都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

蓬莱橋

2023-10-21 | 静岡県  
蓬莱橋
建設年:1879(明治12)建設
    1963(昭和38)再建
    1965(昭和40)橋脚をコンクリートパイル化
    1991(平成3)修復
構造 :木桁・PC橋脚
長さ :897.4m
幅  :2.4m
Photo 2001.7.11

 大井川に架かる賃取橋。豪雨等の際に桁が流失してしまうことを前提にして、木材で軽微な桁を架けて橋を渡している。通行料(昔は1人20円だったかな? バイクや自転車だともう少し掛かる。)は橋の補修に充てられる。最近も流失したため現在抜本的に修復中。全国的に数少ない木造橋で、且つ長大であるため、時代劇の撮影などにしばしば用いられている。

 島田側から橋を渡るとすぐに牧ノ原台地へ上る坂道になる。茶畑の中をしばらく歩くと台地の上に出る。もともとはお茶の農家が畑に通うために作られたものらしい。

静岡県土木遺産(道路橋)|静岡県公式ホームページ
蓬萊橋 (大井川) - Wikipedia

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旧国道1号 大井川橋

2023-10-18 | 静岡県  
旧国道1号(現 県道381号)大井川橋
所在地:静岡県島田市 向島町−金谷東
建設年:1928(昭和3)
構造 :S造・17連曲弦プラットトラス橋
長さ :1026.4m
Photo 1997.5.2

 大井川に架かる旧国道1号(現 県道381号)の橋。
 戦前で最大級の道路用トラス橋。60m弱のスパンで17連、1,000mを超える長大橋。


 Photo 1997.5.2

静岡県土木遺産(道路橋)|静岡県公式ホームページ
土木学会選奨土木遺産 中部 / 大井川橋
県道島田金谷線大井川橋(島田市) | 島田土木事務所

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旧国道1号 富士川橋

2023-10-15 | 静岡県  
旧国道1号(現 静岡県道396号富士由比線)富士川橋
所在地:静岡県富士市 松岡−岩渕
建設年:1924(大正13)
構造 :S造・6連曲弦プラットトラス橋
長さ :399m
備考 :1988(昭和63)に6連アーチのうち2連を拡幅のために架け替え。
   :1993(平成5)に国道から県道になった。
Photo 1994.5.2

 大正時代にできた鉄骨トラス橋。古い橋なので片側1車線ずつしかない。新しい橋の方が良いような気も少しするが、オールドスタイルのトラス橋は絵になり、ランドマークになっている。

 県内にはこの他、安倍川、大井川にも国道1号線にトラス橋が架かっている。三つの橋の写真を比べてみると、それぞれトラスの形が微妙に違うことに気付く。

静岡県土木遺産(道路橋)|静岡県公式ホームページ
歴史的鋼橋: T8-005 富士川橋 - 土木学会

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清水橋

2021-11-21 | 文京区  
清水橋
所在地:文京区 西片1・2丁目と本郷6丁目の間
構造 :RC
建設年:1936〜37(昭和11〜12)頃
解体年:2018(平成30)
Photo 1994.11.28

 昔からある橋で近代土木遺産の一つでもある橋だったが、橋をメインにした横からの写真は撮っていなかった。


 清水橋と西詰の階段 Photo 1994.11.28

 この写真も階段を中心にしていて橋はよく見えない。


 Photo 2008.6.4

 横からは撮らなかったのに、下からは撮っていた。橋桁の隅角部分が1/4円になっている。表現主義的と言っても良いのだろうか。


 Photo 2008.6.4

 この橋については、以前は建設年代がよく分からなかった。『日本の近代土木遺産』((社)土木学会編、2001年刊)では、写真の橋は1926(大正15)に架けられたもので、長さ18.04mと記されている。しかし橋の架け替え後、文京区が橋の東詰に設置したパネルには、1936・37(昭和11・12)年頃に架橋されたと考えられているとあり、現在はそれが公式見解のようだ。
 


