三菱倉庫江戸橋倉庫
所在地:中央区 日本橋1-19
構造・階数:RC・6F+B1F+塔屋
建設年:1930(昭和5)
改築年:2011.10〜2014.8(平成23〜26)
備考 :東京都選定歴史的建造物。
外観の7割を保存しながら建て替え。
Photo 1988.12.20
表現派風のデザインといわれる倉庫建築で、流れるような線を用いた形が特徴的。倉庫ではあるが立派な建物。頂部の塔屋は船橋をモチーフとしているという。
江戸橋側から Photo 2011.1.26
1、2階は重厚な石張り。昭和通り側のファサードは窓が小さいが、日本橋川に面した部分の東側は横連窓で開口部が大きい。
日本橋川の船上から Photo 1998.10.31
かつては川からの荷揚げがされていて、日本橋川の側にはホイストと呼ばれる巻上げ機が、東側の楓川の側にはテルファーと呼ばれるクレーンが設置されていたそうだ。
西南側コーナーの入口 Photo 2011.1.26
モダニズムに至る過渡期の建物なので、様式建築的なデザインはないが魅力的な姿になっている。
南側の搬入・搬出口 Photo 2011.1.26
日本橋ダイヤビルディング
所在地:中央区 日本橋1-19
構造 :高層部S造、低層階SRC造・一部RC造 階数 :18F+B1F
建設年:2014(平成26).9
備考 :高さ約90m、2〜5Fトランクルーム+本店事務所、6〜17F賃貸オフィス
Photo 2019.7.17
2011年から4年近くをかけて建て替え。全て壊して外側に壁を張ったのかと思っていたが、改めて調べたところ、外側は多くの部分を壊さずに残したそうだ。内側の超高層化する部分だけは壊して建て替えたが、その新しいビルには古い建物も構造的に繋がっているという。一部が残っているのは、JPビル(旧東京中央郵便局)と似たような方法だが、中をくり抜くように解体して建て替えるのはなかなか難しかっただろうと思う。
南側壁面 Photo 2019.7.17
南側壁面は多くがガラス張りになっており、低層部でもここは様子がかなり変わっているが、他の外観はかなりの部分が残されている。耐震性があり、規模がそれなりに大きな建物では、建て替えをする場合でもこのような方法があるのだな。
日本橋ダイヤビルディング - 不動産開発・賃貸|三菱倉庫株式会社
歴史を継承、日本橋ダイヤビルの快挙 | 成毛眞の技術探険 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
三菱倉庫/日本橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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森永牛乳佃島配給所
所在地:中央区 佃2-16-12
構造・階数:木・2F
解体年:2007(平成19)頃
Photo 2001.4.22
佃島にあった洋風のベランダを持つモルタル看板建築。周囲には出桁造りの町屋が多いなか、装飾的なベランダが印象的だった。建物左の路地側からは撮らずじまいに終わり、妻入りだったのか平入りだったのかは不明。左側の牛乳店のファサード上部が山型になっているので、妻入りの屋根を隠すように建てられたものなのかもしれないが、右側と一体的な看板建築なので平入りだったのかもしれない。
Photo 2001.4.22
左側のベランダはアーチ型だが、右側は水平に斜材にしており、少し異なるデザイン。だがあまりこういう違え方にはしないような気がする。当初は右側も左側のようなアーチだったが、なんらかの改修の際に直線的なものにされたのではないだろうか。あくまで個人的で勝手な想像だが。
下記、「ぼくの近代建築コレクション」には1989年の写真が載っている。この頃はまだ営業していたようで、2階の両側には袖看板広告が付けられている。当サイトの写真では袖看板が撤去されているが、一方で軒先の看板は新しいものに取り換えられているようだ。2001年の時点でもまだ営業していたのかもしれないが、この5年後の2006年には廃屋化していた模様で、2008年のGoogleストリートビューでは既に空地になっていた。その後、駐車場になり、2020年時点でも同じ状況になっている。
梅本酒店/佃2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
中央区佃~その一 - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's
月島の看板建築 - あの日の街角
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ワカマツヤ
所在地:中央区 築地6-12
構造・階数:木・2F
解体年:2018(平成30).04〜10
Photo 2006.7.23
洋風のベランダ手摺のある銅板張り看板建築。上写真の頃までは「洋品ワカマツヤ」の看板が出されていたが、シャッターが閉じられていることが多く、ほぼ仕舞屋だったようだった。この少し後に1階はギャラリーに改装され、看板は取り外された。
