都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

蓮永寺

2019-12-20 | 静岡県  
蓮永寺 山門
所在地:静岡市葵区沓谷2-7
Photo 2016.8.18

 蓮永寺は鎌倉時代の創建で、江戸時代初期に現在地に移ってきた古刹。徳川家康の側室、お万の方(紀州徳川家の家祖徳川頼宣や、水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。養珠院)の墓があることでも知られる歴史的な寺。
 山門は自動車が通れるもので、駐車場もこの奥の左側にある。

 山門を抜けて少し先で左に曲がると仁王門がある。
 この時は平成の大改修が行われていて、仁王門にも改修中である旨の幕が付けられていた。

 肝心の仁王像は網の向こうでよく見えない。だが、手前の柵に小さな穴が開けられていて、どうやらそこから覗いて拝見する仕組みになっているようだった。

 確かに穴から覗くと仁王が見下ろしている。こういう見せ方もあるんだなという感じなのだが、ちょっと迫力に欠ける見栄えになってしまっているような気もする。

 仁王門から境内  右奥が本堂。中央は鐘楼。左はかつての三松幼稚園の建物。

 庫裏  屋根は金属板葺きで新しくモダンなのだけれど、あちこちのパーツがわりと古め。古い建物の屋根を葺き替えただけなのだろうか。

 左・客殿、右・本堂  本堂の屋根も瓦が葺き直されて立派。

 お寺じたいのWebsiteはない模様。Wikiその他によれば、1774(安永3)にいちど伽藍が焼失したが、寛政年間(1789~1801)に再建されたという。ただそれぞれの堂がいつ頃建てられたのかは、ネット上の情報では分からなかった。
 第二次大戦時には静岡も空襲があったが、蓮永寺のある沓谷は、街の中心部からやや東にはずれているので、空襲の被害はなかったらしい。

 本堂   修復したからかなのか、素木感が強い。ただ新築の感じとも違っていて枯れた感じだけれど妙にきれいな木肌をしている。20年ぐらい前に訪れた時は、今と違う印象だった気がする。

 境内の片隅にある平屋の建物は、同寺が以前に幼稚園を経営していた時の園舎。現在は物置のように使われている。 玄関部分には「ヤマハ音楽教室」とも書いてあった。

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #寺院  #門・ゲート 
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本覚寺

2019-10-09 | 静岡県  

 本覚寺は静岡市駿河区にある日蓮宗のお寺。鎌倉時代の1288(正応元)に、現在の富士市岩淵の中之郷に小庵が開かれたのがはじまりだそうだ。1307(徳治2)に領主から池田の地を譲り受け、1308(徳治3)に現在地に寺が造られたという古刹。

 移転の際に植えられたという樹齢約700年を超える大クスノキが立派な寺だが、市内の中心部ではなく日本平山麓にあるためか、静岡の人でも知らない人が意外に多い。

本覚寺 総門
所在地:静岡市駿河区池田137
建設年:江戸時代
Photo 2016.4.30

 総門は江戸時代のもので、明治2年に失火で諸堂が焼失した後、明治初期に現在地に移築されたという。

 鐘楼は1908(明治41)年に再建されたもの。総門から一直線に東へ向かった木立の奥に本堂が控えている。

 本堂は江戸時代後期の1818(文政元)年築。瓦葺きだったそうだが現在は銅葺き。ただ内部は鎌倉時代のままなんだとか。静岡市内にもかなり古い時代の建物があることに驚く。

 宝蔵だろうか。だとしたら1870または71(明治3または4)年に建てられたもの。本体は石造か木造モルタル塗、入口の唐破風部分は木造モルタルだろうか。

 本仏堂は、南北朝時代の1321(元亨元)年もので、これも移転直後の時期のものでかなり古い。高松の海中から見つかった木像の釈迦牟尼如来などを安置しているそうだ。

 大クスノキは2本あり、片方は樹齢約700年、もう一方は約670年だという。共に樹高約35m、幹回り7m以上で県指定の天然記念物。枝振りも40m近いのではないだろうか。下を通っている軽トラックと比較すると、いかに大きいかわかる。

 大木の近くまで行くと頭上高く覆い被さってくる。一本は塀の内側、もう一本は道路側にあるが、両方とも葉をたくさんつけていて元気だ。眺めているとなんだか有り難い気分になってくる。巨木巡礼というのもいい。

