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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

池の湯

2025-05-06 | 中野区  
池の湯
所在地:中野区 上高田2-19-12
構造 :木
解体年:2008〜09(平成20〜21)
備考 :2008(平成20)年5月に廃業
Photo 2006.11.25

 西武新宿線の新井薬師前駅の南の方にあった銭湯。一帯は戦災では焼失していない地域だが、建物の雰囲気からすると戦後に建てられたものだったのではないかと思う。創業時期は未把握。1958年の住宅地図で既に名があるので、それよりは前。

 脱衣場などがある前側は切妻平入り。2階建てのようにさえ見えるが、どうやら脱衣場の天井がかなり高かったようだ。入口部分だけが新しくタイル張りに改修されており、すぐ後ろには入母屋屋根が残されていたのもちょっと不思議。

東京の銭湯・温泉池の湯
銭湯・温泉・サウナ王国池の湯

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富士見湯

2025-01-27 | 文京区  
富士見湯
所在地:文京区 白山1-3-5
構造・階数:木・1
創業年:1937(昭和12)
解体年:2022(令和4)
備考 :2020.10.31廃業
Photo 2019.7.8

 戦前に創業した銭湯。宮造り型の建物だったが、懸魚などの装飾はあまりなく比較的シンプルな建物だった。千鳥破風が付いた入母屋屋根平入りで、玄関庇は唐破風。

 たぬき湯という愛称でも呼ばれたという銭湯だったが、老朽化と店主の高齢化等のため、写真の翌年廃業、その後解体された。

閉店銭湯|富士見湯|春日|湯活レポート(銭湯編)vol.333 - 湯活のススメ

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大黒湯

2024-11-09 | 足立区  
大黒湯
所在地:足立区 千住寿町32-6
構造・階数:木・1
建設年:1929(昭和4)?、1945(昭和20)?
解体年:2022(令和4)
備考 :1929(昭和4)創業。2021(令和3)閉店。
Photo 2001.5.27

 国道4号線から西へ入ったところにあった立派な銭湯。軒高が高く、入母屋屋根前面には大きな破風が付く。玄関部も入母屋と唐破風を組み合わせたもので、宮造り型の銭湯の中でもひときわ豪華なものだった。

 創業は昭和初期。下記『東京都の近代和風建築』には、「昭和4年の建立と伝えられる銭湯」と記されていて、建築年は「昭和4年(1929)(口伝)」とされている。そして、「建物は昭和32年に清水産業有限会社所有になったのを契機に、改修整備され現在の姿に至っている。」とも記されている。

 一方、周辺は戦災で焼失したエリアで、大黒湯も戦後再建されたものだったという話もあり、それによると戦後すぐの1945(昭和20)年に建てられた、ということになっていて、ネットでもこちらを記しているサイトがいくつかあり、私にはどちらなのか分からない。

 ただ、戦後すぐの時期は住宅等では資材統制がされていて豪華なものは造れなかった。銭湯は規制されなかったのかどうか知らないが、資材も不足していたはずなのに立派な建物が建てられたのには少々驚かされるし、やや違和感がある。ただこれも、戦後すぐには暫定的な建物を建てていて、上にもあるように昭和32年に改修されて立派になったということなら納得できるわけで、結局、建設年については私はよく分からない。

 銭湯研究の第一人者で庶民文化研究家の町田忍氏が「キングオブ銭湯」と呼んだとされ、ファンの間でも著名な銭湯だったそうだが、2021年6月30日に営業終了し、建物は翌2022年4〜9月に解体されたという。ただ、玄関の唐破風だけはクラウドファンディングを経て安養院(千住5-17)に移設されている。

参考『東京都の近代和風建築−東京都近代和風建築総合調査報告書』
  東京都教育庁地域教育支援部管理課 編集・発行、2009

大黒湯の解体現場で、 - 荒川三歩

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旭湯

2024-10-27 | 埼玉県  
旭湯
所在地:川越市 元町1-8-6
構造・階数:木・2
建設年:1950年代後半に改築
解体年:2020〜22(令和2〜4)
備考 :1943(昭和18)創業、2020(令和2)廃業
Photo 2019.6.21