アールヌーボー的ともいわれるベランダ手摺が残る看板建築だったこと、また銅板張り看板建築が少なくなってきたこと、デジカメで気軽に撮れる時代になったこともあって、この建物を撮影しようとする人は多かったようだ。ただ、居住者は建物が撮られることを嫌っていたようで、1階がギャラリーになった頃から2階の窓に「撮影禁止」の貼り紙が出されていた。Google Street Viewを見ると、最後の頃には撮影禁止マークがあちこちに張り出されていたことが分かる。
Photo 2013.10.14
そんなわけもあって、2010年頃以降は角地側の写真は撮らないままになった。上写真は、正面ではなく後方だからといって撮っていいわけではないが、建物内が見えないので許して貰おうと考えて撮った一枚。西側に隣接していた家屋が解体されて、裏側が見えるようになっていたときに撮ったもの。建物が存続していて撮影禁止とされている間はネットに出すつもりがなかったが、数年前に解体されてしまったので記録として出すことにした。
表側は銅板張りだったが、裏側は波板トタン張り。後方には物干し台のある建物だった。隣接地の建物がなくなったためか足場のパイプが組まれてネットが張られ、仮設的な雰囲気だったが、案外きれいに使われていた。
ワカマツヤ洋品店、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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中央築地六郵便局(旧 北晃水産)
所在地:中央区 築地6-8
構造・階数:木・2F
解体年:2018〜19(平成30〜31)
Photo 2013.10.14
晴海通りの北東裏側の小路に面して建っていたモルタル看板建築の郵便局。1階はいろいろ手が加えられて建設当初とは異なるが、2階壁面はサッシが替えられたりしている以外は当初のままだったようだ。
石張りのようにも見えるが、モルタル洗い出しで石張りのように見せていたのではないだろうか。軒先角や窓上の部分は少し出っ張っていてタイルを張っていたのかもしれないが、ここもモルタルだったのかもしれない。中央上部のメダイヨン両側の壁面部分の線も途中で屈折していて少々奇妙。一方でメダイヨンは頑張って造られている。
いつも見ている「北晃水産、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション」には1987年の写真が載っており、このころは北晃水産という会社だったことが分かる。同サイトによると、郵便局はその左側(上写真の山岸水産の建物)だったそうだ。その後、ひとつ隣のこの建物に郵便局が移ったらしい。
Photo 2013.10.14
Google Street Viewで確認したところでは、2018年5月には存在していたが、2019年5月ではなくなっているので、この期間に解体されたようだ。モルタル看板建築なので戦前のものではないかもしれないが、それでも築70年程度は経っていたのではないだろうか。
築地界隈は戦災ではあまり被害を受けなかったが、やはり次第に古い建物が失われている。
北晃水産、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
中央築地六郵便局 : レトロな建物を訪ねて
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旧 入舟湯
所在地:中央区 築地6-3
構造・階数:木・2F
解体年:2017〜18(平成29〜30)
Photo 2006.7.23
銭湯として使われていた頃のことは知らない。初めて通り掛かった1998年5月時点で既に仕舞屋になっていた。下記の「赤猫丸平の片付かない部屋」では、東京都公衆浴場商業協同組合の組合員名簿で、1960年度には「入舟湯」として掲載されているが、1976年度のものには載っていないと記されており、45年ほど前に既に廃業していたようだ。
銭湯でなくなってから長いあいだ別の用途で使われていたようで、「ぼくの近代建築コレクション」では、1991(平成3)年時点で建設会社の事務所として使われていたと記されている。また、手もとの住宅地図(1994年)では個人宅になっている。
小規模な店舗や事務所が混在する住宅地内のやや狭い道に面して建っていたので、最初は元銭湯だとは思わなかった。もしかすると元銭湯かもしれないなとは思っていたが、後でネットで他の方の記事を見てようやく確認したのだった。
平入りで、妻入りの宮造りの銭湯ではない。だが、左右対称で正面中央に建物の規模に比して大振りな唐破風屋根の玄関があるあたりは、やはり銭湯っぽい。2階なのか吹き抜けの高窓かは分からないが上部の窓はお座敷などで見られるもの。「ぼくの近代建築コレクション」に掲載されている1991年時点の写真では、まだ玄関部分に白い壁板は建てられていなかったが、その後、数年の内に扉以外の部分は閉じられてしまった。
Google Street Viewで確認したところ、2017年10月には写っていて、2018年4月では既に解体されているので、その半年の間に解体されたようだ。
Photo 1998.5.23
中央区築地6丁目 入舟湯 銭湯遺跡探訪(4) | 赤猫丸平の片付かない部屋
入船湯、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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築地文具