 現在の清水橋の橋詰に設置された説明板(上写真)から転記

清水橋(からはし)の今昔
 西片町(西片一・二丁目)と森川町(本郷六丁目)を結ぶこの橋は、正式名を「清水橋」といい、地元では 「からはし」(空橋、伽羅橋、唐橋)とも呼ばれています。
 江戸時代、西片町側には備後国福山藩阿部家、森川町側には三河国岡崎藩本多家の江戸屋敷がありました。当時はまだ、西片町と森川町の間に橋はなく、谷底に一筋の清水が流れる急峻な谷間で隔てられていました。この地に清水橋が最初に架けられたのは、明治13年(1880)に阿部邸前から本多邸前への道が整備された頃と考えられています。同じ頃、谷底は道路として整備され、清水の流れも道の端に残るだけとなったことから「からはし(空橋)」とも呼ばれるようになったと伝えられています。この地ゆかりの文人、樋口一葉の日記にも「空橋」として登場するなど、多くの人々から親しみ、愛されてきました。
 清水橋はこれまで4度架け替えられており、二代目の木橋は、明治39年(1906)に、旧福山藩士の生まれで、著名な建築家の武田五一(1872〜1938)の設計によるものでした。三代目の橋は、大正13年 (1924)に撮影されたと思しき写真が残されているのみで、残念ながら設計図等の資料が残っていないため、架橋された年代、構造等の詳細については不明です。四代目は、コンクリート造の橋で、地元の方々の話から、昭和11、12年(1936、1937)頃に架橋されたと考えられています。
 そして、この五代目となる清水橋は、当時の木橋だった頃の面影も感じられる木目調のコンクリート橋として、平成31年 (2019)に架橋されました。
 パネル掲載の図版、左から、二代目清水橋の設計図(武田五一設計)、三代目清水橋(大正13年撮影)、四代目清水橋(平成29年撮影)
平成31年2月 文京区


 橋詰のパネルには、1924(大正13)年に撮られたという現在とは異なる桁橋の写真もある。従ってこれが3代目となり、近年まであった橋は4代目、現在の橋は5代目となる。
 個人的には、大正期に架けられた3代目を、昭和11、12年頃に改修・補強して近年まで使っていた可能性もあるのではないかと思うが、そのあたりは詳細な資料を見ていないので分からない。

清水橋/西片2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
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巴川製紙所 清水事業所

2021-08-31 | 静岡県  
巴川製紙所 清水事業所
所在地:静岡市清水区入江1-3
建設年:大正〜戦前?
解体年:2002〜07?
Photo 1995.5.7

 巴川製紙所は1914(大正3)年にこの場所で創設された会社。建物が創設当初からのものかは分からないが、戦後すぐの頃の航空写真にこの建物と思われるものが既に写っているので、戦前の建物だったのではないかと思う。

 手前の水面は巴川で、手前から奥へ向かって流れている。河口に近い下流域なので流れは緩やか。左端の橋は1929(昭和4)年架橋の柳橋で、恐らくRC造の桁橋。その奥に東海道線の緑色のトラス橋が重なって見えている。

 建物は東西に長い平屋で、中央と両端は少し背が高く2階建てだった。写真では分からないが、中央部の2階上の壁面には「巴」の字を○で囲んだマークが掲げられている。工場建築なので装飾はほとんどないが、長い壁面に丸柱が並ぶ姿だったようだ。

 同社のWebsiteを見たところ、耐震性の調査を2002年から始め、耐震補強などのため2007年までに古い建物の除却や建て替えを行ったようだ。従って、この写真の数年後に工場建物は現在のものに建て替えられたらしい。

会社沿革 | TOMOEGAWA
巴川製紙所 - Wikipedia

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日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
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水無橋

2020-11-25 | 渋谷区  
水無橋
所在地:渋谷区神宮前6丁目
構造 :鉄
建設年:1883(明治16)
解体年:2006(平成18).3
Photo 1989.5.3

