都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

小山湯

2024-07-06 | 港区   
小山湯 
所在地:港区 三田1-11
構造・階数:木・2
建設年:1921(大正10)
解体年:2023(令和5)
備考 :2007(平成19)年1月末廃業
Photo 2006.4.23

 三田小山町西地区市街地再開発事業に伴い、昨年末に解体された銭湯。営業自体は17年前ので終了していたが、建物はずっと残されていた。
 1枚目はまだ営業していた頃の様子。入口を入ると正面に下駄箱があり、そこから右手へ入っていく。玄関扉はもともとは観音開きだったのだろうが、この頃は中央をつなげて大きな片開きにしていたようだ。両開きの場合、左手の階段上から降りてくると扉を回り込まねばならないので、変えてしまったのかもしれない。2枚の扉がつながっていたのか、左扉を毎回外して並べていたのかはわからないが、珍しいことになっていた。


 Photo 2018.12.15

 側面はトタン張りだが、立派な建物だった。出桁2階のこの部分が脱衣所や番台で、その右手にわずかに見えている部分が浴室。


 Photo 2023.1.30

 ボイラーなどがある浴室後方(建物西側)。正面の扉は浴室後方の部屋に入るための関係者用の扉。2階に部屋やトイレ?物干し台もあったので、所有者の住居部分だったのかもしれない。このため廃業後にもこちらには人の出入りがあった。


 Photo 2018.12.15

 脱衣所棟の2階の窓には、木製窓枠の古い窓が残されていた。


 小山湯階段上から Photo 2013.1.18

 小山湯は三田の高台北側の山下に建てられていたので、高台側へ階段を上っていくと、建物を上方から見ることができた。


 Photo 1995.2.5

 手前右から玄関棟(脱衣所棟)、浴室棟、ボイラー棟、煙突。奥に見えているのは首都高速2号目黒線、ツイン一の橋(都営アパート)など。


 Photo 2023.9.23

 解体が始まった頃の様子。既に北側壁面が半分取り壊されて内部が部分的に見えていたが、この時は郵便受から内部の様子を窺うことができた。
 奥にタイル張りの湯船が見える。壁画も部分的には見えるが絵の題材は不明。建物北側、玄関から入って右手のエリアで、どうやら男湯の側だった模様。

小山湯、寺井雑貨店/三田1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
小山湯 港区三田 - 東京ノスタルジア
東京の銭湯・温泉小山湯

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旧 福乃湯

2023-04-27 | 青森県  
旧 福乃湯
所在地:弘前市 新寺町66
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25

 弘前市内には元寺町や新寺町と呼ばれて寺院が建ち並ぶ通りがある。写真は新寺町の通りに面して建っていた銭湯。撮影時は既に廃業しており、建物の大半は花屋(山内花店)として使われていた。

 東京でよくある宮造り型ではなく、間口がやや大きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。

 通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。

 建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。

日本国内の建物や街並み
#失われた建物 青森県  #銭湯  #看板建築  #モルタル看板建築 
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第一京浜浴場

2022-12-09 | 大田区  
第一京浜浴場
所在地:大田区 山王2-42-10
構造・階数:木・1
建設年:1967・68(昭和42・43)頃?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 2011.3.2

 環七から小路を東側に入った場所にあった銭湯。
 宮造り型だが装飾はあまりなく、破風の絵柄などはなかった。懸魚も地味。

 昭和初期の火災保険特殊地図には描かれていない。戦後すぐの頃の航空写真では、その後とほぼ同じ形の家屋が写っている。また航空写真で見ると、この建物がある街区は空襲での焼失を免れたようだ。それらから考えると創業は1940年代(戦中か戦後すぐ)ではないかと思われる。

 ネット上には昭和42、43年頃の建物と記された記事もあるが、航空写真の状況からすると、少なくとも開業はもっと古かったのではないかと思う。建て替えられたり大改装されたのが昭和42、43年頃だったのかもしれない。もし建て替えられていなかったのなら、1942、43年頃と昭和42、43年頃が取り違えられた可能性もあるかもしれない。

