都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

三田商店 東京支店

2024-04-30 | 中央区  
三田商店東京支店
所在地:中央区 日本橋小網町17
構造・階数:RC・2+R
設計 :葛西萬司
建設年:1930(昭和5)
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 このビルの裏側にはかつては東堀留川があった。戦前の地図では日本橋川から北に入り込んだ船溜まり状の水路になっている。そしてこの建物も水路からの荷揚げを想定して建てられたものだったようだ。東堀留川は戦後の1949(昭和24)年までに、戦時中の空襲で焼失した家屋などの瓦礫で埋められたそうで、その後は水辺の建物ではなくなっていた。

 下記、中央区サイトの記事によれば、この建物は辰野金吾と建築事務所を運営していたことで知られる葛西萬司という人が設計したものだそうだ。当初は水平庇をまわした初期インターナショナルスタイルの建物だったという。モダニズム系の建物なので装飾はほぼない。最上階のパラペットが少し出っ張っているところと、左右対称でほぼシンメトリーだったことぐらい。それなので逆に昔風な感じには見えず、小規模ながらモダンな感じであり続ける建物だった。

三田商店東京支店/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション
中央区ホームページ/株式会社三田商店東京支店
三田商店東京支店 東京都中央区日本橋小網町 - 墳丘からの眺め
三田商店東京支店 | 新・レトロ建築写真帖

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区 #オフィス #倉庫・蔵 
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ArchitectS Office/旧イクタツ

2024-04-27 | 中央区  
ArchitectS Office
所在地:中央区 日本橋小網町16-16
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)頃
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 かつての東掘留川沿いに面して建てられていた建物。

 下記リンク先の記事によると、最初はワコールの前身の和江商事が倉庫(兼事務所?)として建てたものだったそうだ。川沿いだったので荷揚げ設備もあったという。

 戦後、建物裏の川は戦災で生じた瓦礫の処分のため埋められたが、建物はその後もいくつかのオフィス兼倉庫として利用されていたようだ。写真の時期は建築家の方がリフォームして設計事務所兼ギャラリーカフェとして利用していた。

 外観は装飾もほとんどない地味な建物。それぞれの窓の下に四角い凹みがデザインされているのと、屋上のパラペットにも穴が開けられているあたりが数少ない特徴。またそのパラペットはわずかに外に開いていて、外壁の雨だれ汚れを低減するデザインだったようだ。この他、撮影時は全体が白っぽく塗られていたが、1階はタイル張りで、2、3階はモルタル塗装だった。

 この後、2022年に解体され、少し前に解体された南側の建物(写真左手前)の敷地と合わせて新しいビルが建てられた。
 中央区のサイトには平成23年から3ヶ年にわたって行われた近代建築調査によって調査された建物について記したページがあるが、そこに掲載されている約90の建物のうち25軒ほどは現在までの期間に解体・消失しており、残っているのは約7割になっている。

中央区ホームページ/中央区近代建築物調査
中央区ホームページ/ArchitectS Office
川がない橋が秘めた東京の履歴│47号 つなぐ橋:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
イクタツ(現・ArchitectS Office)/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション

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季節料理 多奈加

2024-03-30 | 中央区  
季節料理 多奈加
所在地:中央区 新川1-18-10
構造・階数:RC・2
建設年:戦前
解体年:2013(平成25)
Photo 2001.6.17

 日本橋川が隅田川に出る河口近く、湊橋のそばにあった元倉庫。戦前に建てられたようで、もともとは川から荷揚げしていたのではないかと思われる。戦後も1970年代までは倉庫として使われていたようだ。

 1980年代の住宅地図から「たなか」ないしは「多奈加」と記載されていて、2000年代半ばまで料理店多奈加だった。2000年代後半から数年は「さ蔵」という居酒屋だったようだが、2013年に解体され、以降はコインパーキング。

 元が倉庫なのでガラス窓はほとんどない。居酒屋や料理店は窓がなくても良いのかもしれないが、飲食店に改装した際にもガラス窓にはしなかったようだ。
 また、道路側は黒く塗られており、倉庫としては小規模だったが店構えはなんだか重厚な雰囲気だった。