 ネット情報では、川越市内に唯一残っていた銭湯だったそうだが、この写真の翌年2月に廃業したという。


 Photo 2019.6.21

 戦時中の1943年に創業した歴史のある銭湯だったが、建物自体は1950年代後半に改築されたもの。そのためかどうかは判らないが、いわゆる宮造り型の建物ではなく、比較的簡素な切妻屋根の建物だった。高窓が多くとられた造りで、前半分が脱衣所、後方が湯舟や洗い場。


 Photo 2004.12.3

 開口部が多いため、夜に通り掛かると明るく、脱衣場の折り上げ天井が見えたりもしていた。

旭湯 惜しまれ77年の歴史に幕 川越唯一の銭湯 建物跡地は貸店舗に:東京新聞 TOKYO Web

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旧桜湯

2024-08-09 | 品川区  
旧桜湯/酒処写楽(西側)、エイコー仏壇(東側)
所在地:品川区 南品川4-2-12
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2011(平成23).6
備考 :創業は戦前。1960年代頃に廃業
Photo 2006.9.17

 ゼームス坂を下って、第一京浜に出る手前にあった建物。撮影時は居酒屋と仏壇屋になっていたが、元は銭湯だったのではないかと直感したもの。

 少し前の住宅地図を見れば、銭湯の名前もわかるだろうと思ったが、ゼンリンの住宅地図1973年版(品川区で最も古いもの)ではわからず。かなり昔に廃業して転用されていたらしい。

 戦後まもなくの火災保険特殊地図でようやく桜湯という銭湯だったことが判明。戦前版にも同名の銭湯「櫻湯」として掲載されており、かなり古い銭湯だったことがわかった。


 Photo 2011.5.22

 ただ、この場所は第二次大戦中には建物疎開が行われた場所のようだ。だとすると戦時中いちど解体されて、戦後まもなくに建て直して再開したということになる。古い銭湯のようなすごく立派な宮造りではなかったというのはその辺のためだろうか。

 しかし、廃業したあと40年ほどに渡って使われ続けていたというのはちょっと興味深い。使おうという意思があれば、どんな建物でもなんとか使い回せるということなのかもしれない。

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小山湯

2024-07-06 | 港区   
小山湯 
所在地:港区 三田1-11
構造・階数:木・2
建設年:1921(大正10)
解体年:2023(令和5)
備考 :2007(平成19)年1月末廃業
Photo 2006.4.23

 三田小山町西地区市街地再開発事業に伴い、昨年末に解体された銭湯。営業自体は17年前の2007年に終了していたが、建物はその後も残されていた。
 1枚目はまだ営業していた頃の様子。入口を入ると正面に下駄箱があり、そこから右手へ入っていく。玄関扉はもともとは観音開きだったのだろうが、この頃は中央をつなげて大きな片開きにしていたようだ。両開きの場合、左手の階段上から降りてくると扉を回り込まねばならないので、変えてしまったのかもしれない。2枚の扉がつながっていたのか、左扉を毎回外して並べていたのかはわからないが、珍しいことになっていた。


 Photo 2018.12.15

 側面はトタン張りだが、立派な建物だった。出桁2階のこの部分が脱衣所や番台で、その右手にわずかに見えている部分が浴室。


 Photo 2023.1.30

 ボイラーなどがある浴室後方(建物西側)。正面の扉は浴室後方の部屋に入るための関係者用の扉。2階に部屋やトイレ?物干し台もあったので、所有者の住居部分だったのかもしれない。このため廃業後にもこちらには人の出入りがあった。


