都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

交通博物館 2

2012-07-15 | 千代田区 

 閉館直前に訪れてみると、なんだか懐かしいものやら興味深いものが展示されていて、もっと暇を見つけて見に来れば良かったと思うのだった。

オート三輪 マツダ・T2000
Photo 2006.1.15

 オート三輪は近頃はほとんど見かけないが、小さい頃は近所でも走っていた。

タンカーの模型  Photo 2006.1.15

 タンカーの模型などもこういう場所に来ないとなかなか見ない代物。

コンコルドの模型  Photo 2006.1.15

 写真の模型は昔のJALのカラーリングになっているが、この模型は1960年代に日本航空に3機の導入が予定されていたことから日航が製作して、寄贈したものだという。その後、結局コンコルドの導入はキャンセルされたが、模型は閉館までずっと展示されていたのだそうだ。そういえば小さい頃、コンコルドのプラモデルを作ったこともあったな~。

鉄道模型パノラマ運転場  Photo 2006.1.15
屋上から旧万世橋駅ホーム・中央線と、昌平橋、総武線方面
Photo 2006.1.15
屋上から旧万世橋駅ホームと、万世橋、秋葉原方面
Photo 2006.1.15
Wikipedia > 交通博物館
幻の国立産業技術史博物館鉄道博物館(1936年)
想い出となった交通博物館
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #自動車  #飛行機  #鉄道  #船 
#夕景・夜景  #ミュージアム  #公共施設 
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交通博物館 1

2012-07-13 | 千代田区 

 交通博物館ももうかなり前に閉館して解体されてしまった。来年初めには新しいビルが跡地に完成するという。なんだか時の経つのが早い。

交通博物館
所在地:千代田区神田須田町1-25
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:RC・3F(後年4Fを増築)
閉館 :2006(平成18).5.14
解体工事:2009夏~2010夏
Photo 2005.3.25

 跡地には地上20F・地下2Fの賃貸オフィスビル、神田万世橋ビル(仮称)が2012年12月上旬に完成予定。完成後はオフィスのほか、各種店舗、カルチャースクールやビジネススクールが入居する見込み。

吹き抜け空間の蒸気機関車とヘリコプター
Photo 2006.1.15

 吹き抜け空間に展示してあったのは、9850形蒸気機関車(左)や国鉄C57形蒸気機関車(右)、ベル47-1ヘリコプターなど(上)

一号機関車・国鉄150形蒸気機関車(重要文化財)
Photo 2006.1.15

 昔は屋外展示だったという国鉄150形蒸気機関車も、1F奥に展示されていた。

クハ167形車両のカットモデル(左)と、
211系電車(東海道線)の運転シミュレータ(右)
Photo 2006.1.15

 運転シミュレータは子供にも大人にも人気。

2Fから(2枚の写真を合成)
Photo 2006.1.15
Wikipedia > 交通博物館
JR東日本神田万世橋ビル(仮称)の建設について
幻の国立産業技術史博物館鉄道博物館(1936年)
想い出となった交通博物館
TOKI : LOG万世橋・交通博物館の記憶 -その1-
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #鉄道  #飛行機  #ミュージアム  #重要文化財  #公共施設 
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富士山静岡空港建設現場

2008-01-16 | 静岡県  

 正月に実家から牧之原方面へ行った。牧之原台地の谷間にある石雲院という古刹を訪れるのが目的だったのだが、途中で静岡空港建設地見学展望台の案内標識があったので、ついでにそこに行ってみることに。