丸玉ビル、料理屋多奈加/新川1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区 #商業系 #倉庫・蔵 
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神田蓄電池(車庫・倉庫)

2024-03-12 | 千代田区 
神田蓄電池(車庫・倉庫)
所在地:千代田区 西神田3-1
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前?
解体年 :2014(平成26).4
Photo 2008.9.9

 玄関シャッター上部に見える「神田蓄電池」で検索したところ、本社は神保町にあり、ここは1972(昭和47)に建物を購入して、車庫、倉庫として使用していたものだったことが分かった。

 モルタル看板建築で一部にギャンブレル屋根があり、その部分は屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根を用いた3階建てなので、震災後から戦前期のものだったのではないかと思われる。

 90年代以降は別の居住者の名が記されていたりして、いつ頃まで同社の倉庫として使われていたのかはわからなかった。この数年後の2014年に解体され、現在、同所はコインパーキングになっている。

有限会社神田蓄電池

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#失われた建物 千代田区 #モルタル看板建築 
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(株)INAX常滑東工場

2023-09-12 | 愛知県  
(株)INAX常滑東工場
所在地:常滑市 奥栄町1-130
構造・階数:木・1
解体年代:2003〜05
Photo 1994.9.11

 焼き物の町、常滑に行きINAXの資料館を見学した際、近くにあった古い工場建物。木造黒壁でのこぎり屋根の工場は、大都市には90年代既にほとんどなく、珍しかった気がする。昔の状態を維持しながら使用し続けていたようで、採光用の窓や入口の扉は木製だった。

 上写真左奥、道の東側には当時から「窯のある広場・資料館」があったが、その後この一角が、INAXライブミュージアムとして施設拡張されたため、のこぎり屋根のこの工場建物は解体され、現在は同施設の第2駐車場になっている。

 なお、INAXの常滑東工場は、写真手前の道の反対側(西側)に大規模なものがあり、INAXがLIXILになった今もそこにはLIXILの常滑東工場がある。


 南側から

 のこぎり屋根の工場の奥には青瓦の洋風建物も見える。詳細は分からないがこれもINAX(もと伊奈製陶)関連のものだったようで、やはり同じ頃に解体されている。


 とこなめトイレパークとその北側の工場建物
 木造平屋、1995頃に解体

 1・2枚目写真の工場の少し南側には「とこなめトイレパーク」(設計:象設計集団)があり、モザイクタイルなどで覆われた個性的な公衆トイレが造られているが、その北隣にも木造で古い工場建物が残っていた。訪問時はとこなめトイレパークの方を見に行ってしまったので、工場の方は一部しか写っていないが、後から調べてみたところ、この建物も常滑東工場の一部だったようだ。
 こちらの建物は私が訪れた1、2年後に解体され、現在同所は「世界のタイル博物館」(1997年開館)になっている。

INAXライブミュージアム
INAXライブミュージアム - Wikipedia

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キッコウトミ(株)第二工場

2023-09-09 | 愛知県  
キッコウトミ(株)第二工場
所在地:半田市 東雲町27
構造・階数:木・2
解体年代:2018〜20(平成30〜令和2)
Photo 1994.9.11 運河側正面

 半田運河(十ヶ川)の東側にあった、味噌・醤油の工場。亀甲の六角形の中に冨の字を描いたマークが印象的。この「冨」は、創業者の名前、小栗冨次郎に因むそうだ。
 キッコウトミ(亀甲冨)も歴史は古く、1844(弘化元)年に酒造家として創業したという。江戸時代末期に味噌の醸造を始め、1892(明治25)年に、千葉県の野田から技術者を招き入れて愛知県内で初めて醤油醸造を始めたといわれている。


 南側の小路を西から

 半田市内には江戸時代末から明治初期に造られた味噌・醤油の醸造蔵が90年代までは多く残っていた。そして黒壁の蔵が建ち並ぶ町並みが印象的だった。


 東側の南北小路を南側から。右側は東隣の街区にあった同社の倉庫。

 キッコウトミの蔵は石垣もしくは煉瓦の基礎の上に建てられていて、路地を挟んで漆黒の蔵が並ぶさまは残り続けて欲しい景色だった。写真の一連の蔵は2018〜2020年の間に残念ながら解体されたが、敷地北側と北西側の蔵は残されている。現在はもとの敷地の北側およそ半分で操業しているようで、解体された建物の場所には新たな工場も建てられている。

