていたという。映画館としては1990年代中頃に閉館したそうだ。私が上京してからもしばらくはやっていたわけだが、残念ながら入ってはいない。またその後も小劇場として2000年代中頃までは利用されていたようだ。写真の時点でも演劇開催の告知が掲出されている。
 航空写真で見たところでは、映画館は2階北側に前室(ホワイエなど)があり、中野通り側(1枚目の右半分側)に劇場スペースがあったのではないかと思われる(あくまで外観などからの想像ですが)。


 東南側 Photo 2006.6.4

 東南側は一方通行の小路に面して飲食店などが店を開いていた。上階の全てを映画館が占めていたわけではなかったようで、写真中央の居酒屋などには2階席もあったように見える。


 隣接したビルとの間に設けられた通路  Photo 1997.3.30

 写真左側は北東側の石森ビル。構造的には別々のビルだったが、こちらのビルの店舗も合わせて中野センターと呼んでいたようだ。


 西側入口付近から  Photo 1997.3.30

 1階には通り抜け可能な変形した丁字型の通路があり、中野五差路交差点に面した角と、東南側の小路側から入れるようになっていた。建物全体は長方形の1つの角を斜めに切ったような平面型をしており、基本的にその長方形の四辺に平行してグリッド状に柱梁が造られていた。交差点に面した角はその斜めに切った部分なので、そこから入ると天井の梁が通路を斜めに横切っていた。そして少し奥へ進むと通路はくの字型に折れていた。この頃はまだ営業している店舗がいくつかあったので、通路にも物が置かれたりしていた。
 店舗は2階建てだったが、通路上部にガッチリした梁が入っていることから考えると、この上に映画館の客席や設備が載っていて部分的には3階建てだったのではないかと思われる。


 丁字型交差部からくの字に曲がった通路  Photo 2006.6.4

 2000年代、解体の数年前の段階になると、営業している店もわずかになりひっそりとしていた。


 丁字型交差部。右へ進むと南側に出られる。  Photo 2006.6.4

 くの字型の部分は上部に劇場があったためかRCの梁とスラブがあったが、丁字型交差部付近から東と南にはスラブがなく、梁だけになっていて、角材と塩ビ版で造られた屋根が載せられたアーケードになっていた。


 丁字型の交差部  Photo 2006.6.4

 2階には店主などが住んでいたのだろう。蛍光灯の灯りが点いている部屋もところどころあった。


 南側の入口付近から  Photo 2006.6.4

 90年代に訪れた時には、通路のところどころに蛍光灯が付けられていたが、2000年代に訪れたらそれはなくなっていて、裸電球がぶら下がった状態になっていた。


 Photo 2006.6.4

 隣接する石森ビルは2009年末に解体。中野光座・中野センターも翌2010年に解体された。

 なお、その後に新築されたビルは、北側を通る大久保通りの拡幅と中野五差路交差点の改良もあり、以前よりかなり下がった位置に建てられている。

中野区の映画館 - 消えた映画館の記憶
ついに終焉。中野の闇市ゾーン [中野光座] : 日本ボロ宿紀行
中野光座 02 ← 中野光座の内部写真あり

Tokyo Lost Architecture  
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旧カフェー「サンエス(SSS)」

2022-09-24 | 江東区  
サンエス
旧サンエス(SSS)
所在地:江東区 東陽1-28
構造・階数:木・2
建設年:昭和20年代
解体年:2012(平成24)
Photo 1995.7.15

 東陽町はかつては洲崎弁天町という埋立地で、1888(明治21)年に根津から移転して来た遊廓があった場所。そして戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線街になっていた。この建物は「サンエス」というカフェー建築で、東陽1丁目の中心を南北に通る大通りに面して建っていたもの。サンエスは「SSS」のことらしいが、その意味は知らない。

 戦前は橋本楼という遊廓だったと書かれたりもしているが、一帯は東京大空襲でほぼ全て被災しているので、この建物じたいが橋本楼だったわけではなさそうだ。被災前にこの場所にあったのが橋本楼で、同じ業者が運営していたのかもしれない。

 赤線の廃止後は数軒の店が入居していた。90年代の住宅地図には角から八百周、花秀園、信濃屋支店、山口精肉店の名が記されており、八百屋、鮮魚店、精肉店などがあるマーケットのようなものだった。
 カフェー建築としては間口が大きな建物のように思うが、交差点の反対側、離れたところから見ると屋根が3つあるので、実際は3棟が連続した建物だったようだ。

サンエス
 Photo 1995.7.15

 角を曲がった東側部分には柱が青く塗られたベランダがあり、アーチ型の壁が付いているのが目立っていた。日射しを遮るためのシートが下まで掛けられていたので中の様子はあまり見えなかったが、普通のお店屋さんになっていたので、1階はかなり改変されていたはず。