静岡空港工事現場  Photo 2008.1.6

 静岡空港(愛称:富士山静岡空港)は、牧之原の台地上に起伏を慣らして造成されている。開港予定は平成21年3月。おやおや、来年3月にはできちゃうのか。県内ニュースなどを見ていると、国内だけでなく、韓国などへの直行便も就航予定であるなどと景気の良い話が載っていたりする。県内の大きな会社が空港運営会社へ出資して、官ではなく民が主に運営するんだそうだ。周辺にはヤマハ、スズキなど海外との行き来が多そうな会社の工場や研究所があり、オフィス街や大きな繁華街はないが、これらの工場関連で、一定の需要があることは予想される。北海道や沖縄へ乗り継ぎ無しで行けるのならそれも便利だ。また静岡からは富山、金沢など北陸方面が不便なので、その方面への需要はまあまああるだろう。でも、どうしても必要かと言われるとよく分からない。

 静岡市内から牧の原に行くくらいなら、羽田へ行っても1時間程度しか差はないだろうし、浜松市内からなら、中部国際空港という選択肢がある。静岡空港の便数が多いなら便利になるが、2,500m滑走路1本だし、需要から考えてもそれほど頻繁にあちこちに飛行機が飛んでくれるわけではなさそうだ。そうなると、新幹線代はかかってしまうが、やはり東京や名古屋へ行った方が便利だろうと思われる。

 そんなこんなで採算性をよく考えたのかどうか甚だ疑問な空港なわけだ。もちろん、黒字になるのならまだ良いが、赤字垂れ流しで、更に牧の原の緑を無くしてしまう環境破壊なんてことだと最悪。県は黒字予想をしてるのだろうが、行政の予想ほど楽観的でお気楽なものはない。素人でも?がつくような予想は予想ではなくて、期待であり、下手すると妄想だったりする。

 まあ、それはともかく、現場がどうなっているのかはちょっと気になる。空港建設が話題になってから20年。ぼんやりしている内にいつのまにか土地買収が進み、造成が始まり、建物の建設も始まったという。野次馬根性もあって急坂を上り、台地上の展望台へ行くと、プレハブ小屋がポツンとあった。お正月休みにこんなところに来るやつなんてあまり居ないんだろうなと思っていたのだが、駐車場には20~30台の車が止まっている。茶屋があるわけでもないのに、小屋の中は大盛況。みんな退屈してるんだなぁ。何か変わったことが無いかとやって来る。かくいう私もその一人なんだが・・・。駐車場の先には真っ平らな土地が広がり、工事用車輌が忙しく行き交う。遮るものが何もない台地上は風がやたら強く、土埃が盛大に舞っていた。外にいると土埃だらけになるので、早々に小屋の中に入る。

 プレハブ小屋の中には説明パネルが展示され、双眼鏡が用意されている。空港なんだから、真っ平らにしなければならないのは分かっているが、いつのまにかこんなに工事が進んでいたのだった。お茶山だった丘は削られ、小さな谷は埋められ、緩やかな丘陵地だった場所には真っ平らなスペースが広がる。うへ、やっぱり土木系の連中がやることのスケール感は相当違うな。

 造成工事は8割方済んでいるらしいが、まだ少し、山を削らねばならないらしく、大型ダンプが行き来している。離れた場所から見ているのと、現場に人影が少ないため、スケール感がさっぱり分からないのだが、展示パネルの説明によれば、ダンプは、90t積み(幅6m、高さ5m、長さ10m、重さ約65t)だという。俄には信じがたい大きさ。テレビでたまに馬鹿でかいダンプがレポートされていたりするが、まさにそれが何台も走り回っている。あっという間に大量のガソリンを消費してしまうらしいが、人件費その他の効率性を考えると、やはりこうなるらしい。だいたいこのダンプやブルドーザーは、公道を走って現場に来られるわけではない。分解して運搬して現場で組み立てるわけで、現代の土木工事というのは誠に凄いことになっているのだなぁと思う。

 進入灯などの設備の建設も始まり、アクセス道路の整備もかなり進んでいる。管制塔や空港本体の建物の建設も始まった。反対が叫ばれていたのは数年前だったか。でも確実に着実に建設は進んでいた。

