駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

サンタもどき

2008年12月25日 | 身辺記
 昨日はいつもお世話になるところ、薬局訪問看護ステーション支援センターなど、にクリスマスケーキを配ってきた。毎年、市内で二番目に美味しい〔私は一番と思う)ケーキ屋特製の21cmもので、量産品と違いちゃんとショートケーキの味がする。ここのケーキ屋の主人はヨーロッパで修行し、腕は確かなのだが職人気質のせいか婚期を逃し半世紀を生きたのにまだ独り身だ。80歳の親父さんが当院の患者さんで二人で気を揉んでいる。ちょっと脱線。
 ショートケーキは台が大切で、台のスポンジケーキが美味しくないと、いくらクリームや苺が良くても、それこそ台無しになる。このお店のは黄色くしっとりとしていながら重くなく、甘みも控えめで苺の味が際だち、東京の名店に引けを取らない。あっさりとして苺の味が生かされ美味しいはショートケーキには最上級の褒め言葉と思う。美味しいとお礼の言葉に力が篭もり、差し上げた普段着のサンタもどきとしても嬉しい。
 継続は力なりというが、これは感謝の気持ちを表す時も真実で、いつも美味しいケーキをありがとうございます、皆であっという間にいただきましたなどと云うお礼状が来るようになれば、感謝の気持ちが伝わっている。
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列島西東

2008年12月25日 | 小考
 キップリングはインドで東と西の違いを痛感したらしい。イギリスとインドでは一万キロ近く離れ、東西だけでなく南北にもかなり離れており、言語も歴史的背景も異なるので違うのは当然で、殊更という気もする。
 日本のような小さな島国でも西と東で微妙に文化というか気質に違いがある。気候は東西よりも南北あるいは日本海側と太平洋側とで大きく異なるのだが、文化や気質は関東と関西が対比しやすいせいか東と西で論じられることが多い。実際には県単位というか藩単位というか、結構狭い範囲で微妙な差があって地域の文化と気質は調べ始めたらきりがないほど奥が深い。尤もその違いは陰翳に富み微妙で、遠くからではわかりにくい。アメリカ人などと話していると、日本は同質の人間が住んでいる金太郎飴のような国に見えるらしい。アメリカ人は基本的に外国のことにさほど興味のない人が多いせいもあるが。
 自分は故郷を離れて生活しているせいか、地図を見るのが趣味だったりするせいか、地方の文化にとても興味がある。生まれ故郷とは僅か数時間の距離なのだが、田舎ではこういう考え方はしないなあということを当地ではしばしば経験する。それを云うと戦国時代の殿様の名前が出てくるから、自然顔がほころんでしまう。時は流れない、堆積するというのが私の感覚でその通りと思うからだ。
 私見では東西は偶然かその結果か関ヶ原辺りで分けられる気がしている。正確には揖斐川を分岐点としたい。こう単純に分けては尾張名古屋が黙っていないだろう。確かに愛知県が東とは云いにくい面もあるので、名古屋圏として揖斐川から天竜川間を特別域として分けてはどうかなと思う。否、日本の中央は富士山だと、富士川や箱根で東西を分ける考え方もあるだろうが、私は取らない。
 こうした勝手な見解解釈は素人でも可能なので、百家争鳴となり容易に結論は出ないだろう。中には子供じみて、あんたは諏訪出身か、家来筋だなどと云われ、けんか腰になったりする先生もおられる。
 この辺りの地方の特色というか陰翳を、表現が微妙になると思うが、嵐山さんや川本さんに少し踏み込んで書いて貰えると面白そうだ。私自身はさほど旅行しているわけではなく、診察室に腰掛けて様々な地方出身の患者さんからあれこれ情報を仕入れて、想像を逞しくしている。
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ほどほどがありがたい