 幼少期にこの近所に住んでおり、散歩で連れられて訪ねたりしていたので知っていたが、同級生などとの会話で話題に上ったことは一度もない。30年ぶりぐらいに訪ねて、クスノキの巨大さに改めて驚愕し、良い雰囲気の境内を持つ寺が近くにあったのだなと、改めて感じた次第。

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #寺院  #門・ゲート  #樹木・植物 
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フィロハポス記念碑のある丘

1993-03-19 | ギリシャ 

1993 Europe日記
1993.3.19 Fri Athene

15:00 フィラパポス記念碑のある丘へ上る。絵はがきそのままの風景が見えて感動する。もう一つの絵はがき風景の場所は遺跡公園の中で見ることができなかったが・・・。

アテナ・アルケゲテス門(Gate of Athena Archegetis)

16:30 プラカ地区の土産物屋街へ行く。結局、オニキスの箱、Tシャツ×2枚、ギリシャ音楽のテープ。銀細工、地図、ペーパーナイフを買う。いろんなものを買ったなぁ。

18:00 アギオスエレフテリオス教会近くの喫茶店でカプチーノダブルを飲む。結局今日も結構疲れてしまった。

18:30 ホテルに戻ろうとしてK氏に出会い、今日も例のレストランへ行く。行ってみたらS君が既に食べ始めていた。席について注文してから話などをしていたら、突然S君が不調を訴え、席を立ちホテルに戻って行ってしまった。後で聞いたところでは、店のすぐ外でめまいを起こして倒れ、隣の雑貨屋さんの人に水を貰ったという。私はミートボールを食べ、野菜スープを飲む。

19:30 ホテルに戻る。

#街並み 海外  #眺望  #山  #教会  #モニュメント 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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ゼウス神殿

1993-03-17 | ギリシャ 

1993 Europe日記
1993.3.17 Wed Athens

09:00 起床。昨晩は寒くなかった。しかしやはりノドが少しやられている。朝はゆっくり起きた。イタリアだと8時なのだが。ギリシャでの滞在はのんびりしたものになりそうだ。結局、島で一泊というのもやめにした。荷物を持って船に乗るのが面倒だから・・・。というわけでここのTempiというホテルに4泊することにしてしまう。今回の旅行中、最も長く滞在する宿となった。

09:45 出発。昨晩行った近くのレストランで朝食をとる。トーストと目玉焼きなどを食べる。スニオン岬などへ行くK氏とは、朝食後、別れる。

アテネ国立庭園周辺からリカヴィトスの丘

 S君と二人でTourist Informationへ行き、スニオン岬への行き方を少し教わる。ただ、今日はパルテノンの丘へ行くことにする。

ハドリアヌスの凱旋門 - Wikipedia
竣工年:AD131/132

10:00 歩いていたら、ハドリアヌスの凱旋門が見えたので、そのそばにあるゼウス神殿を先に見に行く。入口が分かりにくいのだが、柵を辿って行き、学生料金200Drsを払って中に入る。

ゼウス神殿 - Wikipedia
竣工年:AD132

 巨大な大理石を積み上げて造った柱が十数本、忽然と立っている。立ちすくんでいると言っても良い。あるものは一番下が欠け、あるものは上下がずれていたりもする。周囲は砂地でなにもない。

 遠くにある2本の柱の場所にまで神殿が続いていたのだとしたら、結構大きな建物だったに違いないが、往時の様子は想像するほかない。

 コリント式の列柱が美しい。パルテノン神殿はドリス式の柱でやや重厚だが、ゼウス神殿のコリント式の柱は、太さと長さの比がより細長く、柱間も柱の太さに比して広い。またコリント式の柱では、ドリス式よりフルーティングがやや深く彫られているため、縦線が強調されてより細長くスマートで華奢で華やかに見える。

 倒壊した柱の石が無造作に置かれている。

 425年に東ローマ帝国の皇帝が、キリスト教以外の神を祀ったゼウス神殿を否定し、その後、破壊され、多くの石は他の建物の資材として転用されたという。

 ただ、ローマなどで遺跡を多く見ていて思うのは、当時の石が残っている場合、それをもう一度組み直すつもりはないのだろうか?、ということ。爆発で損傷したパルテノン神殿などは今も少しずつ復原作業が行われているのだそうだ(といっても全復原ではないけれど・・・。)。
 過去において破壊された歴史もあるので、無闇に復原してしまうのも違うのかもしれない。そのあたりは難しい話なのかもしれないが、素人考えとしては、ゼウス神殿ももう少し往時の様子に戻してくれないかな〜と思ってしまう。