 ここまで造っちゃっていると、もう後戻りはしにくい。だからひとまず完成させてみて欲しい。で、造ったからには赤字にせずに有効活用して頂きたい。地元建設業界が潤うなどと、造ることだけが目標になっていたりすると、出来た後が無惨なことになる。運用次第で財産にもなれば、お荷物にもなるので、ある意味、今後に期待である。で、どうしても赤字になってしまって、回復の見込みが全く立たないというのなら、速やかに閉港すれば良い。ぐずぐずと判断を先送りにすればするほど、赤字は増え、人々の負担が増える。今から素人に赤字の心配をされてしまうこと自体がちょっと情けないし、閉港なんて聞いたことが無いけど。閉港したら、またお茶畑にしたら良いんじゃないかな。平らにしたから風が吹きっさらしになっちゃったけど。

榛原郡吉田町方面
展望台より富士山を望む

 台地の上からは富士山や南アルプスを遠くに望むことができる。また島田、吉田方面の街も眼下に見ることができる。台地の上に造られつつある空港の工事現場は、今までの静岡にはない奇妙な風景を持つ場所だった。

Wikipedia・静岡空港
静岡県/富士山静岡空港
静岡の街並み
#街並み 静岡県  #眺望  #飛行機
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パリ到着

1993-03-04 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.4(Thu) Paris

 パリ時間の14:30にシャルルドゴール空港に着陸。早い、近い。入国審査も非常に簡単であっという間に終わる。

 15:00 空港内で4万円を両替する。1FF≒22円。

シャルルドゴール空港 Wikipedia

 無料バスでRoissy駅(ロワシー・アエロポールC.D.G2駅)まで行き、そこからRER B線(高速地下鉄)で北駅(Gare du Nord)へ向かう。

RER(高速地下鉄)

 しかし、施設がいちいち格好いいなぁ。なんなんだろうこれ。日本の都市デザインに較べて、なんだかみんなかっこいいぞ。どうしてそうなるのだ? 地震などがないから柱や梁が細くて華奢な感じだというのもあるが、それだけではなくて、なにか空間の構成力というか、施設のレイアウトからして合理的でかつ魅力的なような気がする。

 Metroに乗り換え、Republiqueで更に乗り換える。迷いつつもユースホステルへ辿り着く。

 17:30 予約なしだったがカウンターで尋ねたところ、空室があるというので喜んでCheck In。3日間で300FF≒6,600円。これも安い。

 投宿したユースホステルはPorte de Bagnolet(ポルト・ド・マニョレ)駅の近くだったような記憶はあるのだが、20年以上前のことでもあり、正確な場所は忘れてしまった。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#飛行機  #鉄道  #吹き抜け・アトリウム  #モダニズム 
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ロンドンからパリへ

1993-03-04 | イギリス 

1993 Europe日記
1993.3.4(Thu) London → Paris

 07:30 起床

 08:00 朝食。このユースホステルは建物も敷地内の様子も小ぎれいで穏やかな感じで良かった。また食事が比較的美味しく、コックの愛想も良くて満足だった。旅行中は、食事を落ち着いて気持ちよく食べられることが実はとても大切なのだと、あとあと気づくことになる。

 09:00 ユースホステルをチェックアウトして出発。

 10:10 ヒースロー空港到着・来た時とは異なり、勝手が分かっていたためか、迷ったりせずに早く着くことができた。行きに比べてあっという間に着いた気分。

 10:30 Check In。免税店でフィルムを買ったり、コーヒーを飲んだりする。フィルムは日本から10本以上持参していたのだが、もっと多く撮ってしまいそうなのに気づき、慌てて何本か購入。日本で買った方が安くて良いものだったかも。

Heathrow Airport   Wikipedia

 12:00 飛行機に搭乗

 12:45 離陸。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#飛行機
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東京からロンドンへ

1993-02-28 | イギリス 

 飛行機はスーパージャンボと呼ばれるもの。なぜかアッパーデッキで、あの機体のコブのような少し狭い2F部分の席になった。3+3の座席であり、必ずしも良い席というわけではない。