サンエス
 Photo 2009.8.1

 コーナー部の2階には壁面に半球状の灯りが付けられていた。昔の遊興系建物は軒先に灯りを並べて吊ったりしていることが多いが、ここでも壁面に灯りを並べて、通り掛かる客を呼び込んでいたのだろう。

 洲崎パラダイスについて記された本などでしばしば掲載された建物だったが、10年ほど前に解体され、現在は9階建ての共同住宅になっている。

参考文献:
『赤線跡を歩く』木村聡、自由国民社、1998
『花街・色街・艶な街 − 色街編』上村敏彦、街と暮らし社、2008

弁天マーケット/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
今も残る赤線時代の建物「洲崎パラダイス」 : ~東京レトロ散歩~

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広尾食品デパート

2008-09-19 | 渋谷区  
広尾食品デパート
所在地:渋谷区広尾5-17
構造・階数:木2
Photo 1995.5.27

 広尾の商店街を西へ向かい、突き当たりの一つ手前の道を左折して南下すると、右側にあった食料品店。店内は西側へ通り抜け可能になっていて、八百屋さんや、肉屋さん、魚屋さんが建物内にあった。

 1階は間口一杯に開口していて柱だけだが、2階は縦長の窓が開けられ、頂部は三角形で洋風。両側にダクトが煙突状に突き出しているのが面白い。

 95年当時は結構賑わっていたのだが、いつのまにかビルに建て替わっていた。周辺住民が減ったり、店主が高齢化したりといった理由なのだろうか。この手の個人経営の店が集合して入居するマーケット型の店舗も都心では急速に減っている。

Photo 1995.5.27

 結構間口が広い洋風看板建築といった趣。拙ブログでも、中野区の上高田マーケットや、南長崎の山政マーケットなどを載せたことがあるが、建物として不思議な味わいを持つのが印象的。個人商店とは異なり、それこそ市場的であり、賑わいがあって、ちょっと陽気で楽しげである。間口が広く、内部に自由通路が入り、場合によっては通り抜けさえできたりして、建物の内外の境界が曖昧なのが、よそ者をも大らかに受け容れるような感じで、心地よく興味深い。

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上高田マーケット

2007-03-01 | 中野区  

 自宅から近いのに、あまり知らない場所が意外にあったりする。

上高田マーケット
所在地:中野区上高田3-5
構造・階数:木造・2F
建設年代:1958〜60(昭和33〜35)
解体年代:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2006.11.25

 上高田マーケットも自宅から10分以内の場所にあるのに、今まで全然知らなかった。

 1階はいくつかのお店が入居している昔ながら市場系スペース。写真の左手、建物後方には、木造平屋でプレハブっぽいマーケット建物が伸びている。

 でもゲート状になっている建物の形がちょっと奇妙で、マーケット建物風の感じがなぜかあまりしない。2階部分中央に半円形に突き出した部分が唐突にあり、そこには「上高田マーケット」の文字の剥落跡がある。また窓の前面には細くてあまり冴えない木製の桟が付けられている。1階前面部分が開放的で車庫のようなつくりで、かつ装飾が全く無いので、ちょっとだけモダン気味にした2階とのバランスが変で、不思議なことになっている。

 1階側面の柱は細かいタイル貼り。単なるマーケット建物にしては、少々モダン過ぎて却って怪しい。しかも上述の2階部分の造作がやや大袈裟。戦前のいわゆるカフェーやダンスホールなどの造作にもほんのちょっと似ている。ひょっとして本物?かとも思うが、立地的に見ると、やはりそんなことは無さそう。剥落した文字などからすると、当初からマーケットだったのだろうが、それにしても、少々不思議なスタイルの建物だ。

 とりあえずマーケット自体はちゃんと営業しているので良いのだが、上高田の商店街自体は、昔からの道沿いにできた古くからある商店街で、ここもある意味、取り残され系。店員も客層も全体に高齢者中心のようなので、このマーケットの存続もやや危ぶまれてしまう。


2016.8.30 追記
 2015年秋に通り掛かったところ、既になくなっていた。Google S.V.で確認したところ、2013年夏までは建物が存続していたようだが、その後、2014.7までの間に解体されたようだ。その後、2015年時点ではコインパーキング。

2023.1.8追記
 1958(昭和33)年発行の「東京都全住宅案内図帳」では当該地は空白で、この頃にはマーケットはまだ建てられていなかったようだ。しかし、1961(昭和36)年発行の「東京都全住宅案内図帳」では「上高田食品ストアー」とあり、1960年頃に建てられたようだ。また1970年代の住宅地図では「上高田食品センター」と記されている。最終盤は魚屋さんのみになっていたようで、2006年版の住宅地図では「魚 丸権」と記されている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中野区  #看板建築  #モルタル看板建築  #マーケット 
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南長崎の看板建築

2006-03-05 | 豊島区  
魚沼屋豆腐店
所在地:豊島区南長崎3-2
Photo 2006.2.19
魚沼屋豆腐店 2F戸袋部分
Photo 2006.2.19