所在地:中央区 築地2-10
構造・階数:木・2F
解体年:1996〜2002(平成8〜14)
Photo 1995.6.20
大野屋米店と同じ街区で、キムラヤペストリーショップを挟んで少し北西側に建っていた銅板張り看板建築。角地の築地文具から東へ4軒続きの建物だったが、築地文具以外の3軒はトタン張りで改修されていたようで、このトタン板の方はかなり錆びていた。また築地文具の方の銅板も看板上の部分は脱落しており、この時点で既にかなり傷んでいるようだった。
また「築地文具」の看板は掲げてあるが、店舗のような造りにはなっていない。小売ではなく卸とかだったのだろうか。その詳細は知らず。
この建物は2002年までの間に解体されたようで、跡地にはGY築地ビルが2003年4月に竣工している。
築地木村家、他/築地2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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大野屋米店/福市だんご
所在地:中央区 築地2-10
構造・階数:木・2F
建設年代:戦前
解体年 :2013(平成25)
備考 :4F建てのビルに建て替え/更地
Photo 2006.4.7
大野屋米店は、2階の戸袋や1階の軒先が銅板張りになった出桁店舗。4F建てのビルに建て替えられたが、大野屋精米店として現在も同所で営業しており、新しい店舗にも写真にある「おにぎりコーナー」がある。
一方、右側の福市だんごは銅板張りの看板建築だったが、同じ頃に右隣の建物と共に解体された。こちらの跡地は現在も更地のままになっている。
また、左端に少しだけ見えているキムラヤペストリーショップは、2020年2月撮影のGoogleストリートビューにも写っていて、現存している模様。
築地木村家、他/築地2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
アクトデザイン凛太郎のブログ 築地散策ⅩⅡ 築地2丁目 トラヤ ・ 木村屋 ・ 旧福市だんご
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新潮講座の「東京・階段と坂のある街探訪」。4〜6月期は、牛込台地北部(4/24)、板橋区の西台・徳丸(5/22)、田端〜駒込(6/26)をそれぞれ訪れる予定です。
4月24日の牛込台地北部は、神楽坂駅を出発して牛込台地の北側を西へ向かい加二川の谷を経て早稲田へ至るコース。
5月22日の西台・徳丸は、低地側の高島平駅から東武東上線の東武練馬駅まで、前谷津川とその支流周辺の複雑な地形と階段を堪能するコース。
6月26日の田端・駒込は、西日暮里駅から上野台地と谷田川の間の斜面を行き来して、途中、田端駅を経て、駒込駅へ至るコース。
今期もさまざまな階段・坂と街を巡っていきたいと思います。
御関心がありましたら、是非、ご参加頂ければと思います。よろしくお願い致します。
ヨム・カク・ミル・シル 新潮講座 SHINCHO CHAIR|新潮社
牛込北部篇 4月24日(土) 宝竜寺坂
板橋区西台・徳丸篇 5月22日(土) 西台不動尊参道
田端・駒込篇 6月26日(土) 不動坂
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ボルドー
所在地:中央区 銀座8-10
構造・階数:木・2F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2017(平成29)
備考 :1927開業、2016.12.22閉店
Photo 2012.7.25
全く呑めないのでバーとかには縁がない。だからボルドーと聞いてもピンと来ないままで、ツタが一面に這った建物程度にしか記憶していない。ファンの方には申し訳ないが・・。
記事化にあたって検索するといくつもサイトがヒットした。外観はもじゃもじゃだったが、内部は欧州風の落ち着いたインテリアだったようだ。入ってもいない私がいろいろ書いてもしょうがないので、ここではいくつか記事を紹介するに留める。
いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」には、昔の外観のスケッチが引用されている。最後の頃はツタで覆われてファサードデザインがほとんど分からなかったが、アーチ型の玄関を持つモルタル外壁の建物だったようだ。建築家の設計ではなかったそうで、ファサードは様式的ではない感じ。やはり内部空間を味わわなければこの建物はよく分からないのだろう。個人的には最後まであまり関心を持つことができずに終わった建物なのでした。
近代建築レストラン散歩 ●ボルドー BORDEAUX(中央区銀座)
環境デザインマニアック・Environmental Design Maniac > 銀座ボルドー
ボルドー、スエヒロ/銀座8丁目 - ぼくの近代建築コレクション
バンド・オブ・トーキョー☆ 銀座「ボルドー」閉店
銀座最古のバー「ボルドー」が閉店へ 白洲次郎もなじみ:朝日新聞デジタル
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