機内から

 実は、この旅行以前に私は飛行機にほとんど乗ったことがなかった。国内線には全く乗ったことがなく、この前年に研究室でロシアに行ったため、旧ソビエト製のアエロフロート機(イリューシンとツポレフ)にだけは乗ったことがあったが、西側の飛行機は今回が初体験。当たり前かもしれないが、ボーイング機はやはりロシア製の飛行機とはかなり違う。

 離陸はやはり大きな機体だけあって力強い。推力が大きい。揺れはアエロフロートなんぞに比べると全くといってよいほどない。気流等による上下動もさしてなく快適である。機内食に至っては魚の照り焼き、そうめんのようなもの、おいなり、パン、デザート、ワイン、その他至れり尽くせりで、言うことなしである。ロシアへ、アエロフロートで行ったときに友人が「おまえ、JALとかはもっといいぞ。飛行機みんながこんなだと思うな!」と言っていたのに、今更ながら納得する。

 機内のデザインも機能的でそつがない。当然のように映画、音楽のサービスがあり、社会主義国家とは数十年でかくも差がついたかと思わせる。まああちらは、日本から欧州の往復で10万以下だというから格安ではあるが。

機内から

 残念ながら窓の外は、離陸後4時間近くほとんど雲海ばかりだ。ジャンボは10,000mの高々度で飛ぶせいか、はたまた冬だからなのか、いっこうにシベリアの風景は見えてこない。4時間程度の間に、二度ほど眠くなる。しかし13時間の飛行で、時差9時間の国へ行くとなると、睡眠の調整も厄介だ。昨日の睡眠不足もあって、うまく調整できるかわからない。18時になって消灯となった。他の客は大方寝ているが今寝てよいのかしらん?

 スチュワーデス(現在ではキャビンアテンダント(客室乗務員))は、ロシアの旅客機に比べたら愛想がずいぶん良い。東京~ロンドンと言えば長距離で客も多く、花形路線だから立ち居振る舞いが良く好感が持てる。他の路線を知らないだけかもしれないけど・・・。

 機内で旅行ガイドを少し読む。ロンドンの到着後、なんとか地下鉄と徒歩でホテルにたどり着けそうだと分かる。ただし入国で引っ掛からなければの話。

 日本時間の19時頃から映画が二本流れた。こういうのがあると、12時間にわたる飛行もそれほど飽きずにいられる。映画が終わって一息ついたのが24時頃。機内の灯りが点灯し、再び皆が起き出した。外は相変わらず一面の雲海。26時過ぎになって軽食が出る。クロワッサンのカイザーサンドにフルーツ、助六、おにぎり等々全くもってサービスが良い。S君に対しては、お腹が減っているでしょうからともうひとつおにぎりを足してくれたりもしていた。ただ、僕たちの後ろには年配の方々がいて、少し寒いのか退屈なのか、しばしば出入りしており、少し気ぜわしい感じではあった。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21

#飛行機
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成田空港にて

1993-02-28 | イギリス 

 前日の夜は準備で忙しくあまり眠れなかった。部屋をバタバタと片づけて、09:20過ぎに家を出る。荷物はキャスター付きバッグと肩掛け鞄一つ。

 10時過ぎに京成上野に到着。同行のK氏、S君の二人と合流し、10:24の京成特急で成田空港へ。約70分。朝方まで降っていた雨が上がり、沿線は霧の田園風景だった。

 成田空港は実はこの時が初めて。しかも新設されたばかりの第二旅客ターミナルビルだった。それほど混んでいなかったため、やけに広々とした空間が広がっているように感じた。羽田に比べるとかなり広いようだ。

成田空港第二旅客ターミナル

 搭乗券の受け取りに少々手間取ったが、一応ユーレイルパス他も入手して、手荷物チェックも受け、出国審査も驚くほどあっけなく終わる。待合室で待つ間、S君がかなりよく煙草を吸うほうだということを知る。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28~3.21