 昨日も掲載したが、ここには昭和初期建設とおぼしき看板建築が比較的多く残っている。

 このお店は1階部分は新しくなっているが、2階はほぼ昔のままで、色あせた青いトタンの雨戸が付いている。洗い出し仕上げの壁面や戸袋などは結構きれいな状態で、江戸風の模様などはおしゃれな感じ。

 ちなみに「洗い出し仕上げ」は、細かい石とセメント、石灰を混ぜて練ったものを壁面に塗り、半乾きの状態で、文字通り水洗いすることで、練り材が洗い落とされ、残った砕石によってざらざらした仕上げになるという凝った技法。混ぜる石の色や形、粒の大きさによっていろんな風合いになるという。上記の壁面が二色なのもそのためらしい。

社団法人 日本左官業組合連合会 左官工法の技術紹介

 しかしこの技法紹介のページは勉強になるなぁ。実にさまざまな左官工法があるのには驚かされる。洗い出し仕上げなどは手間がかかるので、最近はあまり使われないらしい。しかし、良い状態で残されているのを見ると、改めて昔の建物のつくりの良さに感心させられると共に、昔からの技法を使った建物がもっとあっても良いのにと思う。今、こういう技法を使って建てる人は誰かいないのかなぁ、あ、そういえば石山修武先生が、左官工法を多用して、現代建築である伊豆の長八美術館を作ってたっけ。

味楽百貨店
所在地:豊島区南長崎3-4
Photo 2006.2.19

 既に閉店していると思われる店舗。この位のお店が百貨店を名乗っていたのは、昭和30年代ぐらいまでだろうか。確かに「百貨」を扱っていたのだろう。この地域の中では中心的なお店だったのかしら?

 →内部にいくつかお店(食材など)があり、まだ一部は営業しているらしい。(2006.03.10追記)
  (漂泊のブロガー2:いのうえ様から情報を頂きました。)

篠原テーラー
所在地:豊島区南長崎3-15
Photo 2006.2.19

 いつごろ取り付けられたか不明な看板。こんなに古めかしいUCカードの看板は初めて見た。しかし味楽百貨店といい、この看板といい、なんだか時間が停止して凍結保存されたみたいな感じ。

 取り残され系商店街は、商業的には不運としか言いようがないのだが、レトロな建物を見て郷愁を覚えるには、実はもってこいの場所。この系統の建物が好きな私などから言わせれば、建物がそのまま残るなんて本当に幸運な巡り合わせだということになる。でも、あまり嬉しそうに見て回ると、地域の方は不快に思うかもしれないので、一人静かにそっと訪ね歩くことにしている。

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取り残され系商店街

2006-03-04 | 豊島区  

 目白文化村から北へ行き、目白通りを越え、南長崎の商店街に入る。

南長崎ニコニコ商店街
所在地:豊島区南長崎3-16
Photo 2006.2.19

 目白通りからそれ、江古田駅方面へ至る、昔からの道沿いにこの商店街はある。鉄道や地下鉄の駅から少し離れているため、戦後の発展からはどちらかというと取り残された感があり、正直なところかなり寂れてしまっている。

 日曜の午後、開いているお店はほとんどなかった。自転車はたまに通りかかるが、歩いている人は非常に少ない。一方通行の道は抜け道になっていて、時折、車がスピードを出して走り抜けていく。

電話専門 鈴や本店
所在地:豊島区南長崎3-11
Photo 2006.2.19

 閉まっていたので、どういう店なのか不明。よくあるような携帯電話屋さんではなさそう。二階の軒先が小さなタイル張りなのが目を引く。

木造アパート
所在地:豊島区南長崎2-3
Photo 2006.2.19

 横丁を曲がると廃墟化しつつある木造アパートが建っている。1階の豆腐屋さんはやっているのだろうか。しかし開いている店がほとんどないのはどういうことなんだろう?

山政マーケット
豊島区南長崎3-14
Photo 2006.2.19

 日曜のためかマーケットもお休みだった。ただのお休みだっただけらしいのだが、周辺があまりにも静かなので、廃業したのかと思ってしまう。

 この商店街、もともとは地域の中心になって賑わっていたのだろうが、鉄道駅の方へ人の流れが変わってしまい、人があまり来なくなったのかもしれない。また大型のスーパーマーケットが周辺にできたりして、お客さんが奪われたのかもしれない。駅前の商店街は通勤通学の人々を相手に商売ができるが、駅から離れたところの商店街にはお客を呼んでくるだけの力はない。自動車でもお客さんは来てくれず、閉店する店が増える。商店街は、結局は建て替えによって、次第に普通の住宅地になっていくのかもしれない。

 地域社会の構造が数十年の間に大きく変化する中、元気であり続ける商店街が下町などにある一方で、ただ取り残されたように残存し次第に衰退していく、取り残され系商店街も少なからず存在する。

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1992-01-10 | 記事一覧 
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Tokyo Lost Architecture
静岡の建築・土木構築物
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