駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ドクハラもいろいろ

2008年12月12日 | 診療
 ドクハラと聞いた時、医者も大変な時代になったと思った。というのは患者に痛めつけられる医者の事を言っているのだろうと解釈したからだ。実際には医者にひどいことを言われた時に使う言葉と知って、そうばかりではないのだがと考えている。
 感受性が違うから、一概には言えないが、医者が傷つくことも多い。
 勿論、いつの時代にも自分は偉いなどと錯覚している輩は絶えることなく、相手の気持ちになどお構いなく筋違いな叱責をして教育したつもりでいる医者や真実?が一番と碌に勉強もせず自分の考えをそのまま押しつける医者が居るのは事実だ。傷ついた心を癒すことは容易でないにしても、セクハラやパワハラと違い、ドクハラは取り替えることが可能なので、そうした医者の所への通院はすぐ止めることだ。転医の紹介状を依頼されて医者は断ることができない。何でと聞かれたら嘘も方便、身を守るには多少の智慧も必要だ。
 平均的常識的な?私でも、嫌な医者だと思われる患者さんはいるだろう。相性という物があるからだ。それと悲劇のヒロインのように振る舞う患者さんには我慢ならず、時々そんなことはないと言ったりするからだ。それはドクハラにはならないだろう?と思っている。そう言われて、もう来なくなる患者さんも時には居るが、大抵は少しづつ態度が変わる患者さんが多い。
 多くの医者は患者さんの笑顔や感謝に力を得て働いている。それは医師の労働意欲と自尊心の糧でもある。この労働意欲や自尊心を逆なでにする言動を頻繁(ひんぱん)に経験するのが町医者だ。よくあるささやかなドクハラ?は、十分な経験や力があるにも拘わらず、風邪しか分からない低級医?と見なされることだ。以前はそれこそ憮然としたものだが、今はほとんど気にもならず、御希望に添いますよと柳吹く風に対応している。この程度のことはどんな仕事にもあるだろう。
 しかし聞くところ、某市某所では3日で治ると言ったじゃないかとか、来いと言われて来たのに何で金を取るなどと怒鳴られて医者が泣き寝入りをしているそうだ。確かな筋からの情報で、あり得ることだと思う。
 ドクハラで患者と医者が張り合っても不毛だ。
コメント (2)
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