都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

静岡銀行浜松営業部(旧遠州銀行本店)

2023-11-02 | 静岡県  
静岡銀行浜松営業部(旧遠州銀行本店)
所在地:浜松市中区田町322-7
建設年:1928(昭和3)
設計 :中村與資平
構造 :SRC
階数 :3+B1
備考 :浜松市指定文化財
Photo 2001.9.29

 3階まで達する大きなイオニア式の付柱が4本、正面に並んでいる。しかしこの撮影時は、建物前面に商店街のアーケードがあり、せっかくの建物のファサードを見えなくしていて、景観的にはもったいない状況だった。
 しかしこの後、2000年代中頃に建物前面のアーケードがなくなり、現在は建物全景がよく見えている。

浜松市立中央図書館 / 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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中村與資平記念館新館遠州銀行本店
静岡銀行浜松営業部本館/浜松市中区田町 - ぼくの近代建築コレクション

静岡の建築・土木構築物 
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駿河銀行袋井支店(旧袋井運送会社)

2023-10-27 | 静岡県  
駿河銀行袋井支店(旧袋井運送会社)
所在地  :袋井市高尾
建設年  :1918(大正7)
構造・階数:オリジナルは竹筋で補強した煉瓦造・2F
備考   :現在の建物(上写真)は外観復元されたレプリカ
Photo 1999.1.7

 もともと運送会社の建物として建てられた建物で、1951(昭和26)年に駿河銀行の支店となったが、その建物は1988(昭和63)年頃に解体された。上写真の建物は元の場所から少し離れたところに外観復元されたもの。

 この建物を最初に記事化した際は、このレプリカ建物を昔のものとして記載していたが、地元の方から、オリジナルの古い建物は解体されて現存しない旨の指摘を頂き、当時の新聞記事と貴重な写真データをお送り頂いた。


 O氏提供の写真(1988年頃)

 写真左側がオリジナルの旧袋井運送会社の建物。そして写真右端に小さく見えているのがレプリカ建物。左側の解体された元の建物には台形の屋根がついていたが、レプリカ建物にはついていない。またこの写真でも明らかなように、元の建物の解体前に、レプリカ建物が新築されており、外観復元に際してはオリジナル建物の石材や煉瓦は用いていない。

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三菱銀行 川崎支店

2023-08-06 | 神奈川県 
三菱銀行 川崎支店
所在地:川崎市川崎区 砂子2-4-13
構造・階数:RC・3
解体年代:1998〜2001(平成10〜13)
Photo 1994.4.10

 川崎駅の東口の駅近くにあった三菱銀行の支店。建物は少なくとも昭和50年代にはあったようだが、川崎支店がいつ頃設置されたのか、またこの建物がいつ頃建てられたのかは分からず。通り掛かりに一枚だけ撮ったので、街灯の柱が目立つ位置に写ってしまっている。

 三菱銀行は1996年に東京銀行と合併して東京三菱銀行になり、2006年にはUFJ銀行と合併して三菱東京UFJ銀行、その後、三菱UFJ銀行となった。建物は90年代末〜2000年頃に解体されたようなので、解体されたのは東京三菱銀行時代のようだ。跡地には2002年7月に川崎ダイヤビルが竣工している。

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農林中央金庫 仙台支店

2023-05-03 | 宮城県・福島県
農林中央金庫 仙台支店
所在地:仙台市青葉区 中央3-4-7
構造・階数:RC・3
建設年:1938(昭和13)
解体年:2006(平成18)
Photo 1999.8.20

 大学の研究室に在籍していた頃、夏合宿で宮城県内へ行き、その帰途に撮ったもの。夜になって仙台市内をぶらぶら歩いていてたまたま見掛けて撮ったため、夜景の写真のみ。
 撮影後、仙台を訪れる機会がなく、その後の状況を知らずにいたが、今回改めて調べてみたら十数年前に既に解体されていた。

 コリント式の柱だったのだろうか? ファサードに並ぶ付柱の柱頭はやや簡略化されていて、さほど大きな建物でもなかった。ただ石張りの外観にはやはり重厚感があった。

 解体後の跡地にはメットライフ仙台ビルが2007年3月に竣工している。現在の建物はいまどきのきれいなガラス張りで軽快だが、周辺の他の建物とあまり違わない感じで、個性的とは言い難い。写真の建物も昔はこのようなものが多かったので、その意味では当時は普通だったのだろうが、現代的なビルが建ち並ぶ中では異彩を放っており、クラシックで目立ち、つい写真に撮っておきたくなるものだった。
 かつては地方都市にも様式的な銀行建築が多く建っていたが、残念ながらやはり次第に失われているようだ。

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明治安田生命新宿ビル(旧 安田生命本社ビル)