 時間が止まったように列柱が建ち並ぶ動きのない場所だが、実はあたりがシーンとしているわけではない。柵のすぐ外側では、原付やバスが排気ガスをまき散らしながら、警笛を鳴らして走っている。

#街並み 海外  #眺望  #塔  #モニュメント  #門・ゲート 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Roma 4 フォロ・ロマーノ

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 16:00 フォロ・ロマーノとその周辺を見て回る。とにかくこの地域は遺跡だらけだ。古代遺跡めぐりも結構楽しい。古代にはこんな建物でそこらじゅうが埋め尽くされていたのだろうかと思うとすごいなぁと思う。

フォロ・ロマーノ - Wikipedia
バシリカ・ユリア - Wikipedia

 ただ、遺跡というのは想像力を要する。昔の街並みがどうなっていて、人々がそこでどのように活動していたかは、ローマ時代の建築スタイルやライフスタイルについての知識がないと想像もできない。柱の礎石だけがずらっと並んでいてバシリカの跡と言われても、その使われ方や建築の姿形は、ヨーロッパ古代の文化についてある程度知らないとわからないだろう。欧州の人々のように西洋建築の基本的知識がないと、遺跡もただの廃墟にすぎない。

 左:セプティミウス・セウェルスの凱旋門(Wikipedia)
 奥:サートゥルヌス神殿(Wikipedia)

 あちこちに神殿や凱旋門が建ち並んでいる。神殿が全て残っているわけではないが、象徴的なモニュメントがあちこちに立っているような感じだ。

 エリア内にはお店や住宅はないので、現代の街のような賑わいはなく、ひたすら石造りの遺跡を見て回るだけ。あまり広大だと次第に飽きてくるのも事実。

コンコルディア神殿(Wikipedia)

 現代のローマ市民は遺跡の中に暮らしてるみたいな感じだなと、K氏が言っていたのが印象的だった。

#街並み 海外  #眺望  #モニュメント  #教会  #門・ゲート  #ローマ  #世界遺産 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Roma 1 ローマ着・ピラミデ

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 07:50 車掌に起こされる。パスポートとユーレイルパスが返却される。

 08:28 ローマ・テルミニ(Roma Termini)駅着。

 09:30 ホテルを探して駅周辺を歩き回る。「地球の歩き方」に載っているホテルを2軒回るが、一つは閉まっていて、一つは感じが今ひとつだった。3軒目は愛想が良かったので決めかけたのだが、なぜか下の階の別のホテルに回されてしまった。どうやら上の階は満室だったらしい。上の階のホテルはPensione Everestという名で、下のはPensione Arzentina。ここらへんのホテルは一つの建物の中に階によって異なるホテルが同居していることが多いようで、ちょっと驚かされる。いくつも廻りたくないので、ここに決める。一泊60,000Lire、一人3,500円。3泊で一人90,000Lireずつ支払う。部屋はトリプルで、ダブルベッド+シングルベッド。なんだかだだっ広い。風呂、トイレは別だが、洗面はついていた。中庭が見える静かな部屋。

 10:00 街へ出る。朝から何も食べていない。駅前でサンドイッチ一つの朝食をとる。バスと地下鉄のフリーパスを買う。2,800Lire。バスルートマップを貰おうとしたら、足りなくなっちゃってありませんだと。うわぁい。それじゃ上手くバスを使えないじゃないのさ。

 10:30 なんだか早くも疲れてしまった。共和国広場でMcDonald'sを発見。またもや入ってしまう。慣れない国ではお世話になってしまうことが多い。

 11:00 JALのオフィスとOlympic Airlineのオフィスを発見。次のギリシャ行きと最後の帰国便のリコンファームをしたかったが、オフィスは土日でお休み。参っちゃうよね。電話をかけてみるが当然誰も出ず。後でいろいろ起こるのが嫌だったのと、当日、慌てなくてもすむように、下見も兼ねて空港のカウンターまで行ってみることにする。
 バルベリーニ(Barberini)から地下鉄A線に乗り、テルミニ(Termini)でB線に乗り換え、ピラミデ駅(Piramide)まで行き、近くのローマ・オスティエンセ駅(Roma Ostiense)へ。