 夕方に訪れたため、撮っている間に開店した。2枚目、3枚目の写真はオープン前

 東日本大震災で煙突が倒壊、主屋も一部損壊したため、震災後に廃業したという。私がこの銭湯の写真を撮ったのは震災の9日前で、偶然にも廃業直前だった。

1938    未建設
1945〜50 たぶん○
1953頃   不明
1967〜68  
1978以降  ○

2011.3   △
2013.7   ×
火災保険特殊地図
国土地理院空中写真 この街区は空襲では焼失しなかった模様
火災保険特殊地図 戦後版 このエリアは版がない
下記リンク先の情報ではこの頃に建てられたとある。
ゼンリン住宅地図
 (都立中央図書館では大田区は1978年以降のものが閲覧可能)
東日本大震災で損壊し廃業
Google ストリートビュー、解体されてコインパーキング
第一京浜浴場(大田区山王)
【東日本大震災】第一京浜浴場の廃業: Seeing is believing

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隅田湯

2022-09-15 | 墨田区  
隅田湯
所在地:墨田区 墨田3-23-16
構造・階数:木・1
建設年:1953(昭和28)
解体年:2022(令和4)
備考 :銭湯としては2016(平成28)年末に廃業
Photo 1994.4.17

 旧玉の井の赤線エリアの北側にあった銭湯。界隈の市街化が進んだのは震災後、また、一帯は第二次世界大戦時の空襲でも被災しているので、建物は恐らく戦後のものだろう。戦前の国土地理院の1/1万地図を見ると、銭湯の建物に引っ掛かるような位置に、現在はない道が東西に通っている。従って仮に戦前に創業していたとしても、この場所で営業し始めたのは戦後だったのではないかと思われる。


 Photo 2017.3.20

 建物は入母屋造りトタン葺き平入りで、入口部分にアーチ型の壁を立て、波打つような庇の下に男女別に入口が並ぶ。後方の浴室部分は切妻屋根。2枚目の写真は廃業後のものなので、自販機も既に撤去されている。
 1990年代に訪れた時には、アーチ型の壁に屋号が大書されていたが、2000年代になってから見たら、2つの入口上のシャッター袋に目立たない感じで書かれていた。アーチ型の壁部分の文字がなくなると、ちょっともの足りない感じ。
 左が女湯、右が男湯。シャッターの色も赤と緑(青?)に違えてあった。


 Photo 2007.5.27

 銭湯建築に詳しいわけではないが、外側の入口を男女別々にしていたのはあまり見掛けない仕様だった気がする。普通は入口は一つで、内側で左右に分かれていることが多い。唐破風とも異なるカーブした小さな庇がそれぞれの入口に付いていたのも特徴的。場所柄を意識したデザインということだったのだろうか。


 Photo 2019.2.16

 廃業後も建物はしばらく残されていて、今年になってから解体されたのだそうだ。


2022.12.20追記
 1953(昭和28)年11月発行の火災保険特殊地図に隅田湯として記載されているので、やはり恐らく戦後まもなくに建てられたものだったようだ。


2024.2.13追記
 コメント欄に書き込んで頂いたように、戦前の隅田湯は戦災で焼失したそうだ。戦後の隅田湯は1953(昭和28)年に別の人が経営者となって開業したものだったという。

【銭湯】墨田区 隅田湯(廃業) | なるとの銭湯ブログ
さよなら隅田湯ー12月31日で閉店しました( ̄^ ̄)ゞ(`_´)ゞ!―サヨナラ3連ちゃんリベンジ②!: 銭湯遍路ー銭湯大好き!-お湯巡り日記

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月の湯

2022-08-19 | 文京区  
月の湯
所在地:文京区 目白台3-15
構造 :木
建築年:1927(昭和2)
解体年:2015〜16(平成27〜28)
備考 :2015(平成27).5末廃業
Photo 2010.3.13

 目白通りから北側に入った場所にあった銭湯。いわゆる宮造りタイプで、大ぶりな入母屋屋根と唐破風が印象的だった。1927(昭和2)年創業だったそうで、建物もその時に建てられたものだったという。