2022-06-12 | 新宿区  
明治安田生命新宿ビル(旧 安田生命本社ビル)
所在地:新宿区 西新宿1-9-1
構造・階数:SRC・9+B3
建設年:1961(昭和36)
解体年:2020(令和2)
備考 :明治安田生命ホールは2017(平成29)に閉館。
Photo 1997.3.3

 新宿駅の西口駅前広場に面して建っていた大きなオフィスビル。南北に長い直方体がベースで、1、2Fが広場側に張り出した形。なんの変哲もない形ではあったが、直方体の縦横奥行きのプロポーションが良かったように思う。各階にルーバー庇を巡らせた姿は繊細さも感じさせた。庇やベランダが巡らされている姿は日本的なモダニズムだったが、RCのベランダではなく金属製のルーバーだったので、軽快な印象だった気がする。一方で1、2Fは柱が道路側に並び、ビルの前を歩くと重厚な印象もあった。

 上写真は安田生命時代のもの。安田生命は2004年に明治生命と合併して明治安田生命となった。


 Photo 2012.5.31

 2枚目写真は合併後の2012年のもの。当初は低層部屋上の緑化はされていなかったようだが、この頃には既に樹木や植栽が見える。


 小田急百貨店から Photo 2018.7.23

 駅西口の南の方はヨドバシカメラなどの電気店が多く、ごちゃごちゃと賑やかな景色だったが、西口の中央は明治安田生命ビルがどんと構えていて、いかにもビジネス街という雰囲気だった。


 ビル東南側から Photo 2010.6.9

 低層部、道路ぎわに店舗などが全くなかったため、その意味ではやや殺風景だった。


 南側面 Photo 2010.6.9

 ルーバーがあるため、近くから見上げると窓ガラスや建物内はあまり見えない。

 建物の解体は既に終了し、跡地では西新宿一丁目地区プロジェクトとして新しいオフィスビルの建設が2021年から行われている。新ビルは、S・RC・SRC造、23F・B4Fで、高さ126m。オフィスの他に店舗、ホール、子育て支援施設を含む建物で、2025年7月末に竣工予定だそうだ。

「明治安田生命新宿ビル」他の跡地 地上23階、高さ約126mの「(仮称)西新宿一丁目地区プロジェクト」 建築計画のお知らせ掲示!: 東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #オフィス  #銀行・保険  #モダニズム 
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旧相互無尽会社

2022-02-12 | 千代田区 
旧相互無尽会社本社
所在地:千代田区 神田神保町2-19
構造・階数:RC・4
設計・施工:安藤組
建設年:1929(昭和4)
解体年:2020(令和2)
Photo 2005.3.25

 相互無尽株式会社の本社として建てられたビル。相互無尽株式会社は、1911(明治44)年に「相互貯金株式会社」として設立され、1917(大正6)年に「相互無尽株式会社」に商号変更したという。戦後の1951(昭和26)年に「第一相互銀行」となった。
 Wikiを見るといろいろあったようだが、1989(平成元)に「太平洋銀行」となり、更に同行が1996(平成8)年に破綻すると「わかしお銀行」となり、2003(平成15)年に三井住友銀行となった。

 神保町にあったこの建物は、相互無尽株式会社の本社として建てられ、戦後、上述のように第一相互銀行の本店となったようだが、1973年の住宅地図では、道を挟んだ西隣(神保町2-21)に第一相互銀行本店があり、この建物は「相和不動産」となっている。更に1982年の住宅地図では「亀田健雄事務所」と「兵藤次郎事務所」となっており、この頃は銀行としては使われていなかったようだ(銀行の部分もあったのかもしれないが、地図では省略されていたのかもしれない)。

 ところが、1991年の住宅地図を見ると、この建物は第一相互銀行別館となり、再び銀行として使われたようだ。そして2001年の住宅地図ではわかしお銀行別館、2011年のそれでは三井住友銀行別館と(財)日本タイ協会が記されている。

 手もとには1992年時点の写真があるが、当時は銀行の看板などは掲げられていなかった。ただ室内の灯りは点いており、オフィスとしては確かに使われていたようだ。2002年の写真では「わかしお銀行ローンショップ」という看板がコーナー部に出され、さくら通り側には広告も張り出されていた。


 Photo 2017.6.26

 2010年頃にさくら通りの電線地中化が行われたため、この頃以降は建物の全景がきれいに見えるようになった。周囲の建物が高層化していく中では4階建てのこのビルは可愛らしく見えていた。
 また2009年に、外壁はいちどきれいにされている。3、4階のさくら通りに近い部分の窓まわりも修復された。今後も大切に使っていくのかもしれないなと思っていたのだが、最終的に売却されて敢えなく解体されてしまったのはやはり残念。


