駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

酒の上の話

2008年12月05日 | 世の中
 昨夜は今年初めての忘年会で同業者と懇親した。内部告発のように取られては困るが、なんだかちょっと違うのではないかと感じることがいくつかあった。
 厚生官僚対象の不気味な事件、犯人は正常域をはみ出しているのではないかと言ったところ、違う、あれはヒットマンで裏に組織があるという陰謀説を主張する人が多く、なぜかというとフィリピーナと飯を食っているという私には訳の分からない理論で、挙げ句の果てに誰それがフィリピーナ好きだとか、おいおいと言いたくなる話になってしまった。
 百年に一度といわれる不況の話を出すと、日本は大丈夫、銀座の高級店に客が入っているじゃないかと、単純極まる自説を自慢げに語る。大体、現状認識も間違っていると思うのだが、あえて反論しなかった。
 いろんな考えがあるのは当然としても、妙な自信にはどうも違和感を禁じ得ない。酒に酔って料亭で自説が正解と自信たっぷりに言われてもなあ。あんた会議じゃ全然発言しないじゃないかと言いそうになる。
 たぶん、どの業界でも類似の現象があるのではと推測する。政界は言わずもがな。酒の上の身内の話で所謂本音が出る。成る程と思っても、それで諒とはできない。
 ほろ酔いでタクシーの客となり、運ちゃんの的確な観察に耳を傾けた。景気の悪い話から、私が医者と知ったか?、**病院はこの頃患者が少ない、待ちに入ったはいいが、なかなか出て来れないなどと言う。内部事情を知る者にはヒヤリとする話だ。何となく事実が分かってしまう仕組みを感じ、紆余曲折しながら辛くも生き延びるのが日本の運命だろうかなどと、ちょっと大げさな感想を抱いた。

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巡り来た師走

2008年12月05日 | 世の中
 いつの間にか十二月になった。本当に時の経つのは速い。ブレーキが効くものなら、サイドブレーキをぐっと引きたいところだ。
 十二月は子供の頃から好きな月だ。それは一つにはクリスマスがあってプレゼントが貰えたから、もう一つは何となく慌ただしく忙しない師走の特別な雰囲気が好きだからだ。
 世界各国の年末がどんなか知らないが、日本の師走のような感じがあるのだろうか。北半球のキリスト教国は冬の訪れとクリスマスが重なるので、澄んだ冷気と宗教的な雰囲気で独特な美しさが漂うらしい。写真はパリ在住の友人が送ってくれた今のシャンゼリゼ通りのイルミネーションだ。幾何学的で静的な美しさがある。
 日本の、大晦日に紅白歌合戦を見て除夜の鐘と共に年を送ってしまう習慣の中には、過ぎたよしなしごとを全て水に流して、新しい再出発を迎えることができるようにする知恵が隠れているような気がする。日本人は毎年、小さく生まれ変わることができるシステムを持っていると言えるかもしれない。
 いつまでも、と日本人には感じられる、戦前の記憶を今に顕わにする国々とは感覚が少し違う。忘れようとしない裏の権謀術数に健忘症状で対応しているわけではないだろうが、水に流すのは傷を深くしない知恵かもしれない。こうしたことの功罪を論ずるのはどことなくあざとい感じがして、真っ当でない気がする。長い年月をかけて、しかも共感が生まれなければ消化できない事柄だろう。
 子供心というのは不思議なもので、大晦日とかお正月が来ると大人が忙しなくしていると、自分は何の助けにもならないのだが、なんとか役に立って迎え撃たなきゃというような気がして、どこか緊張していたのを思い出す。そのくせ「もうすぐ除夜の鐘が鳴るわよ」と母に言われて頑張っていても、いつも鳴り始める前に寝てしまったものだ。
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