都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2022年5月 記事一覧

2022-05-31 | 記事一覧 

05/14 旧 六本木プリンスホテル
05/17 江崎邸
05/20 日本ワックスマン財団
05/23 国立霞ヶ丘陸上競技場

タグ一覧   Tokyo Lost Architecture

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国立霞ヶ丘陸上競技場

2022-05-23 | 新宿区  
国立霞ヶ丘陸上競技場
所在地:新宿区 霞ヶ丘町10
構造・階数:RC・4F
建設年:1958(昭和33)
解体年:2015(平成27)
備考 :1964(昭和39)の東京オリンピックに合わせて増築。
    2014年5月31日閉場
Photo 1993.11.21

 いわゆる国立競技場、2021年にオリンピック・パラリンピックが行われた競技場の前の代の競技場で、1964年のオリンピックや、サッカーの試合などで多くの人に親しまれた建物。

 江戸時代末期、現在の国立競技場の場所は、幕府の煙硝蔵や寺(寂光寺・立法寺)、御賄方大縄地などだった。明治になり、1886(明治19)年に青山練兵場が造られた後はその一部となった。そして明治天皇が崩御した後、神宮外苑が計画されて練兵場は代々木に移転し、神宮外苑の諸々の施設群が建設された。

 外苑のこの場所に最初に競技場ができたのは、1924(大正13)年のこと。明治神宮外苑競技場と呼ばれたその施設では、1943(昭和18)年10月には学徒出陣壮行会も行われた。
 戦後の一時期(1945〜52)はGHQに接収されて、ナイル・キニック・スタジアムという名で使われたが、接収解除後は再び一般開放された。ここまでで述べた競技場は初代のもので、2014年に解体されたのはいわば二代目。

 写真のその二代目競技場は、アジア競技大会と国体で使うために建設が始まり、1958(昭和33)年に竣工したもの。その後、1964(昭和39)年の東京オリンピックのために主にバックスタンド側が大増築された。この他にも多少の改修はあったようだが、これが2014年まで使われた競技場だった。
 2000年代になり、国際的なサッカー試合や陸上競技会を開催するための条件を満たさなくなってきたため、建替られることとなり、2014(平成26)5月末で閉場、2015年1月から解体が行われた。

 上写真は増築されたバックスタンド側を東南側から見た様子。スタンド上部の左端にはオリンピックの聖火台が見えている。


 同じくバックスタンド側を東側から西南向きに見たもの
 Photo 2006.2.19


 東京都体育館方面からメインスタンドへ至るブリッジ上からスタンド北側
 Photo 2006.2.19


 東京都体育館の側から全景。手前の道は外苑西通り
 Photo 2006.5.1


 メインスタンド正面入口
 Photo 2006.5.1


 正面入口 Photo 2006.5.1

 入口上部には日の丸、五輪と共に優勝者の名が刻まれていた。「The Games of The XVIII Olympiad Winners」「第18回オリンピック競技大会優勝者」の文字が読める。

 アテネの第1回オリンピックスタジアムを訪れた時、大理石に記録が刻まれていたのが印象的だった。旧国立競技場のこのレリーフなどはどこかに保存されているのだろうか?

 残念ながら内部の写真は撮りそびれた。何度か入ったことはあるのだが、そのたびカメラを持っていなかったりして撮っていない。最後の頃の見学会も行きそびれてしまった。

 新しい競技場は、旧競技場の照明塔よりは屋根の高さが低いが、全体のヴォリュームは以前よりもずっと大きい。競技場を今後どのように使っていくのか、また、外苑全体の更新をどうしていくのかも気になるところだ。

国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 - Wikipedia
国立競技場の歴史詳細 | 国立競技場 | JAPAN SPORT COUNCIL
ヒストリー~大成建設と国立競技場~| 大成建設株式会社
国立競技場 - 環境デザインマニアック - 多摩美術大学環境デザイン学科
旧・国立競技場アーカイブ

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 新宿区  #野外劇場・スタジアム  #公共施設  #昭和戦後期 
#モダニズム  タグ一覧
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日本ワックスマン財団

2022-05-20 | 新宿区  
日本ワックスマン財団
所在地:新宿区 大京町30
構造・階数:CB・1
建設年:1958(昭和33)
解体年:2015.4〜16.2(平成27〜28)
Photo 2010.11.27

 慶応大学病院の施設群の間にこじんまりとあった平屋の建物。隣接する建物群の多くは戦前のもので様式的デザインだったが、この建物はモダニズムで南側全面がガラス窓。一方で東側は玄関以外は全て壁という作りだった。