 Photo 2018.12.15

 脱衣所棟の2階の窓には、木製窓枠の古い窓が残されていた。


 小山湯階段上から Photo 2013.1.18

 小山湯は三田の高台北側の山下に建てられていたので、高台側へ階段を上っていくと、建物を上方から見ることができた。


 Photo 1995.2.5

 手前右から玄関棟(脱衣所棟)、浴室棟、ボイラー棟、煙突。奥に見えているのは首都高速2号目黒線、ツイン一の橋(都営アパート)など。


 Photo 2023.9.23

 解体が始まった頃の様子。既に北側壁面が半分取り壊されて内部が部分的に見えていたが、この時は郵便受から内部の様子を窺うことができた。
 奥にタイル張りの湯船が見える。壁画も部分的には見えるが絵の題材は不明。建物北側、玄関から入って右手のエリアで、どうやら男湯の側だった模様。

小山湯、寺井雑貨店/三田1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
小山湯 港区三田 - 東京ノスタルジア
東京の銭湯・温泉小山湯

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旧 福乃湯

2023-04-27 | 青森県  
旧 福乃湯
所在地:弘前市 新寺町66
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25

 弘前市内には元寺町や新寺町と呼ばれて寺院が建ち並ぶ通りがある。写真は新寺町の通りに面して建っていた銭湯。撮影時は既に廃業しており、建物の大半は花屋(山内花店)として使われていた。

 東京でよくある宮造り型ではなく、間口がやや大きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。

 通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。

 建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。

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第一京浜浴場

2022-12-09 | 大田区  
第一京浜浴場
所在地:大田区 山王2-42-10
構造・階数:木・1
建設年:1967・68(昭和42・43)頃?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 2011.3.2

 環七から小路を東側に入った場所にあった銭湯。
 宮造り型だが装飾はあまりなく、破風の絵柄などはなかった。懸魚も地味。

 昭和初期の火災保険特殊地図には描かれていない。戦後すぐの頃の航空写真では、その後とほぼ同じ形の家屋が写っている。また航空写真で見ると、この建物がある街区は空襲での焼失を免れたようだ。それらから考えると創業は1940年代(戦中か戦後すぐ)ではないかと思われる。

 ネット上には昭和42、43年頃の建物と記された記事もあるが、航空写真の状況からすると、少なくとも開業はもっと古かったのではないかと思う。建て替えられたり大改装されたのが昭和42、43年頃だったのかもしれない。もし建て替えられていなかったのなら、1942、43年頃と昭和42、43年頃が取り違えられた可能性もあるかもしれない。

 夕方に訪れたため、撮っている間に開店した。2枚目、3枚目の写真はオープン前

 東日本大震災で煙突が倒壊、主屋も一部損壊したため、震災後に廃業したという。私がこの銭湯の写真を撮ったのは震災の9日前で、偶然にも廃業直前だった。

1938    未建設
1945〜50 たぶん○
1953頃   不明
1967〜68  
1978以降  ○

2011.3   △
2013.7   ×
火災保険特殊地図
国土地理院空中写真 この街区は空襲では焼失しなかった模様
火災保険特殊地図 戦後版 このエリアは版がない
下記リンク先の情報ではこの頃に建てられたとある。
ゼンリン住宅地図
 (都立中央図書館では大田区は1978年以降のものが閲覧可能)
東日本大震災で損壊し廃業
Google ストリートビュー、解体されてコインパーキング
第一京浜浴場(大田区山王)
【東日本大震災】第一京浜浴場の廃業: Seeing is believing

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隅田湯

2022-09-15 | 墨田区  
隅田湯
所在地:墨田区 墨田3-23-16
構造・階数:木・1
建設年:1953(昭和28)
解体年:2022(令和4)
備考 :銭湯としては2016(平成28)年末に廃業
Photo 1994.4.17