 下記リンク先では内部の様子も見ることができる。中に入ると脱衣場の天井は高く、格天井だった。また浴室の壁にはやはり富士山が画かれていた。

 わきから見ると、瓦葺きの入母屋屋根は脱衣場部分までで奥行きがあまりなく、浴室部は切妻トタン屋根だったことが分かる。

 東日本大震災で屋根などが破損し、最終的に2015年5月末に廃業、その後、解体された。

 昔ながらの銭湯は平成後半以降、急速に減少しているそうだ。往時の文化や建築を残したいという立場からすると残念なことなのだが、考えてみれば自分自身、最近はほとんど銭湯に行っていない。日常的に銭湯を使う人が少なくなっている状況下では、建物の修繕が必要でも頑張って直す方向にはなりにくいのは、ある意味仕方ないことなのかもしれない。

 だとすると銭湯の建物は将来的には、江戸東京たてもの園の子宝湯のように、文化財的に保存されたものだけになっていくのかもしれない。

銭湯紀行 月の湯(東京・文京区) | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス
【文京区】東京最古級の木造銭湯『月の湯』見学会に参加しました
東京最古級の木造銭湯 目白台「月の湯」解体間近 - 文京建築会ユース
月の湯(文京区目白台)
月の湯(360°映像)

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菊水湯

2022-07-28 | 文京区  
菊水湯
所在地:文京区 本郷4-30
構造・階数:木・1
創業年:明治中期
建築年:大正期
解体年:2015(平成27).9月末
備考 :1962(昭和37)に改築
Photo 2008.6.4

 本郷4丁目、鎧坂下にあった銭湯。
 広くはない道に面していたので、全景を撮らずじまいに終わった。建物としては平入りで、入口の唐破風が比較的大きいのが印象的だった。
 近辺にはかつて樋口一葉や宮沢賢治、金田一京助・春彦などの著名人が住んでいた。明治中期創業とのことなので、彼らもこの銭湯を使っていたのかもしれない。

 設備の老朽化、店主の高齢化などから廃業したという。廃業の前後には近辺に住む東大生が中心となって記録を残したりもした。近年は内湯がほとんどになり、銭湯は存続が難しくなっている。文京区内でも、2013年6月に千石のおとめ湯、2015年5月には目白台の月の湯と、歴史のある銭湯が残念ながら次第に無くなっている。

本郷の老舗銭湯「菊水湯」の閉店 - 文京建築会ユース
さようなら、菊水湯。長く暮らしを彩り、惜しまれながら閉業した銭湯の話 - UmeeT
都内では週に1軒消滅?文京区の菊水湯から銭湯消失の意味を考える | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
文京区の菊水湯 : レトロな建物を訪ねて

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おとめ湯

2022-06-27 | 文京区  
おとめ湯
所在地:文京区 千石3-31
構造・階数:木・1
創業年:1954(昭和29)
解体年:2013(平成25)
Photo 2011.10.3

 千石の商店街にあった銭湯。玄関まわりは改築されていたが、唐破風の庇や上部に千鳥破風がある姿はやはり宮造りと呼ばれるもの。

 建物は平入りで、少し離れて眺めると大きな入母屋屋根が見えていた。

 破風には「おとめ湯」と書かれたの紙か布を咥えて飛ぶ鶴の絵が、漆喰(鏝絵)で描かれていた。また唐破風にも鶴や波間を飛ぶ鳥の絵が描かれていた。

 建物などの老朽化もあり、2013年6月末に廃業。その後、解体までの間に見学会が行われたりしたので、内部の様子はいくつかのサイトで見ることができる。

文京区千石の「おとめ湯」見学会 - きゃおきゃおの庭
おとめ湯(文京区千石) - 風呂屋の煙突 ~銭湯探訪記・赤線跡紀行

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松の湯

2022-06-15 | 新宿区  
松の湯
所在地:新宿区 西早稲田1-4
構造・階数:木・1
建設年:1969(昭和34)
解体年:2020(令和2)
備考 :営業開始は1969.4.19。2020.7.31閉店、
Photo 2009.5.10

 早稲田通り、都バス西早稲田バス停前にあった銭湯。開業時期は分からないが、建物は50年ほど前のものだったそうだ。いわゆる宮造り型だが、道路ぎわの部分は改修されていたものだろう。2020年7月末で閉店し、その後解体された。