 日本ワックスマン財団は1957(昭和32)年設立だが、同財団のサイトにはこの建物の情報は見当たらない。しかし、慶應義塾百年史に以下の記述と写真があった。

 『昭和33(1958)年10月には日本ワックスマン財団事務所が竣工し、翌年1月19日に同財団から義塾に寄贈された。予防歯科医学研究所跡に建てられたコンクリートブロック造平屋建18坪の建物で、これはストレプトマイシンの発見者ワックスマンの篤志によって、同薬品の製造特許料の一部を毎年わが国における医学研究および奨学助成資金として寄付されるにあたり、その運営機関として設けられたものである。』

 上記のようなわけで、この建物は最初から日本ワックスマン財団のために建てられ、慶応大学に寄贈された小さな建物だった。なお、現在、同財団は東側の大学病院内に事務所を置いている。

日本ワックスマン財団 Dr Selman A. Waksman
慶應義塾百年史: 下巻

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #研究所  #オフィス  #モダニズム 
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江崎邸

2022-05-17 | 新宿区  
江崎邸
所在地:新宿区 市谷加賀町2-5
構造・階数:木・2F
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2006.8.27

 かつて、市谷加賀町の御屋敷町の一角には長屋門のある御屋敷があった。

 『ガイドブック新宿区の文化財』(注)によれば、幕末の御殿医の住宅で、亡命した孫文が一時期住んでいたこともあったという。

 正確な建設年は知らず。ただ幕末期だったとしても150年以上経っていたのではないだろうか。 60〜100cmほどの高さの石垣が連なり、その上に建物が並んでいる様は、山手線の内側の都心ではほぼ唯一のものとなっていた。残したかったが取得費用が多大でできなかったという話も新宿区関係の方からは伺った。敷地も大きく立派な家だっただけに惜しい。

 注)『ガイドブック新宿区の文化財(7)建築』新宿区教育委員会 編集・発行、1983


 西北側から Photo 2010.7.11

 出窓のある下見板張りの家屋と長屋門が連なる様は武家屋敷のような感じで、周辺の建物とは全く異なる雰囲気を醸し出し異彩を放っていた。通り沿いに古い建物が連なっていたため、北側の道からは敷地奥の様子がわからず、この後ろ側にも古く立派な日本家屋があるのかとも思ったが、資料や航空写真によれば期待したような古い御屋敷は残っていなかったようだ。


 Photo 2006.8.27

 同書には「入口はガラス戸引違に改造されてはいるが、その内側に開戸が現存し、東隣りの潜りと共に旧態をよく保存している。」とある。この家の場合、かつては内側から引いて開ける戸を使っていたようだ。


 Photo 2006.8.27

 2階建て部分の1階は出窓で、堅格子と呼ばれる縦の桟が沢山入った窓になっていた。
 

孫文が潜伏した長屋門屋敷。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ

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#失われた建物 新宿区  #住宅系  #江戸時代  タグ一覧
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旧 六本木プリンスホテル

2022-05-14 | 港区   
六本木プリンスホテル/ホテルヴィラフォンテーヌ六本木アネックス
所在地:港区 六本木3-2-7
構造・階数:SRC・9
設計 :黒川紀章
建設年:1984(昭和59)
解体年:2012(平成24)
Photo 2007.2.11

 バブル期の直前ないしは、バブル期の初めに造られたシティホテル。
 ロの字型の平面で、中庭にプールがあったことで知られた。プールの水面が高く設定され、側面の一部がアクリルガラス製で、泳ぐ人が横から見えると評判だった。

 このホテルが人気だった当時、私自身は学生だったので、ここには全く縁がなく、結局、建物内にも入らずじまいに終わってしまった。 プリンスホテルとしての営業時にいちど訪れておけばよかったと時々思う。

 六本木プリンスホテルとしては2006年12月末に営業終了し、住友不動産に売却された。その後、ホテルヴィラフォンテーヌ六本木ANNEXとして期間限定で営業したが、これも2011年11月に閉館した。

 写真は、ホテルヴィラフォンテーヌ アネックスだった頃のもの。後方に見えている日本IBM本社と合わせて再開発され、住友不動産六本木グランドタワーが2016年秋に完成している。

 内部空間は面白い作りになっていたようだが、外観はモダニズムの箱型で、横連窓はオフィスビルのようにも見えた。窓ガラスと壁面が同一のいわゆるツライチ。最上階の上部の壁面が薄くシャープな印象ではあるが、外観上は正直言ってあまり特徴はない。時期的にはポストモダン建築が多く建てられるようになった頃だが、その外観は無駄のないデザインだった。まあ、タクシーや車で乗り付けるならば、 外観はどうでもいいともいえるが・・・。
 ポストモダン的な遊び心のあるデザインは、やはり中庭のプールまわりだったのだろう。今にして思えば、この建物を表すには、中庭空間とプールが写った写真を用いないとあまり意味がないのかもしれない。

六本木プリンスホテル - Wikipedia
六本木プリンスホテル
旧六本木プリンスホテルが解体へ | kinoiekoubou日誌

Tokyo Lost Architecture
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