 Photo 2019.3.22

 2009年頃に東隣の建物が解体されて駐車場になったため、旧相互無尽会社の建物はポツンと建っているような感じになっていた。隣の建物が無くなったので、東側壁面が見えるようになったのは興味深かったが。


 Photo 2005.3.25

 壁面はスクラッチタイル張り。改修前にはエアコンのパイプが目立っていたが、改修後は目立たないようにされていた。


 西側壁面 Photo 2009.2.16


 北側(さくら通り側) Photo 2005.3.25

 さくら通り側のこの窓だけ大振りな格子になっており、他の窓とは異なり目立っていた。テラコッタのようにも見えたが、ザラザラした感じは色付きコンクリートだったのかもしれない。


 Photo 2017.6.26

 「日本近代建築総覧」などでは1930(昭和5)年竣工となっているが、下記、「近代建築探訪」の記事への書き込みによれば、設計・施工の安藤組の記録には1929(昭和4)年竣工と記されているという。

第一相銀別館/神田神保町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
旧相互無尽会社本社 2020.6 | 貴族の部屋
太平洋銀行 - Wikipedia
神保町のビル: ★近代建築探訪★
神保町の復興レトロ建築 「旧相互無尽ビル」 - 東京冒険紀行
旧相互無尽会社 - 千代田遺産
神保町を見守り続けた老ビル、90年の歴史に幕 「旧相互無尽会社」解体に惜しむ声相次ぐ「取り壊してほしくないよ」(全文表示)|Jタウンネット
「本の街」見守り90年、解体へ 関東大震災の復興建築 神保町「旧相互無尽会社ビル」:東京新聞 TOKYO Web

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巴川ビル

2021-02-05 | 中央区  
巴川ビル
所在地:中央区 銀座3-7
構造・階数:RC?/5
建設年:1920年頃(大正期)
解体年:2011(平成23).1〜5
備考 :2000(平成12)改修
Photo 2006.4.7

 大正時代に銀行として建てられた建物。かつては隣に巴川ビル別館があった。下記、TAISEI DESIGN掲載の記事では、「大正年間に銀行として建てられたこの建物は、関東大震災と先の戦争をくぐり抜け、その後も事務所として使われ続けていました・・・」とあり、震災前に建てられた建物だったようだ。

 ネットでは1924(大正13)年竣工としているページも散見される。隣の別館も古かったため、それと混同されているのかもしれない。ただ、大成建設は改修にあたって調べたりしたはずなので、TAISEI DESIGNに記載された1920年頃竣工というのが恐らく本当なのだろう。

 TAISEI DESIGN掲載の記事には「1998年に使用者が立ち退き、建物の老朽化が一段と進み、解体を待つばかりの廃屋と化していました。」とも記されていて、その後、耐震補強と事務所から飲食店への改修が行われ、2000年にKIHACHI CHINAとなった。2009〜11のGoogle Street Viewや住宅地図では、Villa Oriental miso bankとなっていたが、2011年に解体。耐震補強をしたり、用途も含めてインテリアも改修したが、その後約10年で解体されてしまった。

 私自身は改修後の様子しか知らないのだが、下記「ぼくの近代建築コレクション」内の写真によると、外観はあまり変わっていないようだ。大正時代の建物にしては珍しく、装飾がほとんどないモダンなオフィス建築だったようだ。玄関まわりはKIHACHI CHINA時代は赤く塗られていたが、かつてはそこも大人しい色。KIHACHI CHINAでなくなってからも比較的地味な色だったようだ。

 2013年には新しい建物が完成し、伊東屋が本店の建て替えのためここに仮店舗をオープン。2015年9月以降は、松屋銀座マロニエ通り館となっている。

巴川ビル、巴川ビル別館/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
2005.02 「第14回BELCA賞」2部門で受賞│de'-TAISEI DESIGN

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とみん銀行・新宿第2アオイビル

2020-02-08 | 新宿区  
新宿第2アオイビル・とみん銀行
所在地:新宿区 西新宿7-10
建築年:1976(昭和51)
構造 :SRC
階数 :13+B2
解体年:2015(平成27).9〜
備考 :2018(平成30)に新しく「オーガード新宿」が完成
Photo 2008.8.11

 新宿大ガード西交差点に面していて、東京都民銀行が入居していた13階建ての建物。

 建て替え前の建物は交差点側の部分は低層で、後方に板状の高層部分がある形をしていたが、建て替えによって2018年に竣工した「オーガード新宿」は、敷地全体が高層化している。

 新しい建物は11階+塔屋1階で階数は減ったが高さは変わっていない。1フロアの面積が増えたので、階数は減っても延べ床面積は200㎡弱増えたようだ。延べ床面積が大幅に増えたわけではないのに建て替えに踏み切ったのは、耐震性の問題か、OA対応の非力さ故か、1フロアの面積や間取りの関係か。素人にはそのあたりの理由はよく分からないが、建て替えたくなる理由がなにかしらはあったのだろう。