 同社はかつては東天王町1丁目に大きな工場があり、これが本拠地だったようだが、現在そこは40軒ほどの戸建て住宅と小公園になっている。また、2001〜21年頃までは岩滑高山町(やなべたかやまちょう)にも工場があったが、2021年にこの第二工場の場所に全事業を集約したという。

 キッコウトミはWebsiteでも味噌・醤油を販売している。また前項で採り上げた「萬三」の味噌・醤油も造っているようだ。

キッコウトミ株式会社 | 伝統の味、美味しいお醤油とお味噌を醸造してます。
醸造メーカー紹介,キッコウトミ株式会社 | うまいの根っこ、知多の醸造

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(株)萬三商店

2023-09-03 | 愛知県  

(株)萬三商店
所在地:半田市 荒古町2-21
構造・階数:木・2
解体年:2015(平成27)
Photo 1994.9.11 西北側から

 半田市内、十ヶ川(半田運河)の西側で中埜酢店半田第三工場の少し南側、船方橋の西北側の一角にあった醸造工場の蔵。

 萬三商店の創業はかなり古く、味噌や醤油などの醸造を200年以上行っていたそうだが、現在は醸造業等は行っていないという。いつ頃まで醸造業を行っていたのかは未把握だが、この訪問時はまだ操業していたのではないだろうか。

 半田市内では幕末から明治初期に多くの醸造施設が造られたそうで、下記調査報告書(愛知建築士会半田支部のサイトに掲載)によれば、昭和50年代においてもまだ多くの醸造蔵が残されており事業を行っていたことが分かる。萬三商店の工場に関して言えば、かつては7つの大型の蔵がここにあったようだ。


 半田運河(十ヶ川)沿いの景観
 手前側が萬三商店、右奥は加周木材・日本木槽木管、中埜酢店半田第三工場

 黒壁の大型の蔵が中埜酢店の蔵などと共に運河沿いに建ち並ぶ姿は壮観。

 妻壁の上部に社名の看板が掲げられていたが、錆びていたのか訪問時は社名の文字は判別できなかった。ただ、2013年のGoogleストリートビューでは看板が一新されており、「万三」の文字がはっきり見えていた(下の画像)。


 Google ストリートビュー 2013年9月の画像から

 Google ストリートビューの過去写真を順に見た結果、一連の蔵は2015年4月時点で解体中だった。現在、同所は東半分が「蔵のまち公園」、西半分は駐車場になっている。

 また、ネットで萬三をチェックしたところ、萬三自体は醸造業をやめてしまっているが、萬三の赤だし味噌や醤油は、現在、同市内にあるキッコウトミ(株)が萬三の商標と味を引き継いで製造・販売しているようだ。

今も残る【萬三商店】蔵 | 半田市観光協会ブログ
萬三商店&中埜半六家:愛知県半田市 - 北へ南へ、東へ西へ
知多半島の醸造施設について - 愛知建築士会半田支部
萬三(キッコウトミ) 赤だし味噌 10KG - 株式会社 マルイ榊原商店
萬三 上級しょうゆ 1.8L 瓶入り - 株式会社 マルイ榊原商店

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中埜酢店 半田第三工場

2023-08-24 | 愛知県  
中埜酢店 半田第三工場(右)
所在地:半田市 荒古町1丁目
構造・階数:木・2
解体年:2013(平成25)
備考 :奥は半田第二工場
Photo 1994.9.11

 半田市内、十ヶ川(半田運河)の川沿いには中埜酢店(ミツカン酢)の工場が建ち並んでいる。事前知識を特に入れず半田市内を車で走っていて、博物館があることに気づいて街道から川の側へ曲がってみたら、いきなり大きな蔵が建ち並ぶ一角に入り込んでしまい驚愕したのだった。

 昔はここから荷を揚げたり出荷していたのだろう。川から引き込んだ堀割沿いに大きな倉庫が建ち並んでいる。それらのほとんどの壁は真っ黒。黒光りした倉庫群がこのエリアの風景を印象的なものにしている。