 原宿駅前、代々木体育館東側の山手線に架かっていた鉄橋。1883年に日本鉄道品川線が通された際に切通しが建設され、上写真の橋はこのときに架設されたものらしい。

 Y字形の橋脚はレールを曲げたもので、これをアングル材でつなげたり補強して造られていた。4径間で、中央の2径間部分に山手線と埼京線(山手貨物線)が通っている。

 120年あまり利用されていたが、2006年3月に現在の橋に架け替えられた。現在のものは途中の橋脚がない桁橋。

Tokyo Lost Architecture
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相渕の吊り橋

2019-10-05 | 静岡県  
相渕の吊り橋
所在地:静岡市葵区相渕
長さ ;約270m
Photo 2016.1.5

 安倍川に架かる吊り橋。5つある吊り橋の中ではもっとも下流側にあるので長い。
 相渕の集落へは、別の道を通れば車でも行けるが、幹線道路にあるバス停からだと、この吊り橋を渡っていくことになる。
 一度に10人以上では渡れませんという注意書きが不安にさせる。しっかりしてるから大丈夫だろうとスタスタ歩いたら、共振してかなり揺れたので逆に焦った。

 途中にも橋塔がある2径間の吊り橋で、中央に行くだけでそこそこ時間が掛かったので、そこで折り返してしまった。山の東裾にある集落は、午後2時頃にはもう日陰になってしまっている。

 中間地点にある橋塔から東側半分。ここまでで100m以上。でもまだ河川敷で、川の流れの上に至らない。

 中間地点の橋塔から西側半分。奥の日陰になった場所に相渕の集落が見えている。歩行部分の幅は1m程度。

静岡の建築
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勝鬨橋から浜松町方面

2018-12-14 | 中央区  

東京新旧写真比較(1988/2018) No.071 勝鬨橋から浜松町方面

勝鬨橋から浜松町方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ
Photo 2018.9.23(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 東京新旧写真比較。前回と同じく勝鬨橋から浜松町・芝浦方面。逆光なので全部シルエット。太陽を正面に見る写真は撮りたくなかったが、東京タワーを入れるため前回の写真より少し西方向を写したもの。今回の撮影に際しては、iPhoneのPerfect BAというアプリを使用して、およその位置確認を行った。シルエット写真ではあるが、3棟の超高層ビルと東京タワーが見えているため、撮影位置は比較的よく一致している。

 30年前は高層ビルがまだ少なかったのだなと改めて感じる。前回の写真同様、東京ガスビルと世界貿易センタービルはほとんど隠されてしまい、東京タワーも汐留近辺のビルによって半分以上が隠されてしまった。

 1988年時点の東京タワーは上の方がそのまま細くなっている。特別展望台の上に地デジ関連の設備が設置されて上部が大きくなったが、それから既に15年ほどが経って今のタワーの姿に慣れたため、昔の姿は却って新鮮だ。

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勝鬨橋から芝浦方面

2018-12-11 | 中央区  

東京新旧写真比較(1988/2018) No.070 勝鬨橋から芝浦方面

勝鬨橋から芝浦方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ
Photo 2018.9.23(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 勝鬨橋から隅田川河口方向を見る。1988年の写真がシルエットであるため、位置の特定がしにくく適当に撮影してみたら、実際はもっと築地寄りの地点から撮影したもので、川沿いの築地市場などは上手く一致しなかった。

 1988年当時、この方向に見えていた超高層ビルは3棟だけ。左から東芝の東芝ビル(1984年竣工、現 浜松町ビルディング)、中央に鉄塔がある東京ガスビル(1984年竣工)、右が世界貿易センタービル(1970年竣工)。

 それなりに背の高いビルなのでビル自体は見えるだろうとたかをくくって現地へ行ってみると、驚くべきことに東芝ビル以外はほとんど見えなくなってしまっていた。東京ガスビルはビルの隙間に見える壁面と、屋上のアンテナの先端だけ。世界貿易センタービルも白くライトアップされた屋上階しか見えない。竹芝埠頭近辺に高層ビルが多く建って隠されてしまったのだった。

 築地大橋ができたのも予想外だった。こうして30年前と比較してみると、隅田川はかなり都会的な景色の中を流れる川に変わったのだった。高層ビルは既に建ってはいたが、今と比べると30年前の川の景色はのどかなものだったのだなと思う。

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