 なお、東京都民銀行は2018年5月に八千代銀行、新銀行東京と合併して、きらぼし銀行になっている。

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第一信用金庫本店/浪漫亭/ビストロかがり火

2020-01-16 | 新宿区  
ビストロかがり火(旧第一信用金庫本店)
所在地:新宿区市谷柳町1
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
解体年:2015(平成27)
Photo 2006.8.27

 大正時代に信用金庫の本店として建てられた建物。戦後はしばらく病院として使われていたというが、平成期には居酒屋、そしてレストランになっていた。大久保通りの拡幅に伴い2015年10月末に閉店し、残念ながら同年末に解体された。

 2006年に訪れたときは、外壁がきれいに塗り直されていてちょっとオシャレな感じのレストラン・洋菓子店だった。


 Photo 1995.6.3

 1990年代に最初に見た時は浪漫亭という居酒屋だった。

 改修前後の写真を比較すると、側面や正面上部の看板が取り外され、側面には照明も取り付けられていた。店舗の庇も建物に合ったものに取り替えられていた。建設当初の色と同じかどうか分からないが、改装によって外観はもとの建物を活かしたものになっていたようだ。

 浪漫亭という店の名をネットで検索すると、現在も「新・浪漫亭/ビストロかがり火」というサイトがあり、その中の「浪漫亭あれこれ」にこの建物の来歴が記されている。

1925(大正14)第一信用金庫本店(注1)
  戦後    柳町病院(注2)
1989(平成元) 浪漫亭
1996(平成8) 新・浪漫亭
2005(平成17)ビストロかがり火
2015(平成27)閉店、解体

注1)第一信用金庫は、後に帝都信用金庫となる。更に2000.3に東京都商工信用金庫、日本橋信用金庫、東商信用金庫、京橋信用金庫と合併し、現在は東京シティ信用金庫。
注2)柳町病院は1982に道の反対側に移転。

 またこのページには第一信用金庫本店当時の姿も載っている。

 飲食店だった時期の姿と比較すると、もともとは半円形の付柱が1階から立ち上がっていたが、後年は2階部分のみになっていたこと、またかつては中央上部に第一信用金庫の社章とおぼしきレリーフがあったことも分かる。

 もともと銀行系の建物だったのが、戦後、病院になったり飲食店になったりと紆余曲折はあったが、幸運にも90年間使い続けられてきていたわけで、もう少し残れば文化財とかになっていたかもしれないだけに、道路拡幅で取り壊されてしまったのはやはり残念。

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第一生命館

2019-12-14 | 千代田区 
第一生命館
所在地:千代田区有楽町 1-13
建設年:1938(昭和13)
構造 :SRC
階数 :7F(中2階付)・B4F・R2F
設計 :渡辺仁
備考 :1989(平成元)に解体。1995年に東側の農林中央金庫と合わせて超高層ビルのDNタワー21が完成。
Photo 1988.12.20

 皇居のお濠端に建ち水面に美しい姿を映す。戦前から続いた市街地建築物法の100尺(約31m)の高さ規制により、周辺の一連の建物群は軒高が統一されていた。堅牢な構造設計であったため、戦争中は高射砲陣地として屋上が使用された。また戦後は接収され、GHQ総本部として利用されマッカーサーが執務していた。新建物内にも執務室が残されている。

DNタワー21
建設年:1993(平成5)
構造 :S+SRC
階数 :21F・B5F
高さ :99.8m
備考 :東京都選定歴史的建造物
Photo 2007.1.27


 DNタワー21、東側(旧農林中央金庫有楽町ビル側)のファサード。

 DNタワー21は東側部分が農林中央金庫有楽町ビルだった場所にあり、東側は旧農林中央金庫有楽町ビルの石材を一部再利用し、当初とは異なる位置だがそのイメージを再現している。このためDNタワー21は、お濠端側は第一生命館のファサードで角柱が並び、東側は旧農林中央金庫有楽町ビルで使われていたイオニア式柱頭の付柱が並んでおり、東西でスタイルの異なるファサードになっている。
 それでも、塔屋や時計塔がなく、しかも陸屋根の近代建築であるため、銀行倶楽部や野村ビルに比して、高層部との折衷には違和感が少ない。

農林中央金庫有楽町ビル
建設年:1933(昭和8)
構造 :SRC
階数 :6F(中2階含む)・B1F・R1F
解体年:1989(平成元)
Photo 1997.3.27

Wikipedia > 第一生命保険(DNタワー21)第一生命館農林中央金庫有楽町ビル

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