 奥:半田第二工場  右:半田第三工場  左の水面は十ヶ川西側の堀割

 造り酒屋などでも大きな蔵はあるが、こんなに大きな蔵が建ち並ぶ景色は少ない。野田のキッコーマン醤油など、全国規模の会社ならではの景観なのかもしれない。


 十ヶ川沿いの倉庫景観。
 奥は萬三商店、ミツカンマークの左側の建物は加周木材・日本木槽木管

 黒い板壁に白で大きくミツカンのマークが描かれているのが印象的だ。社名を書かずともこのマークがあるだけでミツカン酢の工場であることがはっきり分かる。

 基礎部分には煉瓦が積まれている。蔵の多くは明治・大正期に造られたもののようだった。

 黒い板壁なのは潮風から壁を守るためにコールタールが塗られているからだそうだ。上の方は押縁下見板張り、下部は焼板の縦板嵌めで共にコールタールが塗られている。

 前項の中埜酢店旧本店と同様、一連の建物群は本社地区の再整備プロジェクト計画に伴い建て替えられた。第三工場跡に新築されたのは中間実験棟という施設だそうで、太陽温熱水パネルなども備えた現代的な建物。かつての建物は西に開いたコの字型平面をしていたが、現在は南側の一辺のないL字型建物となっている。だが、十ヶ川沿いや引き込みの堀割沿い側の外観はかつてのものと似たデザインにされている。

ミツカングループ 本社地区再整備プロジェクト

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中埜酢店 旧本店

2023-08-21 | 愛知県  

中埜酢店 旧本店
所在地:半田市 中村町2-6
構造・階数:木・2
解体年:2013〜15(平成25〜27)
Photo 1994.9.11

 1986年に「博物館ミツカン酢の里」となったミツカン酢(中埜酢店)の旧本店建物。ミツカンの一連の工場群は十ヶ川沿いにあるが、旧本店の建物は川の西側、西へ引き込まれた船溜まりの北側に建っていた。訪れたのが夕方だったので、この日は既に閉館した後だった。

 「博物館ミツカン酢の里」は2013年秋に一時閉館して、現在の建物への建て替えが行われた。そして2015年11月にミツカンミュージアム(MIM)がオープンした。

 ミツカンは本社地区の再整備プロジェクト計画を2011年に発表し、老朽化した工場などを建て替え、ミュージアム機能を充実させたりしたが、建て替えにあたっては旧来の景観や企業イメージに配慮して、運河沿いの建物群はそれまでの外観デザインとほぼ同じものにされている。また旧建物の一部の古材も再利用されているという。

 このため建て替え後のミツカンミュージアムの建物も、正面から見ると以前のものとほぼ同じ外観になっている。しかしGoogle Mapの空中写真で見ると、瓦葺きの傾斜屋根になっているのは前面側のみで、後方は陸屋根。全体はかつての木造ではなく、博物館として不燃耐震構造になっているようだ。


 旧本店の街区内東南側に残っていた蔵

 Google ストリートビューで見たところでは、この建物は2013年9月時点で煉瓦壁以外は既に解体されていた。現在はこの部分も新しいミュージアムの一部になっている。黒い板壁の長い建物は、煉瓦造の妻壁ではなくなったが似たような外観で建て替えられた。また左端の車庫状の妻入り建物はなくなっている。


 旧本店の街区内西側に残っていた蔵

 この蔵は2013年9月時点ではまだ存続していたが、2015年4月時点では新築工事中となっていた。現在はこの部分も新しいミュージアムの一部になっており、こちらの路地沿いの様子はかなり変化している。

MIM MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)
ミツカングループ 本社地区再整備プロジェクト

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旧 滝本平吉酒造

2023-08-18 | 愛知県  
旧 滝本平吉酒造
所在地:半田市 港本町1-48
構造、階数:木、1・2
建設年代 :明治期
解体年代 :1997〜99(平成9〜11)
Photo 1994.9.11

