旧相互無尽会社本社
所在地:千代田区 神田神保町2-19
構造・階数:RC・4
設計・施工:安藤組
建設年:1929(昭和4)
解体年:2020(令和2)
Photo 2005.3.25
相互無尽株式会社の本社として建てられたビル。相互無尽株式会社は、1911(明治44)年に「相互貯金株式会社」として設立され、1917(大正6)年に「相互無尽株式会社」に商号変更したという。戦後の1951(昭和26)年に「第一相互銀行」となった。
Wikiを見るといろいろあったようだが、1989(平成元)に「太平洋銀行」となり、更に同行が1996(平成8)年に破綻すると「わかしお銀行」となり、2003(平成15)年に三井住友銀行となった。
神保町にあったこの建物は、相互無尽株式会社の本社として建てられ、戦後、上述のように第一相互銀行の本店となったようだが、1973年の住宅地図では、道を挟んだ西隣(神保町2-21)に第一相互銀行本店があり、この建物は「相和不動産」となっている。更に1982年の住宅地図では「亀田健雄事務所」と「兵藤次郎事務所」となっており、この頃は銀行としては使われていなかったようだ(銀行の部分もあったのかもしれないが、地図では省略されていたのかもしれない)。
ところが、1991年の住宅地図を見ると、この建物は第一相互銀行別館となり、再び銀行として使われたようだ。そして2001年の住宅地図ではわかしお銀行別館、2011年のそれでは三井住友銀行別館と(財)日本タイ協会が記されている。
手もとには1992年時点の写真があるが、当時は銀行の看板などは掲げられていなかった。ただ室内の灯りは点いており、オフィスとしては確かに使われていたようだ。2002年の写真では「わかしお銀行ローンショップ」という看板がコーナー部に出され、さくら通り側には広告も張り出されていた。
Photo 2017.6.26
2010年頃にさくら通りの電線地中化が行われたため、この頃以降は建物の全景がきれいに見えるようになった。周囲の建物が高層化していく中では4階建てのこのビルは可愛らしく見えていた。
また2009年に、外壁はいちどきれいにされている。3、4階のさくら通りに近い部分の窓まわりも修復された。今後も大切に使っていくのかもしれないなと思っていたのだが、最終的に売却されて敢えなく解体されてしまったのはやはり残念。
Photo 2019.3.22
2009年頃に東隣の建物が解体されて駐車場になったため、旧相互無尽会社の建物はポツンと建っているような感じになっていた。隣の建物が無くなったので、東側壁面が見えるようになったのは興味深かったが。
Photo 2005.3.25
壁面はスクラッチタイル張り。改修前にはエアコンのパイプが目立っていたが、改修後は目立たないようにされていた。
西側壁面 Photo 2009.2.16
北側(さくら通り側) Photo 2005.3.25
さくら通り側のこの窓だけ大振りな格子になっており、他の窓とは異なり目立っていた。テラコッタのようにも見えたが、ザラザラした感じは色付きコンクリートだったのかもしれない。
Photo 2017.6.26
「日本近代建築総覧」などでは1930(昭和5)年竣工となっているが、下記、「近代建築探訪」の記事への書き込みによれば、設計・施工の安藤組の記録には1929(昭和4)年竣工と記されているという。
第一相銀別館/神田神保町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
旧相互無尽会社本社 2020.6 | 貴族の部屋
太平洋銀行 - Wikipedia
神保町のビル: ★近代建築探訪★
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