 旧玉の井の赤線エリアの北側にあった銭湯。界隈の市街化が進んだのは震災後、また、一帯は第二次世界大戦時の空襲でも被災しているので、建物は恐らく戦後のものだろう。戦前の国土地理院の1/1万地図を見ると、銭湯の建物に引っ掛かるような位置に、現在はない道が東西に通っている。従って仮に戦前に創業していたとしても、この場所で営業し始めたのは戦後だったのではないかと思われる。


 Photo 2017.3.20

 建物は入母屋造りトタン葺き平入りで、入口部分にアーチ型の壁を立て、波打つような庇の下に男女別に入口が並ぶ。後方の浴室部分は切妻屋根。2枚目の写真は廃業後のものなので、自販機も既に撤去されている。
 1990年代に訪れた時には、アーチ型の壁に屋号が大書されていたが、2000年代になってから見たら、2つの入口上のシャッター袋に目立たない感じで書かれていた。アーチ型の壁部分の文字がなくなると、ちょっともの足りない感じ。
 左が女湯、右が男湯。シャッターの色も赤と緑(青?)に違えてあった。


 Photo 2007.5.27

 銭湯建築に詳しいわけではないが、外側の入口を男女別々にしていたのはあまり見掛けない仕様だった気がする。普通は入口は一つで、内側で左右に分かれていることが多い。唐破風とも異なるカーブした小さな庇がそれぞれの入口に付いていたのも特徴的。場所柄を意識したデザインということだったのだろうか。


 Photo 2019.2.16

 廃業後も建物はしばらく残されていて、今年になってから解体されたのだそうだ。


2022.12.20追記
 1953(昭和28)年11月発行の火災保険特殊地図に隅田湯として記載されているので、やはり恐らく戦後まもなくに建てられたものだったようだ。


2024.2.13追記
 コメント欄に書き込んで頂いたように、戦前の隅田湯は戦災で焼失したそうだ。戦後の隅田湯は1953(昭和28)年に別の人が経営者となって開業したものだったという。

【銭湯】墨田区 隅田湯(廃業) | なるとの銭湯ブログ
さよなら隅田湯ー12月31日で閉店しました( ̄^ ̄)ゞ(`_´)ゞ!―サヨナラ3連ちゃんリベンジ②!: 銭湯遍路ー銭湯大好き!-お湯巡り日記

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月の湯

2022-08-19 | 文京区  
月の湯
所在地:文京区 目白台3-15
構造 :木
建築年:1927(昭和2)
解体年:2015〜16(平成27〜28)
備考 :2015(平成27).5末廃業
Photo 2010.3.13

 目白通りから北側に入った場所にあった銭湯。いわゆる宮造りタイプで、大ぶりな入母屋屋根と唐破風が印象的だった。1927(昭和2)年創業だったそうで、建物もその時に建てられたものだったという。

 下記リンク先では内部の様子も見ることができる。中に入ると脱衣場の天井は高く、格天井だった。また浴室の壁にはやはり富士山が画かれていた。

 わきから見ると、瓦葺きの入母屋屋根は脱衣場部分までで奥行きがあまりなく、浴室部は切妻トタン屋根だったことが分かる。

 東日本大震災で屋根などが破損し、最終的に2015年5月末に廃業、その後、解体された。

 昔ながらの銭湯は平成後半以降、急速に減少しているそうだ。往時の文化や建築を残したいという立場からすると残念なことなのだが、考えてみれば自分自身、最近はほとんど銭湯に行っていない。日常的に銭湯を使う人が少なくなっている状況下では、建物の修繕が必要でも頑張って直す方向にはなりにくいのは、ある意味仕方ないことなのかもしれない。

 だとすると銭湯の建物は将来的には、江戸東京たてもの園の子宝湯のように、文化財的に保存されたものだけになっていくのかもしれない。

銭湯紀行 月の湯(東京・文京区) | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス
【文京区】東京最古級の木造銭湯『月の湯』見学会に参加しました
東京最古級の木造銭湯 目白台「月の湯」解体間近 - 文京建築会ユース
月の湯(文京区目白台)
月の湯(360°映像)

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