 11:55 ここから20分間隔で出ているイタリア国鉄FSの空港線に乗り、フィウミチーノ空港(Aeroporto di Fiumicino)へ。列車は暖かく、日差しも春めいて、二人とも寝てしまう。地下鉄は混んでいたりして少し緊張するが、国鉄は空いていてゆっくりできる感じ。

 12:20 フィウミチーノ空港着。12:30 Olympic Airlineのカウンターで、リコンファーム。とりあえず良かった。JALの分はできなかったが、これはもう少し時間的余裕があるので、後日にする。

 12:55 空港からまたオスティエンセ駅へ戻る。

 13:20 ピラミデ駅で下車。ピラミデを見る。

ガイウス・ケスティウスのピラミッド - Wikipedia

 ローマにピラミッドもどきがあるとは知らなかった。しかも本場?のピラミッドより傾斜が急で、ちょっと奇妙な感じ。当時は、なんだろうなこれ、程度の感触しかなかった。

 後々20年以上経ってから、Wikiとかで調べてみたら、これは、古代ローマの執政官、法務官を務めたガイウス・ケスティウス・エプロという人の墓で、紀元前18年から12年の間に建造されたものなのだそうだ。本人の遺言で造られたらしいが、なぜ彼が古代エジプトのピラミッドに興味を持ち、自分の墓にしたかは不明だそうな。エジプトのピラミッドに比べると規模は小さいが、それでもこれだけの墓をわざわざ造ったとは。

サン・パオロ門 - Wikipedia 
ピラミデの近くに残されているローマ市のアウレリアヌス城壁とサン・パオロ門もついでに見る。この城壁と城門は、3世紀に築かれたもので、一時期は、ピラミデも城壁の一部として取り込まれていたのだという。

 まちなかに1000年以上前の遺跡がゴロゴロ転がっているようなのに軽くショックを受ける。もちろん文化財とかなのだろうが、驚くほど素っ気なく佇んでいる。わざわざ見学する人も少なく、傍らを自動車が普通に走り過ぎていくのは、日本人からするとやや奇妙な感触だ。

#街並み 海外  #モニュメント  #門・ゲート   #ローマ 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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ラ・デファンス地区

1993-03-06 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.6(Sat) Paris

 16:00 ブローニュの森をかすめてラ・デファンス(Wikipedia)に到着。

噴水とグランド・アルシュ

 ルーヴル宮からシャンゼリゼ、エトワール凱旋門広場を経てここに至る、いわゆる「パリの歴史軸(Wikipedia)」が地区の中央を貫いており、地下には地下鉄や幹線道路が通っている。そしてその上部は巨大な人工地盤で、広々とした歩行者空間になっており、噴水なども配されている。

la Grande Arche

 エトワール凱旋門から西の遠方に見える立方体状の建物が、la Grande Arche(Wikipediaグランド・アルシュ)。高さ、幅、奥行きが共に約110m程度で、両サイドはオフィスビル。最上階へは中空部分に設置されたエレベーターで上り、屋上に出ることが出来る。

中空部分に設置された展望台行きのEV

 このエレベーターがなかなかすごいものだった。シースルーエレベーターはよくあるが、これは外囲いがほとんどなく、数本のレールで囲まれたスペースをキャビンが上るもので、するすると上る感触は結構スリルがあった。また、上り下りする時に、カタンカタンとなにかラッチが掛かるような音がし続けるのも、他のエレベーターでは全く聞いたことがないもので印象的だった。

グランド・アルシュ 中空部分下部の膜屋根

 中空部分は屋根下のようになっているが、相当高いところに屋根に相当するものがあるので、雨が吹き込むこともあるのだろう。雨対策だけかどうかは分からないが、下部のチケット売場などには膜屋根が架けられていた。

 中空部分入口の階段から、人工地盤方向を振り返ると、地区全体をパノラマ的に見ることができる。

 左手のシェル構造の建物は、国立産業技術センター(CNIT)。三角形の平面型をした大型の展示スペースのようだ。

 la Grande Archeの屋上展望台にエレベーターで上る。

 屋上じたいはどうということはなかったが、やはり良い眺望だった。パリ市内は文化財建造物周辺の景観を守るため、高い建物の建設が規制されているので、ほとんどが中層以下の建物だが、郊外のデファンスは逆に積極的に超高層化が進められており、いわゆる新都心の様相を見せている。遙か彼方にエッフェル塔だけがそびえているのがまた印象的だ。