2008年12月23日 | 小験
 今日は連休の合間でたくさん患者さんが来た。百十五名といつもの倍である。しかも初診の患者さんが十名くらい混じっていた。若い時にはさほどでなかったが、今は本当に疲れてしまう。ええ、まだ居るのという感じになる。腕立て伏せや腹筋を何回かやると限界になって、休まないとできなくなるのと同じで診察もある数を超えると、勘弁して欲しいと言いたくなる。経験上こういう時に間違いが起こりやすいのを知っているので、疲れると必要以上に神経を使う。
 それこそ二十代の頃は救急車が楽しみなくらいでほとんど眠らなくても働けた(医者の場合、当直の翌日が休みにはならない!)。三十代になると、徹夜が大変になる。四十代になると徹夜が出来なくなる。五十代になると当直が耐えられなくなる。大雑把に言えばこんな感じだ。
 それと何時呼ばれるか分からないのは、やっぱりストレスだ。勤務医の頃は週一回は深夜に起こされた。今は入院患者は居ないので、緊急の呼び出しはないが、自宅の看取りで真夜中に出かけることが年に数回ある。高齢で家族も覚悟が出来ているので緊迫感はないが、あと数日という時は遠出ができないし携帯や電話に敏感になる。
 病気の症状ではない訴え、悩みや愚痴、が多い、これに効く薬はほとんどなく、話を聞くしかないのだが、疲れている時に聞くのはなかなかつらいものだ。病気の治療に必要だから薬を出し検査をするのに、なぜか素直に応じてくれない人達が居る。何で私と隣のおばさんの意見を天秤に掛けるのだ?。隣のおばさんは医者じゃないだろ、何の責任も取らないだろと心の中で思いながら説明するのだが、そう言うことをおっしゃる方は理屈が理解できるとは限らない。
 いい年をして愚痴めいたことを書いた。患者さんが来てくださるのは有り難いが、ほどほどでないと。
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見巧者が可能かも

2008年12月20日 | 趣味
 歌舞伎には見巧者が居て大向こうから掛け声をかけたりするが、囲碁将棋では素人には専門家の大局観や読み手が分からないので、見巧者は難しいとされている。しかし、今回の竜王戦で、そうでもないのではと思うようになった。自慢するわけではないが、といって自慢しているのですが、ブログを遡って読んで頂ければわかるように、今回の竜王戦の流れを読むことが出来た。私の棋力は元二段今初段程度で、飛車角の二枚落ちでもプロに勝てないヘボですが、番勝負だと流れが読める感じがしてきた。少なくとも私は米長会長ほどは驚いていません。
 素人とプロの差が一番あるのが相撲と将棋だとされてきた。しばらく前から相撲は残念ながら変容して学生横綱が横綱になったりして、最近まで将棋がプロの強さを誇っていたのだが、その将棋もアマプロの差が縮まってきた。尤も、アマタイトルを取るような人をアマと呼ぶのは私のような並のファンには多少抵抗がある。
 それはさておき、並のファンでも番勝負なら、十分勝負の綾を楽しめると気が付いた。それはたぶん人間の勝負だからだと思う。番外作戦でも群を抜いた勝負師だった大山先生を持ち出すまでもない。人間の心理と勝負の流れは並のファンでも見慣れてくれば十分読めると思う。
 ではコンピュータになったら勝負の綾がなくなるかといえば、そうではなさそうに予想する。ただコンピュータに棋風が認められても、コンピューター間の勝負を楽しめるかと聞かれれば、どうだろう、首を捻ってしまう。
 余計なことをひとつ、羽生ファンには神経に障るかもしれないが、竜王戦以後羽生さんは僅かに勝率を落として行くと予想している。竜王戦第四局はそれほど大きな意味を持っていると並ながら長いファン歴の私は見ている。
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C&C遠藤

2008年12月19日 | スポーツ
 ガンバとマンUの準決勝を4時間遅れの衛星放送で見た。4-0くらいでコテンパンかなと思っていたら、なんのなんのいい勝負で驚いた。全く引けを取らない。動き回り素早いパス回しで相手の裏を狙い、一対一ではまだまだでも戦術では上回っていた。中でもC&C(クールアンドクレバー)遠藤の仕事が光った。
 遠藤は顔と言動に闘志が感じられず、リーダーシップもなさそうで、ちんたらプレーの印象があり最初は評価していなかった。しかし彼の居ない岡田ジャパンが全く機能しないのを見て、彼のプレーの意味が理解できるようになり、今は非常に高く評価している。
 動物的な人をまとめる力はさほどではなくても優れた大局観でティームを導く力を持っている。何よりも際だつのはどんな時も冷静で頭の回転が速く瞬時に次を読むことが出来、そのアイデアを可能にする正確なキックを持っていることだ。
 サッカーの奥深さは遠藤の存在に象徴される。彼が居ると不思議なことにぎりぎりで悲鳴を上げていた車輪、歯車、ダイナモの連結にほんの僅かだが余裕が生まれスムースに回り始めるのだ。
 C&C遠藤の凄さに気付くとサッカーが否スポーツがもっと面白くなる。
 
コメント (2)
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