 1994年に建築学会の大会が名古屋で開催された際、私は車で名古屋に行き、その後、常滑を訪れ、帰りがけに半田にも立ち寄った。

 写真は半田市内を車で走っていた際に見かけた蔵。工場や店の名などが掲出されておらず、なんの工場なのかは現場ではわからなかった。また、撮影場所を記録しなかったため、場所もうろ覚えになってしまった。

 撮影から四半世紀が過ぎた最近になって、果たしてこの蔵は今も残っているのだろうかと気になり始め、Googleなどで探したが該当の蔵の写真はうまく出てこない。そこでGoogleストリートビューで探すことにしたのだが、そもそも通った道の記憶があやふやだったので、場所探しも少々難航した。

 常滑を見物した帰りで、またこの後、中埜酢店の蔵を見たりしたので、その流れで通ったであろう道筋を調べ、ストリートビューで沿道を見ていく。また、写真に写っている「内藤時計」「常盤館」「竹功電気商会」「一橋旅館」といった看板も検索した。このうち、内藤時計と竹功電気商会は現存していた。常盤館は既になかったがGoogle Mapでなぜか「常盤館跡」が記載されていたため、撮影地がようやく判明。ただ残念ながら写真の蔵は既になく、過去のストリートビュー画像(最古は2013年3月)にも写っていなかった。というわけで、2013年以前に解体されてしまったことが確定。現在、付近は住宅地になっている。

 さて、この蔵はなんだったのか? 既に無いのでGoogle Mapを見ても分からず、住所から検索しても何だか分からなかった。仕方がないので国会図書館で2013年以前の住宅地図を閲覧。

 このために国会図書館に行くなんて暇だな〜と思うかもしれないが、気になってしまったので仕方ない。すると昔の住宅地図には「滝本」とだけ記されていた。住宅地図によれば、これらの蔵は1997年頃までは存在していたようだ。さて滝本ってなんの会社だったのだろう? そこで、滝本、半田市、で検索したが、出てくるのは市内の別の場所にある電気工事会社で、この蔵の「滝本」には辿り着けなかった。


 滝本平吉酒造  明治末頃
 出典『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 127 半田』

 分からないままブログに載せてしまおうかとも考えたが、もういちど国会図書館を訪れてこんどは館内資料を検索したところ、半田市の昔の街並みを扱った写真集(下記参考文献)がヒット。同誌を確認したところ、明治時代の末頃に同じ建物を私の写真とは別角度から撮った写真が掲載されており、「滝本平吉酒造」という造り酒屋だったことがようやく分かった。

 私の写真は、街道を南から北へ進む途中で南西側から撮ったもの。一方、同誌掲載のものは、同じ街道を反対に北から南へ進み、建物群を北西側から撮ったものである。1枚目写真には妻面が見える蔵が3棟写っているが、2枚目の写真でそれらは左手前からの3棟に相当する。当時と比べて道幅は西側に広げられたようだったが、街道に面した蔵の建物はほとんど変わっていないようだった。

 100年近く前の写真が撮影対象判明の直接的な手掛かりになったことは、個人的にはかなり嬉しく、私は国会図書館の端末の前で密かに喜んだのでした。

 同誌の写真は明治末頃に撮られたものだが、蔵の建物じたいはもっと前、もしかすると江戸時代のものだったのかもしれない。私が撮影した時点でも古写真から90年程度が経っていた。解体時、建物は少なくとも築100年ほどだったのではないかと思われる。

 滝本平吉酒造という会社は「雪山」(せっさん)という酒の蔵元だったという。1909(明治42)に中埜酢店と提携して丸中酒造合資会社が設立され、1915(大正4)には滝本家の雪山蔵は吸収合併されたそうだ。従って滝本酒造という会社自体は、かなり前になくなっていたのかもしれない。恐らくこのため古い住宅地図でも社名が記載されておらず、なんの会社なのかなかなか正確に分からなかったのだろう。

 長い間、半田市内の街道筋の街並みの中で存在感を放ち、ランドマーク的な存在だったであろう建物群であり、解体されて普通の住宅地になってしまったのはやはり残念。

参考文献『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 127 半田』立松宏 編著、国書刊行会、1980

國盛・酒の文化館(中埜酒造)
歴史背景|中埜酒造株式会社|蔵元紀行|地酒蔵元会

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