駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

触れてはならぬ事ではなく 

2008年12月09日 | 小考
 なぜか触れてはならないあるいは触れにくいことに性に纏わる事象がある。確かに露骨に扇情的な表現をすれば、社会生活の秩序を乱したり、第三者に不快な思いをさせる可能性があり、一定の抑制が必要なのは理解できる。しかし、性はフロイト学説ほどではないとしても、人間行動の深部に関わるので、一般人が科学的に客観的に論ずることが出来るようになることが望ましいと思う。というのは幼い女の子の事件の背後には必ず性的な動機があると思うからだ。単に変質者として片づけては、事件をいつまでも未然に防ぐことができないだろう。
 短絡的に変質者といった結論を出す前に個別の分析理解が必要で、そうすればある程度予測可能になると思う。それを困難にしている要因の一つに性的な事象に関わる科学的客観的で一般人が使用できる言語表現の不足があると思う。
 考えてみると人間の三大欲望、睡眠食性は原始的なせいか単純で意外に微細な表現に乏しい。祖先は眠い、食べたい、遣りたいで事足りていたのかもしれない。しかし人類何万年かの歴史的過程の結果、性に関しては紆余曲折というか換骨奪胎というかさまざまな変容屈折が加わり、そう単純ばかりではなくなった。科学的客観的で一般使用に向いた表現を考えて、性が絡む犯罪が僅かでも未然に防げないものかと思う。アラフォーやグーだけでは足りない。
 精神科の造詣は教科書内容を出ないが、専門家の精神科領域でも性が絡む犯罪領域への取り組みが不十分ではないかと見ている。折角楽な診療科(表現に語弊はあるかもしれない)と思われ、以前に比して倍する大量の入局(今は選択と言うのか)者が居るのだから、人海戦術で境界領域(正常と異常の)に深く分け入り、内科医が心筋梗塞脳梗塞予防に取り組んでいるように、社会に貢献して欲しい(私の認識不足なら撤回する)。
 加えて法律や報道の分野でも、視点を変換する必要があると思う。手鏡で女子高生のスカートを覗いたとして社会的に抹殺された方が居る。行き過ぎた報道があったと思う。法律は境界領域のような微妙な対象は判断を保留ないし退ける傾向がある。裁判員制度導入の前にやることがたくさんあると言いたい。駅前医者は報道者には自らの家庭を振り返ってみてはどうかと、法学者には心の法衣を脱いで町に出てみたらと言いたい。
コメント (2)
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