 展望台から下りて、再び都心方面へ戻るべく人工地盤上を歩いていく。途中の池には現代アートのオブジェが設置されていた。午前中に訪れたラヴィレット公園もそうだが、パリには、古い文化財建物やルーヴルに展示されているような古典芸術作品があるだけでなく、現代アートの作品もあちこちにあるのがなかなか興味深く、面白い。

 17:30 中心部方面へ向かうバスに乗り、デファンス地区を出る。

ルーヴル美術館・前庭のガラスピラミッド

 18:30 再びルーヴル宮前に到着。夕暮れ時、内側からライトアップされたガラスピラミッドもなかなか美しい。これが出入口を兼ねて、人々の動線を上手く処理するための施設になっており、なおかつ西洋建築の起源的な存在でもあるエジプトのピラミッドの縮小版のような形にもなっているあたり、上手いことやるなぁと感心しきり。

 しかし、なんだかルーヴルのあたりをなんどもうろうろしている感じ。S君と落ち合う。

 19:00~20:00 夕食。小さなレストランでイタリアン料理を食べる。結構おいしかった。

 21:00 帰寮。洗濯をしたかったが、混んでいてできず。次のスイスから先の予定を3人で練る。

 24:00 ようやく予定が決まる。K氏は予定が決まったらすぐに寝てしまった。

 24:30~26:30 洗濯。非常に時間が掛かってしまった。

 27:00 就寝。明日はひどい寝不足になりそうだ。絵はがきが出せなくて残念。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#新しい建物 海外  #オフィス  #パノラマ  #眺望  #広場 
#ホール・体育館  #高層ビル  #モニュメント  #門・ゲート  #現代建築 
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夜のパリ市内散策 2

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 夕食後、それほど遅い時間ではなかったので、夜の市内を3人で散歩することにする。

 19:30 バスでコンコルド広場へ行き夜景を見る。

コンコルド広場からシャンゼリゼ通り、凱旋門方面

 20:30 シャンゼリゼを経て、凱旋門の夜景を見る。シャンゼリゼの一般の店舗はもう閉まっている時刻だったが、ショーウィンドウなどには灯りが点いている。また飲食店などは営業している店もあった。ただ、その照明が通り沿いの建物のファサードを照らすことは少なく、街路樹があるせいもあって、通りを中央から撮影すると、道路の照明と行き交う車両の灯りが中心になる。

 また、イギリスは左側通行だがフランスは右側通行。運転するわけではないが、道路を横断する際など、到着当日はまだ戸惑うことがあるのだった。

凱旋門下からデファンス方面

 東京の派手な夜景に較べるとやや暗いものなので、ISO400のフィルムを使っていても手ブレするような感触があったので、広場の石かなにかの上にカメラを置いてセルフタイマーで撮影。手ブレはしないが、画角の自由がなくなるので、手前に暗い広場が大きく写り込んでしまった。

シャイヨ宮からエッフェル塔の夜景

 20:40 シャイヨ宮からエッフェル塔の夜景を見る。どれも美しい。エッフェル塔のライトアップは一部の照明が工事中だったのか点灯していなかったが、それはそれで良かった。あまりいろんな色にしない方が素直でかえって美しい気がする。

 東京タワーは地色が赤と白になってるので、どうしてもオレンジとか赤系統の色になるが、エッフェル塔はベースが無彩色系で、暖色系の照明の色がそのまま出ていて、なんだかやはり上品。シャイヨ宮の側の噴水もライトアップされていて、誠に絵葉書的な景色だ。

 21:20 バスで途中まで戻るが、終バスになってしまい、地下鉄を乗り継いで戻る。

 22:20 買い物をして宿に戻る。

 24:40 日記を書く。手紙も書く。

 25:30頃 就寝。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#ヴィスタ  #夕景・夜景  #塔  #モニュメント  #門・ゲート 
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シャンゼリゼ通り

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 13:00 バスで凱旋門へ。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)で下車。

エトワール凱旋門(Wikipedia
竣工年:1836
高さ :50m

 とりあえず有名な凱旋門は見ておこう、写真を撮るなら1枚はシンメトリーな構図でと考え、道路を横断する途中でちゃちゃっと撮影。その際、屋上にちらちら人影が見えたことで上に上れるらしいことにようやく気付く。予備知識無しで適当に訪れると、そういうことをきっかけにどんどん予定が変わるが、この時はなぜか見学にはさして興味が無く、そこからシャンゼリゼ通りをルーヴル方面に歩くことの方が優先されたのだった。