 現在、跡地では「ザ・パークハウス アーバンス 早稲田」が建設中。RC造13階建ての共同住宅で、2023年1月末竣工予定。

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入舟湯

2021-03-13 | 中央区  
旧 入舟湯
所在地:中央区 築地6-3
構造・階数:木・2F
解体年:2017〜18(平成29〜30)
Photo 2006.7.23

 銭湯として使われていた頃のことは知らない。初めて通り掛かった1998年5月時点で既に仕舞屋になっていた。下記の「赤猫丸平の片付かない部屋」では、東京都公衆浴場商業協同組合の組合員名簿で、1960年度には「入舟湯」として掲載されているが、1976年度のものには載っていないと記されており、45年ほど前に既に廃業していたようだ。

 銭湯でなくなってから長いあいだ別の用途で使われていたようで、「ぼくの近代建築コレクション」では、1991(平成3)年時点で建設会社の事務所として使われていたと記されている。また、手もとの住宅地図(1994年)では個人宅になっている。

 小規模な店舗や事務所が混在する住宅地内のやや狭い道に面して建っていたので、最初は元銭湯だとは思わなかった。もしかすると元銭湯かもしれないなとは思っていたが、後でネットで他の方の記事を見てようやく確認したのだった。

 平入りで、妻入りの宮造りの銭湯ではない。だが、左右対称で正面中央に建物の規模に比して大振りな唐破風屋根の玄関があるあたりは、やはり銭湯っぽい。2階なのか吹き抜けの高窓かは分からないが上部の窓はお座敷などで見られるもの。「ぼくの近代建築コレクション」に掲載されている1991年時点の写真では、まだ玄関部分に白い壁板は建てられていなかったが、その後、数年の内に扉以外の部分は閉じられてしまった。

 Google Street Viewで確認したところ、2017年10月には写っていて、2018年4月では既に解体されているので、その半年の間に解体されたようだ。


 Photo 1998.5.23

中央区築地6丁目 入舟湯 銭湯遺跡探訪(4) | 赤猫丸平の片付かない部屋
入船湯、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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北野湯

2020-03-02 | 板橋区  
北野湯
所在地:板橋区 徳丸1-33
構造・階数:木・2F
開業年:1961(昭和36)
廃業 :2018(平成30).3.31
解体 :2019(平成31).11
Photo 2015.10.12

 東武練馬駅から谷の中を北へ延びる不動通りに面した場所で営業していた銭湯。
 玄関はやや引っ込んでいて、左右が張り出した形で、正面から見るとほぼシンメトリーな姿だった。張り出した右側はコインランドリー、左側は用途不明。
 戦後の昭和30年代に創業した銭湯だったそうで、お寺か御殿のような宮造り型ではなく、木造だがわずかにモダンな雰囲気を漂わせた建物だった。


 南側から

 撮影時、銭湯の南側は大東文化大学のスクールバスの待機所になっていたため、奥の方まで続く側面を眺めることができた。左端、張り出し部分の2階は後方とは離れていて独立していた。前述のように1階はコインランドリーだったが、2階はどのように使われていたのだろう?

 道路ぎわの2階建ての右側が、番台や脱衣所のある建物、高窓のある部分が洗い場、右端が湯舟とボイラー。どうも玄関両翼に2階建てがあることだけがちょっと特殊で、後方部分は一般的な造りだったようだ。

 全体は木造だったが、玄関のタイル張り丸柱と柱間の細い梁は何製だったのか不明。また、玄関扉わきの壁面と軒庇はホリゾントのように曲面でつながったデザインにされていた。部分的に奇妙にモダンな造りだったのが記憶に残る。

 玄関わきには「マキでわかしています(薪で沸かしています)」との貼り紙が。そういえば建物北側は廃材置き場で、木造家屋の解体現場で出た廃材や箪笥などが山積みになっており、仕入れた廃材を主人が整理していたのを見掛けたこともあった。

 奥に見えるカーブした衝立で男湯と女湯に分けていたのだろうか。貼り紙やポスターがたくさん貼られて、ローカルな感じ。

 豆タイルでモザイク模様を造った玄関部分の柱。傷んでいたがちょっと手が込んでいてなかなかよい味わいを出していた。

板橋ハ晴天ナリ。さらば、赤塚郷昭和の風景。

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