#飛行機
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帰国

1992-10-17 | ロシア  

1992ロシア日記

1992.10.17(Sat) Khabarovsk → Japan

 08:45 起床。2週間のこの旅行も今日で終わり、帰国である。

 09:00 朝食。お世辞にも美味しいとはいえないロシア料理だったが、本場ではこれが最後となるとちょっと残念だ。慌ただしく荷物をまとめて帰国の準備をする。

 10:30 ホテルから出発。

 10:50 空港到着。例のホールで出国手続き。ごった返す中で記念撮影をする。

 12:00 出国手続完了。絵画など美術品の持ち出しには許可証と税が掛かる。私は全然関係ないはずだったが、ロシアの基準を知らないので税関チェックの際、数日前に1,000RBで買った小さな油絵のことがほんの少しだけ気になる。

 結局、私は何事もなく手続きを終える。しかしF氏は長髪の外見が災いしたのか、入念にチェックを受ける事態になり、税関で中身を開帳することになる。スーツケースを開けると中には楽器や土産物がたくさん・・・。こう沢山の品物が納まっていると、税関は手荷物として輸入しようとする業者かと疑ってしまう。バンドネオンなどは紙製の箱に入っていたのでそれも開けさせられる。すると中の隙間にもマトリョーシカが詰め込まれていたりするので余計に怪しく思われてしまった。まるで麻薬かなんかの密輸業者のような詰め方だと思われたらしい。F氏は面倒くさいのと恥ずかしいのでちょっと困り顔になってしまう。バンドネオンやマトリョーシカの数は妙に多いが、どうやら輸入業者ではないらしいということで無事放免されたF氏だったが、パズルのように詰め込まれていたため、元に戻すのに難儀してしまう。

 ボディチェックのゲートで振り返るとアレクサンドル氏が見送っている。そこでカメラを取り出しアレクサンドル氏を写す。手荷物検査の所で写真を撮ってしまったが、特に問題はなかった。考えてみれば随分やばいところで撮ったものだ。アレキサンドル氏は飛行機に乗る直前まで手を振ってくれていた。

 12:30 TU-154に搭乗。離陸。
 13:30 軽食。

 14:15=13:15、時差により-1時間。新潟上空に到着。

 13:30 新潟空港に着陸。ハバロフスクの天気も良かったがこちらも快晴だった。日本への帰国時の入国手続きはいたって簡単だ。20分程で帰国手続と荷物のキャッチが完了。ここら辺の彼我の差には全く驚かされる。どこがどう違うとこんな差になるのだろうか?

 14:05 新潟駅行きのバスに乗る。
 15:00 新潟駅で新幹線あさひに乗車。車内で早速駅弁を食べる。2週間ぶりの日本食だったが、私は思ったほど懐かしいとは感じなかった。実際、帰宅後もしばらくいわゆる日本食は食べなかった。S氏やF氏は食堂車へ行って早速カレーなどをたらふく食べた模様。

 17:05 東京到着。S氏と私はF氏の彼女の車で送って貰う。
 18:00頃 帰宅。やはり疲れた。

 深夜のニュースでウラジオの話をしていた。前より親近感を感じた。荷物の整理は後日にして久しぶりに自宅のベッドで安眠する。

1992ロシア日記 了

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#飛行機
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ハバロフスク到着

1992-10-16 | ロシア  

1992.10.16(Fri) Khabarovsk

 ハバロフスクとモスクワの時差は7時間。モスクワへ向かったときは同じ日に着いたが、東に戻るときには半日ほど損をすることになる。モスクワを離陸してから7時間半、ハバロフスク時で正午に快晴のハバロフスク空港に無事着陸する。