シャルル・ド・ゴール広場からシャンゼリゼ通り

 大きなロータリーの中心に建つ凱旋門の足下までは行ってみる。シャンゼリゼ通り(Wikipedia)は幅70m。日本にはあまりない広幅員の目抜き通りで、しかもコンコルド広場まで約3km、一直線に続いている。また沿道の建物の高さなどが規制されているため、ほぼシンメトリーな街並みが視界の奥まで延々と続く。

シャルル・ド・ゴール広場からデファンス方面

 ルーヴル宮とは反対の方角、ラ・デファンス方面の様子。デファンスはパリ市外のため、市内のような記念的建築物に関わる高さ規制は受けないという。このためデファンスには近代的な超高層ビルが多く建ち並ぶ。
 エトワール凱旋門の周りのロータリーはいつも車がたくさん走っている。

 14:30 シャンゼリゼ通りをぶらぶら歩いて、コンコルド広場へ向かう。3kmもあるとは知らず、1kmほどのつもりで歩いていたので予想外に遠かった。

シャンゼリゼ通りの街並み

 シャンゼリゼ通りの街並みを構成する建物は、そのほとんどが白か明るいクリーム色の外壁。また、斜線規制を受けて上部がセットバックしている。一つ一つの建物の規模が比較的大きい、もしくは建物が連続していることもあって、比較的統一感があるゆったりとした街並み景観が創り出されている。

 3月上旬なので街路樹には全く葉がなく寒々しいが、そのぶん建物が織りなす町並みはよく見えた。

シャンゼリゼ通り・フランクラン D ローズヴェルト駅のある交差点付近

 途中には噴水のある広場が造られている。広幅員で真っ直ぐな道といい、ロータリーの交差点に面した噴水といい、日本とはスケールが違う。そのようなものを造らせてしまえる権力のすごさをいちいち感じ、そうならない日本の社会環境を残念に思ったり、逆にこういうことにあまりお金をつぎ込まない現在の日本の方が良いのかもと思ったり・・・。結果的には観光資源になっているからこれはこれで良いのかもと思ったり。。。

グラン・パレ(Grand Palais・Wikipedia
竣工年:1900

 グラン・パレは、1900年に行われたパリ万博万国博覧会のために建てられた大規模な展覧会場・美術館という。列柱が並ぶ古典的な外壁がある一方、鉄とガラスで巨大なヴォールトが造られているのが印象的。新古典主義のファサードを持つ巨大温室みたいにも見える。

 ロンドンのように雪は降らなかったが、3月上旬のパリはまだ寒く、シャンゼリゼを歩く人もまばら。彩りの少ない景色の中をコートを着た男性がひとり歩いている様子はモノクロ映画のワンシーンのようでもある。

 スケールが大きい景観は壮大で魅力的ではあるがが、これを向こうの方まで歩くのかと思うとそれはそれでややうんざりする。馬車かなにかに乗って、ある程度のスピードでもって優雅に移動する事を念頭において考えられた都市構造であり街並みなのかもしれない。

コンコルド広場とオベリスク
広場の設計年:1755

 ようやくコンコルド広場(Place de la Concorde・Wikipedia)に到着。広場中央に建てられているオベリスクは、ルクソールオベリスク(Wikipedia En)(クレオパトラの針・Wikipedia)と呼ばれ、1826年に、当時エジプトを支配していたムハンマド・アリーがフランスに贈ったものといい、1833年に広場に立てられたそうだ。
 先端部分が紀元前6世紀ごろに盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。このため現在はこの写真より尖った形になっている。

 コンパクトカメラ(フィルム)なので、広角側で撮影すると周辺光量低下が起こっている。最近のデジカメはたぶんそのあたりも補ってしまっているのだろうが、昔のフィルムカメラはそのあたりの良し悪しがもろに出る。

 コンコルドと聞くと私などは昔の超音速旅客機を思い浮かべてしまうが、そもそもコンコルドは古代ローマ神話の女神コンコルディア(Concordia)に由来するもので「調和」を意味するそうだ。Wikiなどによると、フランス革命の時期の1795年に「コンコルド広場(調和広場)」と呼ばれるようになったという。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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1992-01-10 | 記事一覧 
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静岡の建築・土木構築物
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