ハバロフスク空港   Google Map
Wikipedia > ハバロフスク空港

 飛行機からはすぐさま手荷物を持って外へ出ることができる。外国人がやや優先されるのは、どうもいつものことのようだ。

 タラップを下りて飛行機の前で数人ずつ記念撮影をする。乗ってきたのはIL-62Mで後ろ4発の飛行機だ。水平尾翼が垂直尾翼の上に付いていて格好いい。

 エプロンの上を空港ビルまで歩いて行く。管制塔のある大きな建物もあるが、旅客の手続きは昔風の建物で行われるようだ。

 空港建物に入って、預けた荷物をキャッチするのだが、下りるのが素早かった分ここでは相当待たされることになった。飛行機からの積み荷降ろしが前時代的な手作業になっているため、効率がえらく悪い。そこら辺を屁とも思わないのも問題だ。私の手荷物は若干早く出てきたので、皆より先に表に出て、迎えに来てくれているはずのS氏らを探す。

 最初にロシアに着いたときは慌ただしかったのと緊張していたので、ゆっくり空港建物を眺めなかったが、よくよく見るといろいろ発見がある。建物の玄関部分がギリシャ神殿風なのだが、柱頭がドリス式だったりイオニア式だったり、はたまたコリント式だったりで統一感がない。

 空港建物にあまり期待しても仕方ないのかもしれないが、ホールの柱頭はコリントもどきで、しかもその上に星印がついている。表側の柱頭もホールとは異なるコリントもどきで、松ぼっくり状でもある。ソビエト式擬洋風建築と言うのが適当かも知れない。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#飛行機
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モスクワ到着

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 09:00 モスクワ郊外のDomodedovo空港に着陸。本当は前の日の夕方に着く予定だったが朝の到着になった。タラップの下まで出迎えの人が沢山来ていた。

Domodedovo空港   Google Map
Wikipedia - ドモジェドヴォ空港

 歩いて空港ビルまで行く。モスクワはめちゃくちゃ寒く、地吹雪が舞っていた。実は僕はこういう光景も初めてだった。

 09:30 Domodedovo空港を大型バスで素早く出て、雪の降る中、市内への高速道路をひたすら走る。空港から市街へはひたすら林の中を突っ切って行く道のようだ。

 バスに乗っているのは僕等だけだった。どうしてこういう扱いになったのかはよく判らない。ウラジオやハバロフスクではマイクロバスで14~15人乗っていたが、大型バスに7~8人というのは妙な心地だ。完全に貸切でどの席に座ろうが自由なので、右に左に席を替え、車窓の景色を楽しむことにする。

 途中やや渋滞する。原因はバスの事故見物で、現場にはラダのパトカーが止まっていた。

 ところで、空港を出るときAndreさんとNatashaさんは別行動になって、結局それっきりになってしまった。一応一緒には来たのだが、殆ど話もしなかった。彼等が何だったんだかさっぱりわからないのだった。

 近郊の道沿いで発電所(Google Map)を見かける。石炭火力のタービンの上屋なのだろうが、原発みたいな形なのが比較的街中にあるのでビックリする。更に行くと集合住宅団地がみえてくる。この手の団地は極めて多い。

 超高層の集合住宅群(Google Map)も見かける。80年代になってから多く作られている模様で、ウラジオよりも規模(戸数・高さ)が大きい。

 社会主義的な印象を与える近代的オフィスビル(ロシア陸軍士官学校:Google Map)も見られる。金色のタマネギを載せた寺院建築もチラッと見える。

ツェー・デー・テー・ホテル(Google Map

 10:45 ツェー・デー・テー(ЦДТ)・ホテルに到着。Check In。どんなホテルに泊まるのか期待していたのだが、予想を超え、35階建ての超高層ホテルに泊まることになる。調べてみたら1980年に建てられたそうだ。
 英語では、Central Tourist House Hotel(CTH)とのこと。


ホテルのパンフレット

 11:15 ロビーに集合して朝食をホテルのレストランでとる。モスクワ時間では朝食だが、睡眠サイクルから考えると夕食である。このあと更に昼食、夕食ととって、長い一日の間に5回も食事をすることになる。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#街並み 海外  #高層ビル  #道  #飛行機  #自動